トレパック

| HOME | 乾受け作品集 | トレパック |

banboo.jpg

トレパック



「乾杯」
 ノン・アルコールのシャンパン風炭酸飲料を注いだグラスを合わせた。
 華やかで、煌びやかなオーケストラの音楽が響く部屋の中に、グラスを合わせる金属音が少し、異質な音を立てた。
 目の前には、クリスマスケーキと、小さなツリーと、炭酸飲料水のボトル。
 用意したのは、蓮二だ。
「そういえば、今日はクリスマスイブだったんだな」
「忘れていたのか? 相変わらず、時節柄には疎いな」
 そう言いながら、誰よりもクリスマスが似合わない――ハンカチ代わりに懐紙とか、日焼け防止にと和傘を持ち歩くんだぞ、こいつは――外見をしている蓮二が軽く笑った。
「俺にだけは言われたくない、とお前は思っている」
「……お見通しなのはわかってるけどな。いちいち口に出すな」
「そう照れるな」
 軽く睨み返すと、蓮二は何食わぬ顔をしてグラスを傾けた。
 洋服よりも着物が、フローリングの部屋よりも和室が似合う見た目のクセに、蓮二はクリスマスだの何だのというイベント事には敏感だ。今日も、クリスマスイブだからとか何とか言って、俺の家に押しかけてきた。ケーキだの何だの、と一式持って。
「恋人になってから初めて迎えるクリスマスだからな。共に過ごしたい、と思うのは自然な発想だろう?」
「それは、そうだけどな」
 普通の週末になるはずだったこの土・日を特別なものに変えてしまったのが、目の前にいる蓮二だ、というのは事実だ。
 期末試験中はテストに専念するから、と接触を少なくして。テストが終わったら、今度は部活の方が忙しくなって。終業式明けの週末だった今日も、夕方まで練習があって、俺たちは寒空の下で走り回っていた。
 クリスマスだ、と俺が自覚したのは、練習が終わってから英二にカラオケに行こう、と誘われた時の事だ。
(今日はクリスマスなんだし。皆でカラオケでも行こう!)
 行くかどうかを考えるより先に、クリスマスなのか、と思っていた俺に代わって、蓮二は勝手にそれをキャンセルしてくれた。

 その理由が、これだ。

 特番ばかりでつまらないテレビ番組の代わりに、クリスマスに相応しい夢物語を、なんてプレーヤーにセットしたバレエのDVDは、チャイコフスキーの三大バレエの一つである『くるみ割り人形』。
 キラキラした衣装を着て踊るダンサーと、華やかで明るい音楽をバックに傾けるグラスと、蓮二の味覚にあわせて薄味ぎみのケーキ。
 ご丁寧に蛍光灯を消して、サンタクロースやツリーの形をしたキャンドルに明かりを灯して、クリスマスムードを演出しているのが、この蓮二だなんて……英二や不二が聞いたら卒倒するか大笑いするか。いや、その両方になる確率100%ってとこだ。

 でも、それもこれも全て、俺のため……なんだよな。

 気恥ずかしい気持ちと、嬉しさを噛みしめて、俺は小さくため息をついて、改めて薄明かりに浮かび上がる光景を見た。
 いつか、蓮二と恋人同士になれたら、二人でクリスマスを過ごすことがあるんだろうか?
 なんてことを、片思いだった時に考えたことがないわけじゃ、ない。
 でもそれが本当に実現しているんだと、俺は今更のように気がついた。
「どうした? 口に合わないか?」
「いや、美味しいよ」
 目頭が熱くなりかけたのをごまかすように、俺はケーキにフォークを入れて、少し大きめに切り取って口に運んだ。生クリームとイチゴ、というオーソドックスなデコレーションの、程よく上品な甘さが舌の上で溶けた。
 顎を動かしながらテレビの画面を見ると、ちょうどクリスマスパーティーの場面らしい。賑やかで楽しそうなダンスが繰り広げられていた。
 去年の今頃は考えられなかった、まさに夢のようなひと時だ。
「でも意外だな」
「何がだ?」
「お前がこんな、バレエのDVDを見る、ってことがだ」
「……これは姉さんのだ。クリスマスにはピッタリなストーリーだから見てみろ、と言われて持たされた」
「ああ、なるほど……」
 聞いて、納得した。
「人形のお姫様と、純粋な心を持った少女が悪いネズミを退治する、というクリスマスの夜に展開されるストーリーらしい。俺も、見るのは初めてだ」
「ずいぶんメルヘンチックな話だな」
「だろう? だから、こうして……」
 言いかけた蓮二が、目を開けて俺を凝視した。
「貞治」
 と思ったらすぐに俺を呼んで、口の端を引き上げて笑った。
 いつも瞼の奥に隠されている蓮二の瞳を正面から見るのも、久しぶりかもしれない。そんなことをぼんやりと思っていると、蓮二がいつの間にか目の前にいた。
「蓮二? ……っ」
 急に蓮二の顔が近づいてきて、キスをされるのかと思った。
 思わず身をすくませた俺の唇の端を、蓮二はペロリと舐めた。
「クリームがついていたぞ」
「あ、ごめん……」
 こんなにすぐ側に蓮二を感じたのも、久しぶりだ。もちろん、部活やクラスでいつも顔を合わせていたし、練習中に交錯してぶつかったこともある。けれど、二人きりで、こういう雰囲気で……というのは、17日ぶりだった。
 俺から告白して、恋人という関係になってから、半年と21日。今までにこうして触れ合うことは何度もあったけれど、まだ少し慣れないというか、照れてしまうことがある。

 突然の蓮二の行動に、俺は少しうろたえた。

「こうして味わうと、甘さが際立つようだな」
 加えてこんなことを、蕩けるような微笑を浮かべて言われたら……。
 キザだ、なんて言葉も浮かんだけれど、口には出せなかった。
 蓮二の唇に塞がれて、声に出せなかった言葉が、頭の中でぐるぐると回る。クルクル回るような、軽やかな音楽と一緒に。
 17日ぶりのキスに、言葉も感情も蕩けてしまいそうになる。甘い痺れが、蓮二の触れている場所から全身へと広がっていく。
 その感覚が、酷く幸せだった。
「そういえば……まだ言っていなかったな」
 唇が離れて、俺を胸の中に抱きこんで。
 蓮二が耳元で囁いた。

「メリークリスマス、貞治」


Fin

inserted by FC2 system