最初に見えたのは、風になびく長い黒髪。
それから、微笑の形に引き上げられた口角。
綺麗な人……
「何が見えた?」
尋ねる声に、シュラは現実へと引き戻された。
聖闘士になるために聖域へやってきて、修行したシュラに与えられたのは、聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士のみがまとうことを許される黄金聖衣だった。
「え……?」
「お前の前に山羊座の聖闘士だったエルシドは、前の聖戦で戦死しているからな。聖衣に残っているのは、そのエルシドが最期に思い浮かべたイメージだ。何か見えたか?」
「あ、ああ……」
シュラの修行も助けてくれて、磨羯宮の隣にある人馬宮の主・射手座のアイオロス。黄金聖衣を授かったことを誰よりも喜んでくれたのは、このアイオロスだった。
授かった聖衣を初めてまとう時は、自分もぜひ一緒に。
そう言ってアイオロスは磨羯宮にやってきたのである。
「俺の場合は薄紫の髪をした少女だった。恐らくは、前のアテナ様なんだろうけどな。で、お前はどうだった?」
88ある、と神話の時代から言われている聖衣の中でたった12人にしかまとうことを許されない黄金聖衣は、他の白銀や青銅とは違う特性をもつ。それは、装着者の記憶を蓄積していく、というものだ。
そして初めて聖衣をまとった時、聖衣に残っている先代の記憶の一部が見える、とシュラはアイオロスから聞いていた。
「長い、黒髪の人だ」
「黒髪? 女の人か?」
「いや、男か女かよくわからない。でも、綺麗な人だった」
「そうか。死ぬ間際に思い浮かべたのがその人だったということは、エルシドはその人のことが好きだったのかもしれないな」
「好き?」
言われた事の意味がよくわからずに聞き返すシュラに、アイオロスは苦笑した。
「シュラにはまだよくわからないかもしれないな。もう少し大人になれば、その意味もわかるだろう」
そう言って、アイオロスは続けた。
「聖衣は神話の時代から受け継がれてきたものだ。俺達の力は、地上の愛と平和のために、正義のために使われるものだ。それを忘れるなよ」
年長者らしく、アイオロスは聖衣が授与される際に教皇シオンが告げたことをもう一度、シュラに言い聞かせた。
deja vuが逃げる頃
覚醒は、いつも突然訪れる。
「……夢、か」
最も深い眠りから一気に浮上して目を開けたシュラは、ポツリと呟いた。
体内時計が朝を告げ、それに違うことなくカーテンから朝やけを思わせる薄明かりが漏れてくる。
ベッドの上に身を起こす。
「………」
いつも隣にいるはずの温もりは、ない。
聖域内の見回りの最中に紫龍が突然消えてから、もう5日が経っていた。
消えた彼は、243年前の、ハーデスとの聖戦が始まる前の聖域で保護されている。シュラはアテナの化身である沙織からそう聞かされた。双子座の黄金聖闘士の片割れであるカノンが使った技の余韻に巻き込まれ、過去の聖域に飛ばされたのだと。
(今更、こんな夢を見るとは……)
黄金聖闘士となったシュラが、教皇であるシオンから聖衣を授かった日の記憶。
紫龍が飛ばされた過去の聖域で、彼を保護しているという先代の山羊座・エルシドが最期に思い浮かべたために、聖衣にその姿が刻まれたのだという、長い黒髪の人。
その夢を見るのは、シュラが記憶している限り2度目だった。
最初に見たのは、確か……
記憶を辿り、シュラは思い出す。
(ああ、そうだ。初めて紫龍に会った時だ)
5人の青銅聖闘士が偽物の――だが、シュラは彼女こそが本物だと知っていたアテナを奉じて、聖域に攻め込んできたあの日。紫龍と初めて出会い、一目で己の命をかけるほどの恋に落ちてしまったあの日。
午前中に戦闘の火蓋が切って落とされ、12宮の火時計が灯されて。時の流れを告げるためにその火が消えるように、共に陰謀に加担した共犯者であり親友でもあるデスマスクの小宇宙が消え、小宇宙のぶつかり合いが聖域全体を揺るがしたあの日。
シュラは彼らを迎え討つために、平常心を保つために、敢えて自分の習慣を守った。
彼らが真の聖闘士であるならば、数時間の後には自分を裁きに来るだろう。デスマスクを倒したように。
そう思いながら横になった、昼下がりのシエスタ。
その時に、シュラは夢を見たのだ。初めて山羊座の聖衣をまとった日のことを。
風になびく長い黒髪
整った綺麗な顔立ち
あの時見た夢は、今にして思えば悪に手を染めた自分に対する先代のエルシドからの断罪であり、同時に予知夢でもあったのだろう。
それから数時間後、仲間たちを先に行かせて一人で磨羯宮に残った紫龍の姿を見たシュラは、夢の続きを見ているような心地になった。
微笑の欠片もなく、闘志に満ちた目でシュラを見据える険しい顔つきではあったけれど。
夢から抜け出てきたような彼は、瞬く間にシュラを魅了した。そしてシュラは己の命を賭して彼を助けた。決して死なせるわけにはいかないと。
それから時が流れ、紫龍は聖戦を戦い抜き、見事に勝利した。
冥界が滅ぼされて死者の掟に縛られなくなったシュラは、アテナの加護と慈悲によって再びこの地上で生きることを許された。
それから間もなく紫龍と思いが通じ、以来隣にはいつも紫龍がいた。
だが、その彼が今は過去の時代にいる。
(言いにくいことなんだが……。もしかしたら、先代のシジフォスが日記に残していたエルシドの相手は、紫龍のことなんじゃないか?)
ベッドから降りてTシャツをかぶったシュラの脳裏に、昨日アイオロスから言われた事が浮かんだ。
アイオロスが守護する人馬宮に先代のシジフォスが残した、大量の資料。その中から見つかった、シジフォスの日記。
そこには、彼が見聞きしたことが書かれていて、その中に隣の宮を守護するエルシドに関する内容もあった。彼と、彼が愛したという東洋人のことが。
風になびく長い黒髪
整った綺麗な顔立ち
口元に浮かぶ微笑
夢で見た光景を、シュラは思い出した。
言われてみれば、とシュラは思う。
あの笑い方は、紫龍にそっくりだと。
紫龍は今、そのエルシドの元にいる。
シュラが一目で紫龍に魅了されたように、同じ守護星の元に生まれたエルシドもまた、彼に惹かれたとしても不思議ではない。
(紫龍……今、どうしている?)
紫龍が消えてから5日。
シュラはもう一度シジフォスの日記を全て洗い出した。紫龍を連れ戻すための手立てがないか、と。だがどの資料を見ても、紫龍に関する情報は全く出てこなかった。
頼みの綱は、前の聖戦を生き残り、当時のことを知っている紫龍の師である天秤座の童虎と、教皇であるシオンだった。しかし彼らも紫龍に関する記憶を当時のアテナによって封印されていた。紫龍を未来へと見送ったという童虎も、いつ紫龍が戻ったのかを覚えていなかった。
ならばやはり、紫龍を取り戻す方法は自分で探すしかない。
シュラはまだ残っている資料を見直すために、すぐ下にある人馬宮に向かった。
「おはよう、アイオロス」
「おはよう。早いな、相変わらず」
「一刻も早く紫龍を連れ戻したいからな。のんびりと休んでなどいられない」
「そうか」
宮に入ってアイオロスに声をかけたかと思えばまっすぐに資料室に向かうシュラに、アイオロスは苦笑した。
自分の記憶にある限りまだ幼かったシュラが、今は大人として成長して、誰よりも愛する相手も得ている。そして今の彼は、過去の世界に飛ばされてしまった最愛の恋人を取り戻すために必死になっている。
「シュラ」
「……何だ?」
シジフォスが紫龍について記している日記を、書かれている文字の癖までも覚えてしまうほどに何度も読み返したそれを真っ先に手に取り、視線を落とすシュラにアイオロスは声をかけた。
「昨日は無神経な事を言って、すまなかった」
「何のことだ?」
「いや、その……シジフォスが書いているエルシドの相手のことで、俺が言った……」
「相手が紫龍じゃないか、ということか?」
ためらいながら話すアイオロスの言葉を遮って、シュラが問い返してきた。彼の技である剣技さながらの鋭さで。
「……ああ、そのことだ」
「貴方の指摘は、間違っていないと俺は思う」
シュラははっきりとそう答えた。
「シュラ……」
「俺も、そう思っている。シジフォスが書いているこれは、紫龍のことだと」
髪の長い東洋人を愛した、という記述。
記されたのは243年前だが、日付だけを見れば明日の日付になっている。
「少なくとも、明日紫龍がこちらに戻ってくるという可能性はない、というわけだ」
俺はあと何日、紫龍のいない生活に耐えればいい?
ポツリと呟くシュラは、アイオロスが見たことのないほどに切なげで、寂しげな表情をしていた。
「アイオロス」
「……ん? どうした?」
呼びかけられて、アイオロスははっと我に返った。
「俺が初めて山羊座の聖衣をまとった時のことを、覚えているか?」
「ああ、覚えてる。まとった時に何が見えたか、尋ねたな」
「その時の俺の答えも、覚えているか?」
問われて、アイオロスは記憶を辿った。
「黒く長い髪の、綺麗な人が見えた。お前はそう答えたんだったな」
「ああ。そして貴方は教えてくれた。それが、エルシドが死ぬ間際に思い浮かべた、彼の思い人だったと」
それは、シュラの言葉を聞いてアイオロスが真っ先に思い当たったことだった。
「そういえば、そう言ったな」
「あれは、紫龍だ」
「!?」
アイオロスは、弾かれたようにシュラを見た。
「風になびく黒髪も、あの笑い方も。紫龍だったんだ、アイオロス」
「ということは、本当に……?」
信じられないといった表情を浮かべるアイオロスに、シュラは頷いた。
「エルシドは過去の世界に飛ばされた紫龍に出会って、恋に落ちたんだ。俺と同じように」
認めたくはないが、そうとしか考えられなかった。
「そして神と共に消滅する瞬間に、思い浮かべたんだ。誰よりも愛した、紫龍を」
だから、聖衣に紫龍の姿が刻まれた。主が最期に思い浮かべた記憶として。
「シュラ……」
アイオロスに迷惑をかけるから、と夜になれば自分の宮に戻っているシュラだが。恐らくあまり寝ていないんだろう、とアイオロスは推測した。
憔悴している様子のシュラにどう声をかけようか、と逡巡していた時。
天蠍宮から上がってくる入口と、磨羯宮から下りてくる入口の両方に、アイオロスは人の気配と小宇宙を感じた。
(この小宇宙は……)
「どうやら、助っ人が来てくれたようだな」
シュラと共に修行をして、ほぼ同時期に黄金聖衣を授かった、シュラの幼馴染たちがこの人馬宮に駆けつけたのだと、アイオロスは悟った。
「デスマスクとアフロディーテだな」
「そのようだな」
最初はシュラとアイオロスの二人で資料を調べていたのだが、一昨日からそれにデスマスクとアフロディーテが加わった。
と言っても、事務作業や調べ物に抵抗のないアフロディーテと違い、デスマスクは昔から堪え性がない。恐らくすぐに飽きるだろうとアイオロスが推測したとおり、デスマスクは今日もすぐに資料を投げ出した。
「っくしょー、なかなか出てこねぇ。あの小僧、面倒なことに巻き込みやがって」
「恨み事ならばカノンに言うんだな。紫龍が過去に飛ばされる原因を作ったのは、アイツなんだから」
ブツブツと文句を言いだすデスマスクを、アイオロスは宥めた。
「ったく、山羊座の聖衣には何か残ってなかったのかよ、シュラ」
「何のことだ?」
「記憶だよ、記憶。残ってんだろうが、聖衣に」
「記憶……?」
デスマスクに言われて、シュラはようやく思い至った。
黄金聖衣にエルシドの記憶が蓄積されているというのならば、それを探ればいいのだ、ということに。
「そうだ、聖衣!」
今朝も、聖衣を初めてまとった時のことを夢に見たというのに。
デスマスクに言われる今の今まで、シュラは聖衣に残された記憶を探る、という方法を完全に失念していた。シジフォスの日記を探る、という考えに囚われ過ぎていたのだ。
「もしかして、まだ記憶を探ってねぇのかよ、シュラ?」
「君ともあろう者が、紫龍のことになると自分を見失うんだな」
紫龍が過去の世界に行ったと聞かされて、真っ先に聖衣を探ったのだろう。デスマスクは信じられないといった表情を浮かべ、アフロディーテは苦笑した。
「私はアルバフィカの記憶を辿ってみたけれど、彼は教皇の間で紫龍と会っただけで、後は何も知らなかったようだね。まぁ、彼は他人と接するには支障がある人物だったから、やむを得なかったのかもしれないけれど」
「俺はマニゴルドの記憶を見たぜ。あいつ、何やら小僧にちょっかい出してたらしいが……途中で急に構うのをやめちまったみてぇだな。小僧が戻ってくる所は見てねぇ」
デスマスクはそう言って、側の壁に寄りかかった。
「ただ、マニゴルドの記憶に残ってる小僧の側には、ずっと山羊座のヤツがいた」
それを聞いて、シュラは手にしていた日記を机に置いて、立ち上がると同時に身を翻した。
一刻も早く磨羯宮に戻って、聖衣をパンドラ箱から出さなければ。
その思いが、シュラを衝き動かしていた。人馬宮を出て、磨羯宮へと続く階段を駆け上がり、パンドラ箱を安置している台へと向かう。
聖戦が終わり、聖衣をまとう機会は激減している。山羊座の聖衣も、箱に入ったまま外に出されることも、主であるシュラの身に装着されることもない。
(まさか、こんなことのために聖衣をまとうことになるとはな)
苦笑しながら、シュラはパンドラ箱に右手をかざした。小宇宙を高めれば、聖衣は主の呼びかけに応えて箱から出て、主の体を覆う。いつものように小宇宙を高めようとして、シュラは一瞬迷った。
(このまま……)
過去に同じ聖衣をまとっていたエルシドの記憶を辿れば、シュラが直視したくない物が含まれているかもしれない。エルシドが紫龍を愛した、その記憶を聖衣は蓄積しているかもしれない。
(見なければならないのか、それを……)
紫龍が自分以外の誰かの求愛に応える様子を。
(……我ながら、身勝手なものだな)
そう逡巡して、シュラは自嘲するように笑った。
特定の相手を持たず、気の向くままに相手を変えてゲームのように恋愛を繰り返したのは、他でもない自分ではないか。今まで自分が捨ててきた相手に味わわせた思いを、今度は自分が受けるだけのこと。まさに因果応報ということだ。
心の中で呟いた。
何よりも、今のシュラは紫龍を取り戻さなければならない。聖域の未来のために、何よりも自分のために。
(そのためには、どんな事実でも受け止めるべきではないのか、俺は)
その上で改めて、紫龍と向き合わなければならない。
思い直して、シュラはパンドラ箱に向き直った。
小宇宙を高めると、主に呼応してパンドラ箱から黄金の小宇宙が立ち上った。箱から立ち上る小宇宙が頂点に達した時、箱が内側から開いて中から聖衣が飛び出してきた。山羊を模した聖衣は中空でバラバラになり、シュラの全身を覆った。
そしてシュラは見た。
聖衣が蓄積していた、紫龍に関する記憶を。
紫龍がエルシドの求めに応じたこと。自分が紫龍を助けた折、聖衣に残っていたエルシドの小宇宙がそれを共助したことを。
そして、知った。
紫龍が自分の元へ戻ってくる日を。記憶を探る途中で駆け込んできた紫龍の師匠・天秤座の童虎と、エルシドがシュラに宛てて残していた手紙によって。
「これで、紫龍を連れ戻す方法はわかった」
童虎はシュラに告げた。
「エルシドも手紙に書いていたのじゃろう? お前が時空を切り裂いて、紫龍を連れ戻しに来たと」
「はい」
「ならば、お前のなすべき事はただ一つじゃ。お前の右腕に宿る聖剣エクスカリバーを、時空を切り裂くほどにまで高めることじゃ」
「はい、老師」
紫龍が今流れ着いている過去の時代で起きた聖戦を経て、今まで生き延びてきた童虎の言葉にシュラは頷いた。
「紫龍を連れ戻せるのはお前だけじゃ。わしもシオンも、他の皆も協力する。特訓するのじゃ、シュラよ」
「承知しました、老師。よろしくお願いします」
もう一度頷いて、シュラは童虎に頭を下げた。
「では、善は急げじゃ。さっそく特訓に入るぞ。ついて参れ」
「はい」
シュラは聖衣を脱いで、教皇の間へと向かう童虎と共に自宮を出た。
「のう、シュラよ」
教皇の間へと続く階段を上がりながら、童虎がシュラに話しかけてきた。
「紫龍を許してやってくれぬか」
「老師?」
前置きも何もなく、突然そんなことを言い出した童虎に、シュラは思わず呼び返していた。
「我が弟子の不始末を任せきりにする上に、虫のいい話をしておると思っておる。じゃが、これはお前以外に頼める者がおらぬ。紫龍が迎えに来てほしいと思っておるのは、わしではなくお前じゃからの」
童虎には紫龍との関係も知られている。
紫龍は隠し事が得意な性格ではない。それに、紫龍は過去に付き合ってきた適当な遊び相手とは違う。紫龍の師匠であり、親代わりとしてここまで育ててきた童虎にも知らせておく必要がある。そう思ったシュラは、付き合うようになって間もない頃に童虎に報告したのだ。紫龍と真剣に付き合っていることを。
「あれの性格は、お前もよくわかっておるじゃろう。いくらお前とよく似ておるエルシドに求められたとはいえ、ただそれに流される子ではない」
「はい、老師。その紫龍がエルシドの求めに応じたということは……紫龍としても思うところがあるのでしょう」
「そうじゃの。さっきお前が話しておったの。お前が紫龍を助けた時に、エルシドの小宇宙も力を貸しておったと。そのことも関係しておるのじゃろうが……」
そう言って、童虎は一度口をつぐんだ。
「いずれにせよ、お前には辛い思いをさせる。愛する者が他の者に抱かれておるのじゃ。嫉妬せぬはずがなかろう。お前のように、根が真面目な者は特にの。じゃが、ここは堪えてくれ」
童虎がふいに足を止めた。数段進んで気がついたシュラは、童虎を振り返った。
「紫龍が過去へ行き、エルシドと出会ったことは、紫龍にとって必要なことなのではないか、とわしもシオンも考えておる。じゃから、シュラよ。重ねて頼む」
言って、童虎は頭を下げた。自分よりも遥かに年下のシュラに向かって。
「紫龍を許してやってくれ。そして、ここへ連れ戻してやってくれ」
真剣に頭を下げる童虎を見て、シュラは進んだ階段を戻った。
「頭をお上げ下さい、老師。これは過去に俺がしでかしたことへの報いでもあるのです。紫龍を責める資格は、俺にはない。そう思っています」
そしてシュラは続けた。
「以前、貴方にも告げたように、俺は紫龍を誰よりも愛しています。だから、必ず連れ戻します。俺自身のために」
紫龍の師である童虎にそう告げることで、シュラの心は決まった。
それから3日間、シュラはほとんど休むことも眠ることもなく、ひたすらエクスカリバーを研ぎ澄ませることに専念した。
時空を切り裂くほどの小宇宙と鋭さを手に入れることは容易ではない。
だが、先代のエルシドにできたことが、自分にできないはずがない。
そう言い聞かせながらシュラは修業時代よりも辛い特訓に耐えた。
何度もサガのアナザー・ディメンションやカノンのゴールデン・トライアングルで異次元や異空間へと飛ばされ、シオンのテレポーテーションに翻弄された。
そして3日目の夕方、シュラはようやくサガに飛ばされた異次元から自分のエクスカリバーで元の聖域へと戻ってくることに成功した。
「よく頑張りましたね、シュラ」
文字通り身も心もボロボロになったシュラに、アテナの化身である沙織からねぎらいの声がかけられる。慈しみに満ちたその小宇宙が、シュラを癒していく。
ようやく手に入れた技。だが、安堵するにはまだ早いのだ、とシュラは自分を奮い立たせた。
「まだです。紫龍を取り戻さなければ」
「そうですね。あちらでも、女神神殿で教皇と共に紫龍が待っているようです」
「ならば、行かねば」
神話の時代からアテナの小宇宙が満ち、最もその小宇宙が濃いアテナ神像の前に立って、シュラは小宇宙を高めた。目を閉じて、先ほど会得した技の感覚を呼び起こす。
(応えてくれ、紫龍)
紫龍の腕には、シュラの小宇宙が宿っている。243年という遥かなる時が二人の間を隔てていても、小宇宙の高まりに応じて必ず共鳴するはずだという確信が、シュラにはあった。
(俺を呼べ、紫龍)
祈りにも似た気持ちで、過去にいる紫龍に呼びかける。
極限に近い状態まで小宇宙を高めた時、ふとシュラを呼ぶ声に気付いた。声というよりも、かすかに感じる小宇宙。
シュラを呼ぶ紫龍の小宇宙だった。
戻りたい。
はっきりと紫龍の声を聞いた、と感じたその瞬間。
シュラは最大に高めた小宇宙を右腕に集中させて、宙に放った。
シュラの前の空間が×の形に裂けた。
その裂け目に、シュラは迷わず飛び込んだ。
裂け目の先でシュラの腕に飛び込んだきた紫龍を抱きしめて、先代の山羊座であるエルシドとのわずかな邂逅を経て、シュラは紫龍を連れ戻した。自分たちが本来生きている時代へと。
久しぶりに紫龍の温もりを感じ、唇に触れて安堵したシュラは。
紫龍が師匠である童虎に泣きつく様子を見て、意識を失うように深い眠りに落ちた。
「シュラ……」
密やかに呼びかけられる声を聞いた、と思った。
キスをされていると自覚したその時。
急にシュラの意識が浮上した。
「……っ――……紫龍?」
目を開けると、紫龍がシュラの顔を覗き込んでいた。
「シュラ……目が、覚めたんですか?」
「ああ。かなり深く眠った」
急に目覚めたシュラに驚いたような表情をする紫龍に軽く笑いかけて、シュラは答えた。
「夢ではなく、ちゃんと戻ってきたな?」
シュラを見下ろしてくる紫龍へと手を伸ばして、シュラは紫龍の両頬を掌で包んだ。
尋ねると、紫龍は笑顔を見せて答えた。
「ええ。迎えに来てくれて、ありがとうございました」
「お帰り、紫龍」
そのまま紫龍を引き寄せてキスをしようとすると、紫龍は身を引いた。
「どうした?」
「ごめんなさい、俺は……」
怪訝に思って問いかけると、紫龍はシュラの手を解いて顔を背けた。
「さっきはキスしてくれただろう? どうして拒む必要がある?」
「だって、俺は……あなたという人がいるのに、エルシドと……」
身を引いた理由は何となくわかっていたが、改めて紫龍の口からそう聞いて、シュラはつい苦笑した。気にするな、と言われても生真面目な紫龍が気にせずにいられるはずがない。
言いづらそうに口をつぐむ紫龍に、シュラは言った。
「知っている。聖衣が教えてくれたからな」
「聖衣が?」
問うてくる紫龍に、シュラは問い返した。
「忘れたのか? 黄金聖衣には装着者の記憶を蓄積する特性がある。お前がエルシドに初めて抱かれた時、彼は聖衣をつけていただろう?」
「あ……」
「お前を連れ戻すために、俺は聖衣からエルシドの記憶を辿った。それでわかった。シジフォスが手記に残していたエルシドの相手がお前だったことも、エルシドが死んだ後も聖衣に小宇宙を残してお前を守ってくれていたことも、全てな」
言いながら、シュラはもう一度紫龍の頬に触れた。目を逸らそうとするする紫龍を柔らかく促して、視線を合わせた。
「シュラ」
「エルシドは、歴代の山羊座の聖闘士の中でも俺が最も尊敬する聖闘士だ。そして、お前を守ってくれた恩人でもある。嫉妬心がないと言えば嘘になるが、それくらいのことで俺はお前を嫌いになったりなどしない」
紫龍が不安に思っていることが、シュラにはわかる。後ろめたさを感じる理由も、理解できる。それを取り除いてやらなければ、とシュラは思っていた。
「シュラ……」
呼び返す紫龍の目が、まだ不安に揺れている。
「さっき、迎えに行った時もそう言っただろう? 俺はお前を愛している。お前はどうだ? 俺よりも、エルシドの方が良かったか?」
優しく尋ねると、紫龍は首を大きく横に振った。
「あなたでなければ、ダメだと思って……」
答える声が、こみあげてくる涙で詰まる。
「お前は生真面目な性格だからな。エルシドとのことを気に病んで、俺に気兼ねする気持ちはわからないでもない。だが、だからと言って俺が触れるのを拒まれる方が、俺は傷つくんだがな?」
「シュラ……シュラ、ごめんなさい」
優しく言って笑いかけると、紫龍の目から涙が零れ落ちた。宥めようと抱き締めると、今度はそれに抗わず、シュラに覆いかぶさるように抱きついた。抱きついて泣く紫龍の髪を、シュラは何度も撫でて、指ですいていく。
「お前のことだ。俺に申し訳ないと思いながらも、エルシドの想いに応えたことは後悔していないんだろう?」
「それは……その、通りです」
「だったら、お前は二人のカプリコーンに愛されたことを誇りに思え」
「シュラ……――、はい」
涙を収めた紫龍は、シュラの言葉にはっきりと頷いた。
そんな紫龍を見て、シュラはニヤリと口の端を笑みの形に歪めた。
「もう、俺のキスを拒もうなんて思うなよ?」
「ええ、シュラ」
紫龍が頷くや否や、シュラは紫龍を腕の中に捉えてぐいと引き寄せ、唇を奪った。
声も吐息も奪い尽くすように、貪るようにキスをする。
キスをしながら、シュラは紫龍をいつものように組み敷いた。
「ちょ、シュラ……」
「何だ、キスは許しても抱かれるのはダメなのか?」
「そうじゃなくて……」
数日ぶりに触れるせいなのか、シュラは体が熱くなるのを感じた。強烈に紫龍を欲する気持ちが湧き上がってきて、抑えきれない。
「老師やシオン様と特訓して、疲れているんじゃ……?」
まだためらい……というよりむしろ、恥じらいを見せる紫龍に、シュラは笑って見せた。
「ああ、それか。さっきよく眠って、かなり回復した。少なくとも、離れていた分お前を抱けるくらいにはな」
「シュラ……あなたって人は……」
そんなシュラに魅入られるように、紫龍がうっとりと呟いた。黒い紫龍の瞳に、翠がかった靄がけぶる。紫龍もまたシュラに欲情しているのだと、シュラは悟っていた。
「愛しています、誰よりも、あなたを」
これ以上大切な言葉はないとでも言うように、恭しく紫龍が告げてきた。
そんな紫龍に応えるように、シュラは紫龍に口づけた。
服をくつろげて、むき出しになった胸に触れると、紫龍が息をつめた。
「……っ! ぁ……」
シュラの手が胸を探ると、紫龍の息が上がり、次第に荒くなってくる。
胸に吸いつくと、堪え切れない様子で小さく声を上げて身をよじる。
唇を塞ぎながら下肢を探ると、中心がすでに熱を持っている。
「感じているな、紫龍」
「……んっ、ぁ――……はっ!」
服の上からまさぐると、紫龍が高い声を上げた。
「触ってほしいか?」
「ほし、い……」
尋ねると、紫龍が懇願してくる。
久しぶりに触れる紫龍の肌、紫龍の熱に、頭がぼうっとなるのをシュラは感じた。紫龍が履いているズボンと下着を下すのももどかしく、手を潜り込ませて直に熱に触れる。
「あっ! ん……――んぁっ、あっ!」
膨らんだ先端を指の腹で擦り、陰茎を包み込んだ掌を上下させると、紫龍は立て続けに声を放って快感に震えた。たちまち先端から粘液が溢れてきて、シュラの指を濡らす。
何度も手を上下させてしごくと、紫龍は立て続けに声を上げて液を溢れさせ、シュラの手を濡らした。
「シュラ……あぁ……っ、は――……ぁっ」
濡れた指を後ろへ滑らせて、潜り込ませる。流れ落ちてきた先走りの液が手伝って、シュラの指が侵入するのを容易にする。
口でも紫龍を愛してやりたい。
いつものシュラならばそうするのだが、今は早く紫龍とつながりたい欲求の方が勝っていた。性急に紫龍の秘所を探って、解して、シュラを受け入れられるようにする。
「シュラ……」
紫龍の秘所を探り、喘ぐ紫龍の声を聞いて興奮しているシュラの中心に、紫龍が触れてくる。シュラの着衣を探り、下着の中に手を潜り込ませて、猛り始めた陰茎に触れる。
「紫龍、お前……」
「欲しい、シュラ……ん、はぁっ!」
自分の身に施されたようにシュラの陰茎を探りながら、シュラの指で感じる場所を抉られて高い声を上げて体を大きく震わせる。
欲しい、とはっきり口にした紫龍にシュラの思考が一瞬止まった。
「欲しいか?」
「……ぅん――……あっ!」
尋ね返すと、紫龍は喘ぎながら頷いた。
「………」
シュラは体を起してぐい、と紫龍の足を抱えて引き寄せ、下着ごと着衣を剥ぎ取った。そして自分も慌ただしく着衣を取り払って、態勢を入れ替えて紫龍を自分の体の上にまたがらせた。
「俺が欲しいなら、自分で入れろ」
滅多に口にしない要求を、紫龍に突きつける。
羞恥心が強く、なかなか理性を手放さない紫龍は、いつもシュラに身を任せながらも自分から動くことはあまりない。それは、シュラも十分わかっている。
それでも、今は。
今だけは、シュラを誰よりも愛しているという証拠が欲しかった。
シュラが欲しいという証が。
「シュラ……う――……んっ、ぁっ……」
シュラの上にまたがった紫龍が、少しずつ体を落としてシュラを受け入れていく。久しぶりに紫龍に包まれる感触に、甘美な快楽が全身を駆け抜けてシュラは陶酔する。
「あっ……あぁ――……っ」
根元までシュラの陰茎を飲みこんで、紫龍は荒く息をついた。
「ん………ぅ――……んぁ……っ」
シュラの胸に手をついて、受け入れた衝撃が去るのを待って、紫龍はゆっくりと動き出した。
腰を浮かせて、落とす。
何度も繰り返しているうちに、次第に快楽が理性を上回り、紫龍の動きが大胆になってくる。
「あ……あっ、あ――……はっ、んぁっ!」
腰を上下させる紫龍の動きを助けてやると、紫龍は立て続けに声を上げてシュラの上で跳ねた。
「気持ちいいか?」
「気持ち、いい……っ! あっ、奥まで……当たって……あぁっ!」
「俺も、気持ちいい……っ、紫龍――……んっ」
誰よりも馴染んだ肌が、次第に溶け合っていく。
紫龍が腰を大きく前後させて、シュラを貪る動きへと変わっていく。
「あっ、あ……あぁっ!」
紫龍が体を落とすのに合わせてシュラが下から突き上げると、紫龍はひと際高い声を上げて脱力し、シュラの胸に倒れ込んできた。
紫龍の息が落ち着くのを待って、シュラは態勢を入れ替えて紫龍をベッドに押しつけて上からのしかかった。足を開かせて、ゆっくりと差し入れていくと紫龍は満足げに声を上げた。
「あ……ん――……っ」
シュラを受け入れた紫龍が、シュラの腕にすがってくる。
ゆっくりと抜き差しすると、紫龍は声を上げて震えた。
「あ………あ――……んっ、あ……」
動きを速めて紫龍に覆いかぶさると、紫龍はシュラの背中に腕を回してすがってきた。
「あっ、は――……あっ、あぁっ!」
喘ぎながら身悶える紫龍の首筋に唇を落とし、そのまま紫龍の唇を求めると、紫龍が応えてくる。
「シュラ……ッ! あ――……っ、あっ、はっ!」
「紫龍……っ、く……っ、ああ」
ビクビクと大きく体を震わせて、紫龍が快楽の縁へと身を投げた。
過敏な場所をきつく締め上げられて、シュラも思わず声を漏らしてそのまま紫龍の中で達した。
シュラは紫龍を抱きしめて射精の余韻に浸り、弾んだ息を整える。
「シュラ………」
まだ息を乱したまま、紫龍がシュラに呼びかけてくる。
「どうした、紫龍?」
問い返すと、紫龍は自分からシュラに口づけてきた。
「愛してる。もう二度と、あなたから離れない」
初めて対峙した時と同じ、強い光を宿した瞳がシュラを射抜く。
「俺は貴方だけを愛している」
そう言って、紫龍はシュラが何度か夢で見たように。
口角を引き上げて、綺麗に微笑った。
Fin
2009.08.30
え~、山羊龍スキーな皆様方には大変お待たせ致しました。
前回の更新は鳳凰龍で申し訳なかったのですが、今回は山羊龍です。
しかも、エルシド×紫龍のお話とリンクしております(汗)
エル龍をお読みでない方には、「何のこっちゃ!?」なお話で申し訳ございません。ですが、このお話。エル龍を書いている最中から構想を練っておりました。
紫龍とエルシドさんの立場からだけでなく、シュラさんの立場からも話を書きたいなぁ、と。
あの話、シュラさんの視点を入れてしまうと更に長くなってしまいそうだったので、省いたんですよね、シュラさんのお話を。で、こういう形で独立させることと相成りました。
まぁ、紫龍が戻った後のエロが見たい、というお声もいただいていたので。それも書かねば、と思ったのですけれど(笑)
なので、LCに抵抗のない方は、合わせて楽しんでいただけましたら幸いです。
ちなみに、このタイトル。
エル龍の「ゆがんだ時計」がアコーディオニストcobaさんの曲からタイトルをいただいたので、こちらもcobaさんの曲から……と思いまして、タイトルをお借りしました。この曲そのものも大好きなので♪
deja vuという言葉をちょこっと意識して、書いてみました。