パプリカ

パプリカ


 土曜の昼下がり。
 この男はいつも、紫龍のいる五老峰にやってくる。

 時差をものともせずに。

「畑の野菜、借りるぜ」
「ああ、あまり荒らすなよ」
「わぁーってるよ、ちったぁ信用しろ」
 勝手知ったる様子で、銀髪の男は庵を出て、すぐに戻ってきた。
 手には人参や玉ねぎ、じゃがいもなどなど、紫龍が毎日丹精込めて育てている野菜を手にして。
 そして、自分が市場で仕入れて持ってきた野菜や肉も合わせて、手慣れた様子で刻んでいく。
 その様子を見ていた紫龍は、見慣れない野菜を見つけて思わず問いかけていた。

「デスマスク」
「何だ?」
「その黄色いピーマンの親玉のような物は何だ?」
「あぁ!? 知らねぇのか、パプリカっつーんだよ、これは」
「パプリカ?」
 聞き慣れない名前に、紫龍は首を傾げた。
「ま、お前の言うとおり、ピーマンの親玉みたいなもんだな、コイツは」
「そうなのか」
「でもピーマンより肉厚だし、それほどクセもねぇ。それに彩りがいいからな。重宝するんだぜ、意外と」
「なるほど」
 男の言うことに、紫龍は素直に頷いた。

「ところで、デスマスク」
「あぁ? まだ何かあんのか」
「今日は何を作るんだ」
 毎週の土曜の昼下がりに五老峰にやってきて、紫龍のために手料理を振舞う。
 男の料理の腕はかなりのもので、何を作らせても美味い。
 ここにいる間は全ての食事を男が作り、紫龍に食べさせて。
 一夜を過ごして日曜の夜に聖域へ帰っていく。
 それが、ここ数カ月の週末ごとに続いている。
 問われた男は、ニヤリと口の端を歪めた。
「カレーだよ、カレー」
「カレー?」
「スパイスたっぷりで、とびっきり辛くしてやるぜ」
 辛さの限界に挑戦するんだ、と男は続けた。
 その一言を聞いた紫龍は、目を丸くした。

 辛さの限界に挑戦。

 紫龍は五老峰に来て以来、辛さを効かせた料理を口にする機会が増えた。
 最初は戸惑ったものだが、毎日口にしていれば舌もそれに慣れてきて、今はどれほど辛くても平気になってしまっている。
 だが……

「デスマスク、お前は甘党だろう?」

 紫龍は思わず問いかけた。
「俺は平気だが……お前は、自分で作ったものの泣く羽目になるんじゃないか?」
「……いーから、邪魔すんじゃねぇ。出来上がるのを待ってろ」
 竈のある土間を占領するデスマスクに、紫龍は庵から追い出されてしまった。
 あの男は言い出したら聞かない。
 紫龍は仕方なく、デスマスクが呼びに来るまで大滝の前に座して待つことにした。
 二百数十年の長きに渡って、師が座り続けていた場所に座す。
 ふと庵の方に視線を移すと、デスマスクが竃に火を入れたのだろう。
 煙が立ち上るのが見えた。

 何がきっかけでこうなったのか、思い当たる節は全くない。
 だが今は、誰よりも嫌い合っていたはずの男と、こうして毎週過ごすことが心地よい。
 週に一度のことなのだが、それが積み重なって。
 同じ物を食べるごとに、以前はわからなかった男の本質に近づいていく。
 思いを馳せると、穏やかで温かいものが胸の内に広がっていく。

 幸せ、とはこういうことを言うんだろうか……?

 紫龍はふと思う。
 そのまま思考の淵に沈もうとした紫龍を男が引き戻そうとするように。
 水と土の匂いを飛び越えるように、スパイスの効いた香りが漂ってきた。
(本当に辛さの限界に挑戦するつもりか?)
 自分は食べられないクセに。
 スプーンですくったカレーを口に入れて、あまりの辛さに目に涙を浮かべる。
 そんな男の顔を思い浮かべて、紫龍はつい微笑した。


Fin



ずーっと長いこと、拍手お礼画面に展示していた蟹龍です。
タイトル&インスピレーションは、坂本真綾さんの「パプリカ」から。
ほんのり甘い……と書いたつもりが、超甘いですよ!と皆さんに言われました(笑)

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