ゆがんだ時計2

ゆがんだ時計2


2.Side:Capricorn

 拳を受けて倒れこんでくる少年の体を、エルシドは片手で受け止めた。
 崩れる体に少し遅れて、長い黒髪が背中を覆い、顔にもハラリとかかってくる。
 抱き止めた体が見た目よりもずっと細いことに驚いて、エルシドはそのまま少年を抱き上げた。
「エルシド様……?」
「この少年は聖闘士だ。何座の聖闘士かはわからんがな」
 部下の問いかけに、エルシドはそう断定して告げた。

 聖域に不審な男が侵入した。

 そう聞かされて、エルシドはこの場にやってきた。聖戦が近く、今までにも何度か冥闘士の侵入を許している聖域では、連日厳重な警備が敷かれている。
 にもかかわらず、突然そこに姿を現したという少年。
 3人の部下が取り囲み、天秤座の童虎のような中国風の服に身を包んだ長髪のその姿を見て、興味が湧いた。
(何者だ?)
 冥闘士のような穢れた小宇宙は、少年からは感じられなかった。
 むしろ、3人を相手に童虎と同じ廬山百龍覇を放つ彼から感じたのは、龍神が乗り移ったのかと思うような畏れ多さだった。
 青銅とはいえ、聖衣を着ている聖闘士を相手に、少年は一撃を加えた。生身の拳で。
 それだけではない。
 少年に生じた隙を狙って放った自分の剣技を、少年は同等の剣技で相殺した。
 今の時代に存在している聖闘士の中で、自分ほどに拳を鍛えた者はいない。手刀の鋭さで、エルシドの右に出るものはいないはずだった。加えて、彼はエルシドの手刀を素手で受け止めた。
(シュラ!)
 少年が自分を見て、嬉しさを隠せないといった表情で呼んだ名前は、エルシドには覚えのないものだった。
 黄金聖衣には、他の青銅や白銀とは違う特性がある。それは、歴代の聖闘士の記憶が蓄積されていくというものだ。エルシドも、この山羊座の黄金聖衣を継いだ時、歴代の聖闘士たちの記憶も共に継いだ。
 その中に、シュラという名の聖闘士はいない。
(いったい誰と見間違えたのだ?)
 中国で生まれ、その地で修業して聖闘士になり、聖戦に備えて青銅から黄金へと昇格し天秤座を継いで2年と少ししか経っていない童虎ともそれほど親交があるわけではないエルシドにとって、東洋人というだけで見慣れない存在だ。
 それに加えて、二人の黄金聖闘士が使う技を操る小宇宙。
 そしてエルシドを誰かと見間違えた言動。
 何もかもが謎めいていて、エルシドの興味を誘った。
「その者、いかがなさいますか?」
「磨羯宮に連れて帰る。尋問するのは、気がついてからでも遅くないだろう」
 少年を抱きかかえたまま、エルシドは12宮へと足を向けた。
 第1の白羊宮から順に階段を上がり、エルシドが預かる第10の磨羯宮を目指す。
「珍しいな、堅物のお前がそんな別嬪を連れてるなんてよ、エルシド。どこでナンパしてきたんだ?」
 第4の巨蟹宮で、美人には目がない蟹座のマニゴルドから、からかい半分で話しかけられた。が、それを軽くあしらって、エルシドは第7の天秤宮まで戻ってきた。
 ここには、少年が部下に向けて放ったのと同じ、廬山百龍覇の使い手である天秤座の童虎がいる。
 ここまでの道のりを歩きながら部下から聞いた報告によれば、この少年は童虎の弟子だと話したらしい。確かめるには、ちょうどいい機会だった。
「童虎、童虎はいるか?」
 中に入って呼びかけると、聖衣を脱いで普段着のままでいる童虎が寝殿から出てきた。
「エルシドか。お主がわしを呼ぶとは、珍しいな」
 エルシドの姿を認めて、童虎は笑いながら率直な感想を口にした。
「ん? お主が腕に抱いておるその子はどうしたのじゃ?」
 目の前までやってきた童虎は、エルシドが抱えている少年を見るや、そう問いかけてきた。
「知らないのか?」
「ああ、今初めて会ったぞ。中国から新しくやってきた聖闘士候補生か?」
 話が全くかみ合わず、問いかけの応酬になる。
「違う。この子は恐らく聖闘士だ」
「聖闘士? ……確かに、彼の内には龍のような小宇宙を感じるのぉ」
 聖闘士だと断言されて、童虎は注意深くエルシドが抱いている少年を観察した。
「お前の弟子ではないのか?」
「わしは弟子を取ったことはないぞ。弟分ならおるがな」
「この少年はお前の弟子だと言ったらしい。それだけではない。お前と同じ、廬山百龍覇の使い手でもある」
「何じゃと!?」
 エルシドの話を聞いて、童虎は顔色を変えた。
「百龍覇はわしが天秤座を継いだ時に、最後の奥義として老師から授かった技じゃ。そうやすやすと扱えるものではない」
「それだけではない。この少年、剣技で俺の剣圧を相殺した」
「何と……! ということは、この子はわしらと同じ黄金聖闘士レベルの小宇宙を持っておるというのか!?」
「ああ。しかも、黄金聖闘士二人の技を扱えるだけの能力がある」
「そして、わしの弟子じゃと言ったのか!?」
「ああ、そのようだ」
 エルシドが肯定するのを聞いて、童虎は絶句した。
「どういうことなのじゃ……?」
「わからん。だが、事実だ」
 エルシドにとってもそうだが、童虎にとってもこの少年は理解の範疇を越えている。
「お前ならば知っているだろうと思ったんだが。知らないと言うなら、本人に聞くしかないな」
「眠らせたのか?」
「ああ。俺を誰かと間違えて力が緩んだ隙に、腹に一発叩きこんだ」
「ずいぶんと手荒な真似をするのぉ、こんな子供に」
 呆れたように漏らす童虎に、エルシドは苦笑した。
「俺の剣を素手で受け止めるほどの聖闘士だからな。やむをえん」
「彼をどこへ連れて行くのじゃ?」
「この子を見つけたのは俺の部下だ。磨羯宮で預かるのが筋だろう」
「そうか。その子の話を聞く時は、わしも同席した方がいいんじゃろうな」
 黄金聖闘士としては最も日が浅いとはいえ、この童虎は聡い。エルシドが話すよりも前に、言わんとしていることを察していた。
「そうしてくれ。目が覚めたら知らせる」
「わかった」
 エルシドの言葉に、童虎は短く頷いた。


「……ラ、……っ」
 童虎と別れて、エルシドは自分が預かっている磨羯宮へと戻ってきた。
 いつも自分が使っている寝台に少年を寝かせ、様子を見る。
 少しすると、少年は嫌な夢でも見ているのか、うなされ始めた。
 額に浮かぶ汗を拭いてやろうと手を近付けると、思いがけずその手を掴まれた。
「………」
 うわごとのように呟いた言葉は、彼の母国語なのだろう、初めて耳にするエルシドには理解できないものだった。
 こうして目を閉じて眠る様子は、本当に幼く見える。とても、エルシドや部下たちを相手に立ち回ったとは思えないほどに。
「いったい、誰を呼んでいる?」
 汗に濡れた額に貼りつく前髪を払ってやる。すると、少年はパチッと目を開いた。
「っ!?」
 突然目覚めた少年にエルシドが驚いていると、彼は2度、3度と瞬きをして、エルシドをまじまじと見上げてきた。
「シュラ?」
 彼が呼んだのは、あの名前だった。
「シュラ……」
 確かめるようにエルシドに向って呼びかけて、花が綻ぶような微笑を浮かべた。
 その表情に、チクリと胸が痛む。
「やっぱり、あれは夢だったんだな」
 独り言のように呟いて、少年が取った行動に。
 エルシドは固まった。

(なっ……!?)

 微笑んだまま、少年はエルシドの腕に手をかけて、身体を擦り寄せてきた。そして身を乗り出して、エルシドの唇に自分のそれを重ねてきたのである。
 エルシドの唇の感触を確かめるように、自分の唇を重ね合わせて。それに満足すると、啄むように何度もキスをして、今度は少し深く強く唇を重ねてくる。
 キスを続けながら、少年がエルシドの背中に腕を回してくる。
 思わず抱き返そうとして、エルシドは我に返った。
(この少年は、俺を誰かと間違えている)
 抱き返すべきではない、と気づいてエルシドは彼の体をゆっくりと押し返した。
「シュラ、どうして……?」
 キスに応えることもなく、体を押し返された少年は信じられない、といった表情でエルシドを見上げてきた。拒まれて傷ついたような表情に、エルシドの胸が痛む。
 だが、間違いは正してやらなければ。
 エルシドは気持ちを抑えて告げた。
「俺を誰かと間違えているようだな」
「え……?」
「俺はシュラという名ではない。それに、初めて会った君にこういうことをされる覚えはない」
「……っ!」
 エルシドは絶句した少年を寝台から起こして、背中に回されていた腕を外し、寝台の縁に腰を下した。
「じゃあ、あれは……夢じゃ、ない……?」
「夢であったなら、お互いに楽だろうな」
「そんな……。ということは、俺は……」

 戻りたい。

 長い沈黙の後で消えそうなほど小さく呟いて、少年は目に涙を浮かべる。涙はすぐに溢れてぽろぽろとこぼれ落ちた。
 エルシドに向かってきた者と同じ人物とは思えないほど、少年は儚げに見えた。声を上げることもなく静かに涙をこぼす彼を、エルシドは思わず抱き寄せた。そうせずにはいられない雰囲気が、少年にはあった。
「……!?」
 先ほどは少年を拒んだエルシドに抱き寄せられて、少年は一瞬身を固くする。
「落ち着くまで、こうしていてやる。気が済むまで泣くといい」
「……っ、う――」
 宥めるように言うと、少年はエルシドにすがりついて泣いた。
 何を思って泣いているのか、エルシドには想像もつかない。だが、少しでも彼が落ち着くように、長い髪を梳きながら胸を貸した。
 少年の嗚咽が止まって、落ち着いた頃。エルシドは少年から体を離した。
「落ち着いたか?」
「はい……すみませんでした」
「別に構わん。それより、まだ名前を聞いていなかったな」
 先ほどエルシドには名乗らせておいて、この少年は自分の名を告げなかった。正確には、彼が名乗る前にエルシドが気を失わせてしまったのだが。
「お前、何座の聖闘士だ?」
「龍星座です。名前は、紫龍」
 少年は、紫龍ははっきりとした口調で告げた。
「ドラゴンか……龍星座は童虎が天秤座を受け継ぐ時に返上して以来、空席になっているはずだが」
「老師が? そうか、老師もあの聖衣をまとっておられたんですね」
「童虎の弟子なのか?」
「はい」
 尋ねられて、紫龍は頷く。
「当の童虎は、お前のことは知らぬと話していたが?」
 嘘をついていると疑うわけではないが、童虎の話と完全に食い違っている。エルシドがそれを指摘すると、紫龍は少し考えるような仕草をして、答えた。
「今の老師が俺を知らないと仰るのも、当然だと思います」
「今の童虎、だと? どういうことだ」
「俺と老師は、まだこの時代には会っていません。俺はこの時代には存在していませんから」
「この時代?」
 何故そのような言い方をするのか、とエルシドは問いかけた。
 紫龍は自分でも何故そうなったのかわからない、と前置きして続けた。
「信じてもらえないかもしれませんが、俺と老師が会うのは、今から237年後のことなんです」
「何!?」
 紫龍の口から出た話は、エルシドの理解の範疇を完全に超えていた。
「俺は243年後の、未来の聖域からここに来たんです」

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えー、先日から連載開始しましたエル龍第2話です。
今回はエルシドさん視点です。
いきなり間違えてチューしちゃってますが(笑)
LCに出てくる先代の黄金さんたちって、皆さん原作の黄金さんにそっくりなんですよね。なので、そういうコトもアリだろう、と。

マニ兄さんがちょっかい出してきちゃったのは、単に当方のシュミです(汗)
だってぇ、カッコよすぎるんですもの、マニ兄さん♪
それにあの方、相当目が肥えていらっしゃるようなので。
紫龍にも目をつけちゃうんじゃないかしら?と勝手に思ってしまったのでありました。


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