Rose Tea

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Rose Tea



「手塚」
 そのカップを受け取った瞬間、俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
 弾かれたように彼を見上げると、不思議そうに俺を見下ろす顔があった。それを見て、俺は気がついた。それは実際に彼が言葉として発したものではなく、このカップが記憶した彼の想いだということに。
「どうかした?」
 優しく聞き返してくる声に、俺は首を振る。
「いや、何でもない」
「そう?」
 彼が手渡してくれたカップは、俺にとってちょうど飲みやすい温度になっていた。ほんのりとバラの香りがする紅茶。……俺は、実はこの紅茶が一番好きだった。
 俺が熱い飲み物を好まないということ。
 この銘柄の紅茶が一番好きだということ。
 俺は、自分からは一度も好みを彼に話したことはないのに。彼はそれを見てくれていた。そして、それを心地よいと感じる自分がいて。
 俺は知っていた。
 彼が、俺に好きだと告げるよりずっと前から。彼が、俺を好きでいてくれたことを。

「手塚、どうしたの?」
 カップに注がれた紅茶を飲んで少しぼんやりしていると、乾が心配そうに話しかけてきた。
「あ……」
 俺は顔を上げて、ベッドに腰掛ける乾を振り返る。
 乾の声で我に返り、同時に現実へ引き戻される。
「少し、ぼんやりしていた」
「手塚が? 珍しいね」
 正直に答えると、乾が苦笑して紅茶を口に含んだ。
 それを見て、俺は自分がぼんやりしていた原因に思い当たった。この、お茶のせいだ。
 夜だから、とカフェインの少ない茶葉を使っているが、乾はその茶葉に乾燥させたバラの花びらを混ぜている。口に含むと、ほのかにバラの香りがした。
「思い出していたんだ」
 カップの中に視線を落として、俺は静かに言った。
「思い出していた、って、何を?」
「お前が初めて、ローズティを煎れてくれた日のことだ」
「へぇ?」
 乾がベッドから立ち上がるのが、気配でわかった。立ち上がって俺の側へ来て、カップを机に置いて、そっと肩に手を載せる。眼鏡をかけているせいで、それほど強くは感じなかったけれど、乾がこの紅茶を煎れながら、俺のことを考えていた様子が見えた。
 俺には、触れた物や人の記憶を読む能力がある。それは努力の末に見につけたものではなく、先天的なものだった。だが、日常生活を送る上で触るもの全ての記憶を読み取ってしまうというのは、かなり不便なことだ。
 そのために、俺は力を抑える魔法がかかった眼鏡をかけて過ごしている。
 それでも、乾のことだけは。彼が最も強く思っていることが、眼鏡をかけていても俺には見えた。
 今のように。
「でも、これはあの時に煎れた銘柄じゃないけど」
「それでも、それに似せた味にしてあるだろう?」
「まぁね。その方が、手塚は好きだろうと思ったから」
 言いながら、乾が俺の肩を抱く。触れている部分が増えると、より鮮明に乾の記憶が見えるようになる。わざわざ俺に持ってくるためだけに、この紅茶を煎れた光景が見えた。
 俺は乾の肩に頭をもたれかけながら、もう一つ、思い出していた。
 乾に好きだと告げられて、俺も好きだと言って。同時に、この能力のことを知らせた日のことを。
「そういえば……」
 心の中だけで思っていたつもりが、声に出してしまった。すると、乾がクスリと笑った。
「思い出した?」
 どこか楽しそうな声に、俺はつい苦笑してしまった。
「お前、わざとだな?」
「当然でしょ? だって、恋人になってから1周年だよ?」
「まったく……」
(手塚、思い出してくれるかな?)
 声には出さない乾の言葉が、脳裏に直接響いてきた。目を閉じると、乾が俺のことを考えていた様子が見えてきた。
「今、見えてる?」
「ああ」
「じゃぁ、俺があの時以上に君のコト好きだっていうのも、伝わってるね?」
「……ああ」
 あの時の約束どおり、乾は何も隠さずに全て俺の前にさらけ出す。
 俺は、乾から伝わってくる記憶の海に、心を委ねていた。


 その夜、俺の部屋を乾が訪ねてきた。
 俺に告白しに来たのだと、言われるより先に俺は知っていた。その日の夕方に彼に手渡されたカップから、彼の決意が伝わってきていたからだ。
 俺は、3年生になってから監督生に選ばれた。そしてそれまで乾をはじめ、同学年の5人と一緒だった部屋から個室へと移ってきた。グリフィンドール塔の最上階にある、監督生用の個室へ。
 俺は乾を部屋に招き入れて、ベッドに座らせた。
 鼓動が少し速くなっていた。乾とこうして二人きりになるのは、初めてだった。
 2年生までは同室だったが、他にも同級生たちが一緒だった。俺が個室に移ってからも、乾がここを訪ねてくることはなかった。話しかけてくる時は、いつも談話室だったから。
「こんな時間に、悪いね」
「いや……大丈夫だ」
「そう、ならいいんだけど」
 天蓋つきのベッドに腰掛けて、乾はどこか落ち着かないように視線をあちこちにさまよわせ、しきりに眼鏡を触っていた。
 その意味も、俺にはわかっている。ここまで来たものの、どうやって切り出そうかと迷っているのだ。
「監督生の個室って、意外と広いんだね」
「ああ。相部屋に比べたら、そうだろうな」
 いつもは口数の多い乾が、そう言ったきり黙ってしまった。何をどう伝えようかと考えているのだろうと、俺には想像がついた。
 だが、それを俺から言ってしまえば。俺は自分から特殊な能力のことも、ずっと前から乾の気持ちを知っていたことも、全てバラしてしまうことになる。そのことで、乾に嫌われてしまったら……。
 俺は、それが怖かった。
 ……怖い?
 不意に、俺は気がついた。俺はどうして、怖いと思うんだ?
「あのさ、手塚……」
 乾がベッドから立ち上がって、机の椅子に座りこんでいる俺の側に立った。触れてもいないのに、乾の鼓動や気持ちが伝わってくるようだった。
「手塚、俺……」
 俺を呼ぶ声は、いつも彼が手渡してくれるカップから伝わってくる気持ちと同じように、優しい響きを帯びていた。その中に、戸惑いが混じっているのを、俺の耳は聞き取っていた。
 ……聞き取れるように、なっていた。
「俺は、君が好きなんだ」
 いつも記憶の残滓として読み取ってきたその想いが、ようやく彼の口から告げられた。
「告白したら、君を困らせてしまうかもしれない、と思った。だから、言わないでおこう、って考えたよ。だけど、君が俺をどう思っていても、君を好きだと思う気持ちは変わらないから。せめて、この気持ちだけでも伝えておこうと思ってね」
 一度告げてしまったら、堰を切って溢れ出すように、乾の口からスラスラと言葉が出てきた。
「自分の気持ちを押しつけるつもりも、ないよ。手塚が応えたくないなら、俺の気持ちに応えてくれなくてもいいんだ。ただ、手塚を好きでいることは、許してほしい」
 懇願するように、乾は言った。それはとても彼らしい言い方だった。
 そんなこと、俺に許しを請うことではないのに。本当は、こうして告げられるずっと前から、乾が俺を好きでいることを知っていたのに。
 そう思うと、何故だかわからないけれど、少し哀しかった。
 乾はこんな風に俺のことを思っていてくれるのに。
 ずっと、俺のことを見てくれていたのに。
 他の誰もわからない、俺のちょっとした表情の違いや、好みがわかるほどに。
「手塚、俺は……」
「……っ――!」
「あ……」
 俺に触れようと伸ばされた手から、俺は反射的に逃げてしまった。
「――ごめん、俺に触れられるのもイヤだなんて、気づかなくて……」
「違うんだ!」
 俺の態度を誤解して、落胆したような声音に、俺は思わず言い返していた。驚いたように見つめ返してくる乾に、なんと説明していいのかわからずに、俺はしどろもどろになった。
「違うんだ……。触れられたくないほど、お前を嫌っているとか、そういうことじゃないんだ」
「手塚……?」
 乾が俺の反応をどう解釈していいのかわからずに、戸惑った表情を見せた。
 そして、俺も迷っていた。
 自分の力のことを言うべきかどうか。このことを言わずに、どうやって乾を納得させればいいのか。いやむしろ、全て話して、それでも俺を好きでいられるかどうか、訊いてみようか。
「俺は、俺は……」
 もし、全て知ってしまったとしたら。それでも乾は、今俺に言ってくれたように、変わらず俺を好きだと言ってくれるんだろうか。
 ほのかな期待が、胸をよぎる。ずっと俺のことを見続けて、好きでいてくれた乾なら、もしかしたら……。
「手塚……」
 俺を呼ぶ声は、酷く優しかった。
「そんな顔されたら、抱きしめてしまいそうになる」
「……? ――ぁ……」
 見上げた乾の表情も、俺が今まで見てきたどの顔よりも、優しくて、切なげだった。俺は、胸が締めつけられるような気がして、乾から視線を外すことができなかった。
「俺に触れられるのは、嫌? 誰かに触れられるのが、怖い?」
「え――!?」
 乾の言葉に、俺は意表を突かれていた。
「気に障るようだったら、謝るよ。ただ、手塚……いつも誰かと接触するのを避けてるみたいだから。何か事情があるのかと思って」
「乾……」
 そんなことまで気づいていたのかと。
 俺は驚くと同時に、どうしようもなく嬉しかった。
 俺の気持ちに気づいたのか、それとも自然とそんな表情になったのか。乾はふっと微笑った。
「話してみる気、ない?」
 甘美な誘いに、流されそうになる。
 あと少し、ほんの少し手を伸ばせば、触れられるほど近くに乾がいる。その距離を更に縮めようと俺に詰め寄る乾から、俺はどうしてかわからないけれど逃げていた。
 椅子から立ち上がって、後退さる。
 乾が詰め寄って、俺が後ろへ下がって。気がつくと、俺は壁まで追い詰められていた。
「っ……!」
 顔の両側に乾が手を突いて、それだけで俺は逃げられなくなってしまった。背中には壁が、左右には乾の腕が、前には乾が迫っている。
 互いの息がかかる距離で、それまで優しく語りかけていた乾が急に口調を変えた。
「話せよ、手塚。話さないなら、無理にでも君に触れるよ」
「俺を……脅すつもりか?」
「言っただろ、好きだって。他の誰も知らない君の秘密を独占できるチャンスだからね、みすみす逃すほど、俺はバカじゃないんだ」
 そう言って笑う顔は酷く意地悪で、けれど俺は目を逸らすことができなかった。
「訳を話すのと、無理に触れられるのと、どっちがいい?」
 今まで隠し続けてきた意地悪な表情を初めて見せて、乾は俺に究極とも言える選択を迫った。
 この状況では、どちらにせよこの力のことは知られてしまう。ならば……。
「一つ、訊いていいか」
 喉の奥から搾り出すように告げた声が、震えているのが自分でもわかった。
「何?」
 尋ねて返してくる声が、さっきまでの意地悪な口調からは考えられないほど優しくて、目の奥がツン、となった。
「今から話すことを聞いた後も、お前は俺を好きでいてくれるか?」
「……ああ」
 乾は少し考えて、俺の望む答えをくれた。
 そして、俺は乾に全て話した。俺が持って生まれた能力のことを。
「……さっきお前から逃げたのも、あまり他人に触れないようにしているのも、そのためだ」
「それで、手塚って顔を洗う時くらいしか、眼鏡外さないんだね」
 乾は深く頷いて、納得したように呟いた。
「お前が俺に触れれば、俺はお前の記憶を読んでしまう。それでも、俺に触れたいと思うか?」
「手塚になら、全部見られてもいいよ、俺は」
 尋ねた俺に、乾は何でもないことのように答えた。
「記憶が読めるってことは、俺は手塚に嘘つく必要も、隠し事する必要もない、っていうことでしょう? それに、手塚だって。俺が本音を言ってるかどうか、いつでも確かめられるじゃない。こんな風に」
 言うが早いか。乾の顔が近づいてきたと思ったら、唇に柔らかい何かが押しつけられた。それは軽く触れて、すぐに離れてしまった。
 あまりに突然で、ほんの一瞬のことで。でも、強烈な何かが俺の中を駆け抜けていった。
「乾……?」
「こんな一瞬じゃ、読み取る暇もないか」
 あまり身長は変わらないけれど、乾は柔らかく苦笑して俺を見下ろした。
「知りたくない、手塚? 俺が、どれほど手塚のこと好きか」
「それは……」
「俺が収集したデータと、それに基づく分析が間違っていないなら、君も俺を好きでいてくれると思うんだけど。俺の記憶を読み取る能力があるっていうなら、ほんの少し手を伸ばすだけで、手塚は俺の気持ちを確かめることができるよ」
 乾にそう言われるまで、俺はそんなことを考えたこともなかった。
 どうやって抑制するか、周りから不自然に見られないようにするか。
 俺が考えていたのはそればかりで、利用することまでは考えなかった。いや、考えてはいけないような気がしていた。
「手塚」
 乾が誘うように、俺に右手を差し伸べた。
 手のひらを上に向けたその手に、俺が自分の手を乗せたら。俺は、今まで俺を思い続けてきた乾の記憶を見ることができる。乾がどれほど強く俺を思っているのか、知ることができる。
「いいのか、お前は、それで」
「いいよ。魔法使いの中には、時々そういう力を持って生まれる人間がいるってことは、知ってるし。まさか、手塚がそれだとは思わなかったから、驚いたけど。でも、そんなことで手塚を嫌いになったりはしないよ」
 疑うなら、自分で確かめてごらん。
 そう言っているように、乾は俺に差し出した手を軽く揺らした。
「俺がどれほど手塚を好きでいるか、見せてあげる」
 根気強く俺を待ってくれるその言葉に、俺は抗えなかった。
 乾の手に触れた瞬間、眼鏡をかけていても強く伝わってくるものがあった。
 何度も好きだと言いそうになって、その度に衝動を抑えつけてきた記憶。
 ちょっとした反応の違いも見逃さないようにと、でも俺にできるだけ気づかれないようにと気を配りながら、俺を見続けてきた記憶。
 いや、こんなものではないはずだ。間接的に触れたカップからも、その想いが伝わってくるほどの強い気持ちだったのだから。
 もっと、見たい。
 俺は眼鏡を剥ぎ取って、もっと深く感じられるようにと、自分から乾に抱きついていた。
「手塚……!」
 驚いて一瞬身を引きかけて、でもすぐに乾は俺を強く抱きしめた。
「あ……ぁっ…あ――っ!」
 膨大な記憶が、一気に俺の体を駆け巡っていく。俺の全てを、乾が埋めつくしていく感覚に、俺は立っていられないほどに翻弄されて乾にしがみついていた。
「手塚、大丈夫か? 少し、離れた方が……」
「いい…から、このまま……」
 乾いた砂が水を吸うように、俺は乾の記憶を、その記憶に埋め込まれた乾の想いを吸収していた。俺が思っていた以上に強く、激しく、時に暗い愉悦やあらぬ妄想まで含まれたその全てを。
 俺になら全部見られてもいい。
 その言葉が嘘ではないと、乾はその身をもって証明してみせてくれた。
 つま先から、髪の毛の一筋一筋にまで、乾が浸透していく。俺の全てを乾が満たしていく感覚に指先が甘く痺れて、乾の背中を抱く腕に力が入らなくなってしまった。
「好きだよ、手塚」
「俺も、好きだ。乾……!」
 優しく囁く声に、俺は自然に応えていた。
 さっきは掠めるように、一瞬だけ触れた唇が重なってくるのを、俺は目を閉じて受け入れた。俺の唇をついばみ、甘噛みし、徐々に深くなっていくキスに俺は夢中で応えていた。
「……手塚……ベッド、行く?」
 長いキスから俺を解放して、すっかり乱れてしまった息の間から囁かれた言葉に、俺はただ夢中で頷いて、乾の肩に自分から頬をすり寄せていた。


「てーづーかっ」
 間延びしたような甘い声が、俺を現実に引き戻した。
 半ば夢を見ているような心地で、乾に身体を預けたまま、俺は1年前の記憶を辿っていたのだ。
「そんなにじっくり思い出してたの?」
「ああ。あの時のお前の告白は、なかなか心地よかったぞ」
「でしょ? 一世一代の大告白だったからね、我ながら」
 クスクス笑いながら言う乾の息が頬にかかる。あとちょっと顔を動かせば、キスできるこの微妙な距離を、俺は何よりも気に入っている。
「それで、どこまで思い出した?」
「当ててみろ」
「正解したら、何かくれる?」
「何がいい?」
「うーん、そうだなぁ。70%以上正解でキス。100%正解で手塚本体、っていうのは、どう?」
「……お前、それしか考えていないのか?」
「だって、手塚が今腕の中にいるんだよ? 他に何考えろって言うの」
 この微妙な距離で、ゲームのような駆け引きをする楽しさが、病みつきになりつつある。最初は乾が軽く持ちかけてきたのだが、構ってやっているうちに俺の方が楽しくなってしまった。
 もっとも、乾とベッドへ行く直前まで、とはさすがに言いづらい。そんなことを言ってしまったら、それこそ乾は大喜びで「その時の再現を」と言って俺をベッドへ引きずり込むだろう。……恐らく、確実に。乾流に言うなら、そう言い出す確率100%といったところか。
 乾に抱かれることそのものには、もう抵抗はない。というより、最初の時から俺は心も身体も全て、乾に向けて開いてしまっていた。
 が、自分から求めていると素直に告げることには、まだ抵抗がある。乾のように、大っぴらに口にするのは憚られた。
 俺のように相手の記憶を読む能力は持ち合わせていないが、こと俺に関する観察力はずば抜けている乾には、そんなこともとっくに悟られてしまっている。だから、あの手この手で俺を誘うのだ。
「……そうだな。俺としては、告白した後の初エッチを思い出してくれてた、っていうのが一番嬉しいんだけど」
 それなりに真剣に考えた乾が、弾き出した答えを口にする。
「それにしては、手塚の体温にも表情にも変化が見られなかったから、その一歩手前ってところかな。どう?」
 確認するように、乾は俺の顔を覗き込んできた。分厚いレンズの奥で、正解を確信している目が、笑んで俺を見つめていた。
 ……やはり、悔しいが乾は正解に辿りついてしまった。
 仕方ないが、約束は約束だ。俺はわざとため息をついて、乾の頭に腕を回した。
「正解だ。まったく、お前本当は俺の記憶が読めるんじゃないのか?」
「そんな力、俺が持ち合わせてないってことは、手塚が一番よく知ってるんじゃない?」
 さっきと同じようにクスクス笑いながら、乾が俺の顎をとらえて自分の方へ向けさせた。
「じゃぁ、約束どおり、手塚本体をもらうよ」
「仕方ない、約束だからな」
「ただエッチするだけじゃつまらないから、最初の時と同じようにしてみようか?」
「お前……相変わらず、予想を裏切らない男だな」
「手塚がそう言ってほしいんじゃないかと思っただけだよ」
「言ってろ」
 クスクスと笑いながら、俺の気に入っている唇が降りてくる。軽く触れて、ついばんで、甘噛みして。けれど、すぐにそんなキスでは足りなくなって、もっと深く求めてくる。
「――んっ……ぅっ」
 喉の奥から声が漏れてくる。口の中を舌で愛撫しながら、乾が俺の胸へ手を撫で下ろしてくる。
 キスと手で俺を蕩かせてしまいたくて、乾も俺が欲しくてたまらないのだと訴えたくて。触れている部分を通して記憶を読むまでもなく、その意図は明白だ。
 お互いの眼鏡が邪魔になって、もどかしい手つきで互いのそれを外してしまう頃には、俺も乾も息が上がっていた。
「手塚。ベッド、行く?」
 まったく、口説き文句まであの時と同じにするつもりか。ならば。
 俺は内心で苦笑して、黙って頷いて、乾の肩に頬をすり寄せてやった。
 ベッドへ誘い込まれて、身につけていた服を1枚ずつはぎ取られて。直接肌に触れる手を感じると、同時に乾の記憶が流れ込んでくる。
 乾がずっと言い続けている、初めて抱き合った時の記憶が見えた。
 俺も乾も緊張していて、どうすればいいのかわからなくて、ただお互いを好きだという気持ちだけで触れ合った。
 あの時、乾の指が、唇が触れない場所はなかった。俺の反応を注意深く見ながら、真剣に一途に愛してくれたことは、乾に反芻されるまでもなく、はっきりと覚えている。
 その時と同じように、乾は杖を振る左手の指1本ずつを口に含んでいった。そんなことをされると、記憶の波に飲まれているのか、それとも今本当に乾に愛されているのか。頭の中と身体の反応が上手くリンクしなくなってしまう。
「混乱してる?」
 そんな俺の戸惑いも、触れている場所から乾に伝わってしまっていた。
「ああ、少しな」
「俺が最初の時のこと思い出しながら抱くのは、嫌?」
「嫌、というほどでもないが……過去のことより、今の俺を見てほしい、とは、思う」
「それもそうだね。ごめん」
 謝罪の言葉と一緒に、乾の唇が下りてくる。性感を駆り立てるものではなく、穏やかなキスを受けながら、俺は考えていた。
「まだ考え事する余裕、あるんだ?」
 クスクス笑いながら、乾は唇を離して俺を見下ろす。話しながらも、俺に触れる手は休めない。
「考え事をされるのが嫌なら、何も考えられないようにさせてみたらどうだ?」
「それがお望みなら、そうしてあげるけど。その前に……」
 言いながら、乾は額をピタッとつけて目を合わせてきた。いつもは眼鏡に隠されているこの漆黒の瞳を間近で見ることができるのは、俺だけの特権だ。
「手塚が今何を考えてたのか、知りたいな」
「気になるのか」
「当然でしょ? 俺の腕の中で、他の誰かのこと考えてた、なんて言われたら嫌だからね」
「俺がそれほど器用な性質じゃないのは、よく知っているだろう?」
「それもそうだね」
 クスッと微笑って、乾は唇の端に軽く口づけた。
「俺が考えていたのは、お前のことだ。お前に、まだ言っていなかったことがあったと思っていたんだ」
「俺にナイショにしてたこと?」
「ああ。……んっ」
 下肢に手を這わせた乾が熱の中心をそっと撫でて、背中をゾクッと戦慄が走った。
「俺は、お前が俺を好きだと自覚する前から、お前の気持ちに気づいていたんだ」
「……それって、記憶が見えたってこと?」
「ああ。お前が初めて煎れてくれたローズティを受け取った時に、お前の声が聞こえた。俺を呼ぶ声が。だが、あの時はまだ、お前ははっきりと俺を好きだとは自覚していなかった」
 言いながら、俺を見下ろしている乾の頬を撫でた。頬骨をたどって、ほっそりした顎に軽く手を這わせる。
「俺は、お前が俺を好きだと思う前から、お前が俺を好きでいることを知っていたんだ」
「……ねぇ、手塚?」
 乾は頬を撫でていた俺の手を取って、恭しく口づけた。
「それって、俺が君を好きになるより先に、君が俺を好きになってた、って言われてるような気がする」
「え……? あ――……」
「だって、そうでしょ? 眼鏡かけてたら、普通に触れても記憶が読めないようにセーブできる、って言ってたじゃない。それでも、俺のことだけは見えたってことは、手塚が見たいと思っていたからじゃないの?」
 改めて、情報の分析は乾の方がずっと上手なのだと気づかされた。確かに、その通りかもしれない。
 俺よりずっと魔力が強い相手ならいざ知らず、乾は俺より若干魔力では劣る。その乾のことが、まだ本人もそれほど強く思っていない段階から見えていたということは……。
「でも、どっちでもいいじゃない、そんなこと。こうして二人でいるのに、どっちが先に好きになったかなんて。だいたい、先に口説いたのは俺の方だよ?」
「……それも、そうだな」
 乾につられるように微笑って、俺は乾の頭を引き寄せてキスをした。自分から舌を差し出して、吸って、絡めあう。
 空いている手で乾の下腹部を探ると、かなり熱くなっていた。その熱に吸い寄せられるように服の上から軽く握って、扱いた。
「んっ……ふぅ……っ」
「あ……んぅっ――!」
 キスの合間から漏れる吐息が、溶けそうなほどに熱くて甘い。
 俺は陶然となりながら、二人で作りだす快楽の波に全てを委ねていった。
 一緒に頂点を極めた後は、乾がまた、俺のためにローズティを煎れるんだろう、と。
 ぼんやりと頭のどこかで思いながら。

Fin

written:2004.3.6

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