World Football Anthem

World Football Anthem


 2010年6月、ギリシャ聖域。
 数多の聖闘士たちの命が失われた聖戦もすでに過去の記憶となって久しい。冥界が滅んだことにより、その聖戦で命を落とした聖闘士たちも次々に新たな肉体を与えられ、聖域ではすっかり平和を取り戻していた。
 その聖域で、平穏を乱す騒ぎが連日続いている。

 2010年サッカーW杯 南アフリカ大会の開催である。

 聖域の中枢に位置する黄金聖闘士たちの中には、サッカー先進国の出身者も多い。修行の合間にサッカーを楽しんでいた者も少なくはない。
 それ故に、4年に1回のこのイベントに聖域も例外なく巻きこまれるのである。
 自国の勝敗に皆が一喜一憂し、思いがけない自国の敗戦に直面して異次元が出現したり、宮の一角が崩れたり、地面が真っ二つに割れたり、氷漬けになったりする宮も出てくる始末である。
 それはここ、巨蟹宮も例外ではなかった。

「くそっ、何で勝てねぇんだよっ! この俺様が出てりゃ、ゴールの10点や20点、軽く取ってやるのによ!」
 積尸気が出現するには至っていないが、宮の中には割れたガラスの破片や煙草の吸殻が飛び散って荒れ放題になっている。
 その中心でテレビに向かって悪態をつき、選手たちの不甲斐無さに激怒しているのは、この巨蟹宮の主である蟹座の黄金聖闘士デスマスクである。
 ワインの瓶に直接口をつけて水のように煽りながら観戦し、絶好のチャンスを逃して得点できない様子を見るにつけ悪態をつき、敗戦ともなると空になった瓶を壁や床に叩きつけて割ってしまうのだ。
 デスマスクの祖国はイタリア。
 前回大会の優勝国である。
 4年前の大会では、デスマスクはかなりご機嫌だった。フランス出身の水瓶座の黄金聖闘士カミュや、スペイン出身の山羊座の黄金聖闘士シュラなど次々に負けていく者たちを見下して、勝利の美酒に一人酔うことができたのである。

 ところが。

 今回の2010年の大会では、様子がまるで違っていた。
 祖国イタリアが、前回の王者がなかなか勝てずにいるのである。
 明らかに格下のチームに引き分けに持ち込まれたり、先制されたり……と王者らしからぬ試合が続いているのだ。
 サッカー通ならば、それがサッカーの醍醐味だと言うのだが、それはあくまでも関心のない別のチームだからこそ言える話であって、全力で応援しているチームがその標的にされた場合は話が違ってくる。
「何やってんだ、お前らっ!! それくらいのゴール、きっちり決めやがれっ!!!」
 鋭いミドルシュートをゴールポストに阻まれたのを見て力んだデスマスクの握力に耐えられなくなったワインの瓶が、中に残っていた液体と粉々の破片をデスマスクの膝から床へと飛び散らせた。
「っくしょ、汚れちまったじゃねーか!」
 自分でやったことを棚に上げて、人のせいにするのもこの男の常である。
 Gパンを濡らしたワインを拭く物を何か……とテレビ画面から目を離して部屋を見渡した、その時だった。
 機嫌の悪い時には、悪いことが重なるものである。
 気に入らない小宇宙が宮に張り巡らされた結界に触れるのを感じた。
 目の上のたんこぶと言うか、目障りと言うか、天敵と言うか。
 デスマスクを黄泉比良坂へ蹴落としておきながら、自分は全く穢れを知りませんという涼しい顔をして、ちゃっかり自分の親友の恋人なんて座に納まって淫乱な姿を見せる男。
 自分にだけは悪態をついて暴言を吐く上に敬意の欠片もない態度を取る男。
 よりによって次の教皇候補と目されて将来を嘱望され、今や自分と同格の黄金聖闘士にまで上ってきた男。
 綺麗な顔も――それだけは、さすがのデスマスクも認めざるを得ない――清冽な小宇宙も、親友の恋人であることも、何もかもが気に入らない。
 そして、今年のW杯。
 まだ一勝もできていないイタリアと違い、彼の祖国である日本は予選リーグで1勝を挙げている。
 それもまた、気に入らなかった。
(あのヤロウ、何しにきやがった?)
 以前は彼が巨蟹宮に足を踏み入れた途端に、積尸気へ送る罠を仕掛けてそれにまんまとハマったのを見て楽しむなどという嫌がらせもした。だが、最近はすっかり慣れたもので、積尸気送りにしても彼はあっさりと罠を破って戻ってくるようになった。
 それだけではない。
 積尸気にいる亡者たちを手なずけて、逆にデスマスクにけしかけるなどという芸当まで身につけたのである。
 加えて、デスマスクが嫌がらせをしているのを恋人であるシュラに告げ口し、二人揃って右手に宿る聖剣エクスカリバーで斬りかかってきたこともあった。

 つまり、可愛げのない男へと成長したのである。

 とにかく、機嫌の悪い所へのこのことやってきた彼の小宇宙に、デスマスクの不機嫌度は最高潮に達した。
 デスマスクには牡羊座師弟一族ほどではないが、それなりにテレポーテーションの能力がある。部屋の中に散らばるガラスの破片を全て、テレポーテーションで自宮を歩く彼の足もとへ転送してばら撒いた。
 が、彼は歩みを止めることなく、ひょいひょいとそれらを全て避けていくのが小宇宙でわかった。彼の方も、巨蟹宮を通れば嫌がらせをされるとわかっているために、自分の周囲に防護壁を張っているのだ。
(気に入らねぇ)
 今頃は綺麗な顔にデスマスクへの嘲笑を浮かべ、艶のある長い黒髪をなびかせてスタスタと石壁の向こうを歩いているのだと思うと、ますますデスマスクは苛立った。
 次の一手をどうしてやろうか、と思いを巡らせたその時だった。
「またサッカーか」
 脳裏に直接、彼の低くて深みのある声が響いてきた。師匠の後を継いで天秤座の黄金聖闘士になって久しい彼は、小宇宙を通じて相手の脳裏に直接語りかける術までマスターしているのだ。
「相変わらず平和ボケをしているようだな、カニよ」
「るせー! カニって言うんじゃねぇよ、このドMがっ!」
 超上から目線で話しかけてくる彼に向って喚いた。
「仮にも黄金聖闘士ともあろうものが、たかが試合に勝ったの負けたので一喜一憂するなど、愚かなことだ」
「それと同じことを、シュラにも言ってやるんだな。スペインが負けた時に、俺はアイツに八つ当たりされて刺し身にされるところだったんだからな!」
 スペインは予選リーグの初戦を落としている。格下のチームを相手に勝てなかったことをネタにシュラをからかったら、シュラはかなり本気モードでデスマスクに斬りかかってきたのである。
「シュラの手にかかっていた方が、世の平和に貢献できたかもしれんぞ。もっとも、貴様の刺し身など不味くて食えたものではないと思うがな」
 言い返すと、彼は呆れたようにため息をついて言い返してきた。
「何だと、小僧っ!」
「貴様に小僧呼ばわりをされる覚えはない」
 姿は見えないが、デスマスクの小宇宙は確実に彼を捉えていた。
 更に何か言い返そうとしたデスマスクの耳に、テレビから歓声が聞こえてくる。
「なんと、イタリアがニュージーランドと引き分けに終わりましたっ!!!」
「何だと!? また引き分けかっ!!!」
 テレビに向かって、デスマスクは思わず絶叫した。一瞬、石壁の向こうにいる彼の存在を忘れて。
「ふっ。また勝てなかったようだな、カニ」
「るせー、バカ野郎!」
 すかさず、彼が小宇宙で嘲笑を浴びせてくる。
「俺がバカ野郎なら、貴様はバカカニだ。バカカニめ」
「んだとっ!?」
 罵ってくる彼の次の一言で、デスマスクは完全にキレた。
「イタリアチームもかわいそうにな。貴様が応援しているから、勝てないんじゃないのか?」
「……んだと、テメェッ!!! 4年前には優勝してんだよ、この俺様が応援してやったおかげでなっ!!」
「まぐれだろう。今年のそれが、イタリアの実力なんじゃないのか?」
「だったらテメェの国はどうなんだよ! オランダに負けたくせして偉そうに言うんじゃねぇっ!!」
「日本は少なくとも1勝している。イタリアと違ってな。元より、俺はW杯にはあまり興味がないんでな」
 これ以上の言い争いは無駄だ、と彼は判断したらしい。
 再び巨蟹宮を抜けるべく歩みを進めたのが、小宇宙の移動でわかった。
「ああ、そうだ」
 歩き始めた彼は、数歩進んでピタリと足を止めた。
「仮にも女神を守る黄金聖闘士ともあろうものが、宮を散らかしたままにしていては示しがつかないだろう。掃除しておいてやるから、感謝しろ」
 脳裏に彼の声が響いた次の瞬間。
「ってぇっ!! 何しやがる、テメェッ!!!」
 デスマスクの頭上から、ガラスの破片が降り注いだ。
「試合に熱狂するのは結構だが、俺への腹いせに宮を散らかしたお前が悪い。自業自得だ、バカカニ」
 そう言い捨てて、彼はスタスタと巨蟹宮を抜けて行った。
 後に残されたのは、デスマスクとガラスの破片、そして全ての破片を石壁の隣の部屋に転送した次代牡羊座候補の貴鬼だった。
「ゴメンよ、デスマスクのおっちゃん。オイラ、紫龍の頼みは絶対に断れないからさ」
 へへっ、と得意げに鼻の下を擦る忌々しい子供と、部屋中に散らばるガラスの破片を交互に睨みつけて、デスマスクは心の中で悪態をついた。

 あのヤロウ、いつか犯してやる!!

Fin(爆)

written:2010.6.23



えー。。。
久方ぶりに更新したお話が、こんなのでスミマセン(平謝り;)
いえね。
連日テレビで放送されているW杯の試合とか、試合結果を見ていたら、ついつい妄想してしまったのですよ。
スペインが負けたら、山羊さまがカニに八つ当たりするよなぁ。
イタリアが勝てないってなると、カニがやさぐれるよなぁ。
なんて感じでですね(笑)

で、そろそろデッちゃんの誕生日だよなぁ、と思った時に思いついたのが、このお話でした。
タイトルの「World Football Anthem」は、選手入場の時にピッチで流れているあの曲のタイトルです。
W杯のお話ってことで、タイトルに使わせていただきました。

さて、2010年のW杯。
優勝はどこの国になりますやら。。。

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