ゆがんだ時計5
5.Side:Capricorn
「不束者ですが、よろしくお願いします」
まるで嫁入りする娘のような挨拶をして、紫龍は磨羯宮へとやってきた。
エルシドには青銅聖闘士の部下が3人いるが、一緒に住んでいるわけではない。彼らは青銅聖闘士の宿舎に住んでいて、任務の時だけエルシドの配下につく。
つまり、エルシドは一人暮らしなわけで……そこへ紫龍を居候させることになった。
「つい先日まで任務に出ていて片付いていないんだが、適当に避けて居場所を作ってくれていいぞ」
「はい……」
部屋の様子を見た紫龍は、軽く絶句したようだったが、すぐに立ち直った。
そして勝手知ったる様子で、磨羯宮の寝殿を手際よく片付けていった。日が暮れる頃には、寝殿の中はまともな生活ができる上に紫龍が寝るスペースが確保できる程度に片付いた。
「不束者と言ったが、とんでもないな。よく気がつく上に、慣れている」
少し休め、とお茶を煎れてやると、紫龍はおとなしく従ってテーブルについた。
「それは……。俺は、未来でもここで、磨羯宮で暮らしているんです」
「ここで? 龍星座の聖闘士で、童虎の弟子なのに、か?」
青銅聖闘士ならば、聖闘士の宿舎で生活するのが聖域の習わしだ。243年後の聖域では、その習慣が崩れているのかと疑問を口にしたエルシドに、紫龍は気まずそうに口ごもった。
「はい。俺たち兄弟……みんな青銅聖闘士なんですが、俺たちは師匠の宮で暮らすか、アテナのいる女神神殿に住んでいるんです。他には、聖闘士の宿舎とか」
エルシドから考えれば、女神神殿に聖闘士が、それも青銅聖闘士風情がアテナと共に生活するなど、恐れ多くてとても許されることではない。だが、243年の間に聖域の風習も変わるのだろう、とエルシドは敢えてそこに口を挟まなかった。
「だが、お前だけは磨羯宮で暮らしていると? そういえば、俺を見て誰かと間違えていたな。お前は山羊座の聖闘士と何か縁があるのか?」
「恋人…なんです」
「……」
カップを手に答える紫龍の口調に、照れや恥じらいはない。
何よりも、この紫龍が目覚めたとき。
彼はエルシドの姿を認めて、当然のようにキスをしてきた。
それなりに長い期間、深い関係が続いているのだろう、とエルシドは判断した。
「あなたにとてもよく似ている人で……俺を愛していると言ってくれたその人と、この磨羯宮で暮らすようになったんです」
相手の聖闘士を思い浮かべているのだろう。
紫龍は穏やかで幸せそうな表情をしている。
エルシドの剣圧を相殺し、素手で拳を止めたのと同一人物とは思えない表情を見ているだけで、それほど紫龍がその相手を思っているのかわかるような気がした。
「それで、ここの様子もよく知っている上に、俺をその恋人と間違えて抱きついてきた、というわけか」
「……すみませんでした」
何となく面白くない。
そう思ってからかってみると、紫龍は心底申し訳なさそうな顔をした。
そんな表情を見ると、必要以上にからかって苛めるのが申し訳ないような気分になってくる。エルシドは苦笑した。
話を逸らすついでにもう一つ、エルシドは自分の中で引っかかっている疑問を紫龍にぶつけることにした。
「お前は童虎の弟子で、龍星座の聖闘士だと言いながら、俺と同じような剣技を使ったな。それも、お前が未来の山羊座の聖闘士と恋人だ、ということと関係しているのか?」
エルシドはカップに注いだ紅茶を干して、2杯目を自分のカップに注ぎながら紫龍に尋ねた。
「それは……」
尋ねられた紫龍は、再び口ごもる。
先ほど教皇の間でセージから言われた、未来について語ることで歴史が変わったら紫龍自身が消滅する、ということが引っ掛かっているのだろう。あるいは、自分が語ることがエルシドの運命を変えるかもしれない、と案じているのかもしれない。
エルシドはそう推測した。
「俺の運命について語れ、と言っているわけじゃない。二百数十年後の出来事は、俺にとっては関係のない話だからな」
「エルシド……」
弾かれたように、紫龍はエルシドを見た。
今の聖域では、黄金聖闘士が下位の聖闘士から呼び捨てにされることはない。呼び捨てにするとしたら、余程の礼儀知らずか、怖いもの知らずだ。だが、そのどちらにも当てはまらない紫龍が、普通にエルシドを呼び捨てにする。
黄金聖闘士を恋人にしていることといい、アテナと共に生活していることといい。時が経てば、風習も変わるのだろう。
エルシドは、そう考えてそれほど気にも留めなかった。
むしろ、会ったばかりの彼が深みのある声で自分を呼ぶことが、何故か心地よかった。
「お前が元いた時代では、すでに山羊座の聖闘士は別にいるのだろう? ならば、俺は次の代に山羊座を譲っているか、あるいは死んでいるかのどちらかだ」
「……」
言葉を切って紅茶を口に含むエルシドを、紫龍はじっと見つめていた。
「お前が俺を見た時の反応から考えて、おそらく後者だろうな。お前が生きている時代には、俺はすでにこの世にはいない。こういうことでもなければ、お互いに相見えるはずのない相手だろう?」
「それは……あなたの仰る通りです」
エルシドの言葉に頷く紫龍は、自分の言動を恥じるような、ひどく申し訳なさそうな表情をした。
(ずいぶんと素直な表情をする……。童虎の影響か、あるいは俺が恋人に似ているからと安心しているのか……)
口には出さず、心の中で思いながら、エルシドは続けた。
「ならば、お前が自分のことを俺に語って聞かせたとしても、そのことで歴史が変わる心配はない。まぁ、山羊座の聖闘士から技を受け継いでいるという点では、あながち無関係とも言えないかもしれないがな」
安心させるように言うと、紫龍は表情を緩ませた。
そして、何かを決意したように口を開いた。
「これから俺が話すことは、あなたの胸の内にしまっておいてもらえますか?」
「ああ。他の人間には話さないと誓おう。アテナにかけて」
「少し長くなるんですが……」
そう前置きして紫龍が話し始めた内容は、とても信じられるものではなかった。
黄金聖闘士がアテナと聖域に対して反逆を企てるなど。そして黄金聖闘士が青銅聖闘士に倒されるなど。
だが、紫龍が嘘をつくような人間だとは思えない。
エルシドは、紫龍に話をさせたことを、少しだけ後悔した。
「それで、お前はその腕に剣技を宿すことになった、というわけか」
紫龍の話を聞いて、エルシドは彼がエルシドと同等の剣技を扱える理由を知った。
だが、一つだけ腑に落ちないことがある。
紫龍は先ほど、己の命を捨ててまで彼を助け、彼に剣技を授けた男を恋人だと話した。彼を助けて死んだ男が、何故恋人として彼と共に長い時間を過ごすことができる?
率直に疑問を口にしたエルシドに、紫龍は再び口ごもった。
「黄金聖闘士の一人がアテナに反逆を企てて教皇を殺したと言ったが。先ほどアテナは教皇や黄金聖闘士たちがお前を元の時代に戻す手立てを考える、と仰っていた。その後、新しい教皇や黄金聖闘士たちが立った、ということか?」
「いいえ、そういうわけでは……」
紫龍はエルシドに話す途中で何度も、一人の男の名を呼んだ。
シュラ
エルシドを見て、見間違えた時に呼んだのと同じ名を。
「その……聖域で黄金聖闘士たちと闘った後、俺たちは海王ポセイドン、冥王ハーデスとの聖戦を続けて闘いました。その聖戦がひと段落ついた後で、教皇や黄金聖闘士たちはアテナのお力で再び蘇ってきたんです。聖戦を終わらせた俺たちに、人としての生を全うし、幸せを手に入れてほしい、とアテナが祈って下さったので……」
紫龍は、慎重に言葉を選びながら語った。
それを聞いて、エルシドは納得していた。
教皇の間でアテナと拝謁した時に、サーシャが紫龍を希望だと称したことを。
「そうか。お前は聖戦を戦い、そして生き抜いたのだな」
エルシドは、童虎の技だけでなく自分の剣技をも扱うことのできる小宇宙を何故紫龍が持ち合わせているのか。その理由を悟っていた。
海王ポセイドンと冥王ハーデス。
強大な力を持つその2神に立ち向かい、地上を守り抜いた強さが、彼にはあるのだと。
聖闘士の強さを決めるのは、身にまとう聖衣ではなく、小宇宙だと。
師から教わっていたはずなのに、今まで忘れていたことを紫龍は思い出させてくれた。
「アテナのお力がなければ、恐らく生きてはいなかったでしょう。アテナが俺たちを守ってくれたんです」
神を倒すほどの力を持ちながらも、紫龍は己の力に溺れることなく、謙虚な心を持ち合わせている。
「童虎は、いい弟子を持つのだな」
エルシドは思わず呟いていた。
すっかり冷めてしまった紅茶を口にすると、部屋の扉がノックされる音が聞こえてきた。
「エルシド様、お食事をお持ちしました」
「もうそんな時間か。ずいぶんと話しこんでしまったようだな」
少し長くなる、と言った紫龍の言葉は間違っていなかったらしい。
エルシドは立ち上がって、部下が運んできた二人分の食事を受け取った。紫龍の前に食事が乗ったトレーを置き、自分の前にも同じ物を置いて座る。
「口に合うかどうかわからんが、食える時に食っておけ。この時代では、いつ聖戦が起こるかわからんからな」
「はい。ありがたくいただきます」
エルシドの言葉に素直に頷いて。
紫龍は行儀よく顔の前で手を合わせて、スプーンを手に取った。
というワケで、第5話をお届けしました(^^)
このお話。
紫龍視点になったり、エルシド視点になったり、現代のお話が入ってきたり…と章ごとに視点が違います。なので、重複する部分が多くて、読者様にはまどろっこしいと思われるかも……と思うのですが、少しずつでも話を前に進めているつもりですので、どうかお許し下さいませm(__)m
なお、今までは5日に1話のペースでアップしてましたが、当方ただ今専門学校生でして(苦笑) 大学卒業→社会人を経て、専門学校生なので、あまりお若くはないんですが(笑)
その専門学校の前期期末試験が始まります。
さすがに追試は受けたくないので(柔整科時代から続けている全勝記録は破りたくないのです;)、それなりに真面目に勉強しなければならず……
これから先、8月初旬までは週に1話、週末に更新するというペースになります。
次回更新は8月2日を予定しておりますので、どうかご容赦下さい。