君と僕の月

君と僕の月


「こんばんは、シュラ」
 ワインボトルを片手に宮の外でタバコをふかしていると、龍星座の紫龍が通りかかったのか挨拶をしてきた。
「ああ、紫龍か。女神からのお呼び出しだったのか?」
「ええ。沙織さんがお月見会をしたいと言い出したので、そのお供を」
 月明かりが照らす中で、紫龍は薄く微笑して答えた。
 今生のアテナは、その名を城戸沙織という。アテナは数百年に一度神々が遣わすと言われる地上の守り神だ。たいていは、この聖域の最深部にある女神神殿のアテナ像の足元に降臨する。沙織も、その例に倣ってアテナ像の足元に降臨した。
 が、黄金聖闘士の一人である双子座のサガによる反乱が起こり、沙織は聖域から逃れて日本人の資産家の孫として育てられた。
 紆余曲折を経て、聖戦を終えた今はまたアテナとして聖域に君臨しているが、彼女は一部の青銅聖闘士たちと親交が深い。彼らは沙織を孫として育てた資産家の息子たちであり、沙織がアテナであると知らされる以前からの付き合いがあるためだ。
 紫龍もその一人で、聖戦が終わってからもずっと彼女を「沙織さん」と呼んでおり、沙織もまた、何かと理由をつけては紫龍たちをそばに置くことが多いのだ。
 紫龍が言うには、今夜もまたそうだったらしい。
「月見会、か。確かに今宵の月は格別だな」
「それはそうでしょう、中秋の名月ですから」
「中秋の名月?」
 スペインで生まれ育ち、黄金聖闘士となってからは聖域で生活しているシュラにとって、「中秋の名月」というのは初めて聞く単語だ。思わずオウム返しにしていた。
「日本の風習なんです。秋に満月を楽しむという」
 今でこそ太陽暦を使用している日本だが、昔は太陰暦、つまり月の満ち欠けに基づいた暦を使っていた。その太陰暦では、7月~9月が秋に当たる。月の満ち欠けに基づいている暦では15日が満月になっており、8月15日はちょうど秋の真ん中で最も月が美しい日とされているのだ。
 それ故に、日本では陰暦の8月15日に当たる日に出てくる月を特別なものとして愛でるのである。
 紫龍からそう聞かされて、シュラは納得した。
「なるほどな、それでお前たちが招集されたというわけか」
「はい。まぁ、実際の月見よりも月見団子や料理の方がメインでしたけどね」
「お前以外の連中は、だろう?」
 青銅聖闘士たちの顔ぶれを思い出したシュラは、紫龍以外の者たちが月を愛でるタイプだとは到底思えなかった。恐らくは沙織自身でさえ、月見会と言うのは単なる名目にすぎず、本音では青銅の連中と騒ぎたかっただけなのだろう、と推測していた。
「そうでもないですよ。俺だって、自分の食べる分を確保するために、月見は二の次になってましたから」
 誘導尋問するようなシュラの口ぶりに、紫龍はクスクス笑いながら答えた。
「まぁ、相手が大飯食らいの天馬星座や、風流には縁のなさそうな白鳥座だからな。無理もないか」
 シュラはニヤニヤと笑いながら、タバコの火をもみ消した。
「それで、貴方は?」
「ん?」
「どうしてこんな外でお酒を飲んでおられるんですか?」
「ああ……」
 問いかけられて、シュラはチラリと紫龍の顔を盗み見た。
 まさか、自分の宮を通り抜けて上へ上がっていった紫龍を、帰りがけに捕まえようと思っていた、なんてことを白状するわけにはいかない。
「月が美しかったんでな。誘われて出てきた」
「そうですか」
 シュラの適当な言い訳をどう受け取ったのか、紫龍は微笑して頷いた。
「お酒の肴になるかどうかわかりませんが、月見会で出された月見団子をかすめ取ってきたんです」
 そしてシュラの隣に腰を下ろした。
 礼儀正しく、常に礼節を欠かさない紫龍が、シュラの了承も得ずにそういう行動をするのは珍しい。
 それだけ自分に気を許しているのだろう、とシュラは心の中でほくそ笑んだ。

 自分に対して、遠慮する必要はない。

 事あるごとに言い続け、馴らしてきた成果が出てきているということなのだろう、と。
「いかがですか?」
 言いながら紫龍が差し出したのは、白と黄色と緑の3色が並び、串に刺し通された団子だった。
「4本あるが?」
「ええ、一緒に食べようと思って。確保しておいたんです」
 2本ずつですよ、と言いながら、紫龍はその1本を手に取って口に運ぶ。
 欠食児童のごとき兄弟たちが揃った中で、たかが月見団子といえど確保するのはそれなりに苦労があったのだろう。シュラはそれを推し量って、串を1本手に取った。
「せっかくお前が俺のために持ってきてくれた物だからな、いただこう」
 団子を歯で噛んで串から抜いて咀嚼すると、もっちりとした触感とほのかな甘さが広がる。甘い物がそれほど好きではないシュラでも、この団子は美味だと思えた。
「美味いな」
「でしょう? だから、貴方でも食べられると思ったんです」
 自分が持ってきた物をシュラが美味しいと食べたのが嬉しかったのだろう。紫龍は月明かりよりも柔らかく、綺麗に微笑した。
 その微笑に魅せられて、シュラは思わず手を伸ばして紫龍の頬に触れた。
「俺のためを思ってくれた、というわけか」
「それは……」
 頬に軽く触れるだけのキスをされて、照れくさいのか紫龍が少し俯いた。背中を覆う長い髪がサラリと降りてきて、まるで紫龍の気持ちを肯定するようにシュラの手に触れる。
 そのまま紫龍を抱き寄せて唇を重ねようとしたシュラの口が、むにゅっとした物で塞がれた。
「?」
「もう1本、ありますから」
 照れ隠しなのか、紫龍がもう1本残っていた月見団子をシュラの口に押し込んだのである。思いがけない紫龍の実力行使に苦笑して、シュラは押し込まれた団子を咀嚼して飲み込んだ。
「美しい月も見たし、団子も食った。酒も飲んだし。あとは……」
 丸い大きな月明かりの下で、月光よりも密やかに静かにその美しさを主張する紫龍に触れる。月明かりを艶やかに反射する滑らかな髪を梳いて、その身を抱き寄せた。
「今夜のメインを頂くだけだな」
「メインって……」
「俺にとっては、月よりお前がいい」
 シュラの口づけを阻む団子は、もうない。紫龍はシュラの唇を受け入れた。
「どうする?」
「え?」
「このまま、月を二人占めしながら俺に抱かれるか?」
「それはちょっと……」
 夜番の見回り役や、下働きに当たっている雑兵たちがここを通らないとも限らない。
「ならば、どうする?」
「部屋に……連れて行っていただけると……」
 遠慮がちに呟いた紫龍に、シュラは思わず深い笑みが浮かんだ。
「承知仕りました。月姫のお望みのままに」
 恭しく手の甲に口づけて、シュラは膝の下に腕を回して紫龍を抱き上げた。
「ちょ、っと……シュラッ! 降ろして下さい、自分で歩けるからっ!」
「暴れるな。落ちるぞ」
「うわっ!」
 嫌がる紫龍に、シュラはわざと少し腕の力を抜いてみせた。支えを失って、紫龍はシュラにすがりつく。
「わかったか? 大人しく捕まっていろ」
「……――」
 シュラは軽々と紫龍を抱いたまま、磨羯宮を横切って奥の寝殿へ向かった。器用にベッドルームのドアを開けて、紫龍をベッドの上へ降ろしてやる。
 カーテンを引いていなかったベッドルームからは、次第に高く昇りながら明るさを増していく満月が見えていた。
「セックスをしながら月見というのも、なかなかいいだろう?」
「それこそ、月見どころではなくなると思いますけど?」
 淫靡な微笑を浮かべるシュラに、紫龍も負けじと言い返してくる。
「だって、俺が月の美しさに魅せられていたら、貴方は月にさえも嫉妬するでしょうから」
 言いながら、紫龍がシュラの頬に触れてくる。シュラはその手を捕えて、人差し指の先をチュ、と軽く吸った。
「よくわかってるな。嫉妬深い男だと呆れるか?」
「いいえ」
 シュラの問いかけに答えて、紫龍は月よりも艶やかに微笑した。
「月よりも俺に夢中になってほしいのは、俺も同じですから」


written:2008.09.14





山羊龍ファンの皆様、大変お待たせ致しました。
久方ぶりの山羊龍です。
7月からずっと、エル龍にかかりきりでございました故……(汗)

しかし、久方ぶりに書いた山羊龍が、こんなにぬるいお話ってどうよ、自分!?
しかも、今日が中秋の名月だからって、とっさの思いつきで書いた話ってのはどうなのよ、自分(汗)

えー、花より団子、ならぬ。
月より団子、月より紫龍、ということで(あせあせ;)

今回のタイトル曲は、元G-CLEFのピアニストにして作曲家でもある榊原大さんのアルバムから。
テニプリ分室の方で、乾塚でも一度書いているタイトルです。
今回は山羊龍バージョンにしてみました(^^)



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