僕が鬼

| HOME | 乾塚作品集 | 僕が鬼 |

sea01.JPG

僕が鬼


 パソコンの画面を見つめて、俺はその日何度目かのため息をついた。
 昨日から数えたら、もう両手では到底数え切れないほどになっているに違いない。
「手塚ゾーン、か」
 昨日、校内ランキング戦での最終試合。俺の対戦相手は手塚だった。
 1年の時から、通算して32戦32敗。そして、昨日の試合が33敗目…。
 3年になってすぐの校内ランキング戦でレギュラー落ちしてから1ヵ月半。レギュラーに戻るには、まず手塚に勝つくらいに強くならなければ、と思ってひたすらトレーニングに励んだ。
 そして、万全の状態で迎えた昨日の試合。レギュラーへの復帰は確定していたけれど、手塚との試合は、自分の力を試す意味でも手を抜くわけにはいかなかった。全力で臨んだその結果が。
 校内ランキング戦で、手塚から奪ったゲーム数の最高記録は更新したものの、3ゲームしか取れなかった。
 まったく。俺はまたため息をつく。
 練習に練習を重ねて、ようやく追いついて、捕まえたと思ったら、手塚はあっさりと俺の手から逃げてしまう。
 自分が強くなっている、という手応えはあった。でも、手塚が俺に対して本気を出したのは後半にさしかかった頃からで、それまでは半分ほどの力しか出していなかった。それに、本人は気づいていないみたいだけど、手塚は去年の秋から左肘を傷めていた。そのケガをかばって、肩に負担をかけている。にもかかわらず、だ。
それだけの差が、俺とあいつの間にある。
 いくらプライベートじゃ恋人だ、って言ったって、肝心のテニスでこれじゃ、ダメだよな。
「情けないな……」
 かなり落ち込んだ気分で、俺は机に突っ伏していた。
 昼休みのパソコンルームには、俺以外に誰もいない。弁当を食って、わずか30分にも満たない時間でわざわざパソコンを触りに来る物好きは、俺だけだということだ。
 部活の練習メニューを考えたり、こうして一人で考え事をしたりするには、ちょうどいい。
「こんな所で居眠りか」
 目を閉じてぼんやりしていると、今一番聞きたくない声が斜め上から降ってきた。手塚だ。無愛想なのはいつものことだけど、今日は一段と機嫌が悪い。
 やはり、昨日何も言わずに帰った上に、携帯にかかってきた電話もメールも無視してしまったのが、マズかったらしい。
「何しに来たんだ?」
 なんとなく顔を見たくなくて、俺はうつ伏せになったままで尋ねた。手塚は、俺の隣の椅子に座りながら答えた。
「昨日、部活が終わってから何も言わずに帰っただろう。携帯にかけても、メールを入れても全く音沙汰なしだ。どういうことか、説明してもらうぞ」
 やっぱり。
 俺は声に出さずに呟いた。まさかね、お前との試合に負けて、顔を見るのも、声を聞くのも嫌だと思うほど凹んでる、なんて言えないだろう。
 でも、俺が手塚の行動を読めるように、手塚には俺の考えていることが読めるらしい。
「俺の顔も見たくないほど凹んでいるのか。だったら、最初から余力を残さずに全力でぶつかってこい」
 ……まいったね、この人は。そんなことまで見抜いていたとは。
「気付いてたのか?」
「当然だ。そのリストバンド、いったい何グラムの錘が入っているんだ?」
「やれやれ、お見通しってことかい?」
 俺が凹んでいると思って、心配して、昼休み返上して来てくれたってわけだ。俺は観念して顔を上げた。
「これは昨日の俺との試合か?」
 手塚は俺の問いかけには答えずに、パソコンに目を移して話を変えた。答えない、ということは、つまり肯定しているという意味だ。なんてことも、もう俺にはわかっている。
「まぁね、この手塚ゾーン。俺が打つボールを予測して、それに合わせた回転をかけて打ってくるなんてね。まるで、俺のデータテニスを逆手に取ったようじゃないか」
 ボールコントロールの良さが仇になって、手塚の術中に落ちる。それを破るには、パワーで押し切るか、わざとネットにかけて球速と回転を変えるくらいしか、方法がない。
「お前はコントロールがいいからな」
 だからこそ、手塚ゾーンに引っかかりやすい、ということだ。
「今回は、お前を捕まえられると思ったんだけどね」
 追いついたと思ったら、同じだけ、いやそれ以上手塚は前に進んでいる。
「捕まえられるものなら、捕まえてみろ。俺は、お前に捕まえられないように、逃げるからな」
 そう言いながら、手塚が微笑した。俺を挑発するような、不敵な笑みだ。もっとも、俺以外の人間が見ても、いつも通りの無表情にしか見えないのだけど。
「それじゃ、まるで鬼ごっこだな」
「鬼ごっこ?」
「そう。小さい頃さ、近所の子と鬼ごっこして遊んだだろ? その時にさ、必ずいるんだよね。どんなに追いかけても、捕まえられない子」
 必死で追いかけても逃げられて、結局タイムアップ。そんな経験と、今の手塚を追いかけるこの状況はよく似ているような気がした。
「俺が、その捕まえられない子供だということか?」
「そうだよ。俺がどんなに追いかけても、手塚はすぐに逃げてしまう。時々立ち止まったり、俺に近づいてきたりするけど、捕まえようとすると逃げるんだ」
 答えながら、俺は手を伸ばして手塚の頬に触れた。こうして触れたり、抱きしめたり、キスしたり。そういうことはさせてくれるし、俺を好きだと言ってくれるけれど。肝心のテニスでは絶対に追いつかせてくれない。
「だから、俺はずっとお前に負けて、お前を追い続けてる」
「乾、俺はお前にだけは絶対に負けない」
 そう言った俺に、手塚が言い返してきた。まっすぐに俺を見据えて、手塚の頬に触れる俺の手に、自分の手を添えて。口にする言葉の冷たさとは裏腹に、行動は優しかった。
「ケガをしても、何があっても、お前にだけは負けない」
「俺にだけ? じゃぁ、越前や不二には負けてもいいんだ?」
「よくはない」
「だったら、どうして俺だけ、絶対ダメなの?」
 手塚がそこまで俺にこだわる理由を、俺はどうしても聞きたかった。
「他の連中は、どこかで俺に負けても仕方ないと思っている。でも、お前だけは違う。俺がお前に勝ち続ける限り、お前は俺を追いかけてくるだろう?」
 疑問形で切り出された言葉に、俺は自分の耳を疑いそうになった。それは、つまり……。
「ずっと俺に追いかけていてほしい、ってこと?」
「そうだ。俺はお前から逃げ回ってやるから、お前は俺を捕まえられるまで追いかけ続けろ」
「期限はどれくらい?」
「俺に勝つまでだ」
「それって、とりあえず一番長くて死ぬまでってことになるけど……?」
 手塚が口にした言葉は、とんでもない口説き文句だった。口にした本人には、そんなつもりじゃなかったかもしれないけれど。手塚に惚れ込んでしまっている俺にとっては、究極のプロポーズに近い。
 だって、ねぇ。死ぬまで自分を追い続けろ、だなんて。
「そういうことになるな」
「手塚」
「なんだ」
「それって、プロポーズされてるみたいに聞こえる」
「……何故そうなる?」
 やっぱり、気づいてないみたいだ。こういうところが、たまらなくかわいいんだよな、手塚は。
 話しているうちに、凹んでいた気持ちはどこかへ消え去ってしまっていた。
「まぁ、いいよ。気づいてないなら、それでもね」
「だから、何がだ」
「それよりさ、今日の部活。さっそく新レギュラー用のメニューを組んだんだけど、どうする?」
 言えばまた手塚は照れてしまって、素直じゃない言動を始めてしまうから。俺はあえて黙っておくことにした。
 死ぬまで追いかけろ、って手塚が言ったんだから、覚悟してもらわないとね。
 とりあえず80歳まで生きるとして、あと65年。
 ずいぶん長い鬼ごっこになるけれど、その間、手塚がずっと俺を意識し続けてくれるというなら、鬼になって手塚を追い続けるのも悪くないかもしれない。
 試合に負け続ける悔しさは、何年経っても変わらないかもしれないけれど。悔しさの分だけ、俺は手塚を追いかけるパワーに変える。
 多分、手塚は手を抜かないだろう。それこそ、俺に追いつかれないように必死で逃げるはずだ。
 手塚が俺の前を走り続ける限り、俺も諦めずに食らいついていくしかない、ってことだ。
 それでもいつか、俺が手塚を捕まえることができたとしたら、その時は。
「一生離さないから、そのつもりでね、手塚」
 練習メニューの打ち合わせをして、俺が浮上したのを確認して。予鈴が鳴ったのを聞いて、教室へ戻っていった手塚を見送って、俺は一人呟いた。


Fin

written:2003.3.30

inserted by FC2 system