First Love

First Love



 ふと目が覚めると、隣で寝ているはずの男がいなかった。
(いない……?)
 訝しがって、紫龍は男の小宇宙を探る。
 探りながら、紫龍は自分に少し驚いていた。同じ寝台で眠っているのに、男が起きて寝台を下りたことにも気付かずに眠り続けていた、ということに。
 紫龍は聖闘士だ。
 眠っている時でさえも、側で身動きするものがあれば研ぎ澄まされている神経のどこかがそれを感知する。それなのに……と思いかけて、紫龍はふっと苦笑した。あの男が自分を起こさないようにと細心の注意を払って小宇宙を消し、気配も消して動いたのだろう。
(こんな夜中に、どこへ?)
 周囲は闇に沈んでいる。
 12宮のある聖域も、見回り役である一部の雑兵を除いて眠りにつき、静まり返っている。
 探り当てた小宇宙が寝殿と宮の外から感じられて、紫龍は寝台の上に身を起こした。そして寝台の下に脱ぎ捨てられた衣服を拾い上げて――もっとも、脱がせたのはこの宮の主であり、隣で眠っていたはずの男なのだが――手早く身につけ、小宇宙が感じられる方向へと足を向けた。
(いた……)
 探していた男は、宮の入口にある石段に腰を下して、煙草を吹かしていた。
「ここにいたんだな、シュラ」
「起きたのか、紫龍」
 声をかけると、小宇宙ですでに感じ取っていたのか、シュラが煙草の火を消して紫龍を振り返った。
「ああ、何となく目が覚めてしまって。隣にいないから、どうしたのかと思って起きてきたんだ」
「そうか」
 紫龍はシュラの隣に腰を下した。
 石段からは、眼下にシュラが預かっている磨羯宮の前にある人馬宮が見える。
「ここで何を?」
「……」
 問いかけても、答えはなかった。代わりに、紫龍はシュラに肩を抱かれて引き寄せられた。
「シュラ?」
「少しの間でいい。このままでいてくれ」
 肩を抱かれて、シュラの温もりを感じる。
 触れあった肌から、シュラの小宇宙を直接移された右腕から、伝わってくるものがあった。
(シュラの小宇宙が、揺れている?)
 それはいつになく不安定な小宇宙だった。シュラが、これほどまでに不安定になるのは珍しい。
「何か、あったのか?」
 問いかけずにはいられなかった。
「……」
 返事はない。
 短い沈黙が訪れて、シュラが小さく苦笑した。
「お前には、話しておくべきなんだろうな」
「何を?」
「お前、初恋の相手は誰だ?」
 問いかけられて、紫龍は少し呆れて言葉を失う。
「……今更そんなわかりきったことを訊いてどうするんだ?」
「そうだったな」
 紫龍に恋を教えたのは、他でもないシュラ自身なのだ。
「どうして、そんなことを?」
「聞きたいか?」
「俺に話しておくべきだ、と言ったのはあなただ、シュラ」
「それはそうだが……話したら、お前は泣くだろうからな」
 苦笑しながら、シュラは続けた。
「14年前の今日、俺は初めて恋をして……そして失恋した」
「失恋?」
「ああ。その人への想いが恋だと自覚した瞬間に、俺は失恋したんだよ」
 淡々とした声だった。
 紫龍は思わずシュラから身体を離して、月明かりに照らされる横顔を見上げた。
「ちょうど今頃の時間だ。今のお前のように、その人の不安定な小宇宙を感じて、俺は様子を見に行った。そうしたら、その人は別の相手と愛し合ってる最中だったんだよ」
 話しながら、シュラは思い出していた。
 14年前に自分が目にした光景を。


 小宇宙を気配を断って、その時10歳だったシュラは隣の人馬宮へと下りて行った。
 先ほど、自分の宮を通って行ったアイオロスとサガの小宇宙が酷く不安定だったことが気にかかっていた。
 黄金聖闘士としても先輩で、中国の五老峰から動かずにいる天秤座ライブラの童虎を除いて、聖域にいる黄金聖闘士の中では年長者にあたる二人を、シュラはいつも頼りにしていた。特にアイオロスは、隣の宮にいることもあって、話す機会も多く、シュラはサガよりもアイオロスの方によく懐いていた。
 いつも自信に満ちていて、温かく明るく輝いているアイオロスの小宇宙が揺れている。
 それが気になって人馬宮に踏み込んだシュラの目に飛び込んできたのは、裸になって抱き合うアイオロスとサガの姿だった。
「サガ……サガ、愛している……っ!」
「アイオロス……私も、あっ!」
 アイオロスが腰を突き出して、サガの最奥を抉る。
 サガの体が跳ねて、両腕をアイオロスの背中にまわしてすがりつく。
 二人の繋がった場所から淫靡な音が響き、吐息が絡み合って、貪るように互いの唇を吸い合う。
 それらを、シュラは見てしまった。
(アイオロス!?)
 驚きで、思わず声を上げそうになった。
 だが、互いに夢中で周囲のことなど全く気付いていない二人は、シュラが見ていることにも気付かなかった。
 シュラはふらつく足で人馬宮を出て、自分の宮へと一気に駆け上がった。


「思ったよ。どうしてあの人が抱いている相手が、俺じゃないんだろうってな」
 話しながら、シュラは紫龍を抱きしめた。艶やかで指触りのよい黒髪を、そっと撫でる。
「それで、気づいたのか?」
「ああ。俺はあの人を兄のように慕っていると思っていたが、そうじゃないってな。でも、気付いた時には遅すぎた」
「その人が、他の誰かを愛していたからか?」
「そうだ」
 はっきりと肯定すると、紫龍はシュラを見上げてきた。月明かりに浮かんで見えるその表情は、シュラの心の痛みを自分のものとして感じているような悲しみが浮かんでいた。
「そんな……せめて、想いだけでも伝えることはできなかったのか?」
「ああ、無理だったな。何せ俺は、その後すぐにその人をこの手にかけてしまったんだから」
「!?」
 紫龍の長い髪をひと房手に取って、口づけながらシュラは告げた。
 聞かされた紫龍が息を呑む。
「じゃあ、あなたが初めて恋をして、失恋した相手っていうのは、まさか……」
 さすがに、ここまで言われたら紫龍でも相手が誰なのか、気づいてしまった。
「あなたは、アイオロスを……」
「そうだ。俺は、あの人が好きだった」
 改めて告げると、たちまち紫龍の目に涙が溢れてきて、こぼれ落ちた。
 こぼれて頬を伝う涙を、シュラは指でそっと拭った。
「やっぱり泣いたな」
「これは、あなたの分だ」
 紫龍は知っている。
 シュラと闘った時に、聞かされた。
 今となってはもう14年前になった、この日。女神アテナの化身として生まれた沙織を、教皇シオンを殺して自分が教皇に成り変ったサガが殺そうとし、それを目撃したアイオロスが彼女を助け出したことを。そして聖域を脱出するアイオロスを追い、致命傷を負わせたのがシュラだったことも。
 恋をしていると気付いた相手には、気付いた瞬間に失恋して。
 そのすぐ後に、恋しい相手を手にかけなければならなかったシュラ。

 この男が、涙を流すことはなかったのだろう。

 と紫龍は思う。
 当時まだ10歳だったとはいえ、黄金聖闘士である男だ。研ぎ澄まされた両手両足だけでなく、その心も鋼のように強いことは、紫龍が誰よりも知っている。
「あなたは泣かなかっただろうから。代わりに俺が泣いてるんだ」
 そんな紫龍の言葉に、シュラは軽く苦笑した。
 初めて拳を合わせた時に、自分の命を捨ててでも助けたいと思った少年。今となっては、誰よりも愛しい半身。
 その彼が、シュラの心の痛みを思って泣いている。
「ってことは、これは俺の涙ってワケか」
 涙を流す紫龍を、シュラは抱き締めた。Tシャツの胸の部分を、紫龍の温かい涙が濡らす。
「だったら、俺が止めなきゃいけないんだろうな」
 シュラは紫龍の顔を上げさせて、目尻に口づけた。
 塩辛い涙の味がする目尻に、涙が伝って落ちた頬に。
 最後に右の口角に口づけて、シュラは紫龍に問うた。
「なぁ、紫龍? 俺がもし、またアテナを裏切って聖域に攻め込んできたとしたら、お前はどうする?」
「え?」
 突然の、想像を超える問いかけに、紫龍は絶句する。
「俺がお前の敵に回ったら、どうする?」
「あなたが敵になったら……?」
 自分の目を覗きこんでくるシュラを見上げて、紫龍はシュラの問いかけを頭の中で繰り返す。
 考える時間は、長くはなかった。
「もしあなたが沙織さんを裏切って、再び敵として俺の前に現れたら、その時は……俺がこの手であなたを倒す」
「……」
 紫龍の口から出たのは、シュラが期待していた通りの答えだった。
「他の誰かの手にかかってしまうくらいなら、俺が……倒します」
 誰よりも愛しく思う相手だからこそ。
 そう言外に含ませる紫龍を、シュラはもう一度強く抱き締めた。
「お前も、そう思うだろう?」
「俺、も……?」
「俺もそう思ったんだよ。サガから出撃命令が下った時は、本当にアイオロスが裏切ったと思っていたからな」
 アテナを、聖域を裏切ったのはむしろサガの方だった。
 そう聞かされたのは、アイオロスに致命傷を与えて戻ってきた後だった。
「だから、お前がアイオロスのことで気に病むことはない。俺の中では、もう終わったことだからな」
「シュラは、それでいいのか?」
「何がだ?」
「アイオロスに何も伝えないままでいいのか?」
 アテナの加護を受けて再び蘇ったのだから、せめて自分の気持ちだけでも伝えておけばいいのに。
 そう話す紫龍に、シュラは笑顔を見せた。
「いいんだよ。アイオロスは……あの人にはサガがいるからな。今更余計なことを伝えて、混乱させる必要もないだろう。それに、俺にもお前がいる」
 シュラもアイオロスも、再び命を与えられたとはいえ過ごしてきた時間を巻き戻すことはできない。
「今の俺は、お前を愛してる。それが全てだ」
 何よりも大切な言葉を口にするように告げて、シュラは紫龍の唇にキスを落とした。
「お前に隠し事をするのもどうかと思って、敢えて話したんだが……余計なことを聞かせて、すまなかったな」
 わずかに唇を離して話すシュラに、紫龍は首を横に振った。
「いいんだ。それで、少しでもあなたの気が晴れるのなら」
「気が晴れる?」
「俺に隠し事をしているようで辛かったから、話してくれたんだろう? それであなたの胸のつかえが取れたのなら、それでいいんだ」
 紫龍はシュラの胸にもたれかかった。
「慰めのつもりか?」
「そういうわけじゃ……」
 ふと視線を移すと、眼下には人馬宮が見える。
 シュラの中では終わったことであったとしても、心の痛みが消えるわけではない。シュラはここでアイオロスが守る人馬宮を眺めていたのだと、今の紫龍にはわかる。
「まぁいい。そろそろ戻るか」
「え……シュラ、ちょっと!?」
 紫龍はそのままシュラに抱き上げられた。
「俺の気を晴らしてくれるんだろう?」
「だからって……下ろせ!」
「ちゃんと掴まっていろ。落ちるぞ」
 抗っても、体格で勝るシュラに叶うはずがない。
 紫龍は抱き上げられたまま、再び寝殿の一室に連れ戻されて、寝台に横たえられた。
「俺がアイオロスを吹っ切れたのは、お前のおかげだ」
 紫龍に覆いかぶさりながら、シュラは真摯な目で紫龍を見つめてきた。
「愛している、紫龍。お前だけを」
 唇を塞ぐシュラの重みを、紫龍は目を閉じて受け止めた。


Fin

written:2008.5.18





最近、友人がロスシュラにハマったらしく(笑)
そのお話を聞きながら、思ったのです。
ロスシュラかぁ……自分的にアレンジするとしたら、どうなる?と。
結果。

これが限界でしたorz

私には受けな山羊さまは書けない、ということがよ~くわかりました(爆)
どうも、山羊さまを書こうとすると、紫龍がくっついてきちゃうんですよ。
で、ロス兄さんにはサガがくっついてきちゃうんですよ。
そして出した結論は。
「山羊さまの初恋の人はロス兄さんだけど、片思いで実らなかった」
というものでした。

最後になりましたがこのお話、ロスサガの「悲劇的」が元になっています。ロス兄さんとサガがあれこれしてる最中、山羊さまは……という。
ロスサガも平気さ(^.^)bという方は、合わせて読んでいただけましたら幸いです(^.^)


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