ゆがんだ時計8

ゆがんだ時計8


8.the present


 紫龍が過去の聖域に飛ばされてから5日。
 シュラはアイオロスと共に人馬宮にこもって、シジフォスの手記を片っぱしから調べていた。日を追って確認していくが、紫龍に関する記述はなかなか出てこない。一通り調べてみても、核心に触れる事は何も書かれていなかったのだ。
 3日目からは、見かねたデスマスクとアフロディーテも加わって、もう一度全ての蔵書を洗い直す作業を進めて行った。
「っくしょー、なかなか出てこねぇ。あの小僧、面倒なことに巻き込みやがって」
「恨み事ならばカノンに言うんだな。紫龍が過去に飛ばされる原因を作ったのは、アイツなんだから」
 ブツブツ言いながらページをめくっていくデスマスクを宥めたのは、アイオロスだった。
 紫龍が過去に飛ばされ、彼を元に戻す手立てを探りだした翌日。姿を消していたカノンが戻ってきて、即刻尋問にかけられた。
 その際のカノンの証言は。
 時空の挟間に落ちたと思われる人物を探すために、ゴールデン・トライアングルで未来や過去へ行っていた。
 というものだった。
 その余波で紫龍が過去に飛ばされた、と知ったカノンは自ら謹慎することを申し出た。が、それよりも紫龍を元に戻すために協力しろ、とシオンと童虎に説得され、今は教皇の間でその任に当たっている。
「ったく、山羊座の聖衣には何か残ってなかったのかよ、シュラ」
 まだ数ページも見ていないというのにノートを投げ出したデスマスクが、シュラに問いかけてきた。
「何のことだ?」
「記憶だよ、記憶。残ってんだろうが、聖衣に」
「記憶……?」
 問い返したシュラに、呆れたように言い返してきたデスマスクの言葉を聞いて、シュラはようやく思い出していた。
 自分たちがまとっている黄金聖衣には、装着者の記憶を蓄積するという特性があることを。
「そうだ、聖衣!」
「もしかして、まだ記憶を探ってねぇのかよ、シュラ?」
「君ともあろう者が、紫龍のことになると自分を見失うんだな」
 とっくに自分の聖衣の記憶を探っていたデスマスクは呆れたように、アフロディーテは軽く苦笑しながらシュラに言う。
「私はアルバフィカの記憶を辿ってみたけれど、彼は教皇の間で紫龍と会っただけで、後は何も知らなかったようだね。まぁ、彼は他人と接するには支障がある人物だったから、やむを得なかったのかもしれないけれど」
「俺はマニゴルドの記憶を見たぜ。あいつ、何やら小僧にちょっかい出してたらしいが……途中で急に構うのをやめちまったみてぇだな。小僧が戻ってくる所は見てねぇ」
 デスマスクはそう言って、側の壁に寄りかかった。
「ただ、マニゴルドの記憶に残ってる小僧の側には、ずっと山羊座のヤツがいた。まだ聖衣の記憶を見てねぇなら、さっさと見ろよ」
 デスマスクの言葉を聞き終わる前に、シュラは手にしていた手記を置いて人馬宮から駆け出していた。
「けっ、人の言葉は最後まで聞けっての」
「紫龍のことになると人が変わるな、シュラは」
「それだけ彼を愛している、ということなんだろう」
「クソ生意気な小僧だってのにな、あのヤロウ」
 デスマスクとアフロディーテとアイオロスが口々に言い合う言葉は。もちろん、シュラには聞こえていなかった。

 自分が預かっている磨羯宮に戻ったシュラは、まっすぐに聖衣を安置している台に向かった。神殿を模して造られた宮において、神話の時代から聖衣を安置してきた台。聖戦が終わった今、聖衣をまとう機会は激減している。
 シュラが手をかざすと、聖衣を納めるパンドラボックスは音もなく開いた。中から、山羊を模った聖衣が姿を現す。そして聖衣はバラバラになって、シュラの全身を覆った。
 久しぶりに主の身を覆って聖衣が高揚する。それに呼応するように、シュラの小宇宙も高まった。
 神話の時代から数知れぬほどの装着者を迎えてきたこの聖衣は、その全ての記憶を宿している。シュラは宮の中央にある山羊座の聖闘士とアテナの銅像の足元に腰を下して、精神を集中させた。
 聖衣に蓄積された記憶の中から、比較的新しい物を探る。シュラと同じスペインに生まれ、英雄の名を持つ聖闘士、エルシドの記憶を。
(見せてくれ、俺に。エルシドの記憶を)
 聖衣に念じてシュラは目を閉じた。
 主の求めに応じて、聖衣はシュラの脳裏に直接イメージを伝えてくる。最初に伝わってきたのは、聖衣にとっても自分の一部が破壊されたのがショックだったのだろう。エルシドが聖剣の宿る右腕を切断された瞬間だった。
(違う、これじゃない。もう少し前のものだ)
 聖衣に残されているエルシドの容貌は、今のシュラによく似ている。
(シュラ、言いにくいことなんだが……)
 昨日、アイオロスが躊躇いながらシュラに言った言葉が思い出された。
(紫龍は243年前の聖域に飛ばされたんだよな。まさかとは思うんだが、シジフォスが手記に記録したエルシドの恋人というのは、紫龍のことなんじゃないか?)
 アイオロスの推測は、シュラも同様に考えていたことだった。
 紫龍の愛を信じていないわけではない。だが、もし自分によく似た男、それも同じ山羊座の聖闘士であり、ヒュプノス配下の神を倒したほどの男から真剣な思いを寄せられたとしたら?
 そう考えずにはいられなかった。
(だが、まさか、な……)
 思いかけて、シュラは集中が切れそうになっていることに気づいた。
 聖衣に残る記憶を辿るには、相当な集中力が必要とされる。シュラの集中が乱れたら、聖衣が伝えようとするイメージを受け取ることができないのだ。
 シュラは再びエルシドの記憶を辿ることに集中した。
(……龍、紫龍……)
 やがて、聖衣はシュラが求めていたイメージを伝えてきた。
 エルシドが紫龍を呼ぶ。
 紫龍がエルシドを見上げている。
(お前を愛しいと思う俺の記憶も、この聖衣に残る。それがお前を守ることになるのか)
「っ!?」
 紫龍を見下ろしながら告げるエルシドの言葉に、シュラは思わず息を呑んだ。
「な、に……!?」
 そしてシュラは見た。
 エルシドが紫龍に愛を告げて抱き締めるのを。紫龍がそれに応えたのを。
 同時に、悟っていた。
 聖衣がイメージとして伝えてきたエルシドの声。その声は……
(紫龍を守りたい……)
 この磨羯宮で紫龍と闘った時。自分の命と引き換えにする廬山亢龍覇を放った紫龍を救おうとして、強く念じた時に重なった声と同じものだった。
 あの時、シュラは何としても紫龍を助けたいと願った。出会ってからわずかの間に自分の命を捨ててでも守りたいと思うほどにシュラの心を奪い、愛さずにはいられなかった紫龍を。そしてこの聖衣をまとわせることで、彼を守ろうとした。その思いに呼応したあの声は……
「聖衣に宿っていたあなたの思いだったのか、エルシド」
 そしてシュラだけでなく、前の装着者であったエルシドの願いと小宇宙が重なって、この山羊座の聖衣は紫龍を無傷で地上へ戻したのだ。
「エルシド、あなたは……」
 聖衣によって伝えられた記憶を見て、柄にもなく熱いものがこみ上げてくる。
 シュラの頬を涙が濡らした。
 その時。
 聖衣が収まっていたパンドラボックスから、黄金の光が立ち上った。その光の中から1枚の紙が現われて、シュラの手元へと飛んできた。
「これは……?」
 エルシド、と血の署名が書かれた誓紙だった。黄金聖闘士が、特定の相手にだけメッセージを伝えたい時に使う誓紙。自らの血で署名することで、何百年の時を経ても色褪せることなく、確実にその相手に届けられる古からの業だった。
「俺宛の誓紙、か……」
 エルシドは紫龍の口から、将来山羊座を継ぐことになるシュラの存在を知ったのだろう。そしてシュラに向けて誓紙を認め、パンドラボックスに隠したのだ。時が来たら、シュラの手元に届くようにと。
 その証拠に、誓紙にはシュラへ、と宛名書きがされていた。

未来の山羊座 シュラへ

 つい先ほど、紫龍と彼を迎えにきた君を見送った。
 君がこの誓紙を手にしているということは、紫龍が俺の所にいて、君は紫龍を元の時代に返すために必死でその手段を探しているのだろう。それとも、もう紫龍は君の元に戻っているだろうか。
 君のことは、紫龍から聞かせてもらった。君が彼を愛し、その命を助け、聖戦を終えた後は恋人として彼と共にいることを。
 君が彼に惹かれたように、俺もまた彼に魅かれて愛してしまった。紫龍も応えてくれたが、それは恐らく俺が君とよく似ているからだろう。初めて会った時に、俺を君と間違えていたようだったからな。
 紫龍を愛してしまったことを、どうか許してほしい。
 そして紫龍が無事に君の元に戻ったら、どうか彼を責めないでやってほしい。彼はただ、半ば強引に求めてしまった俺に応えてくれただけなのだ。
 俺のこの想いが、俺が死した後も聖衣に宿って紫龍を守ってくれることを願っている。
 そして君と紫龍の幸せを願っている。

エルシド

 それは英雄の名に相応しい、潔いものだった。
 そして名前の前に書かれている日付は、243年前のものであり、3日後を示していた。
「3日後か!?」
 シュラは思わず声を上げて立ち上がった。
 教皇の間へ知らせに行こう、と走り出そうとした所へ、童虎が駆け込んできた。
「3日後じゃ、シュラよ!」
「ろ、老師……」
「むっ、その姿。何をしておったのじゃ、シュラ?」
 公式行事や任務でもないのに聖衣をまとっているシュラを見て、童虎は訝しがって見上げてきた。
「聖衣に残るエルシドの記憶を探っていたのです。老師、エルシドは俺宛に誓紙を残していました」
「何、誓紙をじゃと!? あやつ、セージ様の命令を破ってお主に手紙を残しておったのか!」
 驚いたように問いかけてくる童虎に頷いて、シュラはエルシドが自分に宛てた手紙の内容の一部を伝えた。
「ふむ、その手紙はお主と紫龍を見送った後に書かれておったのじゃな?」
「そのようです。その日付が、3日後になっていました」
「セージ様が残しておられた記録にも、そう書かれておった。突如として空間が切り裂かれて、そこからお主が現われて紫龍を連れて戻った、とな」
「俺が……?」
 童虎からは、シオンの前に教皇だったセージが書き残していた記録の内容が伝えられた。
「空間が切り裂かれた、とは……」
「エルシドのことは知っておろう? あやつは空間を切り裂いて、夢界へ乗り込んで夢神を倒したのじゃ」
「それが俺にもできる、と?」
 確かに、エルシドは剣技を究極にまで研ぎ澄ますことで、空間をも切り裂いたという事実をシュラは知っている。だが、シュラ自身はどれほど小宇宙を高めても、聖剣で空間を切り裂くまでには至っていない。
 そう話すと、童虎は黒目がちな目をまっすぐシュラに向けて、言った。
「紫龍を連れ戻せるのはお主しかおらん。これからの3日間で、エルシド以上に小宇宙を研ぎ澄ますのじゃ」
 童虎もシオンも、他の者たちも。
 できる限り協力すると約束した童虎に。
 シュラは深く頷いた。

続きを読む




前回かなり進展したので。
今回はちょっとひと休み&現代の山羊さまはいかに!?ということで、現代のお話に戻ってみました。

黄金聖衣は装着者の記憶を残している。
というのは公式設定を読んでいる時に出てきたもので。確か、デスマスクの体から聖衣が勝手に離れてしまったのもそのためだ、と書かれていたように記憶しています(まぁ、マニ兄さんはともかくとして、その前はセージ様ですからねぇ、蟹座;)
今回のお話を書くために、その設定を大いに利用させていただいてます(笑)

ただ、特定の相手に確実にメッセージを残す誓紙については、オリジナル設定です。黄金の皆さんって、小宇宙を戦闘以外のいろんなことに使えそうだなぁ、と思うので。。。

こうして第8話まできてますが、最終的に全11話になるか、12話になるか、まだ決まってません(爆)
さて、どうなりますことやら……



inserted by FC2 system