ゆがんだ時計4

ゆがんだ時計4


4.Side:Dragon


 紫龍は教皇の間でアテナに拝謁していた。
 アテナの化身、サーシャの前に跪く。
 隣にいる、重々しい小宇宙を持った長い銀髪の法衣姿の男が、シオンの前に教皇だったセージだろう、と紫龍は聖域に残っている古い記録を思い出していた。
「顔を上げて下さい」
 沙織よりも柔らかい声と口調で、アテナが告げる。紫龍は逆らわずに顔を上げ、サーシャの顔を見た。
 同じアテナの化身ということもあって、沙織によく似ている。が、沙織よりも柔らかい雰囲気を持っている彼女から感じる大いなる小宇宙は、沙織と全く同じものだ。
 やはりアテナなのだ、と紫龍は妙に感心していた。
「この度は災難でしたね。未来から来た聖闘士だとか」
「はい。龍星座の紫龍と申します」
 労わるような口調と声に自然と促されて、紫龍は答えながら再び頭を垂れた。
「龍星座……なるほど、童虎の弟子だと話していたが、守護星座も同じだということか」
「そのようですね」
 セージの言葉に、サーシャは柔らかく微笑した。

 エルシドの一撃を食らって気を失った後、紫龍は磨羯宮で保護されていた。
 目が覚めたらそこは見慣れた磨羯宮で、当然のようにシュラがいて、思わずすがりついて唇を求めた。
 が、いつもならすぐにキスに応えてくるはずのシュラが、全く応えてこないどころか身体を押し返して拒絶した。
(俺を誰かと間違えているようだな。俺はシュラという名ではない。それに、初めて会った君にこういうことをされる覚えはない)
 エルシドの一言で、改めて過去の聖域にやってきたのだと思い知らされて。目の前にいるのがシュラではなく、エルシドだと知って。紫龍は思わず涙した。
 シュラに会えない。
 その事実を突き付けられて、絶望が紫龍を襲った。
 エルシドに慰められて何とか落ち着いた頃、エルシドの部下が呼びに行ったのだという天秤座の童虎が磨羯宮を訪ねてきた。
 243年前の……だが、今と少しも変わらない――冥界が滅んだ後は18歳の肉体を与えられて蘇ったのだから、当然と言えば当然なのだが――童虎の姿に、紫龍は懐かしさを覚えた。
「老師……」
 呼びかけても、童虎が戸惑ったような表情を浮かべるのが不思議なほどに。
「初めて会ったというのに、師と呼ばれるのは妙なものじゃな」
「老師……」
 あれほど自分を慈しんでくれた師が、自分を知らないと言う。寂しさが心を埋め尽くした。
「じゃが、お主を知っておるような気もする。初めて会ったような気がせぬ。お主、本当にわしの弟子なのか?」
 問われて、紫龍は頷いた。
「今は、まだお会いしていませんが。俺はいずれ、あなたの弟子になる者です」
「いずれ、弟子になる者じゃと?」
「はい。信じていただけないかもしれませんが、237年後に」
「237年後!?」
 さすがの童虎も、思ってもみなかったのだろう。紫龍の言葉をオウム返しに繰り返して、絶句した。
「237年後……ということは、わしは……」
 紫龍を見つめて、童虎は呆然と呟いた。
「わしは、この聖戦を生き延びるというのか。セージ様のように」
 その一言で、紫龍は気づいた。本来ならば、童虎が知らずに過ごすはずだった未来を告げてしまった、ということに。
「申し訳ありません、老師」
 罪悪感に苛まれて、童虎に向って深々と頭を下げる紫龍に、エルシドは静かに告げた。
「これから起こるハーデスとの聖戦において、我らが全滅するわけではない、ということがわかっただけでも希望が持てる」
「……エルシドの言う通りじゃの。それで、紫龍よ」
「はい、老師」
 いつもと同じように呼ばれ、紫龍は思わずいつもと同じように返事をした。
「お主、どうやって過去へやってきたのじゃ?」
「それが……よくわからないのです」
「わからない、だと?」
 童虎への返事にエルシドからも問いかけられ、紫龍は黙って首を縦に振った。
「俺は聖域の見回りをしていて、不穏な小宇宙を感じて確かめに行ったんです。足下が少し揺れたような、変な感じがしたと思ったら、いつの間にかここに来ていました」
 紫龍は起きたことをそのまま話した。
「俺の部下たちは、お前が突然あの場に現れた、と話していた」
「お主が感じたという足下の揺らぎ、それが時間を越えた瞬間だったのかもしれん」
 エルシドと童虎が口々に言う。
「つまり、俺は時空の歪みを越えてしまった、と。そう仰るのですか、老師?」
「そういうことじゃの」
「でも、どうしてあんな所にそんな……」
 紫龍が考えようとした時、磨羯宮に教皇からの使いが訪れた。
「エルシド様、童虎様、至急教皇の間へお越し下さい。アテナ様と教皇様がお呼びです。それから、そちらにいらっしゃる聖闘士様も……」
「俺も?」
「はい。お連れするように、との仰せでした」
 思わず尋ねた紫龍に、使者は頷いた。
「どうやら、アテナ様はすべてお見通しのようじゃの」
「セージ様も、な」
 教皇の招集に応えるべく、童虎とエルシドが立ち上がる。紫龍も師に倣って立ち上がった。

 かくして、紫龍は教皇の間でこの時代の教皇であるセージと、アテナの化身であるサーシャに拝謁した。
 教皇の間には、今聖域にいる黄金聖闘士が全員招集されていた。その中に、紫龍は童虎ともう一人、よく知った顔を見た。
 牡羊座のシオン。
 童虎と共に、この時代の聖戦を生き残り、教皇として聖域を支えることになる男である。
 だが、彼を見知っていると口にすることはできない。紫龍はそう思って、敢えてシオンから視線を外した。
 他に召集されているのは、牡牛座、蟹座、射手座、魚座の聖闘士たちだった。紫龍が知っている今の聖闘士たちによく似ている。が彼らはそれぞれ、アルデバランを名乗るハスガード、マニゴルド、シジフォス、アルバフィカだと紫龍は文献で読んだ名前を思い出しながら、そっと視界の隅で彼らの姿を捉えた。
「昨夜、星見をしていた時に、空席であるはずの龍星座が妙に騒いでおった。その時はただ不思議に思ったのだが……星は、このことを知らせていたのだろうな」
「先ほど、彼は時空の歪みを越えてしまったのではないか、と話していました」
 セージに応えたのは、エルシドだった。
「そのことについて、アテナ様が243年後のアテナと話をされた」
 セージの言葉を聞いて、紫龍は弾かれたようにサーシャを見た。
「沙織さん……」
「あちらでも、突然姿を消したあなたを心配していました。教皇をはじめとする黄金聖闘士たちが、あなたを元の時代に戻すための手立てを探している、とも」
「シ……教皇が……」
 思わずシオンの名を呼びそうになって、紫龍は慌てて言い直した。
「あなたは責任を持って、私たちが丁重にお迎えする、とあちらに伝えました」
「ありがとうございます」
 紫龍はサーシャに頭を下げた。
「未来から来た聖闘士、ねぇ。ってことはよぉ、師匠。コイツはこれからの聖戦で俺たちがどうなるか、全部知ってるってことですよねぇ?」
 教皇の法衣を着た、全身から威厳が溢れているセージに向って飄々とした口を利いたのは、蟹座の黄金聖衣をまとったマニゴルドだった。
「そういうことだな。彼は次の時代の聖戦を戦う聖闘士だからな」
「そんなヤツを野放しにしていいんですかねぇ、師匠?」
 言いながら、マニゴルドは値踏みするような視線で紫龍を見た。
「お前の言うとおり、この少年は我々の行く末を全て知っている。うかつに話して未来を変えてしまうようなことになれば、彼自身が消滅することになる」
「……」
 セージの言葉は、紫龍に重くのしかかってきた。先ほど、紫龍はすでに童虎の行く末を本人に告げてしまっている。
「そんなことになれば、我らは未来のアテナ様に申し訳が立たぬ」
 セージは続けた。
「そうならぬように、我らは最大限の努力をせねばならん。もちろん紫龍よ、お前も我らに、これからの我らに起こることを話してはならん。誰に何を問われようともな」
 セージはその場にいる全員に、紫龍に自分の行く末について尋ねてはならない、と釘を刺した。そして紫龍にも、その場にいる聖闘士たちの未来を話すなと命じた。
「だが、お前がこの時代に送られてきたのも、アテナの思し召しなのだろう。お前がここにいるということは、これから起こる聖戦で生き延びて聖域を守っていく者がいる、ということに他ならんのだからな」
「セージの言うとおり、あなたは私たちの希望です、紫龍。これから聖戦が起きたとしても、私たちの思いは未来へと受け継がれていくと、あなたが教えてくれているのですから。あなたがどれほどの時をこちらで過ごすことになるか、私にはわかりません。ですが、あなたが元にいた時代に戻るまでは、この聖域で心安らかに過ごして下さい。私たちも、あなたが元の時代に帰れるように、手立てを探しましょう」
 セージとサーシャの言葉に、紫龍は深々と頭を下げた。
「お心遣い、心より感謝致します、アテナ」
「そうと決まれば、後は紫龍が寝泊まりする場所を決めないといけませんね」
 ニッコリと微笑して、サーシャが告げる。
「神殿に来てもらうわけにはいきませんし、この教皇の間では息が詰まるでしょうし」
 そう続けたサーシャに同意したのは、蟹座のマニゴルドだった。
「そりゃごもっともですね。お師匠と一緒じゃ、心安らかどころか緊張しっぱなしになっちまいますよ」
「……何が言いたいのだ、マニゴルドよ?」
「っと、怖い、怖い」
 セージにギロッと睨まれて、マニゴルドは肩をすくめた。
「私の所は御免だ。他人を泊めるつもりはない」
 最初に断固拒否を訴えたのは、魚座のアルバフィカだった。
「うむ、お前の所に預けるわけにはいかんの」
 アルバフィカの訴えを承諾するセージの言葉を聞きながら、紫龍は思い出していた。魚座の聖闘士は猛毒の薔薇を扱うために、耐毒体質を身に着けている。アルバフィカはその完成形であり、全身の血液が猛毒に染まっていると。それ故に他人を寄せ付けず、常に一人で過ごしていたということを。
「ならば、私が預かりましょう」
 申し出たのは、エルシドだった。
「もともと、彼を発見したのは私の部下たちです。それに私の宮であれば教皇の間にも近く、12宮を出るためには9つの宮を下りなければならない。そう簡単に外に出ることはできません」
「ま、監視するには持ってこい、ってトコだな」
「そういういい方はよせ、マニゴルド」
 エルシドをからかうような口調のマニゴルドを注意したのは、射手座のシジフォスだった。
「磨羯宮ならば、隣の人馬宮には私もおります。何かあった時には、エルシドの力になれるでしょう」
「それは心強いですね。では、磨羯宮に……」
「お待ちください」
 話が落ち着く様子を見せたところに割って入ったのは、童虎だった。
「この紫龍、私と浅からぬ縁があると聞きました。ならば、私がお預かりするということも……」
(老師……)
 心の中で童虎に呼びかけた時、童虎の言葉を制したのはセージだった。
「それはならぬ」
「セージ様!」
「お前との縁が深いからこそ、お前に預けるわけにはいかぬ。先ほども申したであろう、この者の口から未来について語らせるわけにはいかぬ、と」
「それは……」
 セージに指摘されて、童虎は言葉に窮した。
 日頃の、落ち着き払った思慮深い童虎の姿とはまるで違う様子に、紫龍は思わず目を丸くした。
(老師にも、このような頃があったのか……)
「先ほど教皇が仰られたな。この紫龍とやら、お前の弟子だと話していた、と」
 セージをフォローするように童虎に話しかけたのは、牡牛座のアルデバランだった。
「未来から来た彼がお前の弟子だということは、つまりお前は、これから始まる聖戦を生き延びるということになる。好奇心の強いお前に尋ねられるままに、彼が不要なことをお前に話してしまったらどうする? お前は自分の手で、これから自分の弟子になるであろう男を消し去ってしまうつもりか?」
「それは……」
 アルデバランに諭されて、童虎は沈黙した。
「アルデバランの言うとおりだな。師に尋ねられて答えぬ弟子はいない。弟子を思うのならば、ここはエルシドに任せることだ」
 シオンにまでそう言われて、童虎は納得せざるをえなかった。

 教皇の間を辞して磨羯宮に向かう階段を下りながら、紫龍はシオンと並んで歩く童虎を捕まえて頭を下げた。
「老師……申し訳ありません。俺が不用意なことを言ってしまったばかりに」
「紫龍」
 童虎は足を止めて、自分より少し背の高い紫龍を軽く見上げた。そして温かい春の日差しを思わせるような笑顔を浮かべた。
「気にするでない。お主はただ、いつもどおりにわしを呼んだだけであろう?」
「それは……」
「未来の弟子にこうして会うなど、そう経験できることではない。これから始まる聖戦でわしが生き残るのならば、それもアテナの思し召しであろう」
「老師……」
 紫龍にそう語って聞かせる童虎は、243年後と何ら変わらぬように見えた。
「こうして会ったのも何かの縁じゃ。こちらにおる間は、わしが稽古をつけてやってもよいぞ、紫龍」
「おい、童虎」
「なんじゃ、シオン。それくらいは許してくれてもよかろう」
 止めようとするシオンに、童虎が少し不貞腐れたような表情を見せる。
(いつもの老師とシオン様とは、役割が逆だな)
 そんな様子を見ながら、紫龍はつい心の中で苦笑した。
「お前が紫龍と接触する時は、必ず誰かが立ち会えとセージ様からのお達しだ。紫龍に稽古をつけてやるつもりならば、俺も付き合おう」
「エルシド。……つまり、お目付け役ということか。そんなにわしは信用されておらんのか?」
「好奇心が強いからな、お前は」
 エルシドとシオンから釘を刺されて、童虎はしぶしぶ、といった様子で頷いた。
「仕方がないの。紫龍よ、それでもよいかの?」
「私は全然構いません。老師が稽古をつけて下さるだけで、十分です」
 いつもの童虎と同じ顔で、けれどいつもよりもずっと幼い仕草を見せる童虎に、紫龍は微笑しながら頷いた。
「ならば、決まりじゃの」
 童虎は満面の笑みを浮かべた。
「わしの将来の弟子を頼むぞ、エルシド」
「ああ、任せておけ」
 何かあったら承知しない、と言わんばかりの口調に苦笑しながら、エルシドは頷いた。
「不束者ですが、よろしくお願いします、エルシド」
 紫龍も、改めてエルシドに頭を下げる。
「……」
 だが、エルシドは軽く絶句して紫龍を見下ろしてきた。
「エルシド?」
「紫龍よ……」
 何か変なことを言っただろうか。
 そう思い返した紫龍に、そのやり取りを見ていたシオンが呆れたように呼びかけてきた。
「お前は嫁入り前の小娘か?」
「あ……」
 指摘されて、紫龍はようやく気付いた。
 そして、思い出していた。
 シュラに、磨羯宮で暮らさないかと誘われて、承諾した時のことを。
 あの時も、自分は「不束者ですが…」と挨拶をして。そして、シュラは軽く絶句した後で、嬉しさを隠せない様子で笑った。
(まるで、お前を嫁にもらったような気分だな)
 と。
 シュラのことを思い出して、同時に寂しさがこみ上げてきた。
(俺は、いつになったらあなたの所へ帰れるんだろう?)
「……龍? 紫龍」
 エルシドに呼びかけられて、紫龍は我に返った。
「あ、はい」
「戻るぞ」
「はい」
 すでに歩き出した童虎とシオンを追うように、エルシドが磨羯宮へと階段を下りて行く。
 紫龍は足早にその後を追った。

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2008年7月から5日ごとの更新でお贈りしているエル龍。
第4話でございました(^.^)
4話まで費やしていながら、まだ話の半分も過ぎておりません……orz
な、長くなって申し訳ないです(汗)

しかし。
前聖戦時のお話を書く、となりますと。
ついついアルバフィカさんとか、先代アルデバランさんとか、マニ兄さんとか。
好きなキャラの露出が多くなってしまっていけません(苦笑)



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