君が生まれた日に

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君が生まれた日に


 手塚国光は悩んでいた。
 悩んでいるといっても、人生についてといった難しいことではなく、今日の夕飯は何だろうといった下らないことでもない。
 悩み事は、下らないといえば下らないかもしれない。が、手塚にとっては重大な問題だった。
「5月31日、か……」
 練習メニューを記録すべく、部誌を広げて日付を書き込みながら、手塚は呟いた。
「どうしたんだ、手塚? 珍しくため息なんかついて」
 部室の鍵を預かるために残っていた大石が、手塚の声を聞きつけて心配そうに顔を覗き込んできた。部誌を広げる手塚の正面に座り、話しかけてきた。
「部活中もどこか上の空だったし。何か心配事でもあるのか?」
 青学テニス部を母の愛で支える大石は、部員の誰かが悩んだりしていないか、と常に心配している。常々、胃薬が欠かせないだろう、とは乾が言っていたのだったか。
「部誌だって、日付書いただけで進んでないじゃないか。具合でも悪いのかい?」
「いや、そうじゃない」
「だったら……」
「少し、考え事をしていただけだ」
「考え事?」
 鸚鵡返しに大石が尋ねてくる。
 手塚は、ここ数日、いやこの数週間ずっと考えていたことを、大石に言っていいものかどうか、少しの間ためらった。が、思い切って言ってみよう、と口を開いた。
「大石……」
「なんだい、手塚」
 乾とは違う、けれど優しい声が手塚を促す。
「大石は、好きな人に何かプレゼントを贈ったことは、あるか?」
「プレゼント?」
 逆に聞き返して、大石はそのまま少し固まった。顎に手を当てて、何か考えるような仕草をして、なるほど、と思いついたように笑った。
「そうか、もうすぐ乾の誕生日だもんな。それで悩んでたのか、手塚」
「……」
 スバリ核心を突く大石の発言に、今度は手塚が固まってしまった。
 6月3日は、乾の誕生日だ。二人が付き合うようになってから、初めての、乾の誕生日。
 去年の今頃は、二人はまだ恋人ではなかった。乾から好きだと告白されてはいたが、手塚はまだ乾を好きにはなっていなかった。
 だが、今年は。
「付き合い始めて最初の誕生日となると、やっぱりさすがの手塚でも気合が入るのか」
「そういうわけじゃない。ただ、何を贈ればいいのか、わからなくて考えていた」
「なるほどな。しかも、相手が乾となると、好みが難しそうだからな」
 大石の言葉を否定する材料は、手塚の中にはない。物事へのこだわりが強い分、乾の好みは細かくてわかりづらい。
 加えて、乾は手塚に関して膨大なデータを持っているが、手塚にはあまりそれがない。付き合うようになってから一緒に過ごす時間は増えたが、乾はなかなかその手の内を明かしてくれないのだ。まるで、テニスで負け続けていることのお返しだ、とでも言うように。
「それで、さっきの話だが……」
「ごめん、手塚。すっかり話が逸れたな。好きな人へのプレゼント、だろう?」
「ああ」
「一応、あげたことも、もらったこともあるよ」
「そうか」
 大石の誕生日は、確かひと月前だった。
「俺の好きな人は、好みがはっきりしてるからね。好きなことは好きって言うし、嫌いなものは絶対嫌いって言う。だから、それほど苦労はしなかったよ」
「そうなのか」
 手塚は、大石の相手が誰なのか、まだ知らなかった。乾は知っているようだったが、そのうちわかるから、と教えてはくれなかった。
「相手の好きな物を贈る、っていうのは、まぁ基本だからね」
「大石も、そうしたのか?」
「ああ。英二のヤツ、かわいい小物とか、新譜のCDとかよく集めてるからな。だから……」
「菊丸?」
 確かめるように手塚が口にしたのを聞いて、大石ははっと口をつぐんだ。いつものクセでつい、名前を呼んでしまったらしい。
 なるほど、菊丸だったのか。
 手塚は納得していた。ダブルスの要として青学を支え、傍目に見ても強い信頼で結ばれている菊丸なら、大石の恋人だと言われても疑問はない。そして、少なくとも菊丸は仲間内の中でも最も好みがわかりやすい人間だ。
 それほど苦労はしなかった、という大石の言葉にも頷ける。
 そして、乾がそのうちわかると言ったのは。大石が弾みで、失言として漏らしてしまう可能性を示唆していたのだ、と今になって理解していた。
「すまない。続けてくれ」
「と、とにかく、俺はそうしたけど……乾の場合は、そうだな……。手塚がくれた物なら、何でも喜びそうな気がするけどな、俺は」
「何でも、か……」
 確かに、乾ならば。手塚から贈られたものならば、例えそれが道端に転がっている小石でも大喜びすることだろう。
「ちなみに、手塚は何をもらったんだい?」
「グリップテープとリストバンドだ」
「なるほどな、乾らしい選択だね」
 もらったリストバンドが、実は乾と色違いでお揃いになっている、ということだけは、手塚は大石に言わなかった。そしてプレゼントに添えて、甘いとしか形容しようのないキスをされたことも。
「だが、それをそのまま返すわけにもいかないだろう」
「それはそれで、手塚らしくていいと思うけどな」
 手塚と乾に共通する事といえば、テニスくらいなのだ。読書に選ぶ本の好みも、趣味も、好んで聞く音楽も。乾と手塚では、重なっているようで微妙に違っている。
 だからこそ、自分とは違う視点に気付かされ、新たな発見も多いのだけれど。
「何が欲しいか、って直接聞く方法もあるけど」
 なるほど、と手塚は言いかけたが、大石はそんな手塚には気付かずに続けた。
「……できれば、パスしたいよな」
「何故だ?」
「手塚は、あらかじめ何をもらうのかわかっているのと、知らずにもらうのと、どちらがいい?」
「それは……」
 逆に問い返されて、手塚は考えた。
 先にこれが欲しい、と伝えた場合は、確実にそれが手に入るという安心感はあるが、何がもらえるのかという期待感は薄れてしまう。
 実際、乾にプレゼントをもらった時、手塚は密かに新しいグリップテープとリストバンドが欲しいと思っていた。けれど、乾は手塚に何が欲しいかを問うこともなく、手塚もこれが欲しい、と伝えることはなかった。
『前にガットを貼り直してもらいに行った時に、手塚、それ欲しそうにしてたから』
 それは、ほんの些細な出来事で。たまたま一緒に行きつけのスポーツ店へ行って、手塚が手にとって棚に戻したその行動を、乾は見逃さなかった。そしてちゃんと覚えていて、誕生日に贈ってくれた。
 乾には敵わない、と思うのはこういう時だ。手塚は多分、乾のそういうサインをほぼ見落としてしまっている。
 だから、今こうして悩んでいるのだ。
 そう話す手塚に、大石は微笑した。
「確かにな。乾のヤツ、そういう所は抜け目なさそうだ」
 だが、手塚にそういうことは期待していないだろう。という言葉は、大石の心の中にしまわれて、口から出ることはなかった。
 生徒会長とテニス部部長。二足のわらじを履いて、どちらも完璧にこなし、かつ学年首席を誇るこのミスター・パーフェクトが。恋に関しては自分より不器用だ。
 そのギャップが、乾にとってはたまらない魅力に感じられるんだろうな。
 そう思えば、手塚のこんな姿がとても微笑ましいものに思えた。もちろん、自分の恋人のかわいらしさには到底及ばないのだが。
「あとは、そうだな……乾の気持ちになって、どんな物を欲しがるか、考えてみたらどうだい?」
「乾の気持ちに、なる?」
「そう。自分が乾だったら、何を欲しいと思うか、考えてみるんだ」
「なるほど……」
 大石の言葉に納得しかかったとき、携帯電話が鳴った。クラシックの有名な曲を加工したその着メロは、大石のものだった。
 大石はスラックスのポケットから電話を取り出して、ボタンを1つ2つ押して操作すると、口元を綻ばせた。
「菊丸か?」
「ああ。不二やタカさんと一緒にハンバーガー屋にいるから、終わったら来いって。メールがね」
「そうか」
 ならば、早くこの部誌を書き上げて、大石を菊丸に引き渡さなければ。
「話に付き合わせて、悪かった」
「いいよ。手塚から恋の相談を受けるなんて、そう滅多にあることじゃないからな」
 そう言って微笑する大石を軽く睨んで、手塚は部誌作成に専念することにした。

「腹減っただろう? 晩飯作るから、適当にテレビでも見て待ってて」
 6月3日当日。
 その日は平日だったが、手塚は部活が終わって一度家へ戻り、翌日の準備をしてから乾の家へ押しかけていた。両親の帰宅が遅いという乾は、手塚が訪問するといつも手塚を待たせて夕食の支度をする。
「誕生日なのに、一人なのか?」
「仕方ないよ。父親は出張だし、母親は会社が忙しいからね。その代わり、昨日家族で食事して、プレゼントもらったし」
「そうなのか」
「それに、おかげでこうして、手塚と二人きりで誕生日を過ごせるようになったから、いいんだ」
 特に気取るわけでもなく、自然な口調で乾はそんな事を言ってのける。こんな時、いつも手塚は乾が本当にそう思っているのだと、気づかされる。
 自宅から乾の家へ来る途中、手塚はパティスリーでケーキを買ってきた。自分の誕生日に、乾がケーキを買ってくれたその店を、手塚は覚えていたのだ。
『手塚は、和風なのがいいかと思ってね』
 そう言って、スポンジと生クリームに抹茶を練りこんで、白玉や小豆、小さな栗と柿の切り身をあしらったケーキを買ってきてくれた。それは、手塚の好みにぴったりと合い、乾のデータの正確さに舌を巻くことになった。
 が、今日は乾の誕生日だ。自分の好みで買うわけにはいかない、と手塚は別のケーキを選んだ。
『ビターなチョコレート、結構好きなんだ』
 そう乾が言ったのは、確かバレンタインデーのこと。数え切れないほどの女子から、抱えきれないほどのチョコレートを押し付けられた手塚は、その始末に困って乾に泣きついた。その大半は、母親が嬉々として別のお菓子に変貌させ、一部は乾の手に渡った。自分で食べたのは、乾が自分に贈ってくれたものだけだ。
 とにかく、乾は手塚が受け取ったチョコを食べながら、そう言っていた。
 ならば、チョコレート系か。そう考えて、手塚は無難そうなザッハトルテを持参した。そのケーキは、食後の楽しみに、と冷蔵庫に直行している。
 トントントン、と包丁がまな板を叩く小気味いい音を聴きながら、手塚はテレビを見るともなく眺めていた。画面にはニュース番組が流れていたが、手塚の頭にはその内容は全く入ってこない。
 プレゼントをいつ渡すか。その時に何と言えばいいのか。
 手塚の頭を占めているのは、そんなことだった。
『自分が乾だったら、何を欲しいと思うか、考えてみるんだ』
 相談を持ちかけた大石は、そう手塚にアドバイスしてくれた。それを受けて、手塚は利発ではあるものの、普段はほとんど使っていない部分の脳みそをフル回転させて、考えに考え抜いた。
 その結果、プレゼントするものを思いついたのだが……。
 乾が喜んでくれるかどうか、全く想像がつかなかった。
 そんなことばかり考えていたせいか、食事中に乾が心配そうに手塚の顔色を窺ってきた。
「手塚……今日の晩飯、味付け悪かったかな?」
「え? いや、すごく美味いぞ」
「そう、だったらいいけど」
 食事中は食べることに専念し、食後のケーキとお茶も腹に収まり、乾が後片付けを終えてきた時。手塚は、勇気を振り絞って用意していたプレゼントを差し出した。
「これは?」
「誕生日だろう、だから、プレゼントだ」
 試合の時は刺すような目で相手を見据える手塚の視線が、泳いでいる。明らかに照れている様子に、乾は軽く息をついて、優しく囁きかけるように応えた。
「ありがとう、手塚」
「……」
「開けていい?」
「ああ」
 嬉しそうに微笑して、乾はリボンがかけられた包みを開けた。見慣れた、いつも利用しているスポーツ用品店の袋だと、見ただけでわかる。中に入っていたのは、リストバンドとタオルだった。
「……すまない」
 ありがとう、と言うために唇の形を作ろうとした乾が声を出す前に、手塚が言った。しゅんとしてしまった手塚に、乾は首をかしげた。
「なんで、手塚が謝るんだい?」
「何を贈られたらお前が喜ぶのか、考えたんだ。考えたが……それしか浮かばなかった」
 恋人として付き合うようになって、1年近く経つけれど。抱き合ったり、キスしたり。セックスも何度かして、誰よりも好きで、誰よりも傍にいるけれど。
 結局、乾と手塚を結ぶものはテニスしかないのだ。テニスをしていたからこそ、手塚は乾に会えた。そして、乾も。テニスを続けていたからこそ、手塚を意識していつしか好きになった。
 乾も手塚も、趣味と呼べるものはいろいろあるけれど、一番好きなのはテニスしかないのだ、という結論に至って。
 結局は、テニス用品に落ち着いてしまった。
 生徒会長として全校生徒の前で流暢に挨拶をする手塚とは、全く別人のような手塚がそこにいた。口下手で、自分の気持ちを表現することに慣れていなくて、言葉を一つ一つ探すようにして話す手塚が。
 それも全て自分のためなのだ、と。乾は思って優しく微笑した。
「嬉しいよ、手塚。ありがとう」
 言葉だけでは伝わらないかもしれない、と。乾はそう言いながら、手塚の頬に触れた。斜め向かいに座っている手塚に、右手を伸ばして。
「手塚が精一杯俺のことを考えてくれて、そういう結論を出してくれたんだろう? だから、このプレゼントも、お前の気持ちも、俺は嬉しいよ」
「乾……」
 乾の大きな手が、手塚の頬を撫でる。手塚より少し体温が高い乾の手は、そのまま乾の温かい気持ちを移しているようで、触れられるといつも安心できた。
 今も、手塚が気に病む必要などないのだと、言い聞かせるように優しく手塚の頬をなぞり、指先で手塚の唇にキスをする。
「お前の好きなものが何なのか、考えたんだ」
「それで、テニスっていう結論だったわけ?」
「ああ。野菜汁とか、パソコンだとか、データ分析だとか。お前の趣味は、何を贈ればいいのかよくわからないものばかりだからな」
 言って、手塚は唇をなぞる乾の指を舐めた。そういえば、去年の乾の誕生日にも、手塚はこうして唇に触れる乾の指を舐めて、驚かせたのだったな、と思い出しながら。
 あの時はまだ、手塚は乾を好きになっていることにも気かなくて、二人は恋人ではなかった。乾の指を舐めたのも、触れさせてくれと言ってきた乾への、悪戯心からだった。
 それから1年経って。施す行為は同じでも、気持ちは全然違っている。あの時はぎこちなかった乾の指も、手塚の肌に馴染んでいる。
 手塚はチュ、と音を立てて軽く指先を吸ってみた。普段はストイックなくせに、手塚に触れる時は手塚の熱を煽り、時に憎たらしいほど淫らになる、乾の指。この指も、乾貞治という人間を形作るパーツの一つなのだと思うと、急に愛しく思えた。
「手塚、誘ってるの?」
 1年前はただ驚くだけだった乾が、不敵な微笑を浮かべて手塚に問う。
 誘っている? そうかもしれない。
 そう思った時、手塚は不意に気がついた。
自分は、一つ忘れている。乾の好きなものの中で、最も比重が重いものを。ほぼ毎日のように、好きだと囁くものを。
 ここにあるじゃないか。乾の一番好きなものが。
 何故、今まで気づかなかったんだろう。手塚は苦笑して、答えた。
「ああ、誘っているんだ、乾」
「手塚?」
 素直に肯定されて、乾は本気で驚いていた。いつもの手塚なら、こんなことを言われたら、ムキになって否定するはずなのに。それが、こんなにあっさり認めるなんて。
「もう一つ、お前に贈るべきものを思いついた」
 今日は乾の誕生日で。特別な日だからこそ、こんな自分も許されるはずだ。
 手塚は頬に触れている乾の手を外して、ソファから立ち上がり、乾の正面に立った。腰をかがめて、両手で乾の頬を挟み、自分に向けさせる。
「お前が一番好きだと思っているものを、お前にくれてやる。だから、受け取れ」
 そう言って、眼鏡がぶつかるのも構わずに、手塚は乾の唇に自分のそれを重ねた。最初は軽く触れる程度で、次第に深く重ね、吐息を絡ませて自分から舌を差し出す。
 手塚に舌を入れられて、されるがままになっていた乾は、これが答えだと言わんばかりに、途中で主導権を奪取した。ぐい、と手塚を引き寄せて、倒れこむ勢いを利用して下から抱きすくめる。手塚は身体を支えきれずに、乾の背中に腕を回してすがりついた。
 濡れた音をたてて、名残惜しそうに糸を引いて唇が離れた頃には、二人の息はすっかり上がっていた。
「このプレゼント、部屋に持ち込んでいいかな?」
 キスで上気した顔で、乾が手塚を見上げてくる。乾の身体から、自分の臭いがすることに高揚感を覚えながら、手塚は頷いた。
「では、ありがたくいただきます」
 さっきまでの濃厚なキスが嘘のような、羽が掠めるような軽いキスをして。乾は手塚を自室へ導いた。
 手塚をベッドに横たえた乾は、ゆっくり時間をかけて手塚を脱がせ、たっぷり時間をかけて手塚の身も心もトロトロに蕩かせて。じっくり時間をかけて手塚を味わった。
 そして、何度も達して意識が飛びそうになった時。乾が手塚にねだった。
「手塚、もう一度おめでとう、って言ってくれる?」
「え?」
「もうすぐ、日付が変わる。俺が生まれたの、これくらいの時間なんだ。3日から、4日に変わる直前にね。だから、今聞きたい。手塚の口から」
 何度目かの欲望を手塚の中に吐き出して。余韻を味わう乾に、艶を含んだ声でそう囁かれて、手塚が逆らえるはずもなかった。
「誕生日、おめでとう、乾」
「ありがとう、手塚」
 そして再び、唇が重なった。


Fin


<翌朝のテニス部部室にて>
「あれ、今日手塚は? 朝練来てないの?」
 朝練遅刻組の菊丸が、部室のドアを開けて中に入ってきて開口一番そう言った。いつもなら、遅れてきた人間を見つけたら必ず、
「規律を乱すヤツは許さん。グランド20周だ!」
 という怒鳴り声が響いてくるはずなのに、今日はそれがなかったからだ。
「そういえば、そうだね。珍しいな、手塚が遅刻なんて」
 同じく遅刻組で、ポロシャツに着替える途中の不二がそれに応じた。
 今日は昼から雨かな、などと二人が笑い合っていると、大石が部室に駆け込んできた。
「乾!」
「あ、おっはよー、大石ぃ」
「英二、また遅刻したのか。ちゃんと起きなきゃダメだ、って言っただろう?」
「だってぇ、今朝は朝飯当番だったから、朝から大変だったんだもーん」
 少しも悪びれた様子を見せず、菊丸は大石に言い返す。そこへ、不二が横槍を入れた。
「朝から見せつけないでくれるかな、二人とも? それも、部室で」
 氷の微笑を見せる不二に、二人揃ってそんなことない、と言い返して大石と菊丸は顔を見合わせた。そのまま見つめあいそうになる雰囲気を察して、不二がそれを断ち切る、と言わんばかりに話の矛先を変えた。
「それより、乾探してるの、大石?」
「あ、ああ。そうなんだ、不二。まだ来てないみたいなんだけど……」
「練習メニュー、もらってないの?」
「ああ。いつも乾が来てから、今日の練習メニューの説明があるからな」
 大石の言葉を聞きながら、不二はポロシャツの最後のボタンを留め、ふと気づいたように言った。
「そういえば、昨日って確か、乾の誕生日だったよね」
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「手塚って、乾の家に泊まるとか何とか、言ってたよね」
「うんうん、言ってた、言ってた。俺、ばっちり聞いちゃったにゃー」
 シャツのボタンを外す途中の菊丸が、楽しそうに割り込んできた。
「時間にうるさい二人が、揃って遅刻っていうことは……」
「いうことは?」
「あ、まさか!」
 不二の言葉に、いささか鈍い大石は首をかしげ、敏感な菊丸はひらめいたように指を鳴らした。
「その、まさかだと思うよ。二人とも、今朝の朝練は欠席だね」
「っていうより、起きられないんじゃないかにゃー?」
「特に手塚がね」
「……って、おい、不二、英二」
 さすがの大石も、気づいたらしい。ゆでたタコのように顔を赤くした。
「今頃、時計見て慌ててたりしてね」
「ありうる、ありうる」
 不二と菊丸が顔を見合わせて笑っていると、ロッカーから携帯電話が鳴り響いた。大石の着メロだった。発信者は……
「乾からだ」
「悪いが、俺と手塚は朝練に行けない。練習の方は、適当に頼む」
「あ、おい、乾!?」
 と手短に、一方的に、突っ込みを入れる余裕もなく、用件だけを言って切れてしまった携帯電話を、大石は呆然と見つめていた。
 そんな様子を見て、不二と菊丸は、部室が揺れるほどの声で爆笑した。
「二人とも、放課後の部活はグランド50周だな」
 大石は、持病の胃痛が出そうな面持ちで、そう呟いていた。

written:2003.6.1

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