Call

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「こんにちは、シュラさん」
 声をかけられた瞬間、シュラは口に咥えていた煙草をポロリと落としそうになった。
「……」
 絶句したまま固まっているシュラを訝しがって、紫龍は再び呼びかけてきた。
「あの、シュラさん?」
「紫龍……?」
「はい?」
 呼びかけられて、紫龍はわずかに首をかしげる。
「お前、その呼び方はどうなんだ?」
「おかしいですか?」
「おかしいだろ。何でいきなり“さん”付けなんだ?」
 畳みかけるように問い返すと、紫龍は小さくため息をついた。
「あの蟹……じゃなかった、デスマスク…さんが言ったんですよ。俺たち青銅聖闘士が黄金聖闘士を呼び捨てにするのはどうなんだ、と」
「はぁ?」
 紫龍、星矢、氷河、瞬、一輝の5人は、青銅聖闘士といえども女神の血を受けた聖衣をまとい、黄金聖闘士を凌ぐほどに小宇宙を高め、その聖衣を神聖衣にまで高めたほどの戦士だ。
 彼らはこの聖域に正当な女神アテナである沙織を奉じて攻め込み、前の教皇であったシオンを殺して自分が成り変わっていた双子座ジェミニのサガを断罪した聖闘士たちでもある。
 最初は敵として対峙した者が大半だったということもあって、彼らは黄金聖闘士を全員呼び捨てにしている。名前ではなく、尊敬の意をこめて「老師」と呼ばれる天秤座ライブラの童虎を除いて。

 どうやら、それがデスマスクのお気に召さなかったらしい。

「俺たちは青銅聖闘士なんだから、黄金聖闘士を呼ぶ時はちゃんとさん付けしろ、と言ったんです」
「今更、か?」
「俺も思ったんですけどね、今更だろうって」
 デスマスクは紫龍と闘って、彼の前で聖衣に見捨てられた挙句、彼が生身で放った拳によって敗れ去る、という苦い経験をしている。その恨みが残っているのか、今だに紫龍に対しては妙な敵愾心を持っており、呼び捨てにされるのが気に入らなかったらしい。
 もっとも紫龍の方も、基本的に年上は敬う真面目な性格なのに、デスマスクにだけはその礼を欠くことが多いのだが。
「まぁでも、一応ある程度は言うとおりにしてやらないと納得しないでしょうからね、あの蟹は」
「言ってるそばから蟹呼ばわりか、紫龍」
 シュラは軽くため息をついた。
 デスマスクは言い出したら聞かない性格だ。一応表面だけは従った振りをしておいて、他の黄金聖闘士たちの反応が芳しくないことを理由に、最終的にはデスマスクの思惑が外れるように、と紫龍は目論んでいるらしい。
「待てよ。お前がそうやって呼んでるってことは、他の青銅たちはどうなんだ?」
「一輝と星矢は“そんなの関係ねぇ”って性格ですからね、そのままですよ。氷河は、そもそも師匠であるカミュでさえ呼び捨てでしたから、そっちが普通だからと無視してます。瞬は俺と一緒で、表面的にだけ一応従っている振りをしてます」

 そうだろうな。

 シュラは心の中で呟いた。
 そしてはたと気がついた。
「紫龍、お前ひょっとして、ここに上がって来るまでに会った全員にそうやって声をかけてきたのか?」
「はい」
 シュラが預かっている磨羯宮は12宮の中で10番目に当たる。つまり、ここに来るまでは紫龍の師匠である天秤座の童虎を除いて8人の黄金聖闘士が“さん”付けで呼ばれたことになる。
「他の連中の反応はどうだった?」
「ムウさんとサガさんとシャカさんには、普通に流されました。でも、アルデバランさんとアイオリアさんとミロさんとアイオロスさんには……」
 4人の名前を出した時、紫龍は少し言いにくそうに口をつぐんだ。が、すぐに続けた。
「泣かれました」
「泣かれた!?」
「ええ。急にそんなよそよそしくされるなんて、何か嫌われるようなことでもしたのか、と……」
 彼らは単純で情に厚く、感情の起伏も激しい。
 紫龍の話を聞いて、シュラは声をあげて笑った。
「ハハハ、あいつららしい反応だな」
「笑い事じゃないですよ。一人一人宥めるの、大変だったんですから」
「デスに言われたってバラしたのか?」
「もちろんですよ。味方は一人でも多い方がいいでしょう?」
 紫龍の答えに、シュラは納得した。確かに、お互いに反目し合っている――デスマスクに言わせれば、紫龍が一方的に敵視していると言いたいのだろうが――紫龍に反論されても余計に反発するだけだ。それよりは黄金聖闘士仲間から「やめろ」と言わせる方が効果がある。
(なるほど、さすがはあの老師の愛弟子、というわけか)
 他の青銅聖闘士たちと比べると、紫龍は頭が切れる。
「俺たちは確かにシュラたちを呼び捨てにしてますけど、だからといって軽視しているわけではありませんからね」
「デスを除いて、だろ?」
「それは、あの男が尊敬されるだけの立ち居振る舞いをしないからです。それを人のせいにするなんて……。だから、バカにされるんですよ、あの蟹は」
「ま、確かにデスはお世辞にも素行がいいとは言えないからな。だが、悪い男じゃないぞ、あいつは」
「わかってます」
 シュラのフォローに、紫龍は素直に頷いた。
「お前の場合は第一印象も悪かったから、余計に反目するんだろうがな」
 紫龍の気持ちも慮りながらもう1本煙草を咥えた時、周囲を顧みない荒々しい足音が磨羯宮の入口から聞こえてきた。
「……来たな」
 この珍事の発端となったデスマスクが、顔を真っ赤にして磨羯宮に駆け込んできたのである。自分が守護している巨蟹宮からダッシュしてきたのだろう、やや息が切れていた。
「ここにいやがったのか、このガキ!」
 デスマスクはシュラと向かい合ってソファに腰かけている紫龍を見つけるや否や、彼に食って掛かった。
「てめェ、アイオロスたちに何吹き込みやがった!?」
「俺は別に何も言ってない。お前が言ったとおり、名前に“さん”を付けて呼んだだけだ」
 それがどうかしたのか?と、紫龍の顔には彼にしては珍しいくふてぶてしい表情が浮かんだ。デスマスクの前では、シュラと話していた時と全く口調が違うことに、シュラは心の中で苦笑する。
「そのことでお前が他の黄金聖闘士たちから何か言われたとしても、俺の知ったことではない」
「てめェがアイツらに吹き込んだんだろうが! 俺にさん付けしろって強要されたってな!」
「強要されたとは言ってない。ただ、お前にさん付けして呼んだらどうだとアドバイスされた、と言っただけだ」
「何だと!?」
 今にも紫龍に掴みかかろうとするデスマスクと、涼しい顔をして受け流す紫龍。
 見慣れている光景ではあるが、年下に体よくあしらわれる悪友にシュラはため息をついた。
「それで、アイオロスたちに何を言われたんだ、デス?」
 あらかた想像はついたが、シュラは敢えて問いかけた。このまま放っておけば、売り言葉に買い言葉で紫龍の昇龍覇がデスマスクに向かって炸裂するのは目に見えている。自分の宮が破壊されるのだけは、勘弁してほしいのだ。
「青銅の連中にまた無理強いしたんだろう、とか何とか言いやがったんだよ、アイツら」
「……お前の日頃の行いが悪いから、そう言われるんだ」
「何だと、このクソガキ!?」
「図星か、蟹よ」
「蟹って呼ぶんじゃねぇっ!」
 デスマスクと紫龍は再び睨み合った。まさに、一触即発といった状況である。
「まぁ、落ち着けよ、デス。紫龍たちは俺たちを呼び捨てにするからって、別に軽視してるわけじゃない。お前だってそれはわかってるんだろう?」
「このガキだけは、完全に俺を見下しているようだがな」
 文句を言いつつも、誰に教育されたんだよ、と言えないのがデスマスクの苦しいところである。何せ紫龍の師匠は、聖域で今や教皇に次ぐ権力を持つ天秤座ライブラの童虎なのだから。
「尊敬に値する人物には、俺たちはちゃんと敬意を払っている。それで不服か?」
「俺は敬意を払うに値しない、って言いてェのか!?」
「被害妄想が強いようだな」
 年下相手に大人げなくも、完全にムキになっているデスマスクに向って紫龍は余裕とも取れる不敵な微笑を浮かべた。
「シュラたち他の黄金聖闘士を呼び捨てにして、お前だけさん付で呼んだらどうなるかわかっているのか。それこそ不自然だろう」
 至極もっともなことを言われて、デスマスクは返答に窮した。
「紫龍の言う通りだな。俺も、紫龍から“シュラさん”と呼ばれるよりは今まで通りの方がいい」
「お前までこのガキの肩を持つのかよ、シュラ」
「そういうわけじゃないがな。今更だろう。こいつらは最初から俺たちを呼び捨てにしてたんだからな」
 シュラは何食わぬ顔で煙草の先に火を付けて、煙を吸いこんで吐き出した。
「それから紫龍、デスを嫌うのは仕方ないにしても、仮にもコイツは俺の親友だ。少なくとも俺の前では、コイツにケンカを売るのは慎んでくれ」
 デスマスクだけを咎めるのではなく、シュラは喧嘩両成敗とばかりに紫龍にも苦言を呈した。
「あなたがそう言うなら、少し自重します。あなたの前では」
「そうしてくれ」
 ということは、シュラがいない場所でならいくらでも喧嘩を売っていい、と言っているようなものである。とデスマスクは気が付いていたが、敢えて口にはしなかった。紫龍ならば所詮は子供のケンカで終わるのだが――と言っても、廬山の大滝を逆流させるほどの拳が飛んでくるのだが――、シュラが相手ではそうもいかない。怒らせたら最後、研ぎ澄まされた両手両足のどれかが飛んでくるのは明白で、最悪千日戦争に陥ることになる。
「そういうわけだ、デス。紫龍たちは青銅と言ってもアテナと共にハーデスを倒したほどの聖闘士だ。少しくらい、大目に見てやってもいいだろう?」
「ケッ、しょーがねぇな」
 シュラに宥められて、デスマスクは不貞腐れたように口を尖らせた。

 かくして、デスマスクの思惑はわずか1時間ほどで打ち砕かれたのである。


Fin

written:2008.5.21




えー、山羊龍なんだけど蟹龍!?なお話でした(汗)
「冥王神話 ロストキャンバス」のコミックスを読んでまして。
7巻の最後、第60話で先代(?)蟹座のマニゴルドさんが、主人公のテンマに向かって言うんですよ。

「さん付けしろ、青銅(ブロンズ)がァ!」

って。
これを、もしデスマスクがやったらどうなる?
と思って書いてしまったのです。
そうしたら……案の定と言いますか、何と言いますか。
こうなっちゃったワケですね(笑)

紫龍は、他の黄金の皆さんには礼儀正しいのに、デスマスクにだけは礼儀を欠いた上に、すぐに手足が出るといいと思います。
ケンカするほど仲がいい関係ならいいと思います(←コラッ;)



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