渚のInvitation4

渚のInvitation4



 4月30日。
 祝日明けのその日、シュラと紫龍はシュラが借りたレンタカーの車中にいた。
「車の運転までできるとは思いませんでした」
 左ハンドルのドイツ車を鮮やかに操るシュラを見て、紫龍は感嘆の声を上げた。
「サガが聖域を治めていた13年間、それなりに聖域も平和だったからな。俺は任務の合間を縫って大学に通って、車の免許も取ったんだ。もちろん、国際ライセンスでな」
「大学も通ったんですか?」
「ああ。飛び級で卒業したから、通ったのは3年間だったけどな」
「本当に何でもできるんですね、シュラは」
 紫龍が尊敬の眼差しを向けてくるのが、心地いいけれど少し面映ゆい。
 シュラはアクセルを踏みこんで、スピードを上げた。

 ホテルの近くにある切り立った崖になっている海岸や、パイナップルをはじめとするフルーツが食べられる植物園を巡って、その日の目的地である海洋博記念公園に着いたのは、正午を少し過ぎた頃だった。
 闘いと知恵の女神である――沙織本人を見る限り、とてもそうは思えないのだが――アテナの加護があるためか、二人は水族館からそう遠くない駐車場に車を停めることができた。
「シュラ、見て下さい。ジンベエザメのオブジェが!」
 水族館に来るのは初めてだ、という紫龍が美ら海水族館の入口にあるジンベエザメのオブジェを見て、さっそく歓声を上げた。
「あまり近づくとフレームに入らなくなるな。その辺りで止まって、こっちを向け。写真を撮ってやる」
 女神のそばで、常に女神を守って闘っていた5人の青銅聖闘士たちの中では大人びていて、落ち着いた雰囲気を持っている紫龍なのだが。今は、年相応に見える。
 シュラは少しはにかんだような笑顔を見せる紫龍を、デジカメの中に収めた。
「まずは腹ごしらえをするか。レストランがあるはずだが」
 海が見えるレストランでバイキング形式の食事を取って、二人は水族館の中に入った。
「上から下へ降りていくようになっているんだな、ここは」
「そのようですね」
 入口からまず下へ降りて、浅い海に住む生物を展示した水槽から見ていく。
「凄い、触れるようになってるんですね、これ」
「これはヒトデで、これはナマコか。触ってみるか?」
「せっかくですから」
 家族連れで来ている子供に混ざって、身長が170センチを越える紫龍やシュラが水槽にかじりつく姿は、周囲からかなり目立っていた。そもそも、長い髪の美少年と美丈夫という組み合わせである上に、彼らが話しているのは明らかに英語とは違う外国語――ギリシャ語だ。
「なんだかぬめぬめしてますね」
「だな」
 周囲から注目の的になっていることなど全く気にすることなく、二人はタッチプールを堪能して、人工飼育されているサンゴが展示されている次の水槽へと移って行った。
 ゆっくりと、それぞれの水槽の前で立ち止まりながら下へ、下へと降りていく。
「シュラ、大きな亀がいますよ!」
「あ、砂の中から何か出てる!」
「うわ、小さくてかわいいですね、この魚」
 奇声を上げる子供たちに負けず劣らず、紫龍も水槽を見て歓声を上げる。
 サンゴ礁の海を再現した水槽をはじめ、あちこちで水槽をバックにした紫龍の写真を撮りながら、シュラも紫龍と共にさまざまな海の生き物を楽しんだ。
「魚に蟹に……アフロディーテとデスマスクのお仲間がわんさかいるって感じだな」
「それもそうですね」
 アフロディーテは魚座、デスマスクは蟹座。共に海の生き物がモチーフになっている星座を守護星座としている。
 見たこともない珍しい魚や、周囲でワイワイ騒いでいる子供たちに同調しているのか。テンションが高くなっている紫龍は、クスクスと声を上げて笑った。
「こら、紫龍。はぐれるなよ」
 祝日の翌日で、通常ならば会社や学校があるはずの平日だというのに。水族館の中は家族連れやカップルでいっぱいだった。
 少し目を離したすきに、紫龍とはぐれてしまいそうになる。
「シュラ?」
 水槽に夢中になっている間に、たちまち紫龍はシュラの姿を見失ってしまった。身長が180センチを越える長身の美丈夫とはいえ、これだけの人ごみの中ではさすがのシュラも埋もれそうになる。
 小宇宙で探ろうとした時、紫龍はがっちりとした手に腕を引かれた。
「言ったそばからこれだ。困ったヤツだな」
 紫龍を捕まえて、シュラは苦笑した。
「ほら、こっちだ」
 シュラはそのまま紫龍の手を引いて歩いた。
「あ……」
 紫龍は短く声を上げたが、シュラに手を引かれるままについて歩いて行った。

「うわぁ」
 水槽に見入っては歓声を上げる紫龍はもちろんのこと、シュラも思わず声を上げそうになったのは、世界最大級の大きさを誇る水槽の前に出た時だった。
 ジンベエザメやマンタなどの大型の生き物はもちろん、何十種類という魚が泳いでいる深く、大きな水槽。
 その水槽の底、すぐ脇にカフェスペースがあることにシュラは気づいた。
「あそこで少し休んでいくか?」
「あ……そうですね」
 カフェは満席だった。が、すでにグラスも皿も空になっているにもかかわらず、いつまでも席を立とうとしないカップルの前に立ったシュラが彼らを一瞥する。…と、彼らはただならぬ気配を感じ取ったのか、あるいは女性の方がシュラに見惚れたことに彼氏が嫉妬したのか。水槽のすぐ脇にある席が空いた。
「シュラがひと睨みしただけで席が空きましたね」
 そんな様子を見て、紫龍がクスクスとこらえきれない笑いを洩らす。
「別に小宇宙を燃やして脅したわけじゃないぞ、俺は」
「でも、百戦錬磨でただならぬ雰囲気を持っているのは確かですからね、シュラは」
 憮然と言い返して、シュラは紫龍と自分のためにマンゴーやアセロラのフレッシュジュースと、フルーツのシャーベットを注文してトレイを手にして戻ってきた。
 こういう場所なら英語が通じるだろう、とシュラは一人で席を立ったのだ。
「ありがとうございます」
 トレイからマンゴージュースの入ったグラスを取って、紫龍は口をつけた。
「美味いか?」
「はい。こんなに喉が渇いていたんですね、俺」
「かなりはしゃいでいたからな」
 シュラに指摘されて、紫龍は照れたように沈黙した。
 けれど、すぐに水槽に目をやって、悠々と泳ぐジンベエザメに釘付けになる。
「あ、あのジンベエザメ、コバンザメがお腹についてる」
「どれ? ああ、本当だな」
 紫龍が指差した先を、シュラも見上げた。

 カフェで喉を潤して、ひと休みをして。
 気がつけば、ジンベエザメのいる大きな水槽の前で、二人は一時間以上過ごしていた。
「そろそろ次へ行くか」
「そうですね」
 深海に暮らす生物たちや危険な生物たちをじっくり眺めて、二人は出口手前にあるミュージアムショップへと足を踏み入れた。
「ぬいぐるみ、携帯ストラップ、文房具、お菓子……さすがにグッズも充実しているな」
「見て下さい、シュラ。かわいいですよ、このぬいぐるみ。瞬が喜びそうだな」
 紫龍が手に取ったのは、フワフワとして手触りのよい、手の平サイズのイルカのぬいぐるみだった。
「ああ、かわいいな」

 ぬいぐるみもかわいいが、それを手に取って喜んでいるお前の方がもっとかわいい。

 と言いそうになる言葉を、シュラはぐっと呑み込んだ。
「氷河にはガラス細工の置物がいいか……」
「星矢にはやっぱりお菓子の方がいいだろうな」
「一輝は……何がいいかな?」
 あれこれと目を輝かせて店内を見て回る紫龍の姿に、シュラは自然と微笑が浮かぶ。
「あ、あっちにはTシャツもあるみたいですよ」
 次から次へと目移りしていく紫龍に今度はシュラが手を引かれる番だった。
 紫龍に手を引かれて、色とりどりのTシャツが並ぶ棚へとシュラは連れて行かれる。可愛らしい絵柄や、シンプルな漢字が書かれた、色もデザインも様々なTシャツを見ていて、シュラはふと思いついたことを口にした。
「ここに来た記念に、揃いで何か買うか?」
「お揃いで、ですか?」
「ああ。お前が嫌でなければ、の話だが」
「嫌だなんて、とんでもないです」
 即答した紫龍に、シュラは思わず顔が笑み崩れそうになった。
「だったら、お前が選んでくれ。俺に似合いそうなデザインで、お前も好きな色のシャツをな」
 紫龍と“ペアルック”を身につけられる千載一遇のチャンスだ。それを逃すほど、シュラは愚かではない。
 自分が選んだペアルックでも悪くはないのだが、せっかく一緒に来ているのだから、紫龍に選んでもらいたかった。
「そうですね……」
 紫龍は棚を眺めて、Tシャツを選び始めた。



 紫龍が選んだのは、琉球模様染でマンタが描かれたカーキ色のシンプルなTシャツだった。それぞれの友人や仲間にと選んだ土産物と、揃いのTシャツを購入して、水族館を出た。
「シュラ、イルカやクジラのショーもあるみたいですよ」
「見たいか?」
「見てみたいです」
 シュラの問いかけに、紫龍はまたしても弾んだ声で即答した。
「じゃ、帰るのはそれを見てからにするか」
「はい!」
 いい子の見本のような返事をした紫龍に微笑して、シュラはイルカのショーが行われるプールへ向かった。が、時間を見るとその日最後のショーが行われるまでまだ1時間ほどあった。
「どこで時間を潰す?」
「あっちに綺麗なビーチがあるらしいんです。行ってみませんか?」
「それはいいな。散歩ついでに行くか」
「ええ」
 水族館から歩いて数分の距離にあるビーチに、二人は向かった。
 エメラルド色の海に真白な砂浜が広がるビーチで、夕暮れ時の美しいビーチを満喫して、二人はマナティーや海ガメが飼育されている建物に立ち寄りつつ、再び水族館の出口付近に戻った。
「まだ30分ほど時間があるな」
 どうする?と紫龍に問いかけようとした時。
 シュラは、紫龍の視線がある売店で釘付けになっていることに気づいた。
「どうした、紫龍?」
「シュラ、あれを……」
 指差した先には、ココナッツジュースを売る小さな店があった。
「飲んでみるか?」
「いいんですか?」
「ああ、俺も一度味わってみたいからな」
 シュラの同意を得て、紫龍が店員に声をかけた。
「ひとつ下さい」
 すると、店番をしている40代くらいの男性は、傍らに置いている大きなクーラーボックスの中からヤシの実を一つ取り出した。
「?」
 どうするのかと眺めていると、彼は鉈を取り出して、ダン!ダン!とその場で実を切っていった。
 まず底を平らにして、実のいらない部分を削いで、最後にジュースの飲み口を切って、大きなストローをぶすっと刺して「はい」と紫龍に差し出してきた。
「驚いたな、その場で割って出してくれるとは」
「そうですね」
 店のすぐ脇にあるテーブルに向かい合って座り、間にたった今割られたばかりのヤシの実を置く。
「先に飲んでいいぞ」
「いいんですか?」
 シュラに促されて、紫龍は先に口をつける。
「あ……少し甘くて、冷たくて美味しいです」
「そうか、どれ……?」
 紫龍の手からヤシの実を受け取って、シュラは紫龍が飲んだばかりのストローに口をつけた。
「あ……」
 紫龍が小さく上げた声は、聞こえないふりをした。

 もちろん、最初から間接キスを狙っての行動である。

 紫龍には不審に思われないように、と自分が口をつけた後は、ちゃんとストローの先を拭ってから返してやる。
「そういえば、小腹が空いたな。お前はどうだ、紫龍?」
「言われてみれば、そうですね」
「確か車の中にサーターアンダギーがあったな」
「はい。途中の道の駅で買ったのが……」
 ここに来る途中で立ち寄った道の駅で、シュラは沖縄の揚げ菓子であるサーターアンダギーをいくつか買った。屋根があって陰になっている駐車場で、窓を少し開けて停めてある車内ならば、置いておいても大丈夫だろう。と後部座席に置いて出てきたのだ。
「取ってくるか」
「え、でも……」
「瞬きしてる間に、戻ってきてやる」
 戸惑うような様子を見せる紫龍に軽くウィンクをして、シュラは瞬間的に小宇宙を燃やした。光速の動きをもってすれば、近くにある駐車場から荷物を取って戻ってくるくらい、瞬きする一瞬でできる。
 そしてシュラは、本当に瞬きするほどの一瞬で戻ってきた。
「ほら、取ってきたぜ」
「沙織さんから小宇宙は使うな、と言われているんじゃ……?」
「光速で動く俺が見えるのは、お前くらいのものだ。他の人間には気づかれてないんだから、問題ない」
 軽くそう言って、シュラは紅いも味のサーターアンダギーを一つ頬ばった。
 外はサクッとしていて、中はしっとしているそれは、なかなかに美味だった。
「美味いぞ」
「……いただきます」
 シュラに倣って、紫龍も一つ手に取ってかじりついた。
「なぁ、紫龍?」
「何ですか?」
「さっきコイツを割った鉈と、俺のエクスカリバー、どちらが切れ味がいいだろうな?」
 シュラは、戯れにわかりきったことを問いかける。
「あなたのエクスカリバーと比べられたら、鉈の方がかわいそうですよ。だいたい、エクスカリバーをそういうことに使っていいんですか?」
「ま、それもそうだな」
 叱るような口調で逆に問い返されて、シュラの方が負かされてしまう。
「それに……」
「それに?」
「もしあなたのエクスカリバーを使ってしまったら、ヤシの実だけでなく売店の台や地面まで切れてしまいますよ」
「ハハハ、それはもっともだな」
 紫龍の言葉に、シュラは思わず声をあげて笑った。
 こんな風に笑うのは、久し振りだと心のどこかで思いながら。

 サーターアンダギーとココナッツジュースで小腹を満たした二人は、イルカやクジラのショーを楽しんで、帰路についた。
 その日の夕食は、郷土料理を食べたいというシュラのリクエストを受けて、駐車場のある沖縄料理の店に入った。
 シュラはゴーヤ――ニガウリのチャンプルー、紫龍は麩のチャンプルーのセットをオーダーした。
「なるほど、苦味はあるが歯ごたえがいいな」
「ゴーヤですか?」
「ああ。お前も食ってみるか?」
 興味を示してくる紫龍に、シュラはフォークで――箸は使えないから、と店員に頼んで出してもらったのだ――ゴーヤチャンプルーを一口分すくって差し出してやる。
 もちろん、年上のシュラにこうされてたら断るはずがない、と見越した上での行動である。
 紫龍は少し戸惑った表情を見せたが、大人しくシュラの差し出したフォークを口に入れた。

 意図的に仕組んだ間接キスは、見事に成功した。

(まるで恋人同士のようなシチュエーションだな)
 この機会に紫龍をいただく、という旅の目的へとまた一歩近づいたことに、シュラは気を良くした。
 そのシュラの目に、テーブルの上に置かれた一つの瓶が飛び込んできた。
「紫龍、これは何だ?」
 瓶には何やらラベルが貼られているが、日本語で書かれているためにシュラには読めない。指差して紫龍に尋ねると、紫龍はそれを手に取って読み上げた。
「コーレーグース、だそうです」
「コーレーグース?」
「島唐辛子と書かれているので、かなり辛い調味料だと思いますよ」
「ほう?」
 興味がわいたシュラは、瓶を開けて一滴手の平に落して舐めてみた。
(なるほど、これは……)
 辛党のシュラでも少しひるんでしまいそうな、刺激的な辛さだった。
「どうですか?」
「確かに、かなり辛いな。だが、美味い」
 恐る恐る、といった様子で尋ねてくる紫龍に答えて、シュラはニヤリと笑った。
「空港にも売っているだろうから、買って帰るか。パスタにも合いそうだ」
「シュラ、料理もするんですか?」
「男の一人暮らしだからな。身の回りのことは一通り自分でするぞ」
「本当に何でもできるんですね、凄いな、シュラは」
 感心しながら麩のチャンプルーを口に入れていく紫龍を眺めながら、シュラも自分の皿を平らげていく。
 ゴーヤチャンプルーを味わいながら、シュラは一つの企みを思いついた。
(聖域に戻ったら、デスに食わせてやろう。ついでに、コーレーグースもな)
 デスマスクは酒好きだが、ああ見えて甘党だ。チョコレートを肴にワインを飲んでも平気な男なのだ。苦いものと辛いものは、彼は苦手なのだ。
(食ったアイツの反応が楽しみだ)
 デスマスクの反応を想像して、シュラは意地の悪い微笑を浮かべた。
「シュラ、シュラ」
「ん? どうした」
 そのせいで、自分を呼ぶ紫龍への反応が一瞬遅れてしまった。
「さっき、一口いただいてしまったので、こっちも食べてみますか?」
 問いかけながら、紫龍は自分の皿を差し出してきた。
 差し出された皿から自分のフォークですくって食べてもいいのだが。せっかくなのだから、それではつまらない。
 日常から切り離されて、二人きりで旅をして。
 水族館ではしゃぐ紫龍を見て、自分も少し浮かれているのだろう。そうは思ったが、湧き上がってきた欲求は抑えられなかった。
「食わせてくれ」
「え?」
「さっき、フォークで食わせてやっただろ? だから、今度はお前がその箸で食わせてくれ」
 言って、有無を言わさずに口を開けて、紫龍が箸でチャンプルーを差し出してくるのを待つ。
 紫龍は一瞬戸惑って、けれどすぐにシュラに言われたとおりにした。
 紫龍が箸で差し出してきた麩のチャンプルーを口に入れて。
 シュラは見事、その日二度目の間接キスをかすめ取ることに成功した。




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この第4章。
去年のクリスマスに母上と行った沖縄旅行をやや脚色して書きました(爆)

美ら海水族館にも行きましたし、あそこの混んだカフェで何とか座席をGETしてまったりしましたし、イルカのショーも見ましたし(笑)
ヤシの実ジュースも飲みました。冷たくて、甘さ控えめで、美味でした♪
本当にその場で割ってくれたんですよ、鉈で!

なお、沖縄旅行の記録は本館の「Travel」ページに写真があります。
よろしければ、そちらもご覧下さいませ~(^^)



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