ゆがんだ時計3

ゆがんだ時計3


3.the present


 紫龍が消えた。
 アテナの化身である沙織と共に冥界へ、その先のエリシオンへと乗り込み、アテナの血を受けた聖衣を神聖衣にまで高め、冥王ハーデスを倒した聖闘士の一人である龍星座の紫龍が忽然と消えたのだ。こともあろうに、神話の時代からアテナの小宇宙で満ちている聖域の中で。
 警備の最中、様子を見に行くと言ったきり戻らない紫龍の行方を巡り、聖域は大騒ぎになった。
「うろたえるな!」
 慌てた様子で教皇の間へと次々に駆け込んでくる雑兵や聖闘士候補生、黄金聖闘士たちをシオンは一喝した。
「お前たちがそうやってうろたえたところで、龍星座が戻ってくるわけではなかろう。少しは落ち着かぬか」
 半ば呆れたように呟くシオンの目の前には、黄金聖闘士と青銅聖闘士が勢揃いしている上に、紫龍が連れて歩いていたという雑兵と聖闘士候補生たちもいた。
「それで? 不穏な小宇宙を感じて、それを確かめに行ったきり、紫龍は忽然と姿を消したというわけだな?」
「はい。聖域内はくまなく探しまわったのですが、どこにも見当たらず……」
 シオンに尋ねられ、恐縮しきった様子で聖闘士候補生の一人が口を開く。
「聖域内にいるのなら、紫龍の小宇宙が感じられるはずだ」
「星矢の言うとおりだよ。でも、僕たちの誰も、紫龍の小宇宙を感じられないなんて……」
「だが、紫龍にはムウのようにテレポーテーションできるわけじゃない」
 輪の中から一歩引いた場所で腕組みをする一輝を除いて、星矢や瞬、氷河が次々に口を開く。
「紫龍の小宇宙ならば、世界のどこにいようとも捉えられる」
 紫龍と半分血が繋がっている兄弟でもある青銅聖闘士たちに対抗意識を燃やすのか、シュラはそんなことを言い出した。
「それに先ほど、俺が彼に授けたエクスカリバーが発動するのを感じた」
 紫龍の右腕には、シュラが授けた必殺技、聖剣エクスカリバーが宿っている。紫龍がエクスカリバーを使えば、元の持ち主であるシュラはそれを感じ取ることができるのだ。
「紫龍がエクスカリバーを使ったということは、敵に遭遇したというのですか!?」
「恐らくそうだろうな」
 シュラの言葉に素早く反応したのは、紫龍とはそれなりに深い縁のある牡羊座のムウだった。
「ということは、シュラには紫龍の居場所がわかる、ということだな」
「どこにいるんだよ、シュラ!?」
 冷静に口を開いたシャカの言葉を受けて、シュラに掴みかかりそうな勢いで問いかけてきたのは、青銅聖闘士の中でも紫龍によく懐いている星矢だった。
「それがわかれば、すでに俺の手で連れ戻している」
「……」
 この場に集まった者で、消えた紫龍がシュラの恋人であることを知らない者はいない。そのシュラが苦しげに口にした言葉に、一同は沈黙した。
「発動したのはわかるが、どこにいるのか掴みどころがない。まるで……」
 シュラは一度言葉を切って、少し考える様子を見せた。
「まるで、何なんです?」
「こういう言い方はどうかと思うんだが」
 ムウに促されて、シュラは続けた。
「俺が冥界で眠りについている間に、紫龍がエクスカリバーを使った時の感覚に似ている」
「そんな!」
「じゃあ、紫龍は!!」
「うえろたえるな、小僧ども!」
 爆弾発言とも取れるシュラの言葉に、青銅聖闘士だけでなくムウまでもが悲痛な声をあげる。それをシオンの怒号が遮った。
「紫龍は見回りの途中で消えた、と言っていたな」
 シオンの恫喝で静まった中で重々しく口を開いたのは、それまで何か考えている様子だった双子座のサガだった。
「あ、はい……サガ様」
「かつて、脱走や私怨による殺人といった死罪に当たる罪人を収容した牢の近くだ、と」
「はい」
 聖闘士候補生が頷くのを見て、サガは確信したように続けた。
「最近、カノンがよくその辺りに行っているようだ」
「カノンが?」
「そういえば、カノンの姿が見えないが、どこへ……?」
 その名前が出て、一同はようやく気付いた。この場にカノンがいないことに。
「お前、何か聞いていないのか、サガ?」
「私が聞いたのは、野暮用で出かけてくる、ということだけだ。だが……」
 アイオロスに問われて、サガは一度言葉を切った。
「最近、頻繁にゴールデン・トライアングルを使っているようだな」
「ゴールデン・トライアングル?」
 サガの言葉に反応したのは、海王ポセイドンに与して海龍の海闘士となっていたカノンと対峙し、実際にその技を見たことのある青銅聖闘士たちだった。
「異次元に飛ばす、っていうアレか?」
「カノンのゴールデン・トライアングルは、次元軸を移動させる私のアナザー・ディメンションと違って時間軸を移動させる性質が強い。もし、カノンがゴールデン・トライアングルを使って別の時間軸へ飛んで間もなく、技の余波が漂っている時に紫龍がそこを通りかかったのだとしたら……」
 サガの推測の続きに、一同は注目していた。
「紫龍は、カノンの技の余波によるワームホールにはまって、過去か、あるいは未来の世界へ飛ばされた可能性がある」
「何だって!?」
 サガの言葉に、驚きを隠せない声がいくつも上がった。
「……サガの推測、ありえないことではない」
 同意したのは、教皇であるシオンだった。
「これは本来、教皇以外には知らされぬことなのだが……過去にも何例か、聖闘士が過去や未来の世界に飛ばされた、という事実がある。そういった事態に直面した聖闘士たちには緘口令が敷かれ、口外することは一切禁じられるため、表沙汰にはなっていないがな」
「そんな……では、紫龍は……」
「どこか違う時代に……っ!?」
 呆然とつぶやいたシュラに答えようとして、シオンは突然こめかみを押さえて俯いた。
「いかがなさいました、シオン様?」
「我が師、シオン!?」
 駆け寄ってきて口々に呼びかける声が、どこか遠くから聞こえているとシオンは感じていた。
 側頭部に、それも表面に近い部分ではなく、奥の方で激痛が走る。
 同時に、シオンの脳裏に突然、映像が浮かんだ。

 先代の、243年前の聖戦において教皇であったセージ。
 長い銀髪の彼と、その隣に並ぶ先代のアテナ、サーシャ。
 二人の前に跪く、長い黒髪の少年。
 あれは……

 シオンははっきりと思い出していた。
(これは、243年前の記憶だ!)
 記憶が呼び覚まされたシオンに、遠い昔に聞いたアテナの言葉が蘇ってきた。
(シオン、童虎。これから先、次の聖戦までの長い時を生きるあなたたちに封印を施します。歴史が変わってしまわないように……。その時が来たら、思い出すように……)
 ハーデス軍との壮絶な戦いにおいて、たった二人生き残ったシオンと童虎に施された、記憶の封印。
 シオンは教皇として、童虎はハーデス軍を封じた塔の見張り役として。気が遠くなるほどの長い時を生きる、重大な役割を担ったその時に。その時代での役割を終えて眠りにつく直前のサーシャによって施された封印が、今解けた。
「今が、その時だということか……」
 心の中だけで呟いたつもりのそれは、声になって漏れていた。
「師よ……」
「シオン様!?」
 シオンはムウとサガに身体を支えられていた。
「会っておる……。あの時の少年、あれは紫龍だ」
「シオン様っ!?」
 呆然と呟いて、シオンはその場に集った者の中に、最も親しい男の姿を探した。
「童虎はどこにおる!?」
「老師は、本日は五老峰に戻っておられます」
「呼び戻せ」
 問いかけに答えたサガに、シオンは呟いた。
「すぐにここに呼び戻すのだ。ムウよ!」
「は、はい!」
 突然師であるシオンに矛先を向けられて、ムウは姿勢を正した。
「今すぐ五老峰に飛び、童虎をここに連れ戻せ!」
「はい」
 聖域に張り巡らされたアテナの小宇宙は、12宮の宮を飛び越えて瞬間移動することを禁じている。だが、聖域の外へと出入りするには、何の制限も受けないようになっている。
 シオンに命じられた次の瞬間、ムウはその場から姿を消した。そして数秒も経たぬ間に、天秤座の童虎を伴って再び姿を現した。
「呼び戻された理由は、わかっているな、童虎?」
 童虎の顔を見るや、シオンはそう問いかけた。
 シオンに施された過去の記憶への封印が解けた今、童虎も同様に封印が解けて思い出しているはずだった。
「ああ。ついさっき、アテナ様の封印が解けて思い出した。紫龍が243年前に飛ばされたのじゃな?」
 シオンが考えた通り、童虎は確かめるようにシオンに問いかけてきた。
「243年前!?」
「ってことは、紫龍は……?」
「243年前の、聖戦が始まる前の聖域に飛ばされておる。わしもシオンも、その時に紫龍に会っておるのじゃ」
 童虎の言葉は、その場に集った者たちの想像を越えていた。
「そんなことが……」
 絶句する一同に、シオンは改めて話した。
「実際に何例か起きている、と先ほど話したであろう。私と童虎は聖戦が終わった後、歴史を変えないためにアテナ様より記憶の封印を施された。紫龍に関する記憶をな」
「そしていつか、紫龍があの時代に飛ばされた時、あの子を元の時代に戻す手立てを講じるために、時が来たら解けるようにして下さっていたのだ」
「それが、まさに今だということですね」
 悟ったように言うムウに、シオンと童虎は二人同時に頷いた。
「それで、いつ紫龍がこの時代に戻ってきたのか、覚えておられるんですか?」
 できれば一刻も早く紫龍を連れ戻したい、と逸るシュラがシオンと童虎に問いかけた。だが、二人は顔を見合せて沈黙した。
「シオン様、老師?」
「それが、覚えておらんのじゃ」
「何ですと!?」
 バツが悪そうに白状する童虎に、今にも掴みかかりそうになるシュラをデスマスクが押さえた。
「落ち着けよ、シュラ」
「紫龍を見送った記憶はあるんじゃが、はっきりとした日付までは覚えておらんのじゃ。何せ、243年も前のことじゃからのぉ」
「あなたはどうなのですか、我が師よ?」
 ムウに問いかけられて、シオンも覚えていない、と首を横に振った。
「私は童虎と違って、紫龍が戻る時にその場に居合わせていなかったのでな。後から元の時代に帰ったと知らされた」
「では、どうすれば……」
「シジフォスの手記、あの中にヒントがあるんじゃないか?」
 呆然と呟いたシュラに、希望を与えたのはアイオロスだった。
「シジフォス?」
 前の時代で共に闘った同胞の名を聞いて、童虎とシオンが同時にアイオロスに問いかけた。
「私が預かっている人馬宮には、前の聖戦の折にサジタリアスの聖闘士だったシジフォスが残した資料があります。つい先日、紫龍やシュラに手伝ってもらってそれを整理したんですが、その中に彼が書いた手記がありました」
 アイオロスは姿勢を正してシオンと童虎に告げた。
「そうじゃ。シジフォスは双子神の調査で世界中を回っておった」
「彼はそれを詳細に書きとめていたな。確か、日記もつけていたはずだが……」
「おお、つけておった。わしがふざける度に、日記に書き残すと脅されたものじゃ」
 アイオロスの言葉を聞いて、童虎とシオンは思い出したように言い合った。
「では、そのシジフォスの日記を探ればいいのでは?」
「シャカの言う通りじゃの」
「あ、おい、シュラ? どこ行くんだよ?」
 デスマスクに押さえられていたシュラが、彼を振り切って踵を返した。
「人馬宮だ。シジフォスの日記を調べる」
 居ても立ってもいられない、といった様子でシュラは教皇の間を出て行った。
「待てよ、俺も手伝おう。シオン様、老師、失礼します」
 それを追って、人馬宮の主であるアイオロスもその場を後にした。
「やれやれ、せっかちじゃのぉ」
「それだけ紫龍を心配しているのだろう。さて、そうとなれば私もセージ様が何か残していないか調べるとしよう。お前も手伝ってくれ、童虎」
「他でもない、可愛い弟子のためじゃ。付き合うぞ」
 言いながら書庫へ入ろうとするシオンと童虎を、星矢が呼びとめた。
「待ってくれよ、シオン。俺たちは何をすればいい?」
「アテナに事の次第を報告せよ。後のことは、私たちに任せるのだ」
「その必要はありません、シオン」
 シオンの命令を受けて星矢が駆け出そうとした時、教皇の間の奥から姿を見せたのは、アテナの化身である沙織だった。
「つい先ほど、243年前にいるサーシャと話しました。紫龍はあちらで丁重に預かると」
 神である沙織の言葉を疑う者は、その場にはいなかった。
「サーシャ様……」
 サーシャと面識のあるシオンと童虎は、懐かしむようにその名を呼んだ。
「あちらでも、紫龍をこちらへ返す手立てを考えてくれるようです。私たちも探しましょう、紫龍を戻す方法を」
「はっ!」
 一同はその場に膝を折って、沙織に頭を下げた。沙織と共に過ごした時間の長い、青銅聖闘士たちを除いて。
「沙織さん、俺たちはどうすれば……?」
「紫龍を心配する気持ちはみんな同じです。今は信じて待ちましょう、紫龍が無事に戻ってくるのを」
 沙織が穏やかに微笑するのを見て、星矢たちも納得したように頷いた。

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奇しくも、当サイトの開設記念日にアップすることになりました、第3話です。
思ったよりも長くなっているこのお話なんですが(苦笑)
実はHシーンよりも、こういう普通のお話の部分の方が書きやすくて、サクサク進んでしまったりします(爆)
この話をアップしている時点で、第8話を書いているんですが……
全話アップするのに、8月末までかかっちゃいそうな予感(苦笑)



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