ゆがんだ時計6

ゆがんだ時計6


6.Side:Dragon


 過去の聖域に飛ばされてからの数日。
 紫龍は童虎に誘われるままに、ひたすら稽古に励んだ。童虎と手合わせをしている間は、いつになったら未来へ帰れるのかという焦燥感も、このままここで聖戦が始まってしまったらどうなるのかという不安も、忘れていられた。
 その日も、磨羯宮までわざわざ童虎が紫龍を誘いに来た。
「ほぅ、なかなかやるのぉ、お主」
 ハーデスとの聖戦が始まる前の、まだ若者としての青さが残る童虎の拳は、聖戦と二百数十年という時を経て成長した後のものとはまるで違っている。
 現代の童虎よりもずっと直線的で、攻撃パターンは読みやすい。
 だがその拳には、今の童虎よりも緊迫感が込められている。冥王が復活し、冥闘士の動きが活発化している今、これから始まる聖戦に備えて力が漲っているのを紫龍は感じていた。
 だがいずれにせよ、童虎が拳を避けながら己の技を放つ隙をなかなか与えてくれない曲者であることに、変わりはなかった。
「そう簡単に1本は取らせんぞ」
 ただ無心で童虎と拳を合わせる。
 最初の2日ほどは童虎としか手合わせをしなかったが、3人の弟子を持つアルデバランや、黄金聖闘士の中では最年長者であるシジフォス、紫龍が世話になっているエルシドなど、次第に手合わせの相手は増えていった。
「二人とも、もう日が暮れる。それくらいにしたらどうだ?」
「おお、そんな時間か」
 二人の手合わせは数時間にも及ぶ。黄金聖闘士である童虎と、黄金聖闘士を越えるほどに小宇宙を燃やしてきた紫龍。その二人のスピードについていけるのは、黄金聖闘士たちだけだった。
 最初は聖闘士候補生や青銅聖闘士たちも二人の手合わせを見ていたのだが、スピードが速すぎて彼らには見えなくなってしまう。諦めてしまった彼らが一人、また一人とその場を去り、黄金聖闘士だけが残されるのが常だった。
「紫龍との手合わせは楽しいからのぉ。ついつい時間を忘れてしまうの」
「俺もです、童虎」
 事情を知らない者が見たら不審に思うから、という理由で、紫龍は「老師」ではなく「童虎」と名前で呼ぶように童虎から言い渡されている。自分を聖闘士として育ててくれただけでなく、人としての生き方をも教えてくれた大恩ある師を呼び捨てにするなど……と初めは違和感が拭えなかったが、自然に頷く童虎に促されて、紫龍もすぐにその呼び方に馴染んだ。
 何よりも、いずれは師弟となる間柄だ、という認識が童虎にもあるためなのか。二人は自然に一緒にいる機会も増えていた。
 もっとも、その時はもれなくエルシドかシオン、あるいはその両名が付いていたのだが。
「汗を流して戻るとするかの」
「はい」
 童虎に促されるまま、紫龍は童虎と共にそばの泉に入って汗を流した。
「随分とエロい光景だなぁ」
 その場を通りかかったマニゴルドが、ニヤニヤと笑いながらからかうように声をかけてくる。彼は意識を失ってエルシドに運ばれる紫龍を見てから、何やら紫龍に興味を持ったらしい。何かにつけてちょっかいを出してくるのだ。
「エロいも何も、ただ水浴びをしておるだけじゃ。からかうでない、マニゴルド」
「そうやって惜しげもなく裸のサービスをしてくれるのは、お前の調教の賜物ってか、童虎?」
「わしらにとっては、これが普通じゃ。変な目で見ておるお主がおかしいのじゃ」
 マニゴルドがからかっているのは紫龍の方だ。童虎はそれをわかっていて、敢えてマニゴルドと言い合う。かばってくれているのだろう、と紫龍は感じていた。
「変な目ってのは、こういうことか、童虎?」
 言いながら、何気ない仕草でマニゴルドが動いた。
 彼の仕草はあまりにも自然で、その流れで光速の動きをしたマニゴルドの動きを、紫龍は捉えることができなかった。
 気がつくと、マニゴルドは自分が濡れるのも構わずに泉の中に入ってきて、紫龍は彼の腕に捕らえられていた。
「なっ!?」
 マニゴルドの腕が体に絡みつく。
 思わず彼を振り仰いだ紫龍は、次の瞬間。
 マニゴルドに唇を塞がれていた。
「っ!?」
 唇が触れていたのは、ほんの1・2秒のことだった。
 驚いてマニゴルドを見上げると、彼はニヤリと笑った。
「唇ががら空きだぜ。ガード緩すぎだろ、お前」
「何を……!?」
「俺の好みなんだよ、お前みたいな別嬪は。どうだ、俺と一発ヤッてみねぇ?」
「……」
 悪びれる様子もなく、マニゴルドは平然とそう言い放った。
 次の瞬間、紫龍は怒りが頭の頂点へ駆け上るのを自覚した。その怒りにまかせて、一気に小宇宙が爆発する。
「ふざけるな!」
 現代でも「嫌いな人物」に分類されているデスマスクとそっくりな顔で、デスマスクよりもずっと性質の悪いセリフを吐くマニゴルドに向って、紫龍は小宇宙を集中させた右拳を叩きこんだ。
「昇龍覇か!?」
 紫龍の側にいる童虎、そしてシオンとエルシドは見た。紫龍の背中に昇龍が現れるのを。
「っと、ヤベぇ、ヤベぇ」
 マニゴルドは紫龍が放った昇龍覇をひょいっと避けて、泉から飛び出た。行き場を失った昇龍覇の余波は、泉のそばにある石造りの小屋にぶつかり、小屋を粉々に崩壊させた。
 それを見て、マニゴルドはヒューと口笛を吹いた。
「キレーな顔しててもやっぱ聖闘士ってコトか」
「俺の昇龍覇をかわすとはさすがですが、これに懲りてからかうのはやめていただきたい、マニゴルド」
 紫龍はマニゴルドを睨みつけた。が、マニゴルドは全く反省した様子はなく、むしろ続けて言い放った。
「そう睨むなよ、ますますソソられるじゃねぇか。キレーなだけじゃなくて、気が強いってトコがますます好みだぜ、お前」
「それくらいにしておけ、マニゴルド」
 止めに入ったのは、エルシドだった。
「んな怖ぇ顔して睨むんじゃねぇよ、エルシド」
 エルシドに睨まれても、マニゴルドは相変わらず楽しそうな表情をしている。そして逆に言い返した。
「人にちょっかい出されるのが我慢できねぇなら、とっとと自分のモノにしとけ」
「何!?」
「モノ欲しそうな顔してアイツを見てんのは、てめェだろうがよ」
 呆気にとられるエルシドの肩を軽く叩いて、マニゴルドはその場を去って行った。
 マニゴルドが去った後、呆然とその場に佇むエルシドを紫龍は見上げた。紫龍の視線を感じて、エルシドはふっと顔を背ける。
「戻るぞ。早く上がれ」
「はい、エルシド」
 素っ気なく言うエルシドに頷いて、紫龍は泉から上がった。



 その夜、エルシドは教皇の間へ呼ばれて磨羯宮を留守にした。
 一人で磨羯宮に残していけるほどに信用してくれているのだろう、と紫龍は判断した。
 いつものように、エルシドの部下が運んでくれた食事を摂って食器を片づける。いつもならエルシドと話をして過ごすのだが、今夜はその彼がいない。
 思えば、現在においても磨羯宮ではいつもシュラと過ごしていて、一人でいることはない。こうして一人でこの宮に残されるのは初めてだと思いながら、紫龍は寝殿を出て宮の中央部へ向かった。
 そこには、古の時代に山羊座の聖闘士がアテナから聖剣エクスカリバーを授かったシーンを再現した銅像が安置されている。神話の時代からこの宮に満ちる山羊座の聖闘士の小宇宙によって、夜でも明るく照らされるその像の足元に紫龍は腰を下した。
 目を閉じると、今でも鮮明に思い出すことができる。
 シュラに愛を告げられて、その愛を受け入れて。
 初めて抱かれたのは、この場所だった。
(アテナにかけて、お前だけを愛している)
 恋人になってから、これほどの間シュラと離れるのは初めてのことだ。シュラに抱かれることなく過ごすことも。
(いつになったら、戻れるんだろう……)
 今いる過去の時代も悪くはない。師匠の童虎だけでなく、他の黄金聖闘士たちも良くしてくれている。だが、不安が消えてなくなるわけではない。
 銅像の台座にもたれかかって、取りとめもなく思いを馳せていく。
 瞑想するように、浮かんでは消える思いを追いかけていて、紫龍はふと気がついた。
 夕暮れ時、童虎と共に水浴びをしている時にマニゴルドに奪われたキス。その後で、彼がエルシドに向けて言った言葉……
(人にちょっかい出されるのが我慢できねぇなら、とっとと自分のモノにしとけ。モノ欲しそうな顔してアイツを見てんのは、てめェだろうがよ)
 そして思い出していた。
 アイオロスが預かる人馬宮にあった、シジフォスの手記。その中に書かれていた、エルシドの恋人に関する記述を。そして彼が長い黒髪の東洋人の男を愛した、という事実を。
(まさか……)
 思いかけて、紫龍は即座にそれを否定した。
(いくらなんでも、自惚れが過ぎるというものだろう)
 そう思い直して、紫龍は静かに目を閉じた。

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当方、期末試験により週刊ペースになっております、申し訳ございません。
おかげさまで前半戦を順調に終えまして、週末に一休み……
ということで、お届けいたしました、第6話です。

……ぶっちゃけ、マニ兄さんがちょっかい出してきちゃったのは、完全に当方の趣味です(爆)
そして童虎たんと紫龍が仲良しさんなトコも、書いてみたかったのです♪
まさか、LCの95話であんなコトになってしまうとは思いませんでしたが……(号泣)

ちなみに、今回シュラさんとの馴れ初めは山羊龍作品の「Vanilla」を使用致しました。気になる方は、そちらもご覧下さいませ(^.^)
(って、自己宣伝するんじゃありません、自分;)

なお、次回の更新は8月9日を予定しております。

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