君と僕の月

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君と僕の月


「手塚」
「……なんだ?」
「見えてきたよ、月」
「そうか……」
 話しかけると、放出の余韻に浸って、とろんとしていた手塚の目に、少し力が戻ってきた。
 二人で一緒に絶頂を極めた快感が、まだお互いの体に残っている。もう少し、こうして繋がっていたい。そんな気持ちを抑えて、俺は手塚の中に入っていた自身を引き抜いた。
「んっ……」
 俺が出て行くのさえも刺激になるのか、手塚が名残惜しげに声をあげた。行くな、と引き止めるように、やんわりと俺を締めつける。
 普段はクールな無表情を崩さない手塚も、この時ばかりは理性の枠を外す。その表情があんまりかわいらしくて、ついもう1セット、と思う気持ちをぐっと押し殺して、俺は体を起こした。
「乾……?」
 どこへ行くんだ、と目で訴えてくる手塚に、俺は安心しろ、と微笑した。
「タオル、濡らしてきてあげるよ。起き上がるの、面倒だろう?」
「……すまない」
「気にしなくていいよ。先に仕掛けたのは俺なんだから」
 最初は少し抵抗したものの、与えられる快楽に慣れた体は、容易に俺を受け入れた。途中からは夢中で俺を締め上げて、快感を貪っていた。
 とりあえず、俺はシャワーを浴びて。それから手塚のためにタオルを用意してあげないと。手塚の肌に散らした赤い跡や、体内に残したものを、そのままにしておくわけにはいかない。
 気だるげに横たわる手塚をソファに残して、俺は浴室へ向かった。

「今日、お前の家に行っていいか?」
 俺の携帯に入ったメールで呼び出されて、手塚からそう切り出されたのは、今日の放課後だった。
 土曜日の授業は、午前中だけだ。9月に入って、部活も引退してしまった今となっては、SHRと掃除が終われば、後は帰るだけ。
 俺は部活のために人が集まってくる前の音楽室で、手塚と落ち合った。そこで1曲ピアノを弾け、とせがまれて、弾かされて。その後で手塚が言い出した。
「今日? 別にいいけど……」
 口ごもった俺に、手塚が眉間に皺を寄せた。俺の返答は、少し気に入らなかったらしい。
「何か不都合でもあるのか?」
「いや、そうじゃなくて。君から誘ってくるの、珍しいと思ってね」
 俺の答えを聞いて、手塚の眉間の皺が1本増えた。
「お前、今日が何の日か知らないのか?」
「何の日って……?」
 問われて、俺は少し考えた。
 今日は9月21日。普通の土曜日で、もう部活に出て行く必要もなくて。明日は日曜日で、その後は祝日で。人によっては3連休の最初の日だ。でも、手塚の誕生日にはまだ早いし……。
 考えていると、手塚がため息をついて正解を口にした。
「今日は旧暦の8月15日だ」
「はい?」
 俺は不覚にも、それが何を意味しているのかがわからなかった。
「わからないか。今日は仲秋の名月だ」
「……なるほどね」
 そこまで言われて、ようやく俺の中で、旧暦8月15日という言葉と、仲秋の名月という言葉が一致した。
 旧暦の秋は、7月から9月。そして毎月1日が新月で、15日が満月にあたる。8月15日は、秋のちょうどド真ん中で、その日に空に上がってくる月は、1年で最も美しい。
 おまけに、今日の天気は快晴で、月見には最適だ。
「本当に気づいていなかったのか」
「君に言われるまでね」
「風流とは無縁な男だな、お前は」
 呆れたような、でもどこか優しい口調で言いながら、手塚は長い足を組み替えた。
「俺の家からでは、ビルに邪魔されるからな。お前の家の方が、月見に適している」
 そういう口実か、と俺は納得していた。手塚の家は、木造2階建て。でも、俺の家は15階建てマンションの最上階。確かに、月見をするなら俺の家の方が、周囲に邪魔されずにすむ。
「じゃ、晩飯と一緒に月見団子も用意しておかないとね」
「……何故先に団子が出てくるんだ、お前は」
「月見には欠かせないでしょ? それとも、団子の代わりに手塚を食わせてくれるのかい?」
 俺は、わざと淫靡なことを思わせる言い方をした。わずかに頬を染めて、俺を軽く睨んでくる手塚は、最高にかわいい。怒らせるのはわかっているけれど、そういう顔が見たくて、つい意地悪な言い方をしてしまう。
 そして案の定、手塚は俺を軽く睨んだ。
「お前のことだ。結局は両方食うつもりだろう」
「わかってるじゃない、手塚」

 かくして、手塚は俺の家に来た。
 俺の家は、真南より少し西を向いている。その関係で、月は出ていても、部屋から見えるようになるには少し時間がかかる。その時間を有効利用するつもりで手塚を抱き寄せたら、キスだけではすまなくなってしまった。リビングのソファで、そのまま一戦交えてしまった、というわけだ。
 軽くシャワーを浴びて着替え直した俺は、濡らしたタオルで手塚の体を綺麗に拭いて、脱がせて床に散らしていたシャツを着せ掛けた。
 体が清められると少し落ち着いたのか、手塚は自分で残りの服を着て、背もたれに体を預けるようにして腰掛けた。
「ちょうどいい頃合になったね」
 手塚は無言で俺に視線を投げかけて、俺が差し出した湯飲みを受け取った。本当は一言文句を言いたいのだけれど、自分もしっかり感じてしまっただけに、何も言えない。そんなところだろう。
 俺は微笑して、手塚のお母さんが持たせてくれたという月見団子を盛った皿と、自分の湯飲みをテーブルに置いて、窓を開けに行った。空気の入れ替えを兼ねて、窓を開けた。
 ちょうど彼岸になって暑さが引いてきたこともあって、心地いい風が吹き込んでくる。俺は手塚の位置からでも見えるように、とカーテンも開けることにした。
「これで、そこからでも見えるだろう?」
「ああ、すまない」
 東京の空はネオンで明るくて、天体観測には全く向いていない。
 でも、月だけは別だ。青みがかった光を投げかける、綺麗な満月が夜空を従えていた。
「……綺麗だな」
 エンドレスでかけっ放しにしていたCDの音にかき消されそうな、ひそやかな声。でも俺の耳にはちゃんと届いた。
「そうだね」
 俺は頷いて、手塚の隣に戻った。
インストゥルメンタル系のピアノをBGMに、俺と手塚はしばらくの間、無言で部屋から見える月を眺めていた。
 エレキギターをフィーチャーした、フュージョン系の曲が半ばに差しかかった時、俺は不意にあることを思い出した。これを手塚に話したら、どんな反応をするだろうか?
「ねぇ、手塚?」
「なんだ?」
「月を自分の物にする方法、知ってる?」
「……何のことだ?」
 手塚は、何を言われているかわからない、といった顔をした。やはり、話が突飛すぎたかな。
 少し反省しつつ、俺は繰り返した。
「だから、あの月をね、自分の物にする方法だよ。それも、すごく簡単なやり方でね」
 言いながら、窓から見える月を指差す。
「簡単なやり方で?」
 聞き返して、手塚は真剣な顔つきで考え始めた。でも、やっぱりわからなかったらしい。
「……皆目見当がつかないな」
「知りたい?」
「どうするんだ?」
「簡単だよ」
 手塚は、俺より少しだけ背が低い。そのせいで、俺を見るときは少し上目使いになる。手塚の揺るぎないまっすぐな瞳で、上目使いで尋ねられては、俺はもう白旗を揚げるしかない。
「あの月を指差して、こう言えばいいんだ。『あの月は俺の物だ』ってね」
「……」
 手塚は、鳩が豆鉄砲を食らったような、きょとんとした顔をした。その瞬間に、流れているCDが、6拍子の物憂げな曲に替わった。
「俺が、あの月は俺の物だ、って言えば、今日のあの満月は俺の物になる」
「……単なる思い込みじゃないのか、それは」
「そうだよ。でも、口に出して言うことで、それが叶う」
 自己暗示に近いかもしれないね。
 そう言うと、手塚はならば、と続けた。
「俺が、あの月は俺の物だと言えば、俺の物になるのか?」
「そうだよ。手塚の物になる。それなりにいい気分じゃない? 仲秋の名月が自分の物になるなんて」
 そう言い返すと、手塚は真顔で言った。
「ならば、もし俺が、あの月は俺とお前の物だと言えば、あれは俺とお前の物になるのか?」
「……そういうことになるね」
「そうか。だったら、今日のあの月は、俺とお前の物だな」
 そう言って、手塚は再び視線を月に戻した。
 俺は、そんな事を口にした手塚を凝視したまま、固まってしまった。ほんの思いつきで言い出したことだけれど、まさかそんな嬉しいことを言ってくれるとはね。
 思わず抱きしめてしまいそうになって、俺はその通りにした。横から手塚の肩を抱いて、引き寄せる。
「……なんだ?」
 まだ足りないのか、と言いたげな口調に、俺は苦笑した。
「手塚の口から、そんな嬉しい言葉が聞けるとは、思わなかった」
「何故そうなるんだ?」
「だって、あの月。君が独り占めするんじゃなくて、俺にも分けてくれるんでしょ?」
「二人で見ているんだ。そういうことになるだろう」
 まるで何でもない事のように、手塚が言う。
 俺にとっては究極の殺し文句というか、口説き文句というか。そんな言葉を、さらりと言ってくれる。その度に、俺はますます手塚を好きになって、手塚も俺を好きでいてくれることを確認する。
「じゃぁ、あれは俺と君の月だな」
 その一言を言った瞬間に、俺は思い出した。
 そういえば、今かかっているこの曲は……。あまりにも、タイミングが良すぎる。
「ねぇ、手塚」
 つい笑い出しそうになるのを抑えながら、俺は言った。
「まだ、何かあるのか?」
「今かかってるこの曲なんだけど」
「ああ。前に一度お前が弾いて聞かせてくれたことがあるな」
「……覚えていてくれたんだ?」
 手塚の言うとおり、俺は一度だけこれを弾いたことがある。楽譜が発売されていないから聞き覚えで、かなり和音は怪しかったけれど。
「で、この曲がどうしたんだ?」
「曲名、覚えてるかい?」
「そこまでは、覚えていない」
 やはり、曲の印象はあっても、曲名までは覚えていないらしい。
「これね、『君と僕の月』っていうんだよ」
「……」
 その一言に、手塚が絶句した。
 少しキザだったか? そう思った時、俺の肩に頭を預けていた手塚が小さく呟いた。
「乾……お前、よくもそんなキザなことが言えるな」
 やっぱり、言われたか。でもそう言いつつも、手塚の口調からは、まんざらでもない様子が伺えた。
「手塚のためならね、どんなにキザなことでも言うよ、俺は」
 すると、手塚が微笑した。
「まったく、せっかくの仲秋の名月だというのに、無粋な男だ」
 黙って月を堪能しろ。
 そう言いながら、手塚が俺の口を塞ぎにかかってきた。
 もう少し、何か言い返してやろうと思っていた俺の言葉は、手塚の口の中に封じ込まれてしまった。

Fin

written:2003.4.19

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