I am with you

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I am with you



 それに触れた瞬間、見慣れた黒縁の眼鏡をかけた男の姿が脳裏を過ぎった。
 そもそも、廊下にこんな食べ物が落ちていること自体がおかしいのだ。にもかかわらず、それを拾い上げてしまったのは、何とも言えない甘い香りのせいだったのかもしれない。
 クリスマスを祝う豪華な食事をたっぷりと味わった後で、こんなケーキが入る余裕などどこにもないはずなのに。
 甘い香りに抗えず、俺はそのカップケーキを拾い上げてしまった。
(これを食べたら、いけない)
 頭のどこかで警鐘が鳴っている。
 黒縁眼鏡の下で、薄い唇が微笑を形作るのを、確かに俺は見た。
 あの顔は、作っている魔法薬の成功を確信した時の、いつもの顔だ。
(食べたらダメだ)
 頭ではそう思っていたのに。
 体が言うことを聞かなかった。まるで吸い寄せられるように、俺はケーキを一口かじって。
 少しして、意識を失った。


「目が覚めたかい?」
 気がつくと、俺は自分の部屋にいて、ベッドに寝ていた。
 眠るのに苦しくないように、と気を遣ってくれたのだろう。ネクタイもベルトも外されて、シャツのボタンが緩めてあった。
 ベッドの横には黒縁眼鏡をかけた見慣れた男がいて、俺の顔を覗き込んでいた。
「そろそろ目が覚める時間だと思ってね、紅茶を煎れておいたよ。ノン・カフェインの茶葉を選んだから、この時間に飲んでも睡眠に支障はない」
 全てを悟っているような顔をして、そいつはしゃあしゃあと言ってのけた。
「人に薬を盛っておいて、何の謝罪もなしか?」
「手塚に薬を盛った覚えはないけどね」
「だが、あれを作ったのはお前だ。手にした瞬間に見えたからな」
「相変わらず、眼鏡かけてても俺のことだけは見えるみたいだね、手塚」
 それも愛のなせる業かな、などとふざけたことを言って、乾はポットを取り上げてティーカップにお茶を注いだ。
 確かに眼鏡をかけている限り、触れた物から勝手に流れ込んでくる記憶はある程度食い止められる。眼鏡をかけている時に俺が読むのは、決まって乾が関わっている物だという事も、否定できない。が、それとこれは話が別だ。
「話を逸らすな、乾。お前、あれを何に使うつもりだった?」
「わざわざ聞くわけ? 知ってるくせに」
「お前が読ませてくれたからな。だが、俺は報告を受けていない」
「それに関しては、もう少し知らぬ存ぜぬを通してほしいんだけどね、俺としては」
 苦笑しながら、乾はベッドの上に起き上がった俺にティーカップを手渡した。
「まったく、お前は自分から面白がって首を突っ込み過ぎる。いい加減にしておけよ」
「面白がってたのは否定しないけど、でも話を持ちかけてきたのは越前の方だよ? かわいい後輩の頼みごとを、無下に断れ、とでも?」
 問い返すように言いながら、乾はベッドの端に腰を下ろして、試すように俺を見る。
「それに、これはあの人の意向でもある。干渉し過ぎない程度に力を貸してやってほしい、って手塚も言われただろ?」
 だから、自分にできる限りのことをしただけだ。
 と話す乾の言葉は間違っていない。間違ってはいない、が。
「だからといって、あんな場所にあんな物騒な物を落として行くな。拾ったのが俺だったからまだ良かったものの、他の寮生や先生が拾っていたら、大変だったぞ」
「それは、悪かったと思ってるけどね」
「少しは反省しているようだな」
「まさか、手塚が拾ってるなんて思わなかったんだよ」
 今日、俺以外のグリフィンドール居残り生が何をしていたのか、俺は知っていた。俺には黙っていてくれ、と口止めされているためか、乾は何も言わなかった。言わなかったが、教えてくれた。
 触れた物の記憶を読むことができる、という俺の能力を利用して。
(黙っててくれ、って言われたけど、何も知らせないわけにはいかないからね。どーせ、手塚に触れられたらすぐにバレることだし)
 そう言いながら俺の眼鏡を外して、俺を抱きしめて乾が伝えてきたのは、このホグワーツで最もサラザール・スリザリンに近い血を引いている跡部から話を聞くため、スリザリン寮へ潜入する必要があるのだと、乾に変身薬の製作を頼み込む越前と桃城、菊丸と不二の姿だった。
 ハロウィーンの夜に開かれた、秘密の部屋の情報を探るために必要なのだ、と記憶の中で越前たちが力説していた。
(一応、俺は手塚には知らせていないことになってるから、しばらくは見て見ぬ振りをしてくれるかな? 情報をもらって、分析して、はっきりしたことがわかったら、ちゃんと知らせるよ)
 そう話した乾の言葉を信用して、俺は今まで知らない振りを通してきた。そして、実行メンバーになった越前たちが暴走しないように、目付け役のつもりでクリスマス休暇も居残ることにしたのだが。
「まさか、こんな目に遭わされるとはな」
 眠り薬が入っているとわかっていて、ケーキを口にした俺も悪いのだが。それを作ったのも、廊下に落とすなんて間抜けなことをしたのも、乾だ。
 そう思うと、やけに腹立たしかった。
「だから、ごめんって」
 睨み付けてやると、反省の色が全く見られない表情で乾が言った。言いながら、俺の髪に手を伸ばしてくる。髪に触れて、指で俺の前髪を梳いた。
「でも、久しぶりに何も考えず、余計な記憶を見ることもなく、熟睡できたでしょ?」
「……それはそうだが」
 乾の指が、何度も何度も俺の髪を梳く。そうされているうちに、腹立たしい気持ちは少しずつ収まっていった。
 持って生まれたこの力のせいで、俺は寝る時でも眼鏡を外せない。この年になって、少しずつ自分でもコントロールが効くようになってきてはいるけれど、それでも時々突発的に読みたくもない記憶を読んでしまうアクシデントは起きる。このベッドに染み込んだ記憶が不意に流れ込んできて、夜中に目を覚ますことも何度かある。
 乾の作った睡眠薬は完璧だった。恐らく、眠ってから起きるまでの時間もきちんと計算して調合されていたんだろう。そして、眠っている間は記憶も意識もなかった。
 そんな風に眠ったのは、本当に久しぶりだった。
「だが、礼を言う気にはなれないな」
「まぁ、手塚のために作ったわけじゃないからね、アレは」
「まさかとは思うが、この紅茶にも一服盛っているわけじゃないだろうな?」
「それはないから、安心していいよ」
「そう言いつつ、お前は時々俺の紅茶に一服盛ることがあるからな」
「手塚が疲労困憊してる時に、少しだけだよ」
 俺の言葉に乾が苦笑する。まったく、恋人とはいえ、油断がならない男だ。
 けれど乾が言うとおり、今俺が手にしている紅茶は本当にただの紅茶のようだ。お茶の香りを楽しんで、一口含む。紅茶を煎れるお湯の温度も、抽出時間も蒸らす時間も、完璧に計算しつくされた乾のお茶は美味だった。
 その味と香りが、忘れかけていた記憶を呼び覚ます。
 俺は、前にも一度このお茶を飲んだことがある。今夜と同じ、クリスマスの夜に。
 それに気がついて、今度は俺が苦笑した。
「乾、お前は本当に……」
「どうかした、手塚?」
「ぬかりがない、イヤな男だ」
「……それは、どうも」
 俺に釣られたように、乾も苦笑した。やはり、わかっていてわざとこのブレンドを選んでいたようだ。
「手塚と一緒にクリスマスの夜を過ごすのは、4年振りだからね。少しくらい、思い出に浸らせてくれても、いいでしょ?」
 確かに、俺も乾もクリスマス休暇は毎年帰省組みだった。この時期にホグワーツに残るのは、1年生以来のことだ。
 恋人として付き合うようになってからは、初めてなのだと今更ながら気がついた。
「本当は、昨夜一緒に過ごしたかったんだけど。いろいろと仕込まないといけないことがあったからね」
 言いながら、空にしたティーカップを乾が俺の手から取り上げる。ティーカップを机に避難させて、再びベッドへ戻ってきたかと思うと、乾は我が物顔でベッドに乗り上げてきた。
「……勝手に人のベッドに上がって来るな」
「今更そういうこと言うかな?」
「うるさい」
「そうつれないこと言わないでよ。嫌なら、抱きしめるだけで何もしないから」
 軽く抵抗してみたものの、身長差に物を言わせた乾に腕を取られて、胸に抱きこまれてしまった。
「……1年の時は、偶然二人して残ったんだったよね、俺と手塚」
 一つ一つ思い出すように、乾は静かに話し出した。
 ホグワーツに入学した最初の年。両親が旅行に出る、という理由で俺はホグワーツに残留届けを出した。俺と乾を含め、5人で使っていた部屋に一人で残ることになるんだろう、と思っていたら、休みに入る直前で乾も残ることになった。父親の取材旅行に母親がついて行くことになって、家に帰っても誰もいないから、というのがその理由だった。
 何事もなく数日が過ぎて、クリスマスの夜に、俺は突然夜中に目を覚ました。
 ホグワーツは何千年もの歴史がある。部屋に置かれている家具も、何十人もの生徒が使ってきた年代物だ。当然、そこにはさまざまな記憶が染み付いている。
 その一つが不意に流れ込んできてしまったのだ。
 もう、それがどんな記憶だったのかは覚えていないけれど。落ち込んでしまうような、辛い記憶だったことだけは何となく覚えている。
(手塚君? どうかしたの? 眠れない?)
 目を覚まして泣いていた俺に、乾はすぐに気づいた。
 休みに入って二人だけになってしまった部屋で、乾はベッドを抜け出して俺の枕元へ近づいてきた。
(どこか体の具合でも悪いのかい? それとも、家が恋しくなった?)
 同じ学年で、同じ部屋に寝泊りしているのに、乾とは不思議とあまり話をしたことがなかった。その理由は俺が寡黙だったことと、俺の家の事情が事情なだけに近寄りがたかったのだと、後で乾が苦笑しながら教えてくれた。
 自分の能力のことを話してしまうわけにもいかなくて、その時の俺は嫌な夢を見たのだと誤魔化した。そして乾も、それを信用してくれた。
(この部屋じゃちょっと寒いから、こっそり談話室へ下りようか。あそこなら暖炉に火が入ってて暖かいし。俺で良かったら、話を聞くよ?)
 すっかり目が冴えて眠れなくなってしまった俺は、乾に誘われるまま談話室へ下りた。そこは乾が言った通りに暖かくて、こっそり茶葉を拝借して乾がブレンドしてくれたお茶も美味しくて、心が和んだ。
(こういう時は、一人でいるより二人の方がいいから)
 あまり深く事情を聞こうともせずに、乾はただ他愛のない話をして、俺がまた眠気に誘われるまで側にいてくれた。
「1年の時、もし俺がホグワーツに残ってなかったら、今こうして手塚の側にいることもなかったかもしれないな」
 そんなことを言って、乾が俺の髪に口づける。
「何故そう思う?」
「だって、あのクリスマスの事があったから、手塚は俺を一番の友人だと認めてくれるようになったわけじゃない? その第一歩がなかったら、こんな風に俺を好きになってくれることもなかったんじゃないか、と思ってね」
 珍しく、自信がないような口ぶりの乾に、俺は自分から腕を回して抱きついた。
「あの夜のことがなくても、俺はお前を好きになっていたと思うぞ」
「そう?」
 先を促すような口調で、乾が問い返してくる。
 口にするのは少し照れくさかったが、今日は特別な日だ。たまにはいいだろう、と思って言ってやることにした。
「どんな経緯を辿ったとしても、お前は俺を好きになっていただろう? 俺を好きになれば、お前はどんな手を使ってでも俺を振り向かせるはずだ。だから、あの夜のことがなくても、俺はお前を好きになっていたと思う」
「手塚……」
 乾がため息混じりに苦笑する。
「そういう嬉しいこと言ってくれると、襲うよ?」
「初めからそのつもりで部屋に来たんだろう?」
「それはそうだけど」
「寝込みを襲わなかっただけ、誉めてやる」
「……手塚、俺を何だと思ってるわけ?」
「恋人、だろう?」
 乾の背中に回していた手を緩めて、俺は自分から乾の唇を奪った。舌を潜り込ませて上顎や頬の内側を舐めると、たちまち乾は甘い吐息を漏らす。いつもならすぐに俺から主導権を奪うくせに、今日の乾は俺が自分から離れるまでされるがままになっていた。
「……珍しいな」
「………何が?」
「お前から何も仕掛けてこないのが、だ」
「クリスマスだからね。手塚からのプレゼントだと思って、ありがたくもらうことにしたんだ」
「……魔法薬調合セットだけでは満足できなかったか?」
 クリスマスプレゼントなら、今朝後輩たちが起き出してくる前に渡したはずだ。それだけでは足りない、などと贅沢なことを言う男ではない、と思っていたのだが。今日に限って欲張りなのだろうか?
「そういうわけじゃなくてね。手塚がこうして積極的に仕掛けてきてくれるキスは、別腹ってことだよ」
「だったら、お前も何かくれるということか?」
「それはもう、喜んで」
 試しに言ってみると、乾は恭しく俺の左手を取って、甲に軽くキスをした。
「こうして誰にも邪魔されずに二人きりで過ごせるなら、来年もホグワーツに残るかな?」
 そのまま顔を寄せてくる乾を少し押しとどめて、俺は聞き返した。
「来年だけか? 二人きりで過ごしたいのは」
「もちろん、再来年もその先も、ずっとだよ。手塚が俺を嫌いになるまで、俺は手塚の側にいる」
「その言葉、忘れるなよ?」
「忘れないよ。これでも記憶力には自信があるからね」
 クスクスと軽く笑いながら、乾が体重をかけてくる。俺は受け止めきれずに背中からベッドに沈んだ。
「メリー・クリスマス、手塚」
 俺に好きだと告げるよりも甘い声で囁いて、乾が俺に覆いかぶさりながら深く口づけてくる。
 メリー・クリスマス。
 そう言い返したくても、すぐに吐息と嬌声しか出せなくなってしまって。
 俺は乾にしがみつきながら、心の中でひっそりと呟いた。


Fin

written:2003.12.24

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