NOT GUILTY1

| HOME | 乾塚作品集 | NOT GUILTY1 |

sea01.JPG

NOT GUILTY 前編



Are you guilty?


 その日は、夏休みに入って最初の休みだった。
 厳密に言えば、夏休みに入ってからすでに日曜日が1度あった。けれどその日は午前中が部活で、午後から生徒会に出なければならず、休みとはいえなかった。
 が、今日は。火曜日とはいえ、部活も生徒会も休みだった。
 一度朝食を摂るために起きて、1階に下りて家族に顔を見せて部屋に上がったものの、宿題をする気力もなく、俺はベッドに横たわっていた。
 本当ならば、間近に迫った全国大会に向けてトレーニングをしたり。あるいは、限られた時間を有効利用して宿題として出された問題集を片付けたり。天気がいい機会に釣りに行ったり。
 そういったことをするべきなのだろうが……そんな気分ではなかった。
 ただ何となく頭が重くて、体がだるい。微熱でも、出ているのだろうか。
 何か忘れているような気がしつつも、俺は眼鏡を枕元に置き、仰向けになって軽く目を閉じていた。
 ここ数日、自分でもらしくないと思うほどに、集中力も気力も失せている。昨日の練習試合でも、普段なら絶対に抜かれるはずのない菊丸を相手にエースを取られた。
 原因は、はっきりしている。他の誰のせいでもなく、俺自身のせいだ。
(お前には関係ない)
 勢い余って、心にもないことを口にしてしまった。
(自惚れるのも、いい加減にしろ)
 そして更に、突き放してしまった。
 言ってから後悔するくらいなら、最初から言わなければよかったのに。けれど、一度口にしてしまった言葉は元に戻らない。 俺の言葉は、俺に好きだと言ってくれる乾を傷つけてしまった。

 あんなに俺を想っていてくれたのに……。

 俺は、自分からそれを手放してしまった。
 瞼を閉じた目の奥に、焼き付いて離れない顔が浮かぶ。あんなに哀しそうな、傷ついたような乾の顔を、俺は初めて見た。
 もういつから、あの優しい目を見ていないんだろう?
(手塚)
 低く優しく俺を呼ぶあの声を、もうどれだけ聞いていない?
 部活で毎日顔を合わせているのに、他の部員たちに話しかける声を耳にしているのに。
 それが俺に向けられていない。
 それだけがずっと、小さな棘のように心に引っかかっていた。
 胸の奥で、何かがくすぶっている。それを表すのに的確な言葉が、浮かんでこなかった。
「乾……」
 心の中で呟いたはずのその名前は、声に出てしまっていた。そのまま寝返りを打って、枕に顔を埋める。
 頬に当たる枕の感触が、抱きしめられた時に触れた乾のシャツを思い出させる。
 唇の端に枕が当たる。俺の体温がまだ移っていない枕は冷たくて、夢で触れた乾の唇の温かさの片鱗もなかった。
 今になって思えば、あの時俺は熟睡してしまっていた。そして目が覚めると、すぐ傍に乾がいた。膝をついて、俺を覗き込むようにして。
 乾は俺を好きだと思っている。その俺が寝ている横に乾はいた。もしかしたら……。
 乾は本当に俺にキスをしたのかもしれない。
 その可能性は、否定できない。俺がその後、乾を妙に意識してしまったのは、その可能性を考えたせいだ。

 けれど……。

 俺はその考えを、また否定する。
 あの後の乾はいたって普通で、照れも、怪しげな様子も見られなかった。
 そんなことを、考えるともなく思っていた時だった。机の上で、携帯電話が鳴った。
 部活や生徒会で帰る時間が不規則なために、母親に持たされてはいるものの、俺は携帯電話が好きではない。機械全般に強い乾や、流行りの物には敏感な菊丸と違って、かかってきた相手によって着信や光の色を変えるといったことは、全くしていない。
 画面を見ると、相手はかけてきた相手は不二だった。
「はい」
 不二が、こんな休みの日にいったい何の用だろう。そう思いながら、俺は電話に出た。


「ああ、手塚? 体の具合でも悪いの、大丈夫?」
「不二? 体は別に何ともないが、それがどうかしたのか?」
「じゃぁ、急に都合が悪くなったとか?」
「都合?」
 不二との会話は、全く噛み合っていなかった。何故不二がそんな訊き方をしてくるのかも、全く心当たりがない。
 すると、受話器の向こうでため息をつく様子が伝わってきた。
「まさかとは思うけど、手塚。僕との約束、忘れてる?」
「約束?」
 約束……頭の中で繰り返して、俺は記憶の糸を辿った。俺は不二と何か約束したことがあっただろうか?
「次の休みの日に、植物園に高山植物を見に行かない?」
 耳元で不二に言われ、俺はようやく思い出していた。そういえば、そんな約束をしたような気がする。
「すまない、不二。約束の時間は確か……」
「9時だよ。もう1時間近く前だけどね」
 半ば呆れたように、不二が言う。
 まったく、どうかしている。よりによって、約束を忘れてしまっているなんて。
「本当にすまない。今からすぐに行く」
「別にいいけど、今から行ったらちょうど込むよ? 今、夏休み中で人出も多そうだし。手塚、人込みは苦手なんでしょ?」
「そ、それは……」
 問うように言われて、俺は言葉に詰まった。
 不二の言うとおり、俺は人が多い場所が好きではない。脈絡のない喧騒が絶えず耳に入ってくる、あの感覚が嫌だった。
「でも珍しいね、手塚が人との約束忘れるなんて。忘れるほど、何か気になることでもあるの?」
「何故……そう思うんだ?」
 テニスにおいて天才と呼ばれるに相応しい美技の数々を誇る不二は、洞察力にも優れている。それ故か、ここ最近俺の様子がおかしいことにも、気づいているようだった。
「ここしばらくの間、部活中もどこか上の空だったから。もしかしたら、僕との約束も忘れてるんじゃないかとは、思ってたんだけどね」
 やはり、不二の目は誤魔化せなかったらしい。
「……」
 黙りこんでしまった俺に、不二はなおも言い募った。
「誰か、好きな人でもできた?」
「なっ……」
 その言葉に、俺はさらに絶句した。かあっ、と顔が熱くなるのが自分でもわかる。
「図星、かな?」
 俺の反応を楽しんでいるかのように、受話器の向こうの声が微笑を帯びる。
「何故…そう思うんだ」
 できるだけ普段と変わらないように気をつけて、俺はかろうじてそう言った。
「手塚がらしくない行動するほどの原因って言ったら、他に思いつかないからね。誰かを好きになる気持ちっていうのは、とても強いものだから。時に自分を見失ってしまうほどに」
「そういうものか?」
「手塚は、誰かを好きになったこと、ないの?」
 俺は不二の問いに、返す言葉がなかった。
「……初めてだったら、なお戸惑うかもしれないな。それに手塚の場合、自分でも驚くほど意外な相手だったりする?」

 驚くほど意外な相手……。

 確かに、まさか乾から好きだなどと言われるとは、思いもしなかった。好きだとは言われたが、その気持ちを押し付けることは、乾は一切しなかった。
 だからこそ、乾が傍にいても不快感は全くなかった。けれど……。
「俺は、別に……そんな気持ちであいつを見ているわけじゃない」
「ねぇ、手塚。好きの形は人によって違うんだ。君に好きだと言ってくれている相手と同じように好きだと思わなきゃいけない、なんてことじゃない。僕が見る限り、手塚はもう、彼のことを好きになってると思うんだけど?」
「不二?」
 不二の言葉に、俺は急に違和感を覚えた。俺は“あいつ”という言い方はしたが、それが男だとは一言も言っていない。なのに何故、不二の口から“彼”という三人称が出る?
「いったい、誰から聞いたんだ?」
「誰から聞いたわけでもないよ。もちろん、彼からも何も聞いてない。僕が勝手に邪推しただけ。でも、当たってたみたいだね」
「……そんなに、わかるような行動を取っていたのか、俺は?」
「いいや、いつも通りに見えたと思うよ。多分、気づいてるのは僕だけだ。タカさんも、英二も、大石も。気がついてない」
 不二の答えで、俺は不二に全て知られていることを悟った。不二の口から、乾の名前だけが出てこないのが、その証拠だ。
「俺が、乾を好きだと……?」
「僕には、そう見えるよ。だって、ここしばらくの間、手塚はずっと乾を避けてただろう?」
「……」
 否定はできなかった。
「避けられてた乾も辛そうだったけど、乾を避けてる君の方が、もっと辛そうだった」
 それは、乾が俺に告げたことと同じだった。
 俺の方が傷ついたような顔をしている、と。
「人の恋路に首を突っ込むのは、僕の趣味じゃないんだけどね。全国大会までには、手塚に復活してもらわないといけないから」
 あくまでも部活のためであって、俺個人を心配したわけじゃない。そう言わんばかりの不二の口調に、不二の優しさを感じた。
「不二……本当に、すまない」
「手塚が謝らなきゃいけないのは、僕じゃないだろ?」
「……そうだな」
 不二の言うとおりだった。俺が本当に謝らなければならないのは、乾だ。
 自分の気持ちに背を向けるように乾を避けて、不必要に乾を傷つけた。きちんと話をして、謝らなければならないのに、自分の気持ちに蓋をして、本心を知られるのを恐れて、話しかけようとする努力もしなかった。
「不二、ありがとう」
「お礼なんて、いいよ。最初に電話に出た時は本当に病気かと思うような声だったけど、少し元気が出てきたみたいだね」
「そうか?」
「でも安心したよ。手塚でも、そうやって恋に悩むことがあるんだと思うとね」
 全く、こういう所は不二には敵わない。テニスでは負けないが、その他の場所で不二に言い包められたり、言い負かされたりということは多い。
 ちょうど今のように。
「長電話して悪かったね。そろそろ切るよ」
「いや、俺の方こそすまない。無駄足を踏ませてしまって」
「いいよ。出てきたついでだから、誰かデートに誘おうかな、と」
「そうか」
 その時になって、俺はようやく気がついた。
 外からかけているはずなのに、不二の声はとても明瞭で、人のざわめきや車の騒音などは全く聞こえなかった。
「不二、お前今、どこからかけているんだ」
「手塚の家の前だよ」
 不二の答えを聞いて、俺は窓に駆け寄った。外を見下ろせば、門の外に不二の姿が見えた。窓際に俺の姿を認めたのか、俺を見上げて微笑する不二と目が合った。
「前に来ているなら、最初からそう言ってくれ。上がっていくか?」
「いや、いいよ。手塚が傍にいてほしいのは、僕じゃないだろう?」
「それは……」
 傍にいてほしいかどうかはわからないが、少しでも早いうちに乾に会って、きちんと誤解を解いておかなければならない。
「だから、僕はこのまま帰るよ。じゃぁ、また明日、部活で」
「ああ……明日、部活で」
 俺がそう告げると、不二と繋がっていた電波が切れた。
 そして不二は耳に当てていた携帯電話を下ろし、胸のポケットに入れて、俺に軽く手を振って歩き出した。
「ありがとう、不二」
 俺はもう一度呟いて、携帯電話を耳から離した。


 携帯電話の画面を見続けて、もう30分が経過しようとしていた。
 不二からの電話を切って、帰っていく後姿を見送って。乾と話をしなければ、とまず電話をかけようと乾の電話番号を呼び出そうとして、呼び出して、発信しようとしてすぐに切って……。
 もう回数もわからなくなるくらい、俺はそんなことを繰り返していた。
 明日になれば、部活で顔を合わせる。その時でもいいが、できれば休みの今日のうちに話しておきたい。直接会って、心にもないことを言ってしまったことや、乾から逃げ続けていたことを謝りたい。

 ためらっていても、仕方がない。

 俺は意を決し、ついに乾の電話番号を画面に呼び出し、発信ボタンを押した。
 機械的な呼び出し音が、耳に飛び込んでくる。
 1回、2回、3回……。
 時間にすれば、ほんの何秒かのことだろう。けれど乾が電話に出るのを待つその時間は、何時間にも感じられた。
 乾が出たら、まず何と言おう?
 呼び出し音を聞きながら考える。鼓動が速くなるのがわかる。
 6回、7回、8回……。
 乾は出なかった。独特の深みと張りのある低い声の代わりに、甲高い機械的な女性の声が応答した。
「只今、電話に出ることができません」
 そこまで聞いて、俺はとっさに電話を切っていた。そして、もう一度かけ直す。
 結果は、同じだった。
 どこかに出かけているのだろうか?
 携帯電話に出られないような場所へ。
 いや、必ずしも外だとは限らない。家の中で、電話と離れた部屋にいる可能性も捨てきれない。
「行ってみるか」
 いつまでも家の中でうだうだ悩んでいても、仕方がない。
 気分転換と散歩も兼ねて、俺は乾の家へ押しかけることにした。


 乾の住んでいるマンションまでは、私鉄で7駅分離れている。
 電車を降りて、照りつける日差しの中、乾のマンションへつながる道を歩きながら、俺は乾が電話に出なかった最後の理由を考えていた。
 機械全般に強く、携帯電話も使いこなしている乾のことだ。俺の番号は当然登録済みで、着信しただけで俺だとわかるようにしているはずだ。
 もし、俺からの電話だとわかっていて、無視したのだとしたら?
 そう思いかけて、俺はとっさにその考えをもみ消した。乾はそんなことをする男じゃない。たとえ、電話にも出たくないほどに、俺を嫌いになったのだとしても。

 嫌いになった……?

 そう思ったとき、俺は不意に足を止めた。
 あれだけ酷いことを言って、避け続けてしまったんだ。嫌われても、仕方ないか。
 それはとても、悲しいことだけれど。
「手塚?」
 突然、後ろから呼び止められた。もう何日も、俺に向けられることのなかった声で。
「手塚……どうしたんだ、こんな場所で」
 振り向くと、乾がいた。オレンジ色のTシャツに七分丈の白いパンツ姿で、手にはスーパーの袋を提げて。
「乾……」
 正面から向かい合うのは久しぶりだと、俺はどこか他人事のように感じていた。
 乾に会おうとここまで来て、マンションにたどり着く前に乾に呼び止められるなんて。暑さのせいもあって、白昼夢を見ているのかと思うほど、現実感がなかった。
「散歩にしては……ちょっと距離があると思うけど?」
 学校があるのと同じ、青春台にある乾のマンションの周辺には、特に娯楽施設といったものもない。少し離れた場所にストリートテニス場があるが、今の俺はラケットも何も持っていない。
 だが乾の問いかけは、あまりにも鈍感だ。
「お前に会いに来た、とは思わないのか?」
「え、でも、手塚……?」
「俺の家からここまでは7駅も離れているんだ。わざわざ散歩でこんな場所まで出てくると思うか?」
「それは……でも、どうして?」
 俺を好きだと言うくせに、乾は俺に好かれているかもしれない、という可能性を全く考えていない。俺が乾を好きになる確率など、全く考えていない。
 そんな、野暮で鈍いところもひっくるめて、乾貞治という男なのだけれど。
「お前に話がある」
「話? ……だったら、こんな炎天下で立ち話はマズイな。よかったら、家に来るかい?」
「ああ」


 図らずも、俺の思い通りになった。マンションまでの短い道のりを乾の斜め後ろからついて歩き、俺はクーラーで適度に冷やされた乾の部屋に通された。
「今日は暑いからね、冷製パスタでも作ろうかと思って、あらかじめ茹でて冷やしておいたんだ」
 もうすぐちょうどお昼時で、今日は家に一人でいるという乾は、昼食の材料を買うついでに、夕食の買出しに出ていたのだ、と俺に話した。
「だが、急に俺が押しかけても大丈夫なのか?」
「ああ。今日は部活も休みだから、誰か家に呼んでもいいと思ってね。余分に作っておいたんだ」
 エプロン姿でキッチンに立ちながら、乾が言った。キッチンはリビングからそのまま続いているものの、クーラーの冷気はそこまでは届かない。そのせいか、乾は扇風機を併用して風を送り込んでいた。
「そうなのか」
 キッチンでせわしなく動き回る乾に対し、何もせずにただソファに腰掛けている俺は、どことなく落ち着かなかった。何か手伝った方がいいか、と思いつつも、男二人で立つには、乾宅のキッチンは手狭だ。かえって邪魔になりかねない。
「いや……違うんだ」
 いつも歯切れのいい話し方をする乾が、ふいに言葉を濁した。気まずそうに、ズレてもいない眼鏡をしきりに触りながら続けた。

「本当は、最初から手塚を呼ぶつもりだったんだ」

「え……?」
「何度か電話したんだけど、話し中だったからね。まさか、手塚の方から訪ねてきてくれるなんて、思わなかった。驚いたよ」
 話し中……ということは、不二と話している最中に電話をしてきたということか。 本当に、間が悪い男だ。
「お前が電話をかけてきた時、ちょうど不二と話していたんだ。今日、不二と約束をしていたんだが、俺が忘れてすっぽかしてしまって」
「約束を忘れた? 手塚が?」
「ああ。それで、不二と話していたんだ」
「で、結局不二は?」
「誰かをデートに誘うとか何とか、言っていたな」
「なるほどね。それじゃ、邪魔できないな」
 手塚と話しながらも、乾の手元からは野菜を切り、まな板を叩く小気味いい包丁の音が聞こえていた。
「……どういう意味だ?」
「何が?」
「邪魔できないとは、どういう意味だ?」
「だって、デートするんだろ? だったら、二人きりにさせてあげないと」
 何でもないことのように言いながら、乾はかがんだり、冷蔵庫に向かったりしてさまざまな調味料を揃え、計量カップやスプーンできっちり分量を量りながら、ボールで合わせていた。
「それは、つまり……」

「知らなかった? 不二、付き合ってる人がいるんだよ」

「そうなのか!?」
「うん」
 俺は、冗談半分でデートする、などという言い方をしたのだと、そう思っていた。
 同時に、何故不二がああも知ったような口振りだったのか、俺は納得していた。
 不二も、自分が人を好きになった時に戸惑ったのだろう。けれど、結局不二は自分の気持ちに素直に行動した。だからこそ、あんなことが言えたのだ。
「はい、できたよ」
 俺がそんなことを考えている間にも、乾は手際よくパスタを作り上げていた。トマトとバジルの香りが食欲をそそり、彩りもいいパスタだった。アイスティを入れたグラスと共に、テーブルに差し出された。パスタの香りの合間から、ふわりとフルーティーな香りが鼻をくすぐった。
「これは?」
「桃の紅茶を水出しにしてみたんだ。意外と美味いよ」
「そうか」
 俺の問いに答えながら、乾は俺の向かいに腰掛けた。
「手塚の口に合うかどうか、わからないけど」
 そういえば、乾の手料理を食べるのは、これが初めてだった。
 両親が家を空けることが多いという乾は、よく自分で料理をするという。そう言うだけのことはあって、乾の手料理は美味しかった。
「ごちそうさま、美味かった」
「お粗末さまでした。デザートも作ってるから、また後で出すね」
「そんなものまで作っているのか?」
「別に、たいしたことじゃないよ。親戚が桃を送ってくれたから、コンポートにして煮汁をゼリーにしただけで」
「コンポート?」
 聞きなれない言葉に問い返すと、乾は微笑して言った。
「砂糖煮だよ。少し白ワインを入れてね」
「ずいぶん凝っているんだな」
「母親にいろいろとさせられたからね。おかげで、いつ家を出ても大丈夫だよ」
「そのようだな」
 俺はソファに戻り、乾が差し出したコーヒーカップを受け取った。
「で? 俺に話がある、って言ってたけど」
「……」

後編に続く

inserted by FC2 system