渚のInvitation6

渚のInvitation6



 5月3日。
 今日から本格的な4連休ということもあってなのか、シュラと紫龍が宿泊しているグラード財団所有のマリンリゾートホテルを訪れる観光客も増えた。
 シュラと紫龍は午前中にジェットスキーで引っ張ってもらうドラゴンボートやダブルチューブ、Uチューブなどのスピード感たっぷりなマリンスポーツを楽しんだ。Uチューブではバランス感覚にも優れている二人でさえ、何度か海に振り落とされそうになったが、そのスリルがたまらなかった。
「ズブ濡れだな、紫龍」
「あなたこそ、シュラ」
 砂浜に並べられているパラソルの一角に陣取って、簡単な昼食を取るついでにひと休みする。
「海面スレスレを走るのも楽しいな」
「一応楽しいとは思ってたんですね」
「どういう意味だ?」
「ダブルチューブに乗ってた時、顔が引きつってたから」
「お前こそ、おっかなびっくりだっただろう?」
「シュラほどじゃないですけどね」
 すっかりテンションが上がってしまった二人は、他愛のない会話を交わしながら笑い合う。
「口の減らないヤツだな」
「一つしかありませんから、減りません」
「言うな、コイツ」
 シュラにかわかわれて、唇をツンととがらせて言い返してくる紫龍の濡れた髪を、シュラはグシャグシャとかき回した。
「やめて下さい、シュラ。せっかく括ってるのに、取れる!」
「結び直せばいいだろう。減らず口を叩くからだ」
「もう、濡れた状態の髪を束ね直すのって、結構大変なんですから」
 いつもの落ち着いた口調もすっかり忘れているのか、紫龍は軽く文句を言いながらシュラに乱された髪を束ね直した。
 話し方は相変わらず丁寧だが、紫龍は初日と比べたらシュラに対して恐縮する様子を見せる機会も減り、遠慮なく話すことが増えている。
(いい傾向だな)
 シュラの狙い通り、紫龍との距離が近づいているという確かな手応えがあった。何よりも、一昨日思いがけず抱き止めた時の紫龍の反応は……
(脈あり、と思っていいんだろうな)
 結構大変だ、と言いながらも慣れた手つきで髪を束ね直す紫龍を横目で見ながら、シュラは手にした炭酸飲料で喉を潤した。

 午後から、二人はまたシュノーケリングのために海に出た。
 先日からすっかり味を占めてしまった紫龍が今日も行きたい、と言い出したのだ。
 もともと体力は人並み外れている上に、シュノーケルの扱いにも慣れて、数分間は平気で海中に潜っていられるようになっている。ずっと見ていても飽きることのない海中の世界に、二人は2時間近く魅せられていた。
「ここにいると、本当に時間を忘れるな」
 一度水面に顔を出して、フィンを動かしながら口に咥えていたシュノーケルを外す。紫龍はともかく、シュラは筋肉の鎧で体を覆っていることもあって、常にフィンを動かしていないと沈んでしまうのだ。
「疲れましたか、シュラ?」
「そうじゃない。体力勝負ではまだ負けんぞ」
 からかうような紫龍の口調に、シュラは大人げないと思いつつもつい言い返してしまった。
「お前が日に焼けたり、海水で体が冷えたりするんじゃないかと心配しているんだ」
「気遣ってくれるのは嬉しいですが、まだ大丈夫ですよ」
「そうか」
 軽く言い返して、再びシュノーケルを咥えて海中へ潜っていく紫龍を見て、シュラはちょっとしたいたずらを思いついた。
 ニヤリ、と紫龍には見えない笑みを浮かべて、シュラは深く息を吸いこんで、わざとフィンの動きを止めた。

 海中に潜った紫龍は、目の前に広がる世界を楽しんでいた。
 刻一刻と次々と表情を変えていく海中の景色は、このままずっと見つめていたいと思うほどに美しくて魅力的だ。色とりどりのサンゴ礁、そのサンゴ礁に生きる小さな生き物たちの愛らしい姿。けれど、そのサンゴ礁には決して手を触れたり、傷をつけたりしてはならない。儚くて繊細だからこその美しさなのだ。
 だが、少しして紫龍は気づいた。いつも紫龍を追ってくるシュラの気配が感じられないことに。
(本当に疲れていたんだろうか?)
 海に夢中になりすぎて、シュラを全く気遣っていなかった自分に気づかされる。
 シュラの姿を探して海中を見回した紫龍は、心臓が止まるかと思うような――いや、実際に止まった経験があるのだが――光景を目にした。
(シュラ!?)
 紫龍の少し後ろで、シュラが海中に沈んでいた。目を閉じていて、足のフィンを動かすこともなく、手も力なく海中に投げ出されている。
 それを見て紫龍は、シュラに心臓を串刺しにされかかった時のような衝撃を覚えた。

(まさか、溺れて!?)

 そういえば、シュラは筋肉の重みで海中でも浮かないと話していなかったか!?と、紫龍は思い出した。
(シュラ!)
 紫龍は慌ててフィンの動きを速め、シュラの元へと泳ぐ。
 シュラのもとへと泳ぎ着いて、背中に腕を回した瞬間。
(え!?)
 閉じられていたシュラの目が開いた。ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべたかと思うと、シュラは紫龍に腕を伸ばしてその痩躯を捉えた。たちまちフィンを動かして、海面へと上がっていく。
 状況が掴めないままに、紫龍は海上へと顔を出していた。
「上手く引っ掛かってくれたな」
「騙したのか!?」
 ニヤニヤしながら真相をバラすシュラに、紫龍はカッとなった。
「本気で俺が溺れたと思ったか?」
「俺は、本気で心配してっ!」
「仮にも黄金聖闘士である俺が、この程度のことで溺れるわけがないだろう」
「からかったのか!?」
 紫龍は思わず、シュラの鍛え抜かれた厚い胸板をぶっていた。
 からかわれたことへの怒りと、シュラが無事だったことへの安堵で混乱したのか、感情の昂りを象徴するように一気に涙が溢れてきて、目尻からこぼれ落ちた。
「し、紫龍!?」
 今度はシュラが慌てる番だった。マスクの奥で、紫龍が泣くのがはっきりとわかった。
「俺が悪かった。だから、泣くな」
「泣いてない!」
 言い返して、紫龍はシュラの腕の中から逃れた。そして常人には出せないスピードで、さらに砂浜から遠ざかって沖へ出ようとしていた。
「待て、紫龍!」
 シュラは慌ててシュノーケルを咥えて紫龍を追った。あまり遠くへ行くな、とホテルの人間にも言われている。加えて、ここにいる間は一般の観光客として振る舞わなければならないのだ。常人には決して出せない速さで海中を進む姿を見られるのは、さすがにマズい。
 シュラはあっという間に紫龍に追いついて、海に小さくせり出している岩場へと紫龍を連れて上がった。海水が届かない場所には木が生えていて、二人の姿を適当に隠してくれる。ざっと見回して危険がないことを確認して、シュラは紫龍を抱え上げて木蔭へと座らせた。

「俺が悪かった、だからもう泣くな」
 自分もマスクを取り、紫龍のそれも取ってやって声をかける。
「冗談が過ぎたことは謝る」
「……」
「お前があまりに夢中になっているから、少し困らせてやろうと思ったんだ」
 紫龍はまだ泣き続けていた。
「紫龍……」
 さすがにかける言葉が尽きて困っていると、紫龍が日除けのために着ているシュラのTシャツの裾を引っ張った。そしてコトン、とシュラの肩に額を当ててきた。
「紫龍?」
「俺は…また、あなたが消えてしまうのかと思った……」
 海水で濡れたTシャツに、紫龍の温かい涙が落ちる。
「俺は今まで3度、あなたが目の前で消えるのを見た」
「……」
「最初の原因を作ったのは俺だったけど、でも……」
 最初は、偽の教皇と女神を祀るシュラたちを断罪するために聖域に攻め込んだ時に。シュラは紫龍を助けるために己の命を捨てて、魂である必殺技を授けて、自分は宇宙の塵となって消えた。
 2度目は敵を欺くために聖闘士としての誇りをも捨てる覚悟で味方をも欺いて、敵として対峙した末にハーデス城で。シュラは紫龍の目の前で、ハーデスによって与えられた12時間の命を終えて消えていった。紫龍の目はシュラの姿を映すことはなかったが、右腕を掴んだシュラの感触が消えるのを、小宇宙が消えていくのを確かに感じていた。
 3度目はハーデスを倒すために乗り込んだ冥界の、地獄の最奥である嘆きの壁で。シュラをはじめとする黄金聖闘士たちは、紫龍たちを先に進ませるために、女神とハーデスを追ってエリシオンへと行かせるために、己の小宇宙をすべて注ぎ込んで嘆きの壁を破壊し、その余波で全員が消えた。聖衣だけを残して。
「4度目は、見たくない」
 涙声で、けれどはっきりとそう告げた紫龍を、シュラは思わず抱きしめた。そうせざるを得ない思いに駆られて。
 シュラは、ほんの出来心で仕掛けた悪戯がこれほどまでに紫龍を苦しめ、傷つけたことへの罪悪感に苛まれた。
「すまない、紫龍」
 シュラは自分に課せられた使命を命がけで全うした。それは紫龍もわかっている。同じ女神の聖闘士として。
 だが、頭で割りることのできない感情がある。たとえ、女神の聖闘士だとしても。宿命や使命のためとはいえ、自分が消えたことがこれほどまでに紫龍を傷つけていたことを、シュラは今初めて思い知った。
 そしてそんな紫龍の思いを汲み取ってやれなかったことを後悔する。
「お前を気遣ってやれなかった俺を、許してくれ」
 海水を含んで重く濡れる紫龍の髪を撫でた。
 紫龍の涙は、まだ止まらない。海水を吸ったシュラのTシャツを濡らしている。

 愛しい

 と思った。
 自分のために、これほどまでに涙を流す紫龍が。
 こんな風に自分のために泣いてくれる人がいるなど、思いもしなかった。
「紫龍……」
 泣き続ける紫龍の体を少し離して、頬を包んで自分の方を向かせた。濡れた瞳で見つめられて、シュラの中で抑えつけていた紫龍への想いが弾けた。
 吸い寄せられるように、唇を寄せる。 
「……っ!?」
 触れるだけのキスに、紫龍が驚いて目を見開いた。
「お前の涙を止めるのに、こんな方法しか思い浮かばない俺を許してくれ」
 今度は先ほどよりも少し長く、唇を触れ合わせる。
「……」
 紫龍は、目を閉じてシュラのキスを受け入れた。
「シュラ……」
 唇が離れて。
 涙は止まっていたが、まだ潤んでいる目で見つめられたら、もう我慢できなかった。
「愛している」
「……んぅ――っ!」
 シュラは、紫龍をきつく抱きしめて、深く口づけた。



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ああ、やっとここまで進展してくれました(T^T)

前の章から引き続いてマリンスポーツについて書いていますが、結月はカヌーを体験したことがあるだけで、他のマリンスポーツは一切無縁です(爆)
なので、実際にこういうコトができるかどうかは、不明……(滝汗;)
まぁ、聖闘士に一般人の常識は通用しない、ということで(汗;)

でも、筋肉の鎧を着ている人が海水でも沈む、というのは事実です。
GW中に治療しやっこした専門学校の先輩な友人の彼氏さん、キックボクシングの元選手でして。小柄なんですけど、ものすごい筋肉してるんですよ。これ以上鍛えたら、シャツのサイズがなくなる、というくらい。で、その彼氏さんが話してたんです。
「俺、水に浮けない。海水でも沈む」
って。
なのできっと山羊さまもそうなんだわ(だって、身長186センチで体重83キロ……BMIは約24;)♪
と思いまして、そのようにさせていただきました。

筋肉って重いからね(笑)



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