Honey bunny

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Honey bunny



 その日、手塚は非常に機嫌が悪かった。
「手塚……」
 呼んでも返事はなく、虚しい沈黙が漂うばかり。
 明日は久しぶりの部活休みだから、じっくりたっぷりエッチができる……もとい、二人きりでデートができると思っていた乾の計画は、水の泡になろうとしていた。
「ねぇ、手塚。機嫌直そうよ?」
 どう声をかけても、反応なし。乾のベッドを占領し、枕を抱きしめてうつ伏せになったまま、手塚は30分以上も沈黙を守り続けていた。
 そもそも、何故手塚が機嫌を損ねたのか。膨大なデータをその頭脳に蓄積している乾ですら、さっぱり見当がつかなかった。
 明日は部活が休みだから、と手塚を家に呼んで部屋に連れ込むまでは、いつも通りの手筈通りだった。手塚の機嫌も、あからさまに二人きりなのだということで、気恥ずかしさからくる照れは見られたものの、眉間の皺もなく、上機嫌な様子だった。
 にもかかわらず、だ。
 乾がいつもと同じように、その日のデータをパソコンで整理しようとノートを取り出すと、急に手塚の眉間に皺が寄った。様子が少しおかしいな、と頭の隅で思いつつも、済ませることはさっさと済ませて手塚と……とマウスやキーボードを操り始めると、手塚は乾に背を向けて、壁を向いてベッドに横たわった。いつもなら、乾がデータを整理している間、邪魔をしないようにとテニス雑誌に目を通す手塚が、それもしない。
「手塚? 俺、何か気に障るようなこと、した?」
 乾が手塚の肩に手をかけると、手塚はそれを払いのけるようにぐるりと寝返りを打って、乾を睨み上げてきた。
 ……眉間の皺が、いつもの1.7倍増しだ。
 データマンの悲しい性か、乾は手塚の眉間の皺を見るや否や、瞬時にそんな数字を弾き出していた。皺の数からして、どうやら怒っているようなのだが……手塚、怒ってる顔もかわいい。
 そんな不謹慎な感想は、顔に出ていたらしい。手塚は乾の微妙にニヤけた顔を見て、ムッとした表情を見せた。
 そして再び、無言で乾に背を向けてしまった。
 参ったな……。乾は完全にお手上げ状態だった。手塚が来てから今までの自分の行動を、何度反芻してみても、いったいどこが悪かったのか、全く心当たりがないのだ。かといって、何の理由もなく、手塚がここまでへそを曲げるはずもない。
「手塚ぁ……ちゃんとこっち向いてよ」
 少し情けない声を出してみても、やはり反応なし。エッチどころか、キスもできずに一晩を過ごすなんて、片思いの時ならいざ知らず、恋人に昇格してからは初めての敗北を喫してしまうことになる。それだけは何としても避けなければ。と乾はどうにかして手塚の機嫌を直す方法を、自慢の頭脳をフル回転させ、弾き出そうとしていた。
 情けない声を出してもダメなら、泣き落としか?
 それとも、抱きしめて耳元で話しかけた方が、効果があるかも?
「俺が何か、怒らせるようなことをしたんだったら、謝るから。ね、手塚」
 肩を抱くようにして、シーツに投げ出された手に自分の手を添える。が、それも拒絶されてしまい、乾を押しのけるように手塚はベッドに起き上がった。そして、手塚と向き合うようにベッドに座り込んだ乾に、手塚は……。
「った、痛い、痛いよ、手塚。ちょっと、どうしたの? って、手塚!?」
 乾の枕を掴んで、バスッバスッと乾に殴りかかってきた。殴ると言っても柔らかい枕で、手塚もそれなりに手加減をしているため、口で言うほどは痛くない。それでも当たり所が悪く、乾の眼鏡がベッドの上に飛んだ。
「手塚、ストップ。ストーップ!」
 さすがにこれ以上続けられると、枕が傷む。……ではなく、エッチに持ち込む雰囲気ではなくなってしまう。乾はどうにかして襲いかかる枕をかわし、手塚の手からそれを奪い取った。
「どうしたの、手塚? って、ちょ、ちょっと?」
 枕を奪い取られてもなお、手塚の手は休まない。武器がなくなったとなれば、今度は素手を拳にしてポカポカと、自分を押さえつけようとする乾の肩や胸を叩いた。
「てーづーかっ。いい加減に……っ!」
 こうなったら、無理にでもキスに持ち込んで、おとなしくさせるしかない。
 そう判断した乾が、殴りかかってきた手塚の手を取って、ベッドに押し倒そうとした瞬間だった。
 乾は自分の腹に衝撃を受けて、息を詰まらせた。一瞬、呼吸が止まったかと思うと、次の瞬間には大きく咳き込んでいた。手塚から手を離して、腹を押さえてベッドに倒れこんで、むせた。
「乾っ!? 乾、乾っ!」
 これに驚いたのは、手塚の方だ。ただ闇雲に暴れて、押し倒そうとする乾を押し返そうと、自由にならない手の代わりに足を振り上げたら、膝がモロに乾の鳩尾に入ってしまったのだ。
「乾、大丈夫か? 乾?」
 手塚は慌てて、うずくまる乾にすり寄って呼びかけた。いつものクールな鉄面皮はどこへやら、といった風情で、必死で乾の肩を軽く揺すり、苦悶の表情を浮かべる乾の背中をさすった。
「すまない、はずみでつい、こんな……。乾……」
 ちょっとやそっとのことでは苦しい表情を見せない乾が、痛みを全身で表すのを手塚は初めて目にして動揺していた。
「乾、かなり痛むか? 大丈夫か? すまない、乾……」
 手塚は腹を押さえて痛そうな顔で目を閉じている乾に手を伸ばし、上半身を抱き起こし、ぎゅっと抱きしめた。乾の名前を呼びながら、涙目になって泣きそうな声になっていく。その様子を敏感に察した乾は、タイミングを見計らって手を伸ばし、手塚の頬に触れた。
「乾……」
 ほっとしたような表情を見せる手塚に、乾は軽く微笑してみせた。
「そんな泣きそうな顔しないでよ、手塚」
「でも、お前が……」
「大丈夫だよ。一瞬、本当に息が止まって、死ぬかと思ったけど」
「すまない……」
 茶化して言ったつもりの乾の言葉に、手塚は本気でしゅん、となってしまった。
「本当に大丈夫か?」
「うん。手塚がキスしてくれたら、痛みも吹っ飛ぶ」
「わかった」
 乾の言葉に誘われるまま、手塚は素直に乾の唇にキスを落とした。初めは軽く触れるだけで。でもすぐにそれでは足りないと、深く重なっていく。
 本当は、それほど痛くなかったんだけどね。
 手塚にキスをさせようと、かなり痛む振りをしてタイミングを計っていた乾は、思惑通りに、いや思惑以上に手塚が自分を気遣い、素直にキスしてきたことに気を良くした。息で軽く微笑して、自分から舌を差し入れてきた手塚から主導権を奪い、激しいキスに誘った。
 上顎に舌を這わせて、何度か往復させただけで、手塚の体から力が抜ける。舌を絡め合わせて吸うと、鼻に抜けるような甘い声を上げて、手塚は乾にしがみついてきた。
「んぅ…んっ……」
 乾の支えなしでは座っているのも辛い。そこまでキスに感じてきたことを確認して、乾は長いキスから手塚を解放した。
「乾……お前、大げさに痛む振りをしたな?」
「あ、バレたんだ?」
「当然だ。全く、本気で急所に入ったかと心配したぞ」
 キスですっかり蕩けてしまった目で上目遣いに睨まれても、乾はかわいいと思うだけで全く効果がない。逆にだらしなくニヤけたような微笑を向けられて、手塚は言葉を失ってしまった。
「それで? どうして俺を殴るほど、機嫌悪くしたの?」
「……」
「手塚? 多少は痛い思いをさせられたわけだから、俺には訊く権利があると思うけど?」
 答えようとせず、拗ねたような顔をする手塚を宥めるように、乾は優しく問いかけた。同時にサラサラと指を柔らかく流れる髪や項を撫でて、答えたくなるように仕向けた。
 手塚の恋人の座をゲットして以来、今や手塚よりも手塚を知っている乾だ。どこをどうすれば素直になるか、どこが感じやすいのか、乾のどこが好きで、どうされると弱いのか。データは収集済みだ。
「部屋に来てからだよね、急に機嫌が悪くなったのって。何が手塚の癇に障ったわけ?」
 眼鏡のない顔でまっすぐに手塚を見て、声のトーンを低く落として、手塚の耳に溶けるように甘く尋ねれば、それで手塚は陥落する。眼鏡を取り去った端整な乾の顔にも、低く抑えることで甘い響きを帯びる乾の声にも、いつもは眼鏡の奥に隠された黒い瞳にも、手塚は弱いのだ。
 それらを一度に向けられて、案の定、手塚は照れたように一度乾から視線を外した。そして拗ねているのか、乾にしかわからない程度に、ほんの少しだけ頬を膨らませて言った。
「データが……」
「データ?」
「データが全て出揃ったら、お前は俺に飽きてしまうんだろう?」
「はい?」
 手塚の口から飛び出した事は、乾の予想とは全く次元の違う話で、高速回転が売りの思考回路が一時停止した。
「あの……手塚? 誰が、誰に飽きるって?」
「だから、お前が、俺に……」
「あり得ないな、それは」
 乾の脳が全会一致で、間髪入れず結論づけた。
 手塚が乾に愛想をつかしたり、飽きてしまったり。そういうことはあったとしても、乾が手塚に飽きるなんてことは、絶対にあり得ない。北極と南極がひっくり返ることは何万年かに一度あるが、それでも太陽が西から昇ることがないように、乾が手塚に飽きることなど、あるわけがない。
 そう力説する乾に、手塚はそれでも……とその根拠を語り始めた。


 さかのぼること数時間前。
 場所は、青春学園中等部男子テニス部が部活動を行っているテニスコート。
 レギュラー同士二組に分かれ、紅白戦を行っている最中のことだった。
 乾はいつも通り、試合の空き時間はお馴染みのノートを広げ、部員たちの詳細な試合データを取っていた。そこに気分屋の菊丸が構って構ってぇ~、と寄ってきたのである。いつも菊丸を構ってくれる大石や不二は、たった今目の前で対戦中。遊び相手の桃城と越前も別のコートで対戦中ということで、他に相手がいないから、と乾をターゲットにした、というわけだった。
 乾が陣取っている場所のすぐ傍で、手塚は試合の審判をしていた。背後で菊丸が乾に寄っていったのを感じ、試合に集中しながらも二人の会話に聞き耳を立てていた。
「いーぬいぃー。あ、まーたデータ取ってるにゃー」
「当然だろう? こういうのは練習と一緒で、日頃の積み重ねが大事なんだから」
「それで? また俺たちのこと泣かすつもり?」
「泣いてくれない奴が約2名と、まだ泣いてない奴が約1名いるけどね」
 乾のデータに泣かない2名のうちの一人は手塚で、もう一人は今目の前で大石と戦っている不二だ。
「でもさぁ、乾ぃ?」
「何?」
「そうやってデータ取ってて、そのうち取り尽くしちゃったら、どーするわけ?」
「取り尽くすって、データを?」
「そう、データを」
「それは……考えたことなかったな」
 視線はあくまでもコートを見据えたまま、乾はノートにボールペンを走らせていた手を止めた。同時に、目の前の試合も不二のショットが決まってゲームポイントを取ったことで、一度中断していた。
「毎日それだけデータ取ってて、考えたことないんだ?」
「ああ。データを取っても、その対象が練習や試合を経験することで成長したら、その度にデータを更新しなきゃならないからね。ある程度データが出揃うことはあっても、取り尽くすことはないだろうな」
「ふーん、そういうものなんだ?」
「そういうものだろう?」
 あまりにもごもっともな乾の返答に、菊丸は黙り込んでしまった。が、そこでめげないのが菊丸だ。
「じゃあ、じゃあさぁ、乾?」
「何?」
「もし、もしもだよ? 例えば、不二や手塚のデータが全部出尽くして、もうこれ以上取る必要ないや、ってなったら、どうする?」
 正面から攻めてダメなら横から攻めようという魂胆か、菊丸の問いかけに、乾は何やらブツブツ言いながら少し考え込んだ。
「そうだな。もしデータが全部出尽くしたとしたら、その時は……」
「その時は?」
「また別のターゲットを探すことになるんだろうな」
 別のターゲットを探す。
 その一言が聞こえてきた瞬間、手塚の頭は真っ白になった。


「ひょっとして……それで、俺がデータ整理始めたら怒ったわけ?」
「……お前が、他の誰かに乗り換えるようなことを言うからだ」
「確かに、もしデータが出尽くしてしまったら、って話はしたけどね。でも、だからって手塚に飽きるとは言ってないよ?」
「でも……」
 もし本当に、いつか手塚のデータを乾が全て取り尽くしてしまったとしたら。そんな日が来たとしたら。乾は手塚への興味を無くして、他の存在に心を移してしまうかもしれない。
 そう考えると、手塚は不安で押し潰されそうになった。だから、乾がいつものようにデータ整理を始めるのを見た時、そのいつかが早まってしまうような気がして、手塚は不愉快になったのだ。そんな手塚の気持ちに気づかずに、ただ宥めようとする乾にも腹が立って、余計に苛立ちが募ってしまった。その結果が、あの暴動だったというわけだ。
 乾はそんな手塚の言い訳を聞いて、苦笑した。
「手塚さぁ、俺と英二の話、小耳に挟んだだけでちゃんと聞いてなかっただろ?」
「それは……」
 手塚はすぐ傍で二人の会話を事細かに聞いていたわけではない。少し声が大きくなった部分が、耳に入ってきたというだけだ。そして『別のターゲットを探す』の一言が聞こえてきてからは、まともに会話が耳に入っていなかった。
「俺はその後に、まだ不二も手塚も本気を出し切ったところを見てないから、一生かかってもデータが出尽くすなんてことはないと思うけど。って言ったんだけどね」
「そう、なのか……?」
 恐る恐る確認するような手塚に、乾は大きく頷いてみせた。
「それに、英二と話してたのは、あくまでもテニスの話だろ? 手塚に関しては、欲しいデータはテニスだけじゃないからね」
 続けながら、改めて乾は手塚を抱き寄せた。
「例えば……」
「あ…い、乾っ?」
 そしてつつ、と手の平で手塚のわき腹を撫で下ろし、太ももまで辿り着くとその手を内側へと滑らせた。
「手塚のどこをどう刺激したら、その気になってくれるか、とか。ココをどれくらい擦ったら、いい声で啼いてくれるか、とか。収集したいデータが次々に出てくるし、更新しなきゃならないデータも膨大だからね」
 テニスだけでも、まだまだデータが不足しているというのに。手塚自身も含めたら、乾が持っているデータなどほんの一部に過ぎないだろう。どれだけ収集しても足りない、そして日々更新され続けるこのデータが出尽くしてしまうことなど、考えられないほどに。
「テニスや表面的なことなら、データでも計れるけど。手塚の気持ちまではデータじゃ計れないからなぁ」
 実際、乾を想う手塚の気持ちは、乾が日頃の言動から予測し、計算して割り出した答えを大きく上回っている。
「だいたい、人の心を計る物差しなんて存在しないんだし。存在しない以上、データ化もできないだろう? だから、そもそも手塚に関してデータが全部出揃って、飽きるなんて事はあり得ない。……それでも、まだ納得できない?」
「なんとなく、適当に誤魔化されているような気がするんだが」
「つまり、それだけ手塚が好きだってこと。最初から、手塚が怒る理由なんて、何もないってことだよ」
 そこまで言われてようやく理解できたのか、手塚はきょとん、とした表情を見せた。そして気持ちが先走って、冷静に考える余裕をなくしていたことを自覚して赤面した。
「つまり、俺は……怒る必要のないことで、勝手に怒ってお前に八つ当たりしてしまった、というわけだな」
「まぁ、拗ねて暴れる手塚なんて、滅多に見られない貴重なものを見せてもらったから、それはそれで嬉しいんだけどね」
「また、お前はすぐそういう事を……」
 ちょっとした何気ない言葉でも、全て口説き文句に変えてしまう乾に、手塚は本気で照れていた。
「だって、そんなことで不安になって、怒ってしまうくらい手塚が俺のことを好きでいてくれる、ってことでしょ?」
「それは……」
 困ったように言葉に詰まる様子が、乾の言った事を肯定している。
 乾はいつもそうだ。手塚が自分で言葉にするのが恥ずかしかったり、上手く言えなかったりすることを先読みして、汲み取って、形にして手塚に差し出してくれる。それは手塚を想う、乾の心の深い部分から自然に出てくるもので、本人はほとんど無意識のうちにやっている。
「お前は、俺を甘やかしすぎていないか、乾?」
「恋は盲目、“あばたもえくぼ”ってね。好きな相手に甘くなるのは、当然じゃない? それに、俺は別に手塚を甘やかしてるわけじゃないよ」
「そうか?」
「うん。ただ優しくしてるだけ」
「それが甘やかしているように思えるんだが?」
「それは、手塚が俺に甘えたいと思ってるからじゃないかな」
 日頃、甘えや妥協は一切許さない。といった信念を貫いている手塚が、自分にだけは甘えてくれる。それが乾にとっては何より嬉しい。少なくとも、手塚から八つ当たりされるなんて、そんな手塚を見ることを許される者など、乾以外には存在しない。
 もちろん、これ以降もそんな光栄な役割を他に譲るつもりは、毛頭ないのだが。
「ねぇ、手塚?」
「なんだ?」
「お互い誤解は解けたって事で、仲直りのキスしようか」
「……さっきもしただろう?」
 額を合わせて誘いの言葉を口にする乾に、手塚は少しだけ意地を張った。
「さっきのは、痛いの痛いの飛んでけー、ってキスだったからね。仲直りのキスじゃない」
「そうやって適当に理由をつけて、結局はただキスしたいだけだろう」
「当たり」
 だいたい、俺たちは別に喧嘩をしたわけじゃないぞ。
 言い返そうとした言葉は、乾の唇に塞がれて声にはならなかった。そして仲直りのキスだと言いながら、乾の唇は軽く触れただけで、すぐに離れてしまった。
「……これが、仲直りのキスか?」
「こんなものじゃ足りない?」
 思わず言ってしまった言葉をカウンターで返されて、手塚は乾の策にまんまと引っかかったことを理解した。こいつは、最初からそのつもりで……。
「お前は本当に……」
「本当に、何?」
「悪者だな」
「悪者?」
「そうだ。悪者で、頭が切れるくせにバカで、エッチで、策士で……」
 言いながら、手塚は自分の眼鏡を外して、まだ何か隠し持っているような不敵な微笑を浮かべる乾の唇に、軽くキスをした。
「すまなかった」
 まっすぐに乾を見つめて謝ると、乾は目を丸くした。そしてすぐにくしゃ、と表情を崩して微笑した。
「参ったな、一本取られたよ」
 なじるようで実は好きだと言いながら、急に素直に謝ってくるなんて。本当にこの恋人は、自分を虜にするという意味では、凶悪犯よりまだ性質が悪い。それも、自覚がないのだから始末に終えない。まったく、これではどちらが悪者なのだか、わかったものではない。
 でも、自分に八つ当たりしてきた分は、ちゃんとお仕置きしないとね。
「いったい何が……」
 何か問いかけようとした言葉を、乾はそれ以上続けるのを許さなかった。
 声も吐息も奪い取って、手塚をベッドに沈めた。


Fin

written:2003.6.15

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