ゆがんだ時計1

ゆがんだ時計1

Prologue

 その日、シュラと紫龍は人馬宮にいた。
「……シュラ、このノートはここでいいですか?」
「何が書いてある?」
「夢の眷族について、だそうです」
「ああ、だったらこっちだ」
 二人は、膨大な量の書物に埋もれていた。
「いやー、すまんな。シュラと紫龍が手伝いに来てくれて、助かるよ」
 1冊ずつ手に取って、中身を確認して仕分けしていく二人に向って、能天気な言葉をかけるのはこの人馬宮の主である射手座のアイオロスだ。
「すまないと思うなら、少しはお前もこのノートの山に目を通したらどうだ、アイオロス。そもそもこれは、お前の宮に残されていたものだろう?」
「まぁ、それはそうだが……」
 アイオロスが預かっている人馬宮には、243年前の聖戦の折に射手座の黄金聖闘士だったシジフォスが残した膨大な資料がある。アイオロスは黄金聖闘士になった時、射手座の黄金聖衣と共にその資料も受け継いだ。
 だが、14歳の時に同じく黄金聖闘士である双子座のサガが女神アテナと聖域に対して謀反を起こした。アテナを守ろうとしたアイオロスは逆賊の汚名を着せられ、シュラによって誅殺されるという道を辿った。
 そんなゴタゴタもあって、せっかくいずれ起こる聖戦のために…とシジフォスが残した資料は整理されることもなく手つかずのまま残され、今に至っている。
「へぇ、ヒュプノスとタナトスってチェスが趣味だったんだ。全然知らなかった」
 この度の聖戦で実際にその2神と対峙し、ヒュプノスを倒した一人でもある紫龍は、革の表紙のノートを見て今更のように感嘆の声を挙げている。
 神でありながら冥王ハーデスの部下となった双子神、死の神タナトスと眠りの神ヒュプノスを調査していたというシジフォスは、その双子神とヒュプノスの配下である「夢の眷族」と呼ばれる4神に関する資料を大量にこの人馬宮に残した。
 それらの整理を、隣の宮のよしみでもあり昔の因縁もあるシュラが手伝うことになり、シュラの恋人である紫龍も付き合うことになったのである。
 夢の眷族である4神について記したノートを仕分けしている最中、シュラはシジフォスの手記を見つけた。彼は現在のアイオロスと違い、相当マメな性格だったらしい。調査のために世界中を飛び回っている間も、聖戦が始まってからも、詳細に日記を書き残していた。
「おい、紫龍。これ、見てみろよ」
「何ですか、シュラ?」
「シジフォスが前の山羊座の聖闘士について記してる部分がある。なかなか面白いぞ」
「?」
 シュラにノートを手渡され、指で示された部分を紫龍は読んでみた。
 そこには……
「これって……」
「山羊座の聖闘士は、技だけじゃなくて恋人の好みまで受け継ぐらしいな」
 書かれていた内容に絶句する紫龍に、シュラはニヤリと笑ってみせる。
 そこに書かれていたのは、243年前に山羊座の黄金聖闘士だったエルシドについてのことだった。曰く、エルシドは長い黒髪の東洋人を愛した、というものだ。
「しかも、彼の相手も男だ」
 断定できるのは、シジフォスが書いている三人称が「男」だからである。
「シュラ、つまらないことを言っていないで早く片付けてしまいましょう。まだまだあるんですから」
「つれないな、紫龍」
「おいおい、お前たち。仲がいいのは結構だが、俺の前で見せつけるのはやめてくれよ」
 ちょっとでも目を離せば、この恋人たちはすぐにベタベタ、イチャイチャとくっつきたがる。一見するとシュラが一方的に紫龍にちょっかいを出しているのだが、出されている紫龍もまんざらではない表情をしているのだ。
 放っておけば、アイオロスの目の前だろうと平気で合体しかねない勢いである。
「俺もちゃんと手伝うから、な」
 アイオロスはとりあえず、目の前にある山の一つに手を伸ばした。
「アイオロス! そこはもう整理済みだ。うかつに触らないでくれ」
 のだが、すかさずシュラから叱られる。
「っと、すまん、シュラ」
「こちらの山をお願いします。まだ全然手つかずなので」
「ああ、わかったよ、紫龍」
 紫龍から別の山を目の前に積まれて、アイオロスはそれに手を伸ばした。
 一番上に積まれているノート。
 それは、シュラと恋人の趣味が同じだというエルシドが、ヒュプノス配下の夢の眷族である4神を倒すまでの一部始終が書かれているものだった。

1.Side:Dragon

(何だ?)
 紫龍は不穏な小宇宙を感じて足を止めた。
 聖域の外れに近い一角。
 その日、聖域の警備役が回ってきた紫龍は聖域内をくまなく見て回っていた。警備役は黄金・白銀・青銅の区別なく、聖闘士が雑兵や聖闘士候補生たちを指揮して1日に3回行うことになっている。紫龍も例外ではなく、聖闘士候補生と雑兵を3人ずつ連れていた。
「どうかされましたか、紫龍様?」
「不穏な小宇宙を感じた。俺が確認してくるから、ここで待機していてくれ」
「わかりました」
 敵なのか、何が起こっているのかもわからない場所へ、聖闘士に比べると力の劣る者を送り込むわけにはいかない。紫龍は自分の目で確かめることにした。
 小宇宙を感じた場所へと、足を踏み入れる。
 そこには、辺り一面に妙な小宇宙が立ち込めていた。
 何かの技を放った後の余韻のような小宇宙だった。
 技を放ったと思われる人物は、すでにその場にはいない。
(こんな聖域の深部で、いったい何が……?)
 紫龍は余波が漂っている中心へと足を進めて行った。
 その時。
(?)
 紫龍は足下がぐにゃりと歪んだ感覚を受けた。
 目に見えない壁を通り抜けたような、そんな感覚だった。
 周囲には、全く影響がない。一見何も変わっていないように見える。
 だが……
 黄金聖闘士との戦い、海王ポセイドンや冥王ハーデスとの聖戦をくぐり抜けて小宇宙を高め、研ぎ澄ましてきた紫龍はわずかな違和感があるのを感じ取っていた。
(何かが、違う。でも、いったい何が……?)
 考えようとした時だった。
 紫龍は、攻撃的な小宇宙が近づいてくるのを感じ取った。
 小宇宙は、3つ。
 それも、青銅聖闘士クラスのものだ。青銅聖闘士クラスならば、今の紫龍の敵ではない。奇妙なのは、その青銅聖闘士たちの小宇宙は今までに感じたことのないものだった。グラード財団によって集められ、世界各国に修行に出された兄弟たちの小宇宙とも違う。今聖域にいる青銅聖闘士の中にも、こういった小宇宙の持ち主はいない。
(新手の敵か?)
 全速力で走っているのだろうその3つの小宇宙が自分の元へ辿り着くまでに、紫龍は冷静に臨戦態勢を整えた。
(来た)
 足音と気配、そして小宇宙で感じ取ったのと同時に、紫龍に向けて誰何の声がかけられた。
「貴様、何者だ!?」
「ここをアテナがおわす聖域と知って忍び込んだのか!?」
 後ろから詰問されて、紫龍は顔だけを少し向けて、視界の端で彼らの姿を捉えた。相手は、3人とも青銅聖衣――それも、紫龍が見たことのない星座の聖衣をまとっている。
「お前たちこそ、何者だ。見たところ青銅聖衣をまとっているようだが、アテナの許しを得ているのだろうな?」
「当然だ。俺たちはアテナと教皇の許しを得て、この聖衣をまとっているのだ」
 紫龍の問いかけに、相手は即答した。
「ほう。聖戦にも駆け付けなかった青銅聖闘士がいたとはな。お前たちの小宇宙、初めて感じるぞ」
「聖戦だと? 貴様、聖闘士か!?」
 聖戦前や聖戦の最中ならば警備の際には聖闘士も聖衣をまとっているのだが、聖戦が終了した今、聖域の警護では聖衣をまとわない。紫龍も、龍星座の聖衣を箱ごと師である天秤座の童虎が守護する天秤宮に置いてきている。
 見たこともない相手ならば、普段着である中国服姿の紫龍を目の前にしても聖闘士であるかどうか、確かめる術がないのも無理はなかった。
(聖衣を呼び寄せるか?)
 紫龍は小宇宙を高めようとした。だが。
「俺たちはこれから始まる聖戦に備えて、この聖域で警護に当たっているのだ」
「これから始まる聖戦だと!?」
 3人のうち、紫龍と同じように長い黒髪をしている少年が口にした言葉を聞いて、はっきりと違和感に気づいた。
 聖域では、海王ポセイドンを封印し、冥王ハーデスを倒し、今の時代においての聖戦がとりあえずひと段落ついているはずだ。だが、彼が今口にした言葉は……
「バカな。ハーデスを倒し、聖戦はもう終わったはずだ」
 自分の認識と、彼らの認識が大きく食い違っている。
(どういうことだ、これは?)
 紫龍の知らない聖闘士。
 聖戦の始まっていない聖域。
(どうなっている!?)
 混乱していて、紫龍は一瞬反応が遅れた。3人の聖闘士のうちの一人が繰り出してきた技を、間一髪で見切って避けた。
「何!?」
 反応が遅れたとはいえ、相手は青銅聖闘士。日頃、師匠である天秤座の童虎や、訓練に付き合ってくれるシュラの光速拳を見慣れている紫龍には、彼らの動きはスローモーションにも等しく見える。避けることは、たやすいことだった。
「はっ!」
 そして脇ががら空きになっている彼に、紫龍は素手で拳を叩き込む。聖衣が覆っていない部分を確実に捉えた紫龍の拳は、相手をたじろがせるには十分だった。
「貴様、まさか冥闘士か!?」
 倒れた仲間を見て、髪の長い少年が詰問してくる。
「見くびるな。俺は女神の聖闘士。たとえ死したとしても、ハーデスに寝返るなどありえない」
 答えながら、紫龍は聖戦の折に敵と偽って自分の前に現れたシュラやシオンに思いを馳せた。まさか、自分が冥闘士の疑いを持たれるとは。そして、シオンが自分に語ったことを、そのまま彼らに向って口にすることになるとは、と。
「嘘をつくな! 聖闘士を騙って聖域に忍び込むつもりだろう!」
「それはこちらのセリフだな。今更ハーデスの手先を騙って何になると言うのだ?」
 仲間が反撃されるのを見て、紫龍を完全に敵と見なしたのだろう。
 3人の青銅聖闘士たちは構えを取って小宇宙を高めた。
「無益な争いは好まないが、そちらがその気ならば仕方ないな」
 1対1の勝負ならば、昇龍覇で十分なのだが。相手は3人。それも、自分は聖衣をまとわぬ生身の状態で、相手は聖衣を身にまとっている聖闘士だ。
 複数を相手にした時に使える技を、紫龍はとっさに選択した。
「いくぞ!」
「食らえ!」
「うおーっ!」
 彼らは3人同時に紫龍に向かってくる。
 紫龍は、一気に小宇宙を高めた。
「廬山百龍覇ー!」
「な、なにぃっ!?」
「うわぁーーっ!!」
 童虎から授かった究極の奥義とはいえ、聖衣をまとっている相手に素手の拳で立ち向かった技は、完全に倒すまでには至らなかった。
「くっ……こ、この技は、童虎様の!?」
「!? お前、老師を知っているのか!?」
 続けて聖剣エクスカリバーを繰り出そうとした紫龍は、短い髪の少年が口にした名前を聞いて、手を止めた。
「老師、だと? 童虎様の弟子だと言うのか!?」
「天秤座の童虎は、俺の大恩ある師だ」
「何だと!? だが、童虎様には……」
 少年が続けようとした言葉は、別の方角から飛んできた剣圧によって遮られた。側にいる少年を避けて、ピンポイントで紫龍だけを狙って繰り出された剣圧だった。
「っ!?」
 覚えのある剣圧に、紫龍は考えるよりも先に体が動いていた。いつもシュラと訓練している時と同じシチュエーション。対処法は一つだった。
 紫龍は右腕を振り上げた。一瞬のうちに小宇宙を黄金聖闘士の域まで――セブン・センシズまで高めた。
 紫龍の右腕には、シュラによって授けられた聖剣エクスカリバーが宿っている。代々、山羊座の聖闘士が受け継いでいく剣技が。それをぶつけることで、紫龍は自分に襲いかかってきた剣圧を相殺した。
「俺の剣技を相殺するとはな。貴様、何者だ?」
 紫龍は剣圧が飛んできた方向を、声をかけられた方向を向いた。そして、見た。
 黄金聖衣をまとった、山羊座のシュラ、その人を。
「シュラ!」
 呼びかけて、しかし次の瞬間には自分が口にしたことを否定していた。
(違う。この人は……)
 聖衣をまとった姿も、顔も、生き写しかと思うほどにシュラに似ていた。だが、小宇宙と声が微妙に違っている。シュラの小宇宙が宿っている紫龍の右腕が全く反応しないのが、何よりの証拠だった。
「シュラ? 誰のことを言っている?」
 言いながら、彼は紫龍に近づいてきた。
 見れば見るほど、彼はシュラによく似ていた。
「生身の拳で青銅である俺の部下たちに一撃を加え、さらに俺によく似た剣技を使って剣圧を相殺するとは……ただ者ではないな」
 話しながら、彼は造作もなく右腕の手刀を振り下ろした。
「くっ!」
 紫龍はとっさに、その手刀を両手で挟みこんで止めた。初めてシュラと闘った時にもシュラのエクスカリバーを止めた、真剣白刃取りだ。
「貴様、名前は?」
「人に名前を訊く前に、自分から名乗るのが礼儀じゃないのか?」
 力で押し切ろうと体重をかけてくる彼の手刀を、紫龍は押し返しながら横へ反らした。
 問い返した紫龍に、彼はやはり、シュラによく似た不敵な笑みを浮かべた。
「それもそうだな。俺はエルシド。山羊座のエルシドだ」
「エルシド、だって……!?」
 その名を聞いて、紫龍は絶句した。

 山羊座のエルシド。

 彼は、ここにいるはずがない人物だ。243年前の聖戦で、夢の眷族と言われたヒュプノス配下の4神を倒して命を落とした男なのだから。
「そんな、バカな……」
 信じられなかった。
 彼が身にまとっている黄金聖衣も、繰り出された技も、次の攻撃に備えている態勢も、何もかもがリアルに感じられる、その相手が。
 紫龍と相見えるはずのない男だということが。
(いったい、どうなっているんだ!?)
 何もかもが、紫龍の理解を超えていた。
 まだ聖戦が始まっていないと話した、3人の見知らぬ青銅聖闘士のことも。
 彼らが師匠である童虎を知っている、ということも。
 目の前に現れた、エルシドも。
(何が起きた!?)
 必死で頭の中を整理することに気を取られて、紫龍はエルシドの手刀を止めていた手から力が抜けたことに気付かなかった。
 そしてエルシドは、その瞬間を見逃さなかった。
「っ!?」
 腹に衝撃を受けて。
 目の前がスパークして。
 紫龍は意識を手放した。

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というワケで。
「エルシドさんが紫龍と恋に落ちてくれないかなぁ」というアホな願望を叶えるためだけに、書き始めました。エルシド×紫龍(爆)

でも、やっぱり山羊さまが自己主張してきたので、山羊龍前提です。
……ていうか、エルシドさんも山羊さまですから……。
エルシド×紫龍も、ある意味「山羊龍!?」みたいな(笑)
このお話、週1話のペースでの連載を目指しております(^.^)
最後まで書ききれるかどうか……頑張ります。


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