ゆがんだ時計9

ゆがんだ時計9


9.Side:Dragon


 エルシドの想いを受け止めて、数日ぶりの房事に耽った翌日。
 紫龍はエルシドと共に教皇の間へ呼ばれた。
「2日連続で教皇に呼ばれるとはな」
「昨日も緊急の招集だったんですか?」
 磨羯宮の銅像の足元で転寝をしてしまった紫龍だが、聖域に漂う緊迫した空気は感じ取っていた。そして聖域中の空気を揺らした、何かが共鳴するような音。
 それをエルシドに話すと、エルシドは苦笑した。
「詳しいことをお前に話すわけにはいかん。だが、さすがに聖戦を勝ち抜いてきた精鋭だな、お前は」
 磨羯宮を出て、一昨日までは無人だったはずの宝瓶宮にいる水瓶座の黄金聖闘士デジェルに声をかけた。双魚宮ではアルバフィカに声をかけて返答はあったものの、姿は見せてもらえずに教皇の間へと向かった。
 そして紫龍は、この時代へ飛ばされてきた日と同じように、女神と教皇セージの前に跪いていた。
「顔を上げてください、紫龍。こちらでの生活には慣れましたか?」
「はい。エルシドにも、他の皆さんにもよくしていただいています」
「それは何よりですね」
 紫龍の言葉に、サーシャが柔らかく微笑する。
「紫龍は戦闘能力も高いので、我々黄金聖闘士にとっていい訓練相手になっているのです」
「来るべき聖戦に備え、皆が訓練に励むのは良いことだ」
「はっ」
 威厳のあるセージには、紫龍もエルシドも自然と頭を垂れた。
「ところで、紫龍。未来の…あなたが元いた時代のアテナから、いい知らせがありました」
「沙織さんから?」
 サーシャの言葉に思わず顔を上げると、サーシャは微笑して頷いた。
「明後日、あなたの最も大切に思っている聖闘士があなたを迎えに来る、と」
「明後日……」
 サーシャの言葉を、紫龍は思わずおうむ返しにして呟いた。
「良かったですね、紫龍」
「アテナを通じて、童虎からお前に伝言があった」
「老師から、ですか?」
 思わず尋ね返すと、セージは深く頷いて続けた。
「残る2日間、こちらで悔いのないように過ごせ、と」
「……はい」
 紫龍はもう一度深く頭を下げて、セージとサーシャの前を辞した。



 教皇セージと話があると教皇の間に残ったエルシドより一足早く、紫龍は磨羯宮に戻ってきた。宮へ戻った紫龍を出迎えたのは、神話の時代にアテナから聖剣を授かった山羊座の聖闘士の銅像だった。
(シュラ……)
 紫龍は心の中で、243年後の聖域にいる恋人に呼びかけた。
 明後日、紫龍が最も大切に思っている聖闘士、つまりシュラが紫龍を迎えに来る。どうやって迎えに来るのか、紫龍には想像もつかなかった。だがアテナである沙織がそう伝えてきたのなら、間違いないのだろうと紫龍は信じることができる。
(あなたの所へ帰れる)
 紫龍は跪いてアテナから聖剣を受け取る聖闘士の足元に触れた。
 元いた時代に帰れるのはこれ以上ないほどに嬉しい。だが、素直に喜べない自分がいる。
(エルシド……)
 昨夜結ばれてしまったエルシドのことが、気がかりだった。紫龍が元の時代に帰れば、二度とエルシドと会うことはない。
 昨夜、エルシドに抱きしめられた時に感じた小宇宙。あれは、シュラが自分を助けるためにまとわせた山羊座の聖衣から感じた、シュラとは別のもう一つの小宇宙だった。
 紫龍は、エルシドが自分を愛し、聖戦でヒュプノス配下の夢の4神を倒して共に消滅した後もなお聖衣にその小宇宙を宿して守ってくれていたことを知った。
(愛している)
 そう告げられた時、紫龍の頭にはエルシドを拒むという選択肢はなかった。
 与えられた性的な刺激に呑まれたから。
 などという言葉が、ただの方便でしかないことは、紫龍自身がよくわかっている。あの状況でも、エルシドを拒もうと思えばできたのだ。だが、それをしなかったのは……
 他ならぬ自分が、エルシドを受け入れたいと望んだからだ。
 エルシドと関係を持ったとはいえ、誰よりもシュラを愛していることに変わりはない。外見が似ていても、エルシドはシュラとは全くの別人なのだと、改めて思い知った。
 だが……
 愛している、と求めてくるエルシドを拒みきれない自分がいる。
 エルシドが自分を愛していることを、喜びとして感じている自分がいる。
 それだけではない。
 エルシドには、相手がエルシドならばシュラは許してくれると話したが……本当に自分を許してもらえるのだろうか、という不安が重く圧し掛かっていた。
(俺は、どうしたら……)
 紫龍は思わずため息をついた。
「恋人が迎えに来るというのに、浮かない顔だな」
「エルシド……」
 声をかけられて紫龍が振り向くよりも先に、エルシドが背中から紫龍を抱き締めてきた。
「元の時代に帰れるというのに、嬉しくないのか?」
「嬉しいです、けど……」
 自分がここで考えていたことを話してしまえば、エルシドを責めているように聞こえてしまう。紫龍は口をつぐんだ。
「あなたも、老師や他の皆さんもとても良くしてくれるので、別れるのが寂しいと思っていたんです」
 もっともらしく聞こえるだろう、と思って紫龍は考え出した言い訳を口にした。
 だが、耳元でエルシドが小さく笑うのが聞こえた。
「嘘をつくのが下手だな、お前は」
 語りかけてくる声は、柔らかかった。
「もっとも、それもお前の本音の一つなんだろうがな」
 言いながら、エルシドは紫龍の髪をひと房手にとって、唇を寄せた。滑らかで艶のある黒髪が、エルシドの手からサラサラと滑り落ちていく。その感触を楽しんで、エルシドは真っ直ぐに紫龍を見つめてきた。
「昨夜、俺に抱かれたことを後悔しているのか?」
 鋭く相手の急所に斬り込んでくる技そのままに、エルシドが紫龍に問いかける。
 シュラが全くごまかしのきかない相手であるように。
 エルシドもまたそうなのだ、と紫龍は観念した。
「いいえ。後悔していないから、困るんです」
「嬉しいことを言ってくれる」
 くくっ、とエルシドは小さく笑って紫龍の髪をかき分け、首筋に唇を寄せてきた。
「シュラを愛している気持は変わりません。あなたは、彼とは違う。でも、俺はあなたが俺を愛してくれるのが嬉しくて、あなたを拒むことができない」
「それなりに、俺に気持ちを向けてくれている、ということか」
「そう……です」
 エルシドの唇が、首筋から顎へ、そして頬へと上がってくる。
「そんな嬉しいことを言われると、お前を未来へ帰したくなくなるな」
 唇の端に口づけるエルシドに応えるように、紫龍は顔をエルシドに向けて唇へのキスを受けた。
「だが、お前は帰らなければならない。紫龍よ」
 真摯な声に呼ばれて、紫龍は思わず姿勢を正した。
 後ろから抱き締められていた腕が解かれて、エルシドに向き直り、正面から向かい合う。
「お前とこうして過ごせるのは、正味今日と明日の2日だけだ。そこで、お前に頼みがある」
「何でしょうか」
「お前の恋人がお前を迎えに来るまでは、俺の恋人でいてくれないか」
「エルシド……」
 真剣な眼差しに、心ごと絡め取られる。

 残る2日間、こちらで悔いのないように過ごせ。

 わざわざ沙織を使ってまで紫龍に伝えてきた、師の言葉が紫龍の頭に浮かんだ。
 こちらの時代に来てからも共に過ごすことの多い童虎は、エルシドとのことも知っているのだろう。そして同時に、未来において紫龍がシュラと関係を持っていることも知っている。
 その上で、敢えて悔いのないように過ごせと伝えてきたその言葉の真意は……
(感謝します、老師)
 紫龍はエルシドを真っ直ぐに見つめて、応えた。
「わかりました、エルシド。俺は、あなたの思いに応えたい」
 はっきりとそう告げて、紫龍は自分からエルシドに身を寄せて、唇に口づけた。
ついばむように口づけると、エルシドはぐいと紫龍を引き寄せて抱き締めてきた。強く紫龍の体を抱いて、紫龍の舌を求めてくるエルシドを抱き返す。
「……っ――んぅ……」
 舌を絡ませて深く口づけて。
 角度を変えて唇を、互いの舌を求め合う
 息を継ごうと少し唇を離すと、吐息とともに小さく声が漏れる。
 紫龍が薄く目を開いたその時。
「――っ!?」
 紫龍は、抱き合ってキスを交わす二人の姿を見て呆然と佇むシジフォスの姿を見た。
「すまない、邪魔をしてしまったな」
「シジフォス……」
 苦笑しながら話しかけてきたシジフォスを、エルシドが呼び返す。
「セージ様に報告書を出す前に、一度お前に見てもらおうと思ったんだが……。また出直そう」
「貴方がここを訪ねてきたということは、早めに目を通した方がいいんだろう? 裏で話を聞こう」
「いいのか?」
 尋ねてくるシジフォスに、エルシドは一度紫龍と目を合せてきた。同席しない方がいいのだろう、と紫龍は察して、告げた。
「お茶をお出ししたら、俺は老師に稽古をつけてもらいに行きます」
「そういうことだ、シジフォス」
 シジフォスに笑いかけて、エルシドが自然な仕草で紫龍の肩を抱く。紫龍はエルシドに促されるままに、寝殿へと足を向けた。

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今回はちょこっと、紫龍クン悩めるお年頃でした(笑)
一応このお話は山羊龍(って、エル龍もある意味山羊龍だな;)を前提に書いているもので、少しでもエルシドさん相手に心が揺れて、関係を持ってしまったとなると、紫龍の性格上それなりに思い悩むんではないかなぁ、と思ったものでして。

ちょうどこの話を書いている時に、LCの10巻が発売されました。
その中で、エルシドがシジフォスに向かって「貴方」と呼びかける1コマがあるのです。それが妙にツボにハマってしまいまして。どうしても呼ばせてみたかったので、シジフォスにも登場してもらいました(笑)



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