わからないでしょ

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わからないでしょ



わからないでしょ?
一人の夜に 何処にいて 何をしてるか


「こんな痕、どこでつけてきたんだい?」
 うなじに残された、赤い鬱血の痕。
人の家に上がりこんで、人が愛用しているソファに我が物顔で腰掛けて、読書を続ける男の後ろを通りかかった時、乾はそれに気がついた。
 彼との付き合いは、中学に入ってから。かれこれ、8年近くの付き合いになる。
 同じテニス部に入り、ほぼ毎日顔を合わせているはずなのに、それでは足りないと思うようになったのは、いつのことだったか。記憶力に長けている乾でも、もう記憶の彼方に忘れ去られている。
 つまり、それくらい自然に、彼のことを思うようになっていた、というわけだ。
「どこ、とは訊いても、誰とは訊かないのか?」
「訊いても教えてくれないだろう?」
 8年付き合っても、一向に手の内を明かしてくれない彼に、乾は苦笑する。
「やっぱり、首に鈴つけておかないと、ダメかな」
「人を猫か何かのように言うな」
 視線は本に落としたまま、彼は答える。
「だって、猫みたいだからね、君は。名前をつけるとしたら、くーちゃんかな?」
「一度でもそれで呼んでみろ、二度とここには来ないからな」
「それは困るな」
 言い返しながら、お茶を煎れる。緑茶を好む彼のために用意してある、とっておきの玉露。
 一度沸騰したお湯を少し冷まして、玉露独特の甘みを出す煎れ方も、彼と付き合うようになってから覚えたものだ。
 それにしても、本当に猫のような男だと思う。
 手塚国光。
 青春学園大学法学部在学中の3年生。小学校の頃からテニスの才能は抜きん出ていて、数々の優勝記録を持っている男だ。現在、青春学園大学男子硬式テニス部部長で、学生会会長。
 中学時代からそうだったが、彼の肩書きには『長』が付くものが多い。
 完璧が服を着て歩いているような、眉目秀麗でストイックな外見。だが、一度その服を脱いでしまえば、性的には決して淡白ではないということを乾は知っている。
 そして、その相手が自分だけではない、ということも。が、それを他の者には全く悟らせないあたり、猫のようだと乾はいつも思っていた。
「でも、珍しいじゃない。いつも完璧にカモフラージュしてるはずの君が、そんな痕を付けさせるなんて。その相手、よほど嫉妬深い人間だったのかな?」
 急須から湯飲みにお茶を注ぎ、手塚の前に差し出しながら、乾は試しに訊いてみた。どうせ、答えてなんかくれないだろうな、と半分思いつつ。がその日の手塚はどうしたことか、乾のデータに反してその質問に素直に答えた。
「そうでもない。そんな所に痕を残しているとは、気付かなかったな」
「なんだ、キスされてるのも気付かないくらい、夢中にさせられたわけ?」
「バカなことを言うな。夢中になっていたのは、相手の方だ」
「だろうね」
――だが、うなじにあんなキスを残せるということは。後ろから抱きつかれたのか?
 乾は他人事のように冷静に分析していた。手塚は自分以外の人間を相手にする時は、必ず女を選ぶ。それも、一度きりでも文句を言わないだろう相手を。
 いつからだったんだろう、と乾は思い返す。
 お互いに相手だけだと思っていたはずが、そうではないことに気付くようになったのは。特に、ストイックで一途だと思っていた手塚が、実はそうではないのだと思い知らされるようになったのは。自分と会っていない間に、他の誰かの気配をまとわりつかせるようになったのは。
――心と身体は別物、ってことかな?
 それとも、自分の調教の賜物か。だとしたら、皮肉なことだと乾は自分を嘲笑する。
 初めての時は、お互いに初体験で、お互いに緊張していて、ぎこちない交わりだった。それを反省して、手塚を少しでも気持ち良くさせようと努力したその結果が、こういうことになるとは。
「俺に抱かれるのと、どっちがよかった?」
「訊くまでもないだろう」
 手塚はブックマークを付けて、本を脇に追いやり、乾が煎れたお茶に口をつけた。猫舌の手塚に合わせて、ちょうど飲み頃にしてあることを、手塚もよくわかっている。だから、息を吹きかけて冷ますこともない。
 他の誰かと寝ていることを乾に悟られているとわかっても、平然として肯定してみせる。
「俺の方がいいってわかってるんなら、最初からここに来ればいいのに」
 そう言ってやると、手塚は憮然とした表情を見せた。外での手塚は常に仏頂面で、それを崩すことがない。試合に勝っても、中学で全国制覇しても、表情は変わらなかった。
 今となっては、それは自分を守るための手段であり、実は人一倍感受性が強くて、一度タガを外せば千も万もの表情を見せるのだ、ということもわかっているのだが。そしてその大部分が、乾の前でだけ出てくるものだということも。
 多くを望みすぎたら、手塚とは付き合っていけない。
 相手にあまり干渉しない、という性格が幸いしたのか。それともそれは災いなのか。恋人であり、友人でもあり、そのどちらでもないかもしれない。
大学に入ってから、特にここ1年は、乾と手塚はそんな微妙な関係が続いていた。
「それでも、たまに相手を変えてみたくなることもある」
「たまに、ね」
――月に1度はこういうことがある、というのを『たまに』と定義するのだとしたら、随分気が短い男だってことになるけど、手塚?
 そう言いかけたが、乾は口に出さずに心の中にしまっておいた。
「で、相手を変えた結果、俺に甘えたくなったんだ?」
「そんなところだ」
 乾が隣に座って肩に腕を回すと、手塚は素直にもたれかかってきた。目を閉じて、ただ乾の体温を感じる。人より少し体温が低い手塚には、乾の温もりが心地よかった。
「だいたい、君の誘いに乗るような相手は、君に甘えたい人間であって、君を甘やかしてくれる人間じゃないだろうからね」
 手塚が乾の家に来るのは、1週間ぶりのことだ。
 乾には、昨日までに提出しなければならない実験レポートがあって、手が離せなかった。そもそも1週間前だって、かなり切羽詰っている状況だったというのに、わざわざ手塚と一緒にいる時間を作ったのだ。
――にもかかわらず、だ。こいつは、俺が実験室に篭っている間に、どこの誰とも知れない女とよろしくやってた、というわけか。
 そう思うと、乾は自分にもたれかかってくる手塚が急に憎たらしく思えてきた。抱き寄せた腕を外し、肩を押して少し乱暴にソファに手塚を押し倒した。
「どうした?」
 いつになく手荒な扱いをされたというのに、手塚は何事もなかったかのように尋ねてくる。上から見下ろすだけで、それなりに鼓動が速くなっている乾とは対照的に、手塚は普段と全く変わらない様子だった。
――相変わらず、ドキドキしているのは俺だけか。
 乾はため息混じりに言い返した。
「別に。たまに趣向を変えてみるのもいいかも、と思っただけだよ」
「こんな所で抱くつもりか?」
「どっちにしても、そのつもりで来たんでしょ?」
「それはそうだが」
「それとも、ベッドの方がいい?」
「当たり前だろう」
 手塚の答えに、乾はやっぱりな、と心の中で呟いた。手塚はベッド以外の場所で事に及ぶのを、90%の確率で拒絶する。
「じゃ、移動しようか」
 時計の針は8時を少し過ぎたばかり。夜はまだ、始まったばかりだった。

 乾の吐息と、手塚の喘ぎ声と、ベッドの軋みと、絡まる粘液の濡れた音。
 艶のある四重奏が部屋に響いていた。
「あっ、あ……ああっ!」
 乾の膝に乗って向かい合うようにして抱き合って、自分の重みも手伝って奥まで貫かれて、のけぞった反動で露わになった手塚の喉仏が、乾のキスを誘う。誘われるまま、乾は喉仏に舌を這わせ、顎へと舐め上げて、深く唇を合わせた。
「んぅっ……」
 限界近くまで煽られた身体には、キスでさえ強烈な刺激になる。手塚は甘えるように、鼻にかかった声を上げて、根元まで飲み込んだ乾を締めつけた。
 手塚を追い上げる律動を続ける乾と、もっと欲しいと足を絡ませる手塚。これ以上は無理だというほどに密着した身体を、さらに引き寄せようと腕に力を入れる手塚の仕草に、乾は微笑した。
 手塚は、乾以外の人間と寝た後は、いつも以上に敏感で、積極的になる。まるで、乾をより深く求めるために、わざと他の誰かと寝ているのではないかと錯覚させるほどに。
「乾、もっと……もっとだ」
「お望みのままに、手塚」
 その瞬間、乾は性欲を剥き出しにして、本能のままに求めてくる手塚に奉仕するだけの存在になる。だが、言葉とは裏腹に手塚が一番感じるポイントを微妙に外して抉り、声を上げさせて狂わせていく。
 もっと、自分を求めるように。
「これ、欲しかったんでしょう?」
「あ…あっ!」
 声は、言葉にならない。
「君に抱かれた人たちは、想像もしないだろうね。君が、こんな……」
「あんっ! あぁ…あ、ああっ!」
 腰に絡んだ手塚の足を外し、抱きしめていた腕もほどいて、乾は手塚をベッドに横たえた。そして手塚の両足の膝裏に手をかけて、足を開かせて、身体を折り曲げるようにして、一度先端まで引き抜いた自身を一気に根元まで押し込んだ。
「男に抱かれて、こんなに乱れるヤツだなんて」
「あ、あ、あっ!」
 小刻みに腰を揺らして、猛った自身で前立腺を擦り上げると、すすり泣くような声を上げた。
「ねぇ、手塚。他の誰かを抱きながら、俺に抱かれたいって思った?」
「やぁ…あ……っ!」
「ココに、こんな風にしてほしい、って思ってた?」
 欲望に濡れて、わざと嘲るような口調で弄る言葉も、手塚の中で快感にすり替わる。自分を煽りながら、余裕すら見せる乾を手塚は睨みつけた。
 早く逝かせて欲しいのに、一向に与えてくれない乾に焦れて、自ら腰を揺らして誘う。
「君がこんなに欲望に素直だなんて、俺以外の何人が知ってるんだろうな」
 自分で手を伸ばして、そそり立つ欲望に触れようとする手を遮って、その手をシーツに縫い止める。手塚を抱きながら、自らも快感を貪りながら、それでもどこか冷たい光がその目に宿るのは、嫉妬のせいだ。
 ピタリ、と律動を止めた乾に、手塚は泣いて懇願した。
「あ…い、ぬい……。乾っ!」
「ねぇ、答えて、手塚。俺以外の何人に、こんな姿を見せたの?」
 乾の声が、いつになく低く響く。手塚は首を横に振って、答えるのを拒んだ。
 乾は不敵な微笑を浮かべて、奥まで突き入れた自身を先端まで引き抜いた。
「え……? 乾……乾?」
 そのまま戻ってこない乾をいぶかしんで、手塚が潤んだ目で見つめてきた。過ぎた快感に涙腺が崩壊したのか、目に浮かんだ涙が頬を伝う。乾の瞳に宿る冷たい光に気付いて、不安そうな表情を浮かべた。
「乾……やめるな、頼むから」
「やめないよ。このままじゃ、俺もツライからね」
 頬を伝う涙を唇で拭って、乾は優しい口調に戻って苦笑した。いつになくしおらしく、かわいらしい表情を見せる手塚を、甘やかしてしまいそうになる衝動をぐっと堪えた。
「でも、その前に答えて、手塚」
「何を?」
「俺の他に、手塚がこんなになるってことを知ってるヤツ、いる?」
 シーツに縫い止めた手を解放して、汗に濡れた顔に張り付いた前髪を掻き分けて、頭を撫でる。
「答えてくれたら、逝かせてあげる」
「あ…い、乾だけ……。お前だけ、だから……」
 手塚は縋るように乾の背中に腕を回した。同時に、我慢できないとばかりに腰を揺らし、勃ち上がった己のそれを乾の引き締まった下腹に擦りつけた。
「こんなの、お前にしか……っ!」
「手塚……」
 全身の血が沸騰するようだと、乾は感じていた。
 今更確認するまでもないのだ。手塚がこれほどまでに乱れるのは、相手が自分だからなのだと。わかりきっていることなのに。
 それでも、不安になるのは……。
「愛してる、手塚」
 とうの昔に捧げたはずの身も心も、もう一度全て投げ出していい。
「俺も……だから、欲しっ…!」
 息も絶え絶えに懇願する手塚に、ついに乾は屈した。
 手塚の足を抱え直し、細い腰を膝に摺り上げて、ぐちゅ、と濡れた音をさせながら根元まで突き入れた。一番感じるポイントを確実に突いて、手塚にひときわ大きな声を上げさせると、今度はぎゅう、と自分を締めつける快感に身を委ねる。
 二人は最速の律動を刻んで、クライマックスへと駆け抜けていった。


 乾は手塚の髪を撫でていた。
 乾を締め付けて欲望を解放しながら、手塚はそのまま意識を飛ばしてしまった。恋人として付き合うようになってから、何度となくこうして交わりはあったけれど、意識を飛ばすほどに快感を極めてしまうことは乾のデータでも、数えるほどしかない。
 明晰な思考回路をもってしても、本能のままに求めてくるのは乾だけだと言いながら、なぜ他の相手を求めようとするのか、乾にはわからなかった。
 お互いに目標としているものも違っていて、大学では学部も違う。青学の場合は、学部が違えば建物も違っていて、手塚の所属する法学部と乾が所属する理学部は、それなりに距離も離れている。なおかつ、乾が学んでいる分野には実験が欠かせない。そのために、研究室に泊り込み、なんてことだってある。
 そんな話は、高校の頃から何度もしていた。そして手塚も納得済みだと思っていたのだが。
 2年まで必修になっていた一般教養も終わり、いざ3年になってみて、すれ違う生活が続くようになってみると。手塚は時々女遊びをするようになった。
「欲求不満、ってわけでもなさそうなんだけどな」
 それとも、自分が気づいていないだけで、本当は不満に思っているのだろうか。この腕に抱き寄せる度に、数え切れないほど好きだと言い続けてきたその言葉は、手塚の心には届いていないのだろうか。
 一人寝息をたてる手塚を見下ろして、乾はそんなことを考えるともなく思っていた。
「やっぱり首に鈴つけるかな」
 勝手にどこか、別の人の所へ行ってしまわないように。
 乾は手塚を起こさないように、と細心の注意を払いながら手塚に覆いかぶさった。そして規則正しく上下する胸に手を当てて、左右の鎖骨の間に唇を寄せた。
 軽く吸っただけで、白い手塚の肌に新しい痕が加わる。日頃、目立つ場所には痕を残させない手塚だが、今なら咎められることもない。もっとも、目が覚めてから機嫌を損ねてしまうかもしれないが。
 この場所なら、シャツのボタンを少し外しただけでも見えてしまう。そんなものを残した状態では、他の誰かに手を出そうにも出せないだろう。
 乾は独占欲の証として、強めに吸い上げた。手塚の体に残る名残のどれよりもくっきりと、それは白い肌に刻まれた。
 他の誰かを求めても、結局は自分の所に戻ってくればいい。
 そんな物分りのいい振りも、そろそろ終わりにしようか。実際、今日のように別の人間がつけた痕を見てしまうと、嫉妬で気が狂いそうになる。手塚には、そんな素振りなど見せないけれど。
 あるいは、乾の嫉妬に塗れた手で抱かれることに、手塚は愉悦を覚えているのだろうか。だとしたら。
「とんでもない悪趣味だよな」
「誰がだ」
 呟いた言葉に、乾の予想を裏切って返答があった。恐ろしく目覚めがいい手塚が、乾を睨むように見上げていた。
「なんだ、起きてたのか」
「まったく、何が鈴だ。目立つところに痕を残すなと、何度言ったらわかるんだ?」
「そんなとこから起きてたなら、ちゃんと自己主張しろよ。今更文句言われても、それ、しばらく消えないよ」
 それが消えるまでは、悪さできないだろう?
 そう言った乾に、手塚は悪趣味なのはどちらだ、と言い返してきた。けれど、口調ほどに怒っていないことは、表情からもわかってしまう。
「それとも、俺だけじゃ物足りない、ってことかな」
「……人を淫乱呼ばわりするつもりか?」
「違うのかい? だったら、どうして俺以外の人間と寝るような真似、するんだろうね」
「それは……」
 返答に詰まる手塚を、乾は更に追い詰める言葉を続けた。
「本当は抱かれるのが嫌で、抱きたいんだったらそう言えばいいだろう。俺、手塚になら後ろ貸してもいいよ。もっとも、俺が相手じゃ不満だって言うなら、仕方ないけどね」
 乾の言葉を聞きながら、手塚は何故か泣き出しそうな顔をした。
「そういう、わけじゃない……」
「手塚?」
 声が震えていた。
「お前を不満に思ったことなど、一度もない」
 目が潤んでいると思ったのは、気のせいではなかった。
「もう、やめようと思っていたんだ、こんな不毛な事は」
「それは、俺との事?」
「何故それが先に出てくるんだ、お前は!」
 珍しく、手塚が声を荒げていた。
「まさか、本気でそれを考えていたのか? 俺と別れると?」
「そんなわけないだろう。だいたい、別れようと思ってる相手に、こんなキスマークなんか、つけると思うかい?」
 本気で怒り出す勢いの手塚に、乾は微笑してみせた。そして指先で、鎖骨の間にくっきり残した痕をなぞる。
「乾……」
 呼びながら、手塚は自分の肌に触れる乾の手を握った。その手にすがるようにして身を起こして、乾に抱きついてきた。
「抱いてくれ、乾」
 密やかに囁く声に応えて、乾は手塚を抱き締めた。もっと、と体を摺り寄せてくる手塚を抱く腕に、力をこめる。
「それで、もう女遊びはやめるって?」
「ああ」
「それ、どういう心境の変化なわけ?」
「心境の変化じゃない。お前でなければダメだと思った。それだけだ」
「それは……今更なんじゃないの?」
 先に好きだと告白したのは乾だったが、手塚もずっと乾を想っていた。ということを、中学時代から手塚に関して詳細なデータを取り続けていた乾は知っている。
「俺もお前も、お互いに相手なしじゃどうにもならない身体になってるんだし。別に確かめるまでもないだろう?」
「それでも、認めるのは少し癪だった」
「意地っ張りだな、相変わらず」
 乾は笑いながら、くすぐるように耳に軽いキスを落とす。手塚は一瞬身をすくませて、お返しだと言わんばかりに乾の耳朶に噛み付いてきた。
「痛いよ、手塚」
「嘘をつけ。そんなに強く噛んではいないぞ」
「で、今は認めてくれたわけだ?」
「認めざるを得ない状況になったからな」
「へぇ、例えば?」
 しぶしぶといった様子で口を開く手塚に、乾は抱き寄せた背中を撫でながら先を促した。
「そんなことまで、言わせるつもりか?」
「聞きたいね。認めざるを得ない状況っていうのは。まさかとは思うけど、俺相手じゃないと勃たなくなったとか?」
「……それに近い」
「え、ホントに?」
 聞き返すと、手塚は照れたように、でもどこか拗ねたように、乾の肩に顔を埋めた。
「3年になって、お前と会う時間が減って、寂しかった」
 手塚は、ついに観念したように話し出した。乾と会えない時間が耐えられないほどに寂しかったこと。その寂しさを埋めるように、遊んでほしいと言ってきた相手の誘いに乗ったことを。けれど、結局乾を思って一度も最後までは行かなかったことも。
「お前でなければ何も感じない。けれど、そんなにお前を好きでいることを認めるのが、正直怖かった」
「手塚……」
 日頃無口で、なかなか自分の心の内を表に出さない手塚の言葉は、それだけに重みがあった。
「当然だな。こういうことは、本当に好きな相手でなければ、気持ち良くも何ともない」
「そうだね。俺も、手塚以外の人間には、キスしたいとも思わない」
「俺以外の人間にそんなことを思うようなら、嫌いになるぞ」
「手塚に嫌われたら、生きていけないよ。だから、安心していいよ。こういうことするの、手塚だけだから」
 話してみれば、こんなに単純なことだったのか、と乾は拍子抜けするように納得していた。
 お互いに相手と会えない寂しさを抱いて、一人でいる時にどうしているのかと不安になって。深く深く相手を想って、独占欲を強くしてしまうことに恐れを抱いていた。
「さっきも言っただろう。俺がこんなになるのは、お前だからだ」
「ああ。だから、手塚が欲しいと思うなら、欲しいだけあげるよ」
「その言葉、本当だな?」
「こんなことで嘘ついても、仕方ないだろう」
 挑むような目を向けてくる手塚に、乾は微笑してみせた。
「ねぇ、手塚?」
「なんだ」
「本当は、大学に上がる時に言おうかと思ってたんだけど」
 乾は手塚の身体を少し離して、視線を合わせた。眼鏡を取り去って露になる、澄んだ鳶色の目をまっすぐに見据えて乾は言った。
「俺たち、一緒に暮らさない?」
「え? ……乾、それは……」
 乾の言葉に、手塚は一瞬絶句した。それは、手塚も一度は考えた。けれど、大学はどちらの家からも通える距離で、特に不便というわけでもない。実現はできないだろう、と思っていた。
 乾も同じことを考えていて、それを今言葉にしてくれた。
 ゆっくりと染み渡っていくように、手塚の心に喜びが広がっていった。
 それが顔に出ているのだろうか。それとも、相変わらず自分の表情には出ていないのだろうか。
 乾は照れた時のいつものクセで、痒くもないはずの頭を掻いて、ボソボソと続けた。
「プロポーズだと、受け取ってくれていいよ」
「乾……」
 嬉しい、と素直に伝えようとする手塚とは裏腹に、乾は夢のない話を続けた。
「俺、大学院に行くから、あと6年は学生だけど。それでもよければ、ってことになるけど」
 そのせいで、手塚のテンションは急降下し、つい冷静な物言いになってしまう。
「つまり、俺が先に卒業してから5年間は、俺がお前を養わなければいけない、というわけだな? 今時、そんな景気のいい会社などないぞ」
「もちろん、バイトはするよ。生活費、少しはカバーできるくらいには」
「俺が就職した先で転勤になって、他県に行くことになったらどうするつもりだ?」
「そうなんだよな。だから、言い出せずにいたんだ」
 一緒に暮らしたいという気持ちはあっても、今はまだ親の脛をかじっている状態だ。加えて、乾は博士課程まで進むつもりでいる。もちろん、それが乾の両親の希望でもあるわけだが。
 だが、乾が就職するのを待っていたら、いつまでたっても一緒には暮らせない。
「とりあえず、親を説得するのが先だな。家賃は折半だ、いいな」
 いざとなれば、手塚の方が決断するのが早い。何かと理由をつけて断られるのではないか、と考えていた乾の予想はあっさり覆された。
「……って、いいの?」
「俺も、それを何度か考えた。だが、親を説得する理由が思い当たらなかったからな、言うに言えなかった」
「手塚……。で、どう理由をつけて説得するつもり?」
「それは、後でお前も一緒に考えろ。先に言い出したのは、お前だ」
 言いながら、手塚は乾に身体を摺り寄せて、唇にキスをした。
「俺とお前なら、もっともらしい理由も考えつくだろう?」
 そして乾を抱き締めて、耳元に唇を寄せる。
「今、俺がどれほど嬉しいと思っているか、わかるか?」
 甘い誘いを流し込まれて、乾は微笑した。手塚のうなじに顔を埋めて、結局は手塚に相手にしてもらえなかった知らない誰かが腹いせに残したのだろう痕に、噛みつくようにキスをして、それを自分の物にすり替えた。そして、わざとわかっていないふりをした。
「わからないな。教えてくれるかい?」
「仕方ないヤツだ。教えてやるから、途中で根を上げるなよ」
「手塚こそ、先に降参しないでよ」
「誰が、お前になど降参するものか」
 他愛のない言い合いの末に、二人で顔を見合わせて笑った。手塚が久しぶりに見せる笑顔に、乾は吸い寄せられるように唇を寄せて、深く重ねあった。
 今更ながら、この恋人が本当はとてもシャイな性格をしていて。
言葉にはなかなか出してくれないけれど、誰よりも自分のことを想っていてくれて。
 でも一度素直になれば、とことん自分を舞い上がらせてくれるのだと思い出しながら。
「もう二度と、他の誰かを抱きたいなんて思わないくらい、抱いてあげる」
 高らかに宣言して、乾は手塚の身体に再び覆いかぶさっていった。


Fin

written:2003.5.31

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