True Love

True Love



 ふと目が覚めると、隣で寝ているはずの男がいなかった。
(おらぬ……?)
 寝入る時には確かに隣にいた男が横たわっていた場所に、男の温もりはない。臥所を抜け出してからかなりの時間が経っている、と童虎は判断した。
(どこに行ったのじゃ、シオン?)
 上掛けをめくって、童虎は起き上がった。
 同時に、童虎は少し驚いていた。
 業務を終えてから1杯の酒を飲み、童虎を抱いて満足して眠りについたはずのシオンが、臥所を抜け出したことにも気付かずに眠り続けていた自分に。
 童虎は聖闘士だ。それも、ハーデスとの聖戦を2度も経験し、シオンが倒れてから後は聖闘士たちを率いていた戦士だ。いくつもの戦場をくぐりぬけ、生き抜いてきたその自分を……
(このわしを気づかせなんだとは、流石じゃの、シオン)
 完全に気配を消し、小宇宙を絶って、シオンは臥所を下りたのだと童虎はすぐに理解した。でなければ、房事の後とはいえ童虎が全く気付かずに眠り続けていたなど、ありえない。
(こんな時間にどこへ行きおった?)
 今生のアテナである沙織の慈悲によって、ハーデスとの聖戦で命を落とした童虎は再びこの世で生きることを許された。13年前、双子座の黄金聖闘士であるサガがアテナと聖域に反旗を翻し、反乱を起こした際に命を落とした教皇シオンも同様である。
 童虎は二度目の、シオンはハーデスによって与えられた束の間の命も含めて三度目の命を生きることになってから間もない頃。童虎は長年思い続けてきたのだ、というシオンの気持ちを受け入れて恋人同士になった。
 それ以来、天秤宮の守護は弟子の紫龍に任せ、自分は教皇の間でシオンと暮らしている。
 童虎は床に脱ぎ捨てられた――もっとも自分で脱いだわけではなく、シオンに脱がされたのだが――服を拾い上げて手早く身につけ、寝所を出た。
 教皇の間に続いているこの寝殿に、シオンの気配はない。童虎はシオンの気配を、小宇宙を探りながら教皇の間に入った。
 いつもシオンが坐している、教皇の玉座。二百数十年の長きに渡って、守り続けてきたその椅子。今となっては、14年前に一度その座を追われ、アテナの慈悲によって再びその座に就いたシオンを思って、童虎は気がついた。
(そうじゃ、今夜は……)
 ちょうど14年前のこの夜、シオンはサガの反乱によって命を落とした。
「シオン!」
 それを思い出した時、童虎はシオンの小宇宙を感じ取った。恐らく、童虎が起きてきたのを察したシオンが自分の居所を知らせてきたのだ。
 童虎は高い背もたれのついた玉座の横を通り抜けて、奥のアテナ神殿へとつながる廊下を歩いた。廊下の突き当たりにある扉を開けると、そこにはアテナ神殿へ向かう唯一の道である階段がある。その中程に、童虎は探していた男の姿を見た。
 安堵感が広がっていく童虎に、男は声をかけてきた。
「目が覚めたのか、童虎」
「ああ。こんな所におったとはの」
 薄い布でできたゆったりとした夜着姿で、シオンは階段に腰掛けて下界を眺めていた。
「お前、わしを抱く前に酒を飲んでおったであろう。そうでなくても陽気が奪われておるというのに、その上で風に当たれば脾が傷られる」
 童虎は修業時代に中医学の原点と言われる古典を読み、師匠からも日頃の養生の糧になればと教わった医術の心得がある。
「冷えて下痢をしたらどうするのじゃ?」
「もしそうなったとしても、お前が何とかしてくれるのだろう?」
 シオンは近づいてくる童虎を手招きして、自分が座っている段のすぐ下に腰かけるように導いた。
 夜更けはとうに過ぎ、夜明けが近い。
 夜から朝へと向かっていくこの時刻は、朝という陽に転じる前に最も陰が極まる時刻だ。空気は最も冷えている。
「身体が冷えるのが心配ならば、互いの熱を分け合えばよい」
 シオンは事もなげにそう言い放って、上から背中越しに童虎を抱き締めてきた。背中にシオンの温もりを感じ、肩にシオンの顎が乗る。腹の前でシオンの腕が交差する。
「これで、文句はなかろう?」
 耳元で柔らかいシオンの声が囁く。
 確かに肌寒さは軽減されるが、どうも居心地が悪い。童虎は耳元でシオンに囁かれるのに弱い。わかっていて、シオンはわざとそうしているのだ。
「……何を、見ておったのじゃ?」
 前にもこうして、ここから二人で下界を眺めたことがあった。
「聖域を。地上の全てをだ」
 シオンからは、童虎が思った通りの答えが返ってきた。
 あの時も、シオンはそう言った。
 童虎とシオンにとって、二度目となったハーデスとの聖戦。冥界で眠りについていたシオンは、アテナの首を取れば永遠の命を与えるというハーデスの誘いに乗ったふりをして、教皇としての責務を果たすべくこの聖域に戻ってきた。12時間という束の間の命を得て。
 童虎が灯した12宮の火時計。その時計が燃え尽きる直前、シオンはこうしてここから聖域を眺めていた。
「そうか」
 聖域で最も奥まった、最も高い位置に存在する女神神殿。その女神神殿の前にあるこの階段からは、聖域の全てを見渡すことができる。聖域の入り口、そこからすぐの所にある闘技場、聖闘士候補生や雑兵が暮らす宿舎、白銀聖闘士と青銅聖闘士が住む居住区。女神神殿へと続いてくる、黄金聖闘士によって守護された12宮。
 夜明けを前に静まり返っている聖域に、ほとんど明かりはない。起きているのは、見回り役の雑兵と聖闘士くらいのものだ。
 そして遠くには、集落や街の明かりがわずかに見える。
 神によって空に散りばめられた星々――聖闘士たちの守護星座で埋め尽くされた空と、地上に灯る明かりの境界が曖昧で、地上と天空が一体となって見えるここは、まさに地上の全てを見ているような心地になる。
「美しいな」
「ああ」
 地上に灯る明かりの一つ一つに、地上に生きる人の生命が宿っている。
「教皇としてこの聖域を守っている間、よくここから地上を眺めたものだ。私たちの同胞が命がけで守り抜いてきたこの地上をな」
「そうか」
 上から抱きしめてくるシオンの体温が心地よくて、童虎はシオンに背中を預けた。
「こうしていると思い出すのぉ。アルバフィカが敷いたバラの陣で空が赤く煙っておったことや、ハーデスがここに乗り込んできた時のことも」
「そうだな。彼らがいたからこそ、今の私とお前がいる。共に闘った日々を忘れたことはない」
「それはわしとて同じじゃ」
 神話の時代から幾度となく続いた冥王ハーデスとの聖戦。教皇セージの下で童虎とシオンが他の黄金聖闘士たちと共に闘った二百数十年前の聖戦では、童虎とシオンの二人しか生き残らなかった。それほどの激戦だったが、セージの策によって確実にハーデス軍の戦力を削り、この度の聖戦では星矢をはじめとする青銅聖闘士たちの力によってついにハーデスを倒すことができた。
「彼らの分まで、わしらは生きて行かねばならん」
「もう充分長く生きたがな」
 童虎の言葉に、シオンが軽く返す。
「これシオン、真面目な話をしておるというのに茶化すでない」
「しんみりしても仕方なかろう。それに、私たちが昔のことを懐かしんで感傷に浸っても、彼らは喜ばぬ」
「まぁ、それもそうじゃの。マニゴルド辺りが聞いたら、間違いなくバカにされるの」
「そういうことだ」
 二人して少し笑って、童虎は虚空に視線を投げた。
 少し顎を上げて露わになる首筋に、シオンの指が伸びる。頭を反らしたことで浮き上がる筋肉を辿り、鎖骨へと下りて骨をなぞる。
「これ、シオン」
 咎めるような童虎の声にも、シオンは構わずにそのまま胸へと指を滑らせようとする。
「こんな所でどうするつもりじゃ?」
「これくらいでその気になるお前ではあるまい? それとも何だ、こんな些細なことでも感じるようになったか?」
「ふざけたことを言うでない」
 からかうような口調のシオンに、童虎は胸を撫でようとするシオンの手をペシッと軽く叩いた。
「冷たいな。少しでも長くお前に触れていたいと思う気持ち、察してくれてもよかろう」
「お前の触れ方がいやらしいのじゃ」
 だいたい、ここは屋外だ。しかも、階段を上がった先にはアテナの化身である沙織が住まう神殿がある。そんな所でラブシーンを演じるなど、あまりにも不謹慎だ。
 そう主張する童虎の生真面目さに、シオンは軽く苦笑した。
「まぁ、教皇としてはお前の言うことにも一理ある、と思わねばならんな」
 呟いて東の空を見れば夜明けが近いのか、聖域を囲む山の稜線がわかるほどに明るくなってきている。
「そういえば、まだ訊いていなかったな」
「何をじゃ?」
「お前が慌てて私を探しに来た理由だ」
 シオンに言われて、童虎はようやく思い出した。隣にシオンがいないと気付いて、何としてもシオンを探して側に行かなければ、と思い到った理由を。
「何をうろたえていた?」
「それは……今宵は、お前が最初に殺された日だったからじゃ」
 この夜は、サガの反乱によって、ハーデスとの聖戦をも生き抜いたシオンが命を落とした日。復活するまでは、シオンの命日だった日だ。
「そんな日にお前が側におらぬと気付いて、居ても立ってもいられなんだ」
「心配してくれたのだな」
「当り前じゃ!」
 少し怒ったような、拗ねたような声で即答する童虎に、自然とシオンは笑みがこぼれた。
「もう、あんな思いは御免じゃ」
 ポツリと呟いて、童虎が俯く。声が、かすかに揺れるのをシオンは聞き取っていた。
「私が自分の命日を嘆くような男だと思うか? 私がサガに殺されたのは、教皇でありながらサガの苦しみに気づいてやれなかった私の咎だ。だいたい、私たちは聖闘士だぞ。いつ死んだとしてもおかしくはない」
「わかっておる。わかっておるが……」
 言葉が途切れる童虎を抱き締める腕に、シオンは力を込めた。
 シオンも童虎も、数多くの同胞の死を見てきた。極限の必死の生が、突然途切れてしまうのを何度も見た。失いたくない人を目の前で失ったことも、一度や二度ではない。
「わしは、お前だけは失いたくなかった」
「童虎……」
 前の聖戦の記憶、それから今に至るまでの聖域の変遷。
 育てた弟子がどれほど出来の良い弟子であったとしても、今の同胞たちがこの上ないほどに頼りになる者たちであったとしても。全てを共有することはできないのだ、このシオン以外には。
「それなのにお前は二度も、わしより先に死におった」
 一度目は、五老峰を離れることもできず、遠く離れた地で小宇宙が消えるのをただ感じただけだった。
 二度目はこの場で、童虎の目の前でシオンは塵となって消えた。背中越しにシオンが消えていくのを感じながらも、童虎は振り返らなかった。いや、振りかえることができなかった。消えていくシオンを、見たくなかった。
「すまなかった」
 戯れに触れるだけでなく、しっかりとシオンは童虎を胸に抱きこんだ。シオンよりもずっと背が低く、小柄な童虎はすっぽりとシオンの胸に収まってしまう。
「本当にすまんと思っておるか?」
「思っておる。お前を一人にして、すまなかった」
「だったら、一つだけ約束するのじゃ」
「約束? どんな約束をすればいいのだ?」
 問い返すと、童虎はコトリとシオンの胸に頭を預けてきた。
「一度しか言わぬ。心して聞け」
「ああ」
「二度とわしを一人にせぬと誓うのじゃ。共に死ぬのが叶わぬなら、1分でもいいからお前の方が長生きしろ」
 ぶっきらぼうな、拗ねているかのような口調で童虎が告げる。顔を合わせようとしないのは、精一杯の照れ隠しなのだろう。
 シオンは自然と笑みが深くなった。
 童虎は自覚していないだろうが、とんでもない殺し文句を口にしてくれたのだ。愛していると言われるよりも、ずっと深い愛の告白だ。
「童虎……」
 呼びかける声が、自分でも驚くほどに柔らかかった。
「約束する。今度は、お前より先には死なぬ」
 アテナに拝謁する時よりも敬虔な気持ちで、シオンは誓いの言葉を口にした。
 抱きこんだ童虎を自分の方に向かせる。上向かせた童虎の目がいつもより潤んでいる。
 今にも泣きそうな表情を見られたくないのか、顔を背けようとする童虎の顎をシオンは捉えた。
 そして
「誓いの印だ」
 シオンはわずかに開いている童虎の唇に、口づけを捧げた。
 陰から陽へ。
 夜から朝へと転じるひと時。
 暁の中で、二人は長く穏やかな口づけを交わしていた。


Fin

written:2008.6.12





えー、シオ童第2弾です。
OVA「ハーデス12宮編」があまりにもシオ童で。
特にラストのあのシーンは、原作を超えたと思います。
どーしてもそのシーンを自分の手で書いてみたくて、こういうお話になりました。

当分室の全作品を読んでくださっている方は、読んでいて「?」と気付かれたかもしれませんが。ロスサガ作品「悲劇的」につながる作品となっています。そして山羊龍作品「First Love」ともつながっています。磨羯宮で山羊龍が繰り広げられている時に、教皇の間ではシオ童が展開していた、という(笑)
ホントはロスサガも書きたくて、プロットは立ててるんですけど。執筆に取り掛かるのは、果たしていつになるのやら(苦笑)

なお、このお話。
童虎さんが東洋医学を嗜んでいる、という勝手な自己設定を加えさせていただきました。
ていうか、教養としてご存知なのではないかなぁ、と思うのですよ。日頃の養生法に通じてますし、鍼灸にも按摩指圧マッサージにも、漢方にも通じるものですので。
まぁ、自分が現在進行形でやってるから、というのが一番の理由なんですが(苦笑)

また、前作のシオ童もそうでしたが「ロスキャン」の内容も一部出てきます。
車田先生がお描きになっている作品ではありませんが、この二人を描く上ではやっぱり外せないかなぁ、と思うので。
「エピG」の方は、絵柄的にもお話的にも「う~ん(;一_一)」と思うのですが、「ロスキャン」は本当にいい作品だと思っております♪


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