Party!

 その日、久方ぶりに主を迎えて木々がざわめいていた。
「おはようございます、老師」
「おはよう、紫龍。わしはこれから寝るでの、支度ができたら起こしてくれ」
「わかりました。おやすみなさい」
 おはよう、と言うや否や寝室へと引っこんでいく師に、弟子はおやすみなさい、と笑顔でご挨拶をした。
 師が寝室へ引っ込んで、ベッドへ倒れ伏して、すぐに鼾混じりの寝息を立て始めるのを聞いて、紫龍はふっと微笑した。
「あら、紫龍。老師がお帰りになったの?」
「ああ、春麗。今お休みになったところだ」
「そうなのね。少しくらいお顔を見せてくれてもいいのに、老師ったら」
 そこへ、土間の台所から顔を出すのは、師が生まれてすぐの頃に拾って育ててきた養い子である春麗だ。長い髪を後ろで三つ編みにした彼女は、家事をするために腕まくりをしている。
「仕方ないだろう、老師もお忙しいんだ。それに、聖域はまだ夜中だからな」
「そうだった、時差があるんですものね」
 紫龍に指摘されて、春麗は初めて気づいた様子で口元を押さえた。
「でも、よく眠っていらっしゃるわね、老師」
「今や教皇に次ぐ地位におられて、毎日夜遅くまで仕事をしておられるからな。無理もないさ」
 感心したように寝室の木戸を見つめる春麗に、紫龍は苦笑して見せた。
「老師が目を覚まされるまで、俺たちにできることは準備しておこう。王虎もここに来るのが遅くなるだろうからな」
「いつも遅れてくるものね、王虎ったら」
「忘れていないだけマシだろう」
 もう一人、この場にいなければならない人物に話題が移って、紫龍は春麗と笑い合った。
「さて、俺は畑へ行ってくる。何を採ってくればいい?」
「そうねぇ。ネギと、茄子と……」
 ズラズラと並べ上げる春麗の言葉を漏らさずに聞こう、と紫龍は集中した。

Party!


 童虎が目を覚まして起きてきたのは、昼前だった。
「おはようございます、老師」
「おはよう、紫龍。春麗はどうしておる?」
「台所で支度しています。ちょうど、そろそろ餅米が蒸しあがる頃ですよ」
「そうか。では、目覚ましついでに餅つきでもするかの」
「ええ、お願いします」
 紫龍が童虎に笑いかけた時、土間からほやほやと蒸気を上げる餅米を手にした春麗が出てきた。
「あら、お目覚めになったんですね、老師。おはようございます」
「おはよう、春麗。久しぶりじゃのぉ。元気そうで何よりじゃ」
 養い子の顔を見て、童虎の顔が笑み崩れる。人の好い笑顔を向けられて、春麗も自然と微笑した。
「起きぬけで申し訳ありませんけど、紫龍と一緒に餅をついてもらえますか?」
「おお、お安いご用じゃ」
 春麗に頼まれて、童虎は餅米を受け取った。
「ほれ、行くぞ、紫龍。もたもたするでない」
「はい、老師」
 紫龍を従えて、童虎は庵の外へ出た。外には、紫龍が用意している臼と杵がある。
「……と、とっと……。意外と熱いのぉ」
「それはそうでしょう、蒸したばかりですから」
 餅米の熱さに驚く童虎の様子に、紫龍は穏やかに微笑した。
「さて、ではつくかの」
「はい……て、よろしいのですか、老師?」
「何がじゃ?」
 張り切って杵を手にした童虎に、紫龍が問いかけてくる。
「餅をつく役目をお任せしてしまっても、その……」
「構わん。いつもお前にやらせておったからの。今年は交代じゃ」
「わかりました」
 今でこそ、18歳の若々しい肉体を持っている童虎だが。去年までは、二頭身で体の悪そうな肌色で皺だらけの老人の姿をしていたのだ。先代のアテナであるサーシャがかけた、仮死の法によって。
 が、243年を経て再び起きた冥王ハーデスとの聖戦で、童虎はその仮死の法が解けて、元の肉体に戻った。心臓の鼓動が1年で10万回しか動かない――つまり、童虎にとっては1年が1日でしかなかったために、18歳の肉体がキープされていたのだ。
 その聖戦で他の黄金聖闘士たちと共に命を落としたものの、ハーデスが倒れ、冥界が消滅した後に彼は蘇った。アテナの慈悲によって、他の黄金聖闘士たちと共に。
「では、今年は老師にお任せしましょう」
 ハーデスを倒した聖闘士の一人である紫龍は、実は童虎よりも若干背が高い。そして幼顔の童虎と並べても、4つ年が離れているようには見えない。
 自然、聖闘士になるために修行していた頃よりも、若干砕けた口調になっていた。
「ただし、臼を壊さないで下さいね」
「紫龍……お前、わしを何じゃと思っておる?」
「いえ、杵を持つのもずいぶんと久しぶりなのではないかと」
「師をバカにするでない。わしもお前の年の頃は、毎年やっておったのじゃ。体が覚えておるわ」
「……」
 言い返してくる童虎に、それは何百年前の話ですか?と問いかけようとして、紫龍は口をつぐんだ。
「始めるぞ、紫龍」
「はい」
 腕まくりをして杵を振り上げる童虎に、紫龍は笑顔で頷いた。
「ほれ!」
 気合いと共に、童虎が杵を振り下ろす。最初の1回目は普通のスピードだったのだが……童虎は光速の動きを身につけている黄金聖闘士である。2回目以降は、常人には見えないスピードで餅をつき始めた。
(さすが老師、マッハのスピードで餅をついておられる)
 紫龍はタイミングを見計らって、適度に水で餅米の表面を濡らしていった。
 そして、1分後。
「うむ、良い出来じゃ」
 あっという間につやつや、ほわほわの餅がつき上がっていた。
「春麗ー、餅ができたぞー!」
「あら、もう出来たんですか? やっぱり若返った効果なのかしら?」
「しゅ、春麗……」
 思ったことをそのまま口にする春麗に、紫龍は少し慌てた様子を見せる。だが、当の童虎は一向に気にしない様子だった。
「ほれ、ゴマ団子を作るのじゃろう?」
「ええ、ありがとうございます」
 出来上がった餅を受け取って、春麗は再び台所へ消えて行った。
「ところで、紫龍よ」
「はい、何でしょう、老師?」
「王虎の姿が見えんようじゃが、まだ来ておらんのか?」
「ええ」
 紫龍が頷くと、童虎は拗ねたような表情をした。
「仕方のない奴じゃ。師が蘇って若返ったというにのぉ」
「毎年何時に……と約束しているわけではありませんからね。それに……」
 紫龍は一度言葉を切って、続けるかどうか少し迷った。
「何じゃ、最後まで言わぬか。気になるであろうが」
「すみません。それに、王虎は、その……」
 言いかけた時だった。
 大滝の前にある庵に近づいてくる小宇宙に、童虎と紫龍は同時に気がついた。
「この小宇宙は……」
「やっと来おったか、王虎め」
 紫龍が聖闘士になるために五老峰に来た時、一足先に修行を始めていた兄弟子の王虎のものだった。
 次第に近づいてくるそれがすぐ傍まで来た時、二人は童虎を一回り大きくして髪を伸ばし、眼光を鋭くしたような男の姿を見た。
「王虎」
「よぉ、紫龍。久しぶりだな」
 背中に大きな籠を背負った王虎は、呼びかけてきた紫龍に応えて片手を挙げた。
 ……が、紫龍の隣りにいる男を見て、王虎は一言呟いた。
「誰だ、アンタ?」
「………」
 爆弾発言にも等しいそれに、紫龍は固まり、童虎は沈黙した。
 そして次の瞬間。
 童虎の怒りが爆発した。
「この……親不孝者がーーーっ!」
 一気に小宇宙を高めた童虎は、王虎に鋭い蹴りを放った。
「ぐっ!」
 王虎は童虎の動きを捉えることができず、まともに腹に蹴りを食らって滝へと吹っ飛んだ。
「龍飛翔か!」
「し、紫龍!」
 童虎の技を身切った紫龍に、春麗が叫んだ。はっと我に返ると、王虎が籠の中に入っていた物を周囲にまき散らしながら滝の中に消えるのが見えた。
「いかん、食材が!」
 紫龍は飛んだ。
 肩ひもが切れて王虎の背中から外れた籠を真っ先に取り、その中に全ての食材を拾った。春麗には見えないほどのスピードで。
「ああ、良かった。ありがとう、紫龍」
「せっかく王虎が持ってきてくれた物だからな。無駄にはできん」
 春麗に籠ごと食材を渡して、紫龍はようやく気がついた。
 王虎が師である童虎によって滝の中に吹き飛ばされたことに。
「王虎!?」
 紫龍が滝壺に向かって水の中に入ろうとするより先に、王虎が立ち上がった。
「何しやがる、てめぇっ!」
「あれしきのこと、受け身くらい取らんか、馬鹿者が」
 怒鳴りつけてくる王虎に対して、童虎は平然と言い返した。
「だいたい、師の顔もわからぬとは何事じゃ。この親不孝者めが」
「老師、王虎は老師の弟子ではありますが、子供ではないと思うんですが……」
 言いづらそうに童虎に進言する紫龍の言葉を聞いて、王虎は驚愕の表情を見せた。
「老師!? これがっ!?」
「師をこれ呼ばわりするとは何事じゃ!」
「仕方ないでしょう、老師。王虎は今日初めて、若返った老師を見たんですから」
 王虎をフォローするように、春麗が笑顔で言い募る。だが、童虎は納得しなかった。
「顔を見るのは初めてでも、小宇宙で見分けられるであろうが。修行が足らんぞ」
「るせぇよ。どうせ俺は紫龍と違って出来が悪いからな」
「全くじゃ。わかっておるなら、精進せい」
 不貞腐れる王虎に、童虎は偉そうにふんぞり返った。
「さて、王虎が来てくれて食材も全部揃ったし。これで最後の仕上げにかかれるわ」
「そうか、ならば手伝うとするかの」
「あら、いいんですか、老師?」
「もちろんじゃ」
 空気を変えたのは、春麗だった。
 春麗は童虎を伴って、庵の中へと戻って行った。
「……ったく、何なんだよ、ありゃ」
 二人の後姿を見送りながら、王虎がぽつりと呟いた。
「あれが老師の本来のお姿だ」
「何だと?」
「もう半年ほど前になるか、不穏な小宇宙と天変地異をお前も感じただろう」
「ああ、確かにな。西の方で何やら妙なことが起きていたようだが……」
 紫龍の言葉に、王虎が同意する。
「聖戦が、起きたんだ」
 濡れた服を脱いで水滴を絞る王虎に、紫龍は全てを簡潔に語った。
 王虎が五老峰を離れて放浪している間に、聖戦が起きたこと。童虎が負っていた使命、そして本来の姿で蘇ったことも、全て。
「なるほどな、それで老師があんな大きくなった……と言いたいが。もともと背が低かったんだな、老師って」
「そのようだな」
「ったくよぉ、元に戻っても紫龍より背が低いってどうなんだよ、老師。……って!」
 話していた王虎は、突然頭を押さえて座り込んだ。童虎が後ろから殴ったのである。
「ってぇよ、何しやがるっ!」
「全部聞こえておるぞ、馬鹿者が」
「老師……」
「こんな簡単に後ろを取られるとは、何事じゃ。全く、一から修行をし直した方がよさそうじゃのぉ」
「その前に、お祝いしましょう。準備できましたよ、3人とも」
 春麗が庵の玄関から呼びかけてくる。
 振り返ると、大きなテーブルが外に出されていて、その上には何種類もの料理が並んでいた。
「今日は老師たち3人のお誕生日をお祝いするんですから」
 ニッコリ笑って呼びかけてくる春麗に応えて、3人は庵へと向かった。



 五老峰で修行を積んだ童虎、紫龍、王虎の3人は皆天秤座の生まれだ。
 紫龍と王虎は8日違いで、童虎は10月20日生まれ。
 どうせ皆天秤座に生まれているのならば、一緒に祝えばいいだろう。
 童虎の一声で、紫龍がこの五老峰に来てからは3人一緒に、童虎の誕生日に様々な点心や料理を用意して祝うことになっている。
 途中、王虎が童虎に背いて破門されていた時期があったが、紫龍が龍星座の聖衣を継いだ直後に再び戻ってきた。そして今年は3年ぶりに全員が揃って祝うことができる。
 久しぶりに皆が揃うということで、春麗は張り切って準備していたのだ。
「またこうして皆で揃って祝うことができる。今日はよき日じゃ」
 聖域から飛んできた童虎も、上機嫌だった。
「お酒はまだダメですよ、老師。酔っ払ったらすぐに寝ちゃうんだから」
「まずはお茶から、そうお決めになったのは老師でしょう」
 庵に置いてある秘蔵の酒を持ち出そうとする童虎を、春麗と紫龍が止める。
「俺は酒でもいいけどな」
「お前にわしの秘蔵の酒はやらんぞ、王虎」
「そうそう、ダメよ、王虎。あなた紫龍と同じでまだお酒が飲める年じゃないでしょう?」
 クスクス笑いながら窘めて、春麗は慣れた手つきで杯に茶を注いだ。ジャスミンの爽やかな香りが庵に満ちる。
「では、老師」
「うむ」
 紫龍に促されて、杯を手にした童虎が音頭を取った。
「わしと、紫龍と王虎の誕生日を祝って、乾杯じゃ」
 高々と杯を掲げる童虎に倣って、紫龍も王虎も春麗も杯を掲げる。1杯目を干して、童虎たち男3人は箸を取って皿の料理に手を伸ばした。
 陽光が暖かく照らすテーブルの上には、緑に赤・黄色の3色水餃子。
 小龍包に焼売にゴマ団子に春巻。
 クコや松の実、朝鮮人参などを煮込んだ薬膳スープ。
 八宝菜に茄子の炒め物。
 数々の料理が所狭しと並べられている。
「この緑色の水餃子は何じゃ?」
「ほうれん草を入れてるんですよ、老師」
「この赤いのは海老で……黄色いのは筍と黄ニラか」
「小龍包は熱いから気をつけてね」
 口々に言い合いながら、3人は次々と料理を口に運ぶ。春麗も食欲旺盛な3人を微笑ましく見守りながら、干したお茶を注ぎ足したり、自分も料理に箸を伸ばしたり……とマイペースに食を進めて行く。
 秋の穏やかな日差しの中で、天秤座生まれの3人を祝う宴は進んでいった。


Fin

written:2008.10.20




す、すみません……
本来ならば、10月20日きっちり全部揃えてアップするはずだったのですが。
前半を書き終えた段階で、頭の中は聖さまモード(←詳細はBlog又はMusic別館をご覧くださいませ;)
しかも、18日はコンサート、19日は鍼の勉強会で2日間全くPCに触れない、という状況。
……になる、とわかっていたのに後半には手をつけられず。
そのまま20日を迎えてしまいました。

ああ、ちゃんとお祝いしたかったのに。
ごめんね、童虎たん(涙)

このお話、後半はシオ童にしようと思って冒頭部分を書きかけたのですが、ピタリと筆が止まりました。
理由を考えてみたのですが……たぶん、この前半部分で一度話が完結していて、頭の中では「終わった話」として認識されたのではないか、と判断しました。
よって、2009年に入ってから、これにて完結とさせていただきました。
シオ童は、また別のお話で書かせていただこうと思います。
ご了承くださいませ(礼)

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