Long Road

Long Road



 シオンはマスクを取って、ため息をついた。
 冥界が滅び、死者の掟に縛られなくなった聖闘士たちは女神アテナの慈悲によって地上に呼び戻された。対象となったのは、アテナ降臨とそれに伴う教皇交代に端を発したサガの反乱以降に命を落とした聖闘士たちである。
 サガの反乱で最初に命を落としたシオンも、その中に入っていた。
 本来ならば、次代の聖域を担う教皇になる人物に、シオンは教皇として、教皇しか知りえぬ事を伝えなければならなかった。しかしその責任を果たせずに命を落としたシオンに、アテナの化身である沙織はもう一度チャンスを与えてくれたのである。
 人生で最も輝く18歳の肉体を持って再び生を受けたシオンは、教皇として再び戦後処理をして聖域をまとめ上げる、という大役に没頭していた。
 聖戦が終わった後の聖域は戦後処理が山積みになっている。サガの反乱から聖戦に至るまで手つかずだった事務処理も山のようにある。シオンが不在の間、一時的に教皇代理として青銅聖闘士の一人である紫龍がある程度処理していたため、それなりに量は減っている。しかしそれでもまだ、紫龍や他の黄金聖闘士たちの手を借りてなお、シオンが深夜まで働かなければならない日々が続いていた。
 それらに粉骨砕身する日々は充実している。
 が、聖闘士といえども一人の人間であることに変わりはない。
 さすがのシオンも、疲労の色が日に日に濃くなっていた。


「遅かったの、シオン」
 教皇の間に隣接する寝殿に入ってきたシオンに声をかけたのは、2度の聖戦を経験した親友、天秤座ライブラの童虎だ。
 共に青銅聖闘士からスタートし、243年前の聖戦において黄金聖闘士に抜擢されて戦い抜き、生き残ってからは聖域を支え続けてきた盟友でもある。
 低く深みのある童虎の声が、疲れた体に心地よく聞こえた。
「そろそろ戻ってくるかと思って淹れた茶が冷めてしまったわ。淹れ直すとするかの」
 シオンと同じく18歳の肉体を持って復活したというのに、童虎は未だに老人の姿で長年過ごしてきた習慣が抜けない。よっこいしょ、と呟いて立ち上がった。
「小腹が空かぬか? 紫龍が用意してくれたスープと粥があるぞ」
 童虎の弟子である龍星座の青銅聖闘士・紫龍は、教皇の間の奥にあるアテナ神殿にある寝殿の一角を与えられている。自身も事務作業を手伝いつつ、深夜まで仕事をするシオンや他の黄金聖闘士のために腹に優しい夜食を用意することが多い彼は、今夜もシオンのために料理してくれたらしい。
 親友とはいえ、シオンと童虎が共に過ごした時間はわずか3年ほど。前の聖戦が終わった後は、シオンは教皇として聖域を守り、童虎は108のハーデス軍を封じた塔の見張り役として仮死状態になって蘆山五老峰に座し続けたため、結局一度も会えぬままだった。
 それに対して、紫龍が童虎の下で修業したのは6年――そんなに修行しなければ聖闘士になれなかったのか、と正直シオンは思うのだが。彼は童虎と共に過ごした時間もシオンより長い上に、シオンが知らない童虎を知っている。加えて、長年シオンの補佐を務め、シオンが冥界で眠りについている間に亡くなっていた祭壇座アルターのニコルが、遺言でいずれは紫龍を教皇とするようにと遺志を残していた。そのため紫龍と接する時は少々複雑な心境なのだが……彼の心づかいはありがたかった。
「いただくとしよう」
「うむ、では温め直そう」
 シオンが大人しく頷いてテーブルについたのを見て、童虎が微笑する。可愛い弟子の気遣いを快く受けたことが、師匠としても嬉しいのだろう。
 童虎は小さく鼻歌を歌いながら――もっとも、あまり上手くはないのだが――キッチンへ消えた。そしてそれほど時間を置かずに戻ってきた。
 テーブルの上に、湯気が立ち上る野菜スープと、戻してほぐした干し貝柱を乗せた粥が置かれる。目の前に食べ物を置かれて、シオンはようやく空腹を自覚する。
(よほど気が張っていたとみえる)
 童虎に悟られないように心の中で苦笑して、シオンはスープを口に運んだ。紫龍の作ったスープは、出汁の味がしっかりと出ていて、それでいて決して濃くはない味付けになっている。
「美味いな」
「そうじゃろう? あと、これはわしからのご褒美じゃ。お前は毎日遅くまで頑張っておるからの」
 雪を解かす春の太陽のような笑顔を浮かべて、童虎はもう一つ、小さな皿をテーブルに置いた。
「これは?」
「桃を砂糖で煮て、煮汁をゼリーにして固めたのじゃ。これくらいなら、食べても大丈夫じゃろう」
 淡い黄色がかったゼリーの上に、黄桃を煮た実が添えられている。
「お前が作ったのか?」
「……紫龍を手伝っただけじゃ」
「そうだろうな」
 童虎はお世辞にも器用とは言い難い。家事全般は苦手で、弟子や身の回りの世話をしてくれる者に任せることが多いのだ。
「だが、どういう風の吹き回しだ? お前が料理を手伝うなど」
「……お前、やはり忘れておるようじゃの」
「何のことだ?」
「今日が何月何日か、覚えておるか?」
「今日?」
 尋ねられてシオンは答えに窮した。何せ、時刻は深夜0時を回ってすぐ。前日の日付を答えるべきなのか、それとも変わったばかりの日付を答えるべきなのか、シオンは迷っていた。
「今日は3月30日じゃ。お前の誕生日じゃろうが」
「あ……」
 呆れたように答えを明かしてくれたのは、童虎だった。30分ほど前に変わったばかりの日、3月30日はシオンの誕生日だった。もっとも、サガに殺されるまでは牡羊座の黄金聖闘士として、教皇として230年も生きていたのだ。自分の年齢を数えることも、誕生日を意識することも、シオンにはなかった。
 何よりも、自分の生誕を祝う友は童虎のみ。しかしその童虎も、聖戦が終わってからシオンが死ぬまでの230年間、ずっと側にいることはなかったのだ。
「ずっと祝ってやれなんだからの。一度、ちゃんと祝ってやりたいと思ったのじゃ」
「童虎……」
 寂しげな声音に、シオンは思わず席を立った。
「これ、シオン。食事中に席を立つでない。行儀が……」
 悪いぞ、と言いかけた言葉は、童虎の口から出ることはなかった。一瞬で童虎の傍に移動したシオンが、童虎を抱き締めたのだ。
「シオン……」
 咎めるわけではなく、少し戸惑ったように童虎がシオンを呼ぶ。
「今私がどれほど嬉しいと思っているか、わかるか、童虎?」
「知らん」
「ならば、お前がわかるまでこのまま抱いているぞ」
 憮然とした様子で答える童虎に、シオンは微笑して宣言した。
「紫龍が作ったスープと粥が冷めるぞ」
「お前の愛弟子が作ったものは、冷めても美味いだろう」
「それは、そうじゃが……」
 拳を交えたことは、一度や二度ではない。この度の聖戦では、始まってすぐにハーデスの誘いに乗ったと見せかけたシオンは、本当に童虎を殺す覚悟で白羊宮の前で彼と対峙した。
 だが、こんな風に触れ合うのは、彼と知り合ってから二百数十年間で初めてのことだった。
「お前にこうされると、何だか落ち着かん」
「それは結構なことだ」
 戸惑ったような童虎の言葉に、シオンは思わず微笑した。シオンの記憶にある限り、童虎に恋人がいたことはない。物ごころついた頃から聖闘士としての修行に励み、青銅聖闘士としてしばらく任務に当たり、小宇宙を高める中でいつしか青銅聖闘士では収まりきらない小宇宙を身につけ、ハーデスとの聖戦を前にしてシオンと共に黄金聖闘士に抜擢された。
 恋愛に裂くだけの心の余裕も、時間的な余裕もなかったはずだ。シオンがそうだったように。
 こんな風に触れられるのは初めてなのだろう。そう思えば、気分は良かった。
「じゃが、シオンよ。何故嬉しいとこういうことになるのじゃ?」
「お前……ふ、ハハハハ」
 童虎のまるでわかっていない問いかけに、シオンは噴き出して声をあげて笑った。
「お前のそういう所が好きだ、童虎」
「今更何を言っておる?」
「そういう所だけではない。私はお前の全てが好きだ、童虎」
「シオン?」
 243年越しの告白も、童虎には通じていないようだった。
「気づいた時には、すでに聖戦が始まっていたからな。ずっと言えずにいたのだ。だが、ようやくこうしてお前を抱き締めることができる」
「何をわけのわからぬことを言っておるのじゃ、お前は」
「だから、お前のことが好きだと言っている」
 少しだけ体を離して、シオンは童虎を見下ろした。
「教皇としてこの聖域を守っている間、ずっとお前に会いたいと思っていた。お前に会って、こうして抱き締めて、この想いを遂げたいとな」
 シオンの言葉の意味がわかってるのか、いないのか。
 呆然としている童虎の無防備な唇を、シオンは自分のそれで塞いだ。


 そういえば、と童虎は思い出していた。
 13年前のあの日。
 シオンがサガに殺されたあの時。
 聖域で、シオンの小宇宙が消えたのを童虎は五老峰に坐したまま、感じ取っていた。小宇宙が消えて、シオンの身に何が起きたのか。居ても立ってもいられない気持ちになった。
 だが、童虎は五老峰の滝の前から動けない。
 230年前の聖戦の後、当時のアテナの化身であったサーシャから仮死の法を施され、ハーデス108の魔星を封じた塔を見守る大役を与えられた。
 聖闘士として、サーシャから与えられた使命には背けなかった。
(童虎……童虎)
 いっそ聖域に飛んでしまおうか。
 そう思いかけた時、童虎はシオンに呼びかけられる声を聞いた。
(ようやく、お前に会えた。私は……)
 小さな声は、滝の音にかき消された。
(シオン? シオン、一体何があったのじゃ?)
 童虎の問いかけには、答えなかった。
(アテナを頼む)
 最後にそう告げて、シオンの小宇宙は完全に消えたのだった。
 あの時、シオンが自分に告げようとしていたのは。
「このことだったのか、シオン?」
 口づけられて、さすがの童虎も気がついた。
 我ながら間が抜けている、と童虎は思っていた。
 弟子として長年育ててきた紫龍が、赤子だった頃に拾って育ててきた春麗をなかなか恋愛対象として見ないことに、二人がお互いを大切に思いながらもいつまでも幼馴染の域を出ないことに、あれほど焦れてそれぞれを焚きつけたこともあったというのに。
 肝心の自分自身に対して、恋情を寄せている人物がいることには全く思い至らなかった。その相手が、戦友であり親友でもあるシオンだということも。
「お前が最期に言いたかったのは、こういうことじゃったのか、シオンよ?」
「ああ、そうだ。サガに殺されて、魂だけとなって、私はようやく自由を得たのだ。聖域にも教皇にも縛られず、お前に会いに行ける自由をな」
「それで、わしに会いに来たのか。魂だけとなって」
「冥界に行く前に、一目会っておきたかったんでな。愛する相手に会いたいと思うのは、当然だろう?」
「……お前、よくそんなセリフがスラスラと口から出てくるものじゃのう」
 言い返してくる童虎の頬が、薄紅に染まる。
 シオンの気持ちは、嫌ではない。ただ面映ゆくて、どうしていいのかわからない。
 童虎は素直にそう告げた。
「今はそれでよい」
 もう一度、シオンは童虎に口づけた。
「私はな、童虎。アテナにいただいたこのひと時を、お前と共に生きていきたいと思うのだ。これからの私たちにどれだけの時間が残されているのかはわからん。だがその時間を少しでも長く、お前と共に過ごしたい」
「シオン……」
 これほど穏やかに、けれど内に熱い思いを秘めて語るシオンを見るのは初めてだった。少年の頃から整った顔をしていたこの親友を、童虎は初めて綺麗だと思った。
「お前は綺麗じゃの」
「童虎?」
「整った顔をしておると思ってはおったが、こんなに綺麗だったんじゃの、お前」
「何を言うかと思えば……」
 シオンの恋心には全く気付かなかったというのに、童虎はそんなことを言いながらシオンを見つめてくる。
「こうやって向かい合うことも、今までなかったのぉ」
「ああ、そうだな」
「お互いに親友だ、戦友だ、盟友だと言いながら、わしはまともにお前の顔を見たことがなかったんじゃな」
 そしてシオンの両頬をそっと自分の両手で包んだ。
「思えば、わしがずっと五老峰の滝の前で座っておれたのは、お前がここで教皇として必死に勤めを果たしておると思っておったからかもしれん」
「童虎……」
「お前が教皇として闘っておる限り、わしは己の使命を命がけで果たそうと思っておった。だが、お前の小宇宙が消えてしまって、わしは寂しかったのかもしれん。今にして思えば、春麗を拾って育てたのは、その寂しさを紛らわせるためだったのかもしれんな」
 話す童虎の目に、涙が滲む。
 涙を浮かべて、それでもなおシオンに穏やかに微笑して見せる童虎の方こそ綺麗だと、シオンは思った。
「一度死んで、蘇った今になって気づくとは……愚かなこと……っ!?」
 話を続けようとする童虎の唇を、シオンは再び自分のそれで塞いだ。

 愛しくて、たまらなかった。

 驚いて半開きになっている童虎の口裂から舌を忍び込ませて、口腔を探った。
 口蓋を、頬の内側を舌で舐め、童虎の舌を絡め取って強く抱き締める。
「ん……んぅ……」
 童虎は抗わなかった。
 シオンは合わせる唇の角度を変え、何度も舌を絡ませて深く口づけてくる。
 身体を抱いている手が、舌で探られた場所が熱い。
「童虎、愚かなのは私も同じだ。3度目の命を得て、今ようやくわかった。私にはお前が全てなのだと」
 童虎を胸に抱いて、シオンは告げる。
「私もお前と同じだ。お前が五老峰でハーデスの軍勢を封じた塔を見守っているとわかっているからこそ、私はここでお前のいるこの世界を守ろうと思っていたのだ。アテナは大義名分を与えて下さったにすぎぬ。私が真に守りたかったのはお前だ、童虎」
「シオン……」
「愛している、童虎。このままお前を離したくない」
 見下ろしてくるシオンの髪が童虎の顔にかかる。
「……紫龍が作った粥が冷めておるぞ。それに、お前はまだわしが作ってやったゼリーも口にしておらんじゃろう」
 はぐらかしたのは、精一杯の照れ隠しだった。
 このまま素直にシオンの求めに応じてもいいのだが、少しだけ先延ばしにしたいという気持ちもあった。
 そんな童虎の戸惑いも、シオンには伝わっているのだろう。243年前の聖戦の折、まだ血気盛んだったシオンが童虎の前でだけよく見せていたような、自信に満ちた不敵な微笑が浮かんでいた。
「確かに、お前を抱いている最中に腹の虫が鳴るのは困るな」
 シオンはサラリとそんなことを言って、先ほど座っていた椅子に戻った。
「腹ごしらえをして、それからお前をいただくとしよう」
 すっかり冷めてはいるものの、味は落ちていない粥を口に運ぶ。
「のう、シオンよ」
「何だ?」
「この流れで考えると、わしはお前に、その……される方になる、というわけか?」
「私は初めからそのつもりだ。それとも何だ、お前が私を抱きたいとでも言うのか?」
「そういうわけではないが、その……」
 口ごもる童虎に、シオンは止めを刺した。ここまで来たら、もう童虎を見逃してやるつもりはない。
「今日は私の誕生日を祝ってくれるのだろう? ならば、私の好きにさせてもらうのが筋ではないのか?」
「そう言われると……」
「童虎」
「な、なんじゃ」
「お前の作ってくれたこれは、美味だな」
 食べやすいように、と紫龍が作ってくれた粥とスープをあっという間に平らげて、シオンはゼリーを口に運んでいた。
 急に話題を変えられた童虎は、軽く固まっている。
 固まっている間に、シオンはちゃんと味わいながらも素早くテーブルに並んだ料理をすべて腹に収めた。
「全部食べたぞ。これで文句はないな?」
「う……」
「そう固くなるな。気持良くさせてやる。私のことしか考えられぬようにな」
 再び一瞬で童虎の横に移動して、シオンは耳元で囁いた。
 そして童虎の肩を抱いて、寝室へと連れ込んだ。
 気が遠くなるほどの長い時をかけて歩いてきた二人の道を、一つにするために。
 今度こそ、想いを遂げるために。

This moment I know,you are my everything.


Fin

written:2008.5.26



や、やっと書けたっ!
念願のシオ童っ!!!(T^T)
大好きなCPなのに、なかなか書けずにいたんですよ、シオ童。
いつか書こう、絶対書こう。
と思いつつ、ようやく書いたのがコレってどうよ、自分orz

頭の中で二人の馴れ初めを整理しつつ書いた感じなので、説明臭くて申し訳ございません(平謝り)
加えて、この頃ちょうど小説「ギガマキ」を読みまして。
アーンド「冥王神話 ロストキャンバス」を全巻揃えまして。
あっちやこっちのお話も入りじ混じっています。

読んでないから、わかりませ~ん(>_<。)

という方は、大変申し訳ございません(平謝り)
でも、シオ童を書く上では絶対に外せないと思うんですよ、LC。
仲良しな二人が出てくるたびに、萌えっ!o(>_<)oってなっちゃうんですよ。

ああ、VIVA シオ童!

なお、このお話のタイトルにいただいたのは、ずいぶん古い歌ですがチェッカーズのアルバムに収録されていた曲です。2枚目のアルバムだったかな?
この歌、フミヤさんがファンのために書いた曲だったと記憶してまして。
いつかこの歌でSSを書きたい、と長年温めていたものを、今回のシオ童にピッタリかも、ということで引っぱり出してきました。
ラストの1文、まんま歌詞を引っぱってきた、という(汗)



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