ク・ドゥ・クール1

ク・ドゥ・クール1


1.Allegro energico e passionato-Piu allegro

「ここか」
 指定されたホテルを、紫龍は見上げた。
 アテネ市内でも、高級ホテルとして有名な所だった。
 一番安い部屋でも、一晩350ユーロを下らない高級ホテル。自分で泊まろうと思っても、紫龍には手が出せない場所だ。そもそも、男に体を売って生活する男娼の自分には、仕事でなければこんな場所には縁がない。
 一歩中に入るといかにも格調高いといった落ち着いた濃い茶の木がふんだんに使われ、あちこちに絵画や花が飾られたホテルだった。
 フロントの横にあるエレベーターを客室に向かうためのものだ、と見当をつけて紫龍は乗り込んだ。仕事柄、こういう場所に来るのは慣れている。
 相手に指定された部屋のある階の番号を押す。静かに動き出すエレベーターの中で、紫龍は先ほど電話をかけてきた男の声を思い出していた。
 シュラ、と名乗った低く、適度に張りのある声。なかなかの美声だった。おそらく、それほど年は取っていない。せいぜい20代後半か、30代半ばくらいだろう。
 その年齢で、こんな高級ホテルに宿泊する男。
(今日は上客を捕まえたな)
 運がいい、と紫龍は微笑した。
(だが……)
 目的の階について、指定された部屋へと歩く。足音がしないように、と配慮されて絨毯が敷かれている廊下を歩きながら、紫龍は思った。
 こういう上客に限って、数人で寄ってたかって嬲りものにしたり、変な道具を使ったり……という妙なプレイをしがたるものだ。加えて、小さいことにケチをつけて金を払うのを渋る者もいる。
(用心するに越したことはないな)
 紫龍は客に指示された部屋のベルを鳴らした。
 数秒たって、中から声がする。
「誰だ?」
「紫龍です」
 答えて、中から確認できるようにドアの正面に立つ。自分の特徴は、電話がかかってきた時に相手にも伝えてある。アテネ市内では珍しい、黒い長髪の東洋人だと。
「入れ」
 ドアが開いて、紫龍は中に入った。

 鋼のような男だ、と思った。

 短い髪も、鋭い眼光を放つ目も、紫龍と同じ黒。だが彫りの深い顔は、欧州の人種なのだとわかる。
 何よりも全身から放たれている気が、ただ立っているだけなのに紫龍を圧倒するほどの迫力がある。
 その男――シュラが、バスローブ姿で紫龍を中へと促した。
 男が泊まっている部屋はスイートルームだった。ドアを入ってすぐにベッドがある一般的な部屋ではなく、まずソファセットと大きな薄型テレビとグランドピアノが置かれたリビングルームが紫龍の目に飛び込んでくる。
 そっと部屋の中を伺って、二つある扉のうち手前にあるのがバスルームへのドアで、奥にあるのがベッドルームだろう、と紫龍は踏んだ。
「シャワーを浴びるか?」
「いいえ」
 問いかけに短く答えると、シュラはフッと口元に微笑を浮かべた。
「前の客の所で浴びてきたのか?」
「ええ」
 単刀直入な問いかけを、紫龍は簡単に肯定してやる。
 この男なら何を言っても動じないだろう、と。会ったばかりなのに不思議とそう思った。
「なるほど、引く手あまたというわけか。俺は今夜何人目の客だ?」
「……3人目ですよ」
 男娼だと知っていて自分を買おうという相手に、下手に取り繕ったところで意味はない。紫龍は正直に答えた。
「ほぅ?」
 シュラは形の良い眉を右側だけ少し釣り上げた。ただ精悍なだけではない、どこか危険な匂いのする顔だった。
「何か飲むか?」
「いいえ」
「食べ物はどうだ? ルームサービスでも取ってやろうか?」
「いりません」
 シュラは足を投げ出すようにしてソファに腰を下した。隣に座るように仕草で促され、紫龍は黙ってそれに従った。
「遠慮しているつもりか?」
「別に。俺はここに物を飲み食いしに来たわけじゃないですから」
「そりゃそうだな」
 笑いを含んだ声で言い返しながら、シュラは肌触りのいいバスローブに包まれた腕を紫龍に伸ばしてきた。紫龍はそれを遮った。
「先に金を……」
「ああ、そうだったな」
 報酬は前払い制だ、と紫龍は最初の交渉で伝えてある。男娼を始めたばかりの頃は後払いにしていたが、金回りの良さそうな客に限って忘れたふりをして踏み倒そうとする。経験上、紫龍は前払いで確実に報酬を受け取ることにしているのだ。もちろん、支払った金額の分は相手を満足させるだけの自信があるからこそできることなのだが。
 シュラは紫龍が伝えておいた金額を差し出してきた。受け取って、念のため札の枚数を数えて、紫龍はジャケットのポケットに押し込んだ。
 そのまま立ち上がって、ジャケットを脱ぐ。素肌の上に直接着ているシャツも脱いで、裸の上半身をシュラの前に晒す。
 自分を見るシュラの視線が、値踏みするようなものに変わるのを紫龍は肌で感じていた。
 続けろ、と無言でシュラに促されるままにジーンズに手をかける。紫龍はファスナーを下して、靴を脱いで、ジーンズと下着を脱いで見せた。
 シュラは黙ったままで紫龍を見つめている。
 ひと呼吸して、紫龍は自分からシュラに触れようと手を伸ばした。その瞬間、シュラに手を掴まれて、強い力でぐいと引かれた。
 そのままソファに倒れこむようになる紫龍をシュラは難なく抱きとめて、紫龍を押し倒した。と思ったら、噛みつくようなキスが紫龍に襲いかかってきた。
「っ!?」
 強引にねじ込まれてくるシュラの舌を受け止めて、紫龍は積極的に自分の舌をそれに絡めていく。その時にはもう、シュラの指が紫龍の胸を這っている。
「ん……あっ」
 指が胸の突起に触れた、と思った次の瞬間には強くひねりあげられて、紫龍は思わず声を上げた。ぞくり、と快感と痛みが同時に襲ってくる。
 シュラの愛撫は性急で、容赦がなかった。
 頬に、首筋に、胸に。
 あちこちにシュラが噛みついてくる。
(激しいのがお好み、というわけか)
 瞬く間に下腹へシュラの手が伸びてきて、強く性器を握られる。
「つ……ああっ!」
 最も敏感な場所を強く握られて痛みが残る性器を、シュラの舌が舐め上げる。ここに来るまでに二人の男に抱かれて、勃起はしたもののまだ一度も達していない体は素直に、すぐに反応した。
「あ……っ、あ――んぁっ」
 口腔深く飲みこまれて、吸い上げられて、紫龍の口から抑えきれない声が上がる。
「あっ!」
 先端に舌を這わされて、思わず体が跳ねた。反動で顔に長い髪がひと房流れてくる。
「いい声だ」
 顔にかかった髪をかき上げて、シュラが唇に口付けてきた。さっきの噛みつくようなキスではなく、今度はじっくりと紫龍を味わうようなキスだった。
 長いキスから解放されて唇が離れる瞬間、紫龍はシュラと目が合った。自分を見つめてくる鋭い眼光を受け止めると、紫龍は微笑を浮かべてシュラの体を押し返した。
 思いがけず強い力で押されたシュラの力が緩む。
 紫龍はさらにシュラの体を押して、今まで自分が押し倒されていた二人掛けのソファの横にある、クッションが置かれた一人掛けのアームチェアにシュラを座らせた。
「今度は俺の番だ」
 シュラが着ているバスローブの帯を解いて、足を開いて腰かけるシュラの股の間に自分の膝を割り込ませる。
 さっきのお返しだ、と言わんばかりに紫龍はシュラの唇に噛みついた。軽く歯を立てて、深く口付けて舌を絡ませていく。キスを施しながら、帯を解いたバスローブをシュラの肩から落として素肌に手を這わせる。
 シュラの股の間に割り込ませた膝を下して、彼の足下に跪きながら噛みつく場所も下へ下していく。
「……ぁ――……っ」
 満足げな吐息がシュラの口から洩れる。
 紫龍の仕事は、相手を満足させることだ。仕事が上手くいっていることを確信して、紫龍は口元に微笑を浮かべた。
 そして目の前で熱をもって屹立するシュラの性器を口に含んだ。
「ああ……」
 ため息と一緒に声を吐き出して、シュラが椅子にもたれかかる。
「っ!」
 反動で、ぐいと紫龍の口の奥まで性器が押し込まれる。
 喉の粘膜を刺激されて、反射で吐きそうになるのをぐっと堪えて、紫龍はそれを更に深く咥えこんで吸い上げた。
 早くその気にさせて、挿入れさせて。
 相手が自分の中で果てたら、それで紫龍の仕事は終わる。
 どうせ同じ値段を取るのならば、必要以上に時間をかけるのは無駄だ。
 相手にそれと気づかせないようにしながら、てっとり早く煽る。そんな技術も、3年間売春を続ける中で身につけてきた。
「っは……いいぜ、お前……」
 シュラの吐息が熱を増して、欲情に濡れてくる。
(そろそろだな)
 頃合いを見計らって、紫龍は根元の実を揉みしだきながら一層強く幹を吸い上げた。
「く――……っ!」
 息をつめたシュラに、強く肩を掴まれた。
 痛みで顔が歪んだ次の瞬間には、さっき押し倒されたソファにもう一度仰向けにさせらえていた。荒い手つきでぐっと下肢を折り曲げられて、シュラの目の前に蕾を晒される。
 羞恥心など、とっくに捨てている。
 そこにぐいと指を差しいれられても、紫龍は平気だった。
 シュラは紫龍の奥を探る左の指を1本、2本と増やしながら、空いた右手で傍のテーブルに置かれているコンドームの袋を取り上げた。袋の端を歯で咥え、指で袋を破って中身を取り出して、紫龍に煽られて屹立した己自身にかぶせていく。
(相当慣れてるな、この人)
 いつの間にか3本にまで増やされた指に翻弄されそうになりながら、薄眼を開けて紫龍はそれを見ていた。
 行きずりの相手とのセックスを数え切れないほど経験しているのは、この男も同様なのだろう。蕾に先端が押し当てられるのを感じながらとぼんやりと思った時、衝撃が襲いかかってきた。
「あっ!!」
 シュラが一気に紫龍の奥まで自身を捩じ込んだのだ。
「あっ――あ、あっ!」
 規則正しく、激しく腰を使って抜き差しされる律動の度に、声がこぼれ落ちていく。
 痛みはない。
 だが、ここに来るまでに2人の男に抱かれてきた紫龍にとって、これほど激しく突き上げられるのは少々辛い。
「っ――くっ……!」
 疲れもある紫龍は、わざと痛がっている振りをした。
 その時だった。
「あっ!?」
 容赦ない突き上げを緩めないまま、シュラの指が紫龍の性器に伸びてきた。後ろを激しく抉る男とは全く別人のように、優しく絡みついてそっと揉みしだかれる。
「あ……あ、やめっ!」
 先端を擦られる刺激に、思わず中に入っているシュラを締め上げる。
「うっ――ん……」
「あ、ああっ!」
 紫龍の反応に感じたのか、シュラの動きが一層激しくなる。
「あっ!」
 敏感な場所を抉られて、達しそうになるのを紫龍は耐えた。代わりに、シュラが奥まで突き入れてきた瞬間にギュ、と締めた。
「……くっ――あ、ああ……」
「――……あっ!」
 紫龍の中でシュラが果てたのを感じて、紫龍もシュラの手の中に樹液を吐き出した。


 上がっていた息が落ち着くまで、紫龍は動かなかった。
 紫龍の中で達したシュラも満足したのか、ソファの反対側に寄りかかるように身を投げだしている。
「……」
 仕事が終わった以上、長居は無用だ。
 今夜はこれ以上客と寝るつもりないから、シャワーは家に帰ってからゆっくり浴びればいい。
 紫龍は立ち上がって、脱ぎ捨てた服を身につけた。
 最後にジャケットを拾い上げようとして、落ちてくる髪をかき上げる。
(さっき……)
 額に手が触れた時に、思い出された。
 自分の中から出て行く時、何故かシュラは紫龍の顔に貼り付いた長い髪をかき上げながら額に唇を落としたのだ。
 その感触が残っている。
 ジャケットを身に付けて部屋を出ようとして、紫龍はソファに座り込むシュラを振り返った。
 身動きもとれないほど、息もつかせないほどに自分を圧倒した男が、軽く脱力した様子で動かない。そんな姿に、何故か心が動かされた。
「……」
 紫龍はシュラに近づいて、キスをした。
 2度ついばむようなキスをして、深く唇を重ね合わせて舌を差し入れる。
 情欲をあおるキスではなく、穏やかなキス。
 軽く唇を離した時、シュラと目が合った。部屋に迎え入れた時に紫龍を見据えてきた鋭く射抜くような眼光が弱まって、柔らかい闇の色になっている。
 吸い寄せられるようにもう一度軽く唇を触れ合わせて、紫龍はシュラから離れた。

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