ローテク・ロマンティカ

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ローテク・ロマンティカ



 その日、立海大附属中のテニスコートでは、一人の男子生徒が大声を上げていた。
「ジャッカル! 今のボールはお前なら取れただろう! ダッシュが甘いぞ!」
 スラッとした長身に、サラサラでツヤツヤのストレートヘア。それで前が見えるのかと思うほどに目の細い少年である。
「なぁんか荒れてるっすねぇ、今日の柳先輩」
 そんな様子を横目に見ながら、隣のコートでダブルスの練習をしていたうちの一人が呟いた。クセの強いボサボサ気味の黒い髪に、鋭い目をした切原赤也である。
「確かに、柳君があのように声を荒げるのは珍しいですね。何かあったんでしょうか?」
 ダブルスの片割れとして同じコートに入っている、眼鏡をかけた薄茶色の髪をした柳生比呂士がその切原に同意した。
「あの調子じゃ、また振られたんかいのぉ」
 その柳生とネットを挟んで向かい合っている、髪の色素がとても薄く後ろ髪の一部を少し伸ばした仁王雅治がボリボリと頭をかきながらボヤいた。
「振られたってことは、例の幼なじみ君?」
 どことなく楽しそうにそう言って、噛んでいるガムをぷぅーっと膨らませたのは、赤茶けた髪の丸井ブン太である。
「恐らく、そうでしょうね。他に考えられませんから」
「そうそう。しっかし、乾さんも相当鈍いっすよねぇ。ずーっと柳先輩フラれっぱなしなんすから」
「柳にしてみれば、そこがたまんないんじゃない?」
「恋は盲目っちゅーからのぉ」
 練習の手を少し休めて、4人はネットのそばに集まっていた。
 眼鏡をかけている柳生だけは少し表情がわかりづらいが、他の3人は一様にニヤニヤと微笑している。柳の様子を面白がっているようだった。
 が、当の柳は自分がそういう目で見られているとは、全く気づいていなかった。
(貞治……この俺の37回目の告白も、ものの見事にいなしてくれるとは。本当に理屈じゃないな)
 剃髪で色黒のジャッカル桑原とネットを挟んで向かい合った状態で、柳は心の中で毒づいていた。そしてボールを左右に散らしながら打ち分けて、ジャッカルを走らせながら柳は思い起こしていた。
 つい昨日の出来事を。


「あの、さ……明日、遊びに来られないかな?」
 明日は日曜で久しぶりに部活も休みだ、という土曜日の夜。柳蓮二は12歳の冬から片思い継続中の相手、乾貞治からの電話を受けた。
 少し話しづらそうに、歯切れの悪い口調が気になったが、柳は二つ返事で承諾した。
 好きだと思っている相手から、家に来てくれと言われて断る馬鹿はいない。
 柳は気合を入れて服を選び、彼が好んで食べてくれる桜餅を作って、いそいそと電車に乗った。
 乾が住んでいるマンションに着いてからは、ノロノロと上がっていくエレベーターをもどかしく思いながらようやく最上階にある乾宅にたどり着き、呼び鈴を鳴らすとやっと乾との対面がかなった。
「久方ぶりだな、貞治」
 万感の思いを込めて柳はそう言ったが、乾は怪訝そうに小首を傾げた。
「いらっしゃい。……久方ぶりって、前に会ってからまだひと月と経ってないじゃない」
「お前と会えない日々は一日千秋の思いで過ごしているんだ。久方ぶりと思えるのも無理ないだろう」
「もう、またそういうことを言う……」
 柳にしてみればいたって本音なのだが、色恋沙汰にはとことん疎いこの乾には、いつものシャレとしか受け取ってもらえない。からかわれている、としか思われていないのだ。
 哀しくももどかしいすれ違いである。
「そろそろ蓮二が来る時間だと思ってね。今お茶を蒸らしていたところだよ」
「なるほど。俺の行動パターンは全て計算済み、ということか。寸分の狂いもないな」
「当然でしょ。ダテにダブルス組んでたわけじゃないんだから」
 話しながら、柳は落ち着いた暖色系で統一されたリビングへ通された。座り心地のいいソファに腰を下ろすと、一度キッチンに入っていた乾がトレーに湯飲みを二つと急須を乗せて出てきた。
 品のいい華の香りがほのかに漂ってくる。その香りには、蓮二も覚えがあった。蓮二が好んで口にする、桜の香りがする緑茶だ。
「桜か」
「ああ。蓮二のことだから、きっと桜餅を作ってきてくれるだろうと思ってね。これにしたんだ。それに、このお茶は好きだろう?」
「俺の好みを覚えていてくれるとは、嬉しいな」
 乾と柳は、お互いのプレースタイルやパターンはもちろんのこと、個人的に凝っていることや嗜好についてまで細かいデータを把握している。食べ物は何が好きで、どんなお茶を好むかなど、一つ一つ説明したり口に出して伝えたりしなくても、瞬時にデータを引き出して形にしてくれる。
 柳にしてみれば、乾と共に過ごす時間は他の人間では決して味わうことのできない心地よさと、気楽さを覚えることができる至福の時だった。もちろん、それに「恋心」という何より甘い媚薬が加わっているのだけれど。
「それで、俺に話とは何だ?」
「うん、それなんだけどね………」
 乾が煎れたお茶と、柳が持参した甘さ控えめの桜餅を口にしながら、柳は他愛のない話ばかりでなかなか本題に入ろうとしない乾に尋ねてみた。
 すると、乾は言いづらそうに言葉を濁した。
「こういうこと、お前に言っていいのかどうか、正直まだ迷ってるんだ」
 乾が珍しく歯切れの悪い言い方をする。
「迷っていても話したいから、俺を呼んだんだろう?」
「うん、そうなんだけど……」
 データやテニスを語る時は雄弁な唇が、戸惑いの言葉を紡ぎ出す。
「話してみろ。お前が話すことなら、何でも聞いてやる」
 いつになく話すのに躊躇する乾を見て、柳はほんの少し期待を抱く。
 やっと柳の恋心を理解して、想いに応えてくれる気になったのか、と。
「じゃぁ、お言葉に甘えて……。あのさ、ジャッカル桑原って立海にいるじゃない? 彼のこと、詳しく聞かせてほしいんだ」
 がそんな淡い期待は、乾の言葉を聞いた瞬間にガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまった。
「ジャ、ジャッカル、だと………?」
 柳は絞り出すようにして、かろうじてそれだけ呟いた。
 ジャッカル桑原は柳が通う立海大付属中で、同級生の選手だ。デタラメと言われるほどに広い守備範囲を誇り、持久力に優れたプレイヤーで、レギュラーにも名を連ねている。
 柳と同様データマンとして、各有力校の情報の一環として乾が彼のことを知っているのは当然だと思う。が、何故彼に気を引かれているのか……と柳は最悪の事態まで考えてしまいそうになった。
「それは、まさか…お前は、ジャッカルを……?」
「うん。ちょっとね、気になってるんだ」
 柳の予想を裏付けするような乾の言葉を聞いて、柳は頭の真上でお寺の鐘が鳴り響いたような気がした。
(ジャ、ジャッカルめ……俺の知らない所でいつの間に貞治の気を引くような真似をしてくれていたんだ!?)
 柳は表情を全く変えることなく、心の中で毒づいていた。
「蓮二はいつも練習で一緒だからわかると思うんだけど、彼がポール回しを打つ時の腕の振りが気になってね。参考にさせてほしいんだけど……て、蓮二? 蓮二、聞いてるのか?」
 柳が一人でグルグル考えていて、自分の話を聞いていないのに気づいた乾が、拗ねたように強い口調になった。
「……何をだ?」
「今、俺の話聞いてなかったただろ」
「ああ……すまない」
 分厚いレンズの奥から睨まれて、蓮二はおとなしく謝った。乾は特に蓮二に対しては、同じ事を二度も言わされるのが嫌なのだ。
 仕方ないなとため息をついて、乾はもう一度話し出した。
「これは、立海の参謀だとか、青学の頭脳だとか。そういうこと抜きにして、一人のプレイヤーとして聞いてほしいんだけど」
「わかった」
 乾の前置きはつまり、これから話すことはデータとして利用するな、ということらしい。
「うちの後輩で、今ポール回しを会得しようとして練習してるヤツがいてね。一日に何千回っていうレベルで素振りとかやってるんだけど、なかなか上手くいかないんだ。それ見てて、何かアドバイスできないかなぁ、と思って」
「ああ、なんだそういうことか」
 そこまで聞いて、柳は自分が早合点したことに気づいて、納得していた。 
 乾の後輩に当たる青春学園の2年生に、試合中に偶然ポール回しを打って、以来何とか物にしようとしている選手がいるという。データを柳は瞬時に頭の中から引き出していた。
「それで、ジャッカルに思い当たったというわけだな」
「うん。さすが蓮二だね、話が早くて助かるよ」
 立海のジャッカル桑原は、その後輩、海堂薫が会得しようとしているポール回しを打つことのできる選手なのだ。
(なんだ、それでジャッカルというわけか。ふ、貞治め。余計な心配をさせてくれるな)
 柳は密かに胸を撫で下ろしていた。
「練習中にそれを打ってる時のフォームを録画したのがあるんだけど、蓮二にも見てもらっていいかな? 何か気がついたことがあれば、言ってほしい」
「そういうことなら、お安い御用だ」
 乾を少しでも喜ばせよう、とそう請け合ってしまったことを、柳は後悔することになるのだが、その時の柳はまだそのことに気づいていなかった。


 乾の部屋に場所を移してのポール回し論議は、結局乾の部屋が暗くなり始める頃まで続いた。
「貞治、そろそろ電気をつけた方がいい。暗くなってきた」
「そうだね。ああ、ダメだなぁ。蓮二と話してると、ついつい時間忘れちゃうんだよなぁ」
 柳に言われて部屋の電気をつけながら、乾は少し抜けたような言い方をした。それは、特別砕けて話せる相手にだけ見せるクセの一つで、それを聞く度に蓮二はなんとなく優越感を覚える。
 自分以外に、乾のこんな話し方を聞いた者はいないだろう、と。
「それで、俺の話は参考になったか?」
「大いに参考になったよ。これで、海堂にも何とかアドバイスしてやれる」
「そうか。……だが、ずいぶんと気にかけてやっているんだな」
 柳の言葉に、乾は心なしか嬉しそうに頷いた。
「うん…俺のアドバイスを一番素直に聞くヤツだからね、海堂は」
「そうなのか?」
「応えてくれたら、またこっちも頑張って助言してやろうって思うじゃない? 教え甲斐があるんだよ」
「なるほど」
 答えながら、柳は乾が煎れ直してくれたお茶をすすった。
「でも、多分これって実戦で使ってみないと感覚つかめないよな」
「そうだろうな」
「じゃぁ、やってみるしかないか」
 人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げる乾に、柳は探りを入れるつもりで尋ねた。
「何か企んでいるのか?」
「企むだなんて、人聞きが悪いなぁ、蓮二」
 乾は苦笑して続けた。
「ちょっと、今度の関東大会1回戦でダブルスを組んでみようか、と思ってるだけだよ」
「ダブルス、だと?」
 湯飲みに口をつけようとした柳は、そのまま一瞬固まってしまった。
「お前、ダブルスに戻るつもりか?」
 思わずそう尋ねる口調がキツイ物言いになってしまった。
 柳と乾は、小学生の頃はジュニアでもトップクラスのダブルスコンビだった。が、練習や試合を重ねていくうちに、乾が実はダブルスではなくシングルス向きの選手だとわかり、ちょうど乾の父親の転勤と引越しが重なって、二人はやむなくコンビを解消した、という経緯がある。
 引っ越してからは、乾はシングルスの選手として試合に出ていて、誰かとダブルスを組むことはなかった。
(そのお前が、またダブルスをやるつもりなのか? 今度は、俺以外の誰かと組んで)
 そう思うと、柳はやりきれない思いで胸がいっぱいになった。
「そういう意味じゃないよ。うちは、シングルスで強いヤツは多いけど、ダブルスがネックだからね。経験者として、今回だけ補強に回ろうかと思ってるだけだ。何せ、緒戦の相手はあの氷帝だからね」
ダブルス2つとも落とす訳にいかないんだ、と乾は柳を説き伏せるように話した。
「だいたい、お前だって対戦相手によっては肩ならしついでにダブルス組んで試合に出ることあるだろう?」
 全国でも無敗を誇り、現在3連覇に向けて邁進している立海では、たいていの相手はシングルス3までの3試合で片づいてしまう。それ故に、シングルス要員でも試合感覚を忘れないために、ダブルスを組んで試合に出ておくという措置を取ることが少なくなかった。
 それを持ち出されては、柳には反論の余地はない。
 互いに気心が知れていて、ついでにどんな思考回路になっているかまで知られているだけに、乾の論点には隙がなかった。
「お前、その後輩のためにわざわざ自分が実験台になってやるつもりか?」
「氷帝はデータが少なくてね。スタミナに優れたヤツがいてくれると、データを収集する時間が稼げるだろう?」
 腹の中を探るように尋ねてみると、乾は同意を求めるように聞き返してきた。
「そういう交換条件を持ち出して、相方に誘う魂胆か」
「そうでもしないと、承諾しそうにないからね、あいつは。プライド高くて素直じゃないんだ」
「自己犠牲とは美しい話だが、お前ならシングルスで十分勝負できるだろう?」
「残念ながら、氷帝の連中とは相性が悪いみたいなんでね、俺は。シングルスは他の連中に任せておいた方が、勝つ確率が高いんだよ」
 試合中と同様、乾の頭の中には関東大会決勝までどうすれば勝ち上がって行けるか、明確なプランが出来上がっているようだった。
「俺がレギュラーに戻ったのは、決勝で蓮二と戦うためだからね。それまでに負けてしまったんじゃ、意味がないんだ」
「それで、ダブルスか」
「ああ。あいつもお前と同様、カウンターパンチャーだから、俺の相方としては最適なんだ。それに、ここであいつを成長させておかないと、全国では通用しなくなるからね」
「そこまで高く評価しているというわけか、あの海堂君を」
 柳はそう呟いて、ため息をついた。
 言葉ではただ後輩の成長を願っているだけだ、と言っているが乾の本音は別の所にある、と柳は気づいてしまった。
(貞治は、海堂君に惹かれている。恐らく、100%の確率で)
 海堂のことを語る乾の目が、何よりも雄弁にそれを物語っていた。分厚いレンズの奥に隠されているから、恐らく柳しか気づかないのだろうけれど。
「来年の青学を背負って立つ選手の一人だからね。先輩として、後輩を育てるのは当然の義務だろう?」
「本当にそれだけか?」
「それだけだよ」
 乾は当然だ、といった口調で答えた。
「海堂君のためにもう一度ダブルス、か……」
 柳はそう呟いて立ち上がった。
 どうしようもない敗北感に苛まれる。今日、乾が柳を呼んでポール回しのアドバイスをねだったのも、結局は海堂薫のためだったのだ。
(どんなに想いを寄せていても、俺はただの友人でしかない、というわけか)
「蓮二? 蓮二、どうした……?」
「帰る。明日は学校も朝練もあるからな」
「でも、せっかくだから夕飯くらい食べて帰ればいいのに……」
「夕飯までには帰る、と家の者に言って出てきているからな」
 柳はそう嘘をついた。乾から逃げるように玄関へ出る。
 これ以上乾の部屋にいるのは、いたたまれなかった。
「蓮二、どうしたんだよ急に……」
 靴をはこうとしている柳に追いついて、乾は不安そうに声をかけてきた。
 乾は海堂に惹かれている。気づいてしまっても、やはり柳は言わずにはいられなかった。
「貞治……俺はお前が好きなんだ」
「俺だって、蓮二のこと好きだよ」
 柳の言葉に、乾は即答する。だが、柳の「好き」と乾の「好き」は、その意味が明らかに違っていることに、柳は気づいていたが乾は気づいていなかった。
「まぁ、蓮二にも蓮二の事情があるだろうから、あまり無理には引き止めないけど……。今日は、来てくれてありがとう。本当に助かったよ」
「そうか」
 乾にそう言われて、柳は頷いた。
一緒にいる人間が不快な思いをしていないかどうか、という点では察しがいいのに、自分を想う柳の気持ちには本当に疎い。がそれもまた、乾のかわいい所の一つなのだと思えてしまう。
 柳の片思いには、かなり年期が入っていた。
「お前の役に立てたのなら、今のところはそれでいい」
「蓮二?」
 小さく呟いた言葉をちゃんと聞き取ろうとして、乾が柳に近づいた。ほんの少し手を伸ばせば、触れることができる位置に。
 今何か言った?とばかりに小首を傾げる乾のTシャツを掴んで、柳はぐいっと引き寄せた。
 突然の柳の行動に驚いて半開きになった唇に、柳は軽く自分のそれを押しつけていた。そしてきっちり3秒数えて、Tシャツを掴んでいた手を離した。
「……蓮二………」
 案の定、乾は少し呆れたように柳を軽く睨んできた。
「お礼代わりに受け取っておく」
「だから、弾みでキスするのやめろっていつも言ってるだろ」
 だいたい、ただの幼なじみなのにキスするなんておかしいよ。
 そうボヤく乾に、柳は軽く言い返した。
「別にいいだろう。減るものではないからな」
「その言い訳、かなりオヤジ入ってるよ、蓮二」
「何とでも」
 拗ねたように言い返してくる乾をよそに、柳は玄関へ下りて靴をはいた。
「次に会うのは、関東大会だな」
「そうだね」
「会場で会おう」
「うん」
 乾の家を出るためにドアを開けようとして、柳は一度乾を振り返った。
「貞治」
「何?」
「俺に言われるまでもないと思うが、氷帝は関東大会から正レギュラーが出てくる。負けるなよ」
「わかってるよ」
 柳の言葉に頷いて、不敵な微笑を浮かべる乾を見て。柳も軽く笑い返してドアを開けた。


 練習後の立海大付属中男子テニス部の部室では、強靭な肉体と精神力を誇るジャッカル桑原が、床にあぐらをかいて座り込んでいた。
「ずいぶん絞られたね、ジャッカル」
「ああ。ったく、どうかしてるぜ、今日の柳は」
 その柳は、副部長の真田と明日の練習メニューを考えるために先に帰宅していた。
「練習中に、俺らも今日の柳は荒れてるな、ちゅー話をしとったんじゃが」
「荒れてるなんてもんじゃねぇぞ、あれは。俺、何か柳に恨まれるようなことでもしたのかよ、って思うくらいだったぜ」
 一向に引かない汗をタオルで拭いながら、ジャッカルは中腰になって話しかけてきた仁王に言い返した。
「まぁ、確かに今日の彼はらしくなかったですね」
「やっぱ、また乾さんに振られたんすよ、多分」
 シャツのボタンを留めながら話に加わってくる柳生に、まだ上半身裸のままでいる切原がニヤニヤと笑いながら言った。
「そうなのか?」
「昨日、柳君が東京へ行く電車に乗るのを、仁王君が見たそうです」
 ジャッカルに尋ねられて、柳生が答える。それを聞いて、仁王は無言で頷いていた。
「なるほどな。でも、振られた腹いせに俺に当り散らすってのは、どうなんだよ」
「それもそうだよねぇ。お疲れ、ジャッカル。俺のケーキでも食う?」
 丸井がしゃがみこんでジャッカルと目線を合わせ、ロッカーの中にしまいこんでいたクーラーボックスを開けていた。中には、ケーキが3切れ入っている。
 甘い香りが漂ってくるそれを見て、ジャッカルは力が抜けたように言い返した。
「……俺はいい。今は食い物より飲み物だな」
「そっか。じゃ、これは俺が食べよっと」
 そんなジャッカルにはお構いなし、といった様子で、丸井はイチゴショートを一切れ掴んで、さっそく口に運んでいた。
「それにしても、テニスでは達人と呼ばれるほどの人なんですけどね、柳君は」
 ボタンを留め終えてネクタイを結びながら、柳生が小さくため息をついた。
「テニスじゃデータ通りに相手を翻弄できるのに、ちゅーことか? でものぉ、何でも思い通りにいくとは限らんじゃろ」
 仁王はズボンをはきながら苦笑していた。
「ま、さすがの柳先輩でも、恋は思い通りにならないってことっすかね?」
 制服のシャツに腕を通しながら、切原が悟りきったような言葉を口にした。
「お前ら、他人事だと思って面白がってんだろ」
 柳生からスポーツドリンクを分けてもらって人心地ついたジャッカルが、ため息混じりに呟いた。
「今日は俺がターゲットになったけど、次はお前かもしれないぜ、赤也」
「げっ、それは勘弁してほしいっす」
 柳からたっぷりしごかれるジャッカルを傍観していた切原は、自分がそんな目に遭ったらたまらない、と顔色を変えていた。
「告ってフラれるのは勝手だけどさぁ。八つ当たりだけはほんっと勘弁してほしいよねぇ」
「告白しても振られ続けてるっちゅー柳を見とるのは、面白いけどな」
 ケーキをペロリと平らげた丸井と、ズボンのベルトをしめつつ呟いた仁王の言葉に、切原も柳生もジャッカルも深々と頷いていた。


Fin

written:2004.1.29

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