ベッドの密約
胸にかかる荒い息と、体の奥に注ぎ込まれた名残を、俺は少し冷めた思いで感じていた。
いつもは俺が手塚を抱いて、手塚が俺に抱かれている。でももし抱かれることがあるとしたら、手塚ならいいだろう、と漠然と思っていた。もっとも、この立場が逆転するとは思いもしなかったけれど。
ところが、だ。
普段から無口な男だけど、今日はそれに拍車がかかっていて、おまけに少し機嫌悪いな、と思っていたら。
俺の部屋に入ってくるなり、手塚は俺をベッドに突き倒して、のしかかってきた。
眼鏡がぶつかるのも構わずに荒々しく口付けてきたかと思うと、強引に舌がねじ込まれてきた。貪るように荒々しくキスされて、抵抗する間もなくシャツのボタンを引き千切るほどの勢いで全部外されて。
押し倒されてから、手塚の唇が俺の下肢にたどり着くまで、多分5分とかかっていなかったはずだ。
手塚は、どこをどうされたらヨクなるか、自分の体で知ってる。
だからなんだろう。
ただ無言で、手塚は俺の快感を確実に煽った。俺はそれにあっさり負けて、頭がまともに働かなくなってしまった。抵抗できなかったのは、そのせいだ。
俺が手塚を受け入れるようになる下準備も、少々荒っぽかったがぬかりはなかった。後ろに手塚の指が入ってきて、中を掻き回されているうちにだんだん俺も感じてきていた。
そして両足を抱えられたと思ったら、ソコに熱いモノが押し当てられて。濡らされてほぐされてはいたけれど、受け入れる圧迫感からは逃れられなかった。
強烈な異物感と圧迫感に支配されているうちに、手塚は我慢しきれなかったように動き始めて。
結局は俺の部屋に入ってからこの状態になるまで、15分も経っていない。
そこまで自分が置かれた状況を整理してみると、ようやく少し冷静になってきた。
眼鏡は途中で外してしまったから、ぼんやりとしか周りは見えないけれど。俺はほぼ全裸に近い格好をしてるっていうのに、手塚はズボンとシャツの前を少し緩めただけだ。汗に濡れた肌に触れる生地の感覚が、何となく気持ち悪かった。
とりあえずはっきりしているのは、俺は手塚に抱かれたってことだ。
もっとも、抱かれたというよりは「犯された」と表現するべきかもしれないけれど。
だいたい俺が初めて手塚を抱く時は、絶対に手塚を傷つけないようにとかなり慎重にコトを進めたはずだ。すぐにでも手塚と一つになりたい、と逸る欲望を無理矢理に押さえつけて、だ。
なのに今日の手塚ときたら、俺の意志は完全無視で、とりあえず自分の欲望を満たすのが先だ、といった感じだった。
らしくないといえば、全然らしくない。
けれど、それも俺が相手なら許されると思ったのか?
そこまで考えて、俺は一つため息をついた。
「……怒っているのか?」
俺のため息をどう解釈したのか。手塚が少し体を起こして、俺の顔色をうかがってきた。
「怒るでしょ、普通」
答えるのは少し億劫だったけれど、手塚の声音には少し反省の色が見えたので、俺は答えてやった。
「……すまない。どうしても、我慢できなかった」
「そう」
部活が終わってからずっと無口だったのも、機嫌が悪そうだったのも。必死で欲望を抑えつける涙ぐましい努力の最中だった、ってことか。
俺も男だし、恋人を目の前にして自分の性欲を抑えつける辛さはわかるけどね。
俺の家に着いた時にはすでに我慢の限界を越えていて、部屋に入った時にそのタガが外れたってとこなんだろう。
手塚との付き合いも、それなりに長い。だからよほどの理由がない限り、こんなことにはならない、っていうのもわかってはいるけれど。
今日の部活はレギュラーの紅白戦で、手塚の相手は大石と桃城の2人だった。2人ともそれなりに強くはなってきているけれど、まだ手塚の相手じゃない。健闘はしていたけれど、手塚から1ゲーム取るのがやっとで負けた。
でもそれはいつものことで。俺の目から見ても、他に変わった所なんかなかった。
「で? こうなった理由は?」
俺のデータをもってしてもわからないなら、当人に尋ねてみるしかない。ずるり、と手塚のが引き抜かれる感触があって、圧迫感が消えた。何となく物足りなくなったような気がしたけれど、きっと気のせいだろう。
手塚は俺の上から下りて、隣に体を横たえた。普段使わない筋肉を使ったせいで、疲れたんだろう。俺は経験上、こういう場合は挿入られてる方よりも挿入てる方が疲れると知っている。
「自分でも、よくわからない」
「……よくわからない、で俺はいきなり襲われたワケ?」
「……すまない」
本気でしょげている様子を見ると、ちょっと苛めてみようという気持ちが揺らいだ。
「ただ、無性にお前が欲しくなった」
「それで、暴走したわけだね」
ため息と一緒に吐き出すと、手塚は小さく頷いた。
ま、俺も手塚相手に暴走したことあるから、あまり強く責めるわけにはいかないんだけど。
それに、普段無口であまり表情に出さないからといって、心の内が冷めているとは限らない。実際手塚は、極力顔に出さないように自分で努力しているだけで、結構熱くなるタイプだと俺は思っている。
それでも、いきなりこういう行動に訴えた原因には思い当たる節がない。
俺はさらにデータを集めてみることにした。
「いつから我慢してたの?」
「……部活が終わって、着替えているお前を見てからだ」
俺の推測は、間違ってなかったってことか。
「つまり、俺の上半身裸を見て、ってこと?」
「ああ」
「でも、なんで抱く方に走ったんだ? その辺り、よくわからないんだけど」
「それがわかっていれば、事前に承諾を得るなり何なりしている」
まぁ、その言い分はわからないでもないけど。
珍しくちょっと苛立っている手塚に、俺は嘆息した。
「ただ………」
「ただ、何?」
「今日の試合は、自分で納得できるものではなかった」
「……1ゲーム取られたのが、そんなに悔しかったかい?」
「そういう意味じゃない」
そう言って、手塚は口をつぐんでしまった。
今日はどういうわけか、俺と手塚の試合が重なってしまっていて、俺は手塚の試合データを取ることができなかった。だから、手塚の調子が良かったのか悪かったのか、ショットの切れが良かったのかどうなのかも予測できない。
あるいは、ボールコントロールが微妙に狂っていて、コースが若干甘く入ってしまっていたか。
手塚はとりわけ自分に厳しい。他の人間なら気にしない程度の誤差でも、その誤差を出す自分が許せなくなることが時にあった。
ひょっとして、今日はそういう日だったのかもしれない。
そう考えていると、手塚がポツリと言った。
「今日は、スライスのコースが甘かった」
「……なるほどね」
多分、試合をしていた大石も桃城も、そんなことは微塵も気づいていないだろう。データを取っている俺でさえ、気づいたかどうかわからない。
そこまでの完璧さを自分に求めるストイックさが、手塚国光という人間を彩る魅力の一つであるとは思うんだけど。何事も度が過ぎると良くない。
そう言うと、手塚は少し考える仕草をして、頷いた。
「そうかもしれないな」
「今日は虫の居所が悪かったんじゃないか? それで、わけもわからずにもやもやしてるところに俺の裸見て、はけ口にしたくなったとか」
「………すまない」
「反省してる?」
「している」
「ものすごく反省してるかい?」
「している」
素直に頷く手塚を見ていると、ささくれ立っていた気持ちが収まっていった。だけど、簡単に許してあげるのはちょっと惜しい気がした。
「もう、いきなり無言で襲い掛かるなんてことはしない、って約束できる?」
「する」
「だったら、今日のことは不問に処すことにするよ」
「すまなかった」
しおらしく謝って、手塚は触れるだけのキスをしてきた。
3秒ほど触れさせて、手塚が小さく呟いた。
「喉が渇いたな」
「ああ。結構な運動量だからね」
「確か、まだドリンクが残っていたはずなんだが」
言いながら手塚は簡単に服を整えてベッドから下りて、自分のバッグを探った。
水分を取って人心地ついたのか、手塚は軽くため息をついた。眼鏡をかけていなかったらよく見えなかったけれど、こういう時の手塚は色気がある。
多分、今もそんな顔をしているんだろう。そう思っていると、手塚は何を考えたのか、一度整えたシャツのボタンを外して、バッグの上に脱ぎ捨ててからベッドへ戻ってきた。
「手塚?」
「乾、今気づいたんだが」
「何?」
視界がぼやけていて、俺は手塚の細かい表情までは見えなかった。だから、気づけなかった。手塚の目に、再び欲情の炎が灯ったことに。
「無言で襲い掛かるなどという所業に出なければ、またお前を抱いてもいい、ということだな?」
「はい?」
「お前の同意を得ればいいんだろう?」
「………」
手塚の言葉は聞こえていたけれど、内容に頭がついていけなくて、俺は絶句した。
「お前に抱かれるのもいいが、たまにこうしてお前を抱くのも悪くない。いつもよがらされているお前が、俺の下でよがっているのを見るのは、なかなか心地よかった」
……つまり俺を抱いたことで、雄としての本能が目覚めた、ってことか?
半分以上停止してしまった思考回路でかろうじて弾き出した答えを、俺は問いかけの形で口にする。すると、手塚は満足げに頷いた。
「さっき約束させられたが、だからといってお前が俺に同じようなことをしない、という保証はないからな」
「ちょ、ちょっと、手塚?」
呼びかけた声が、自分でも情けないほどにうろたえていて、裏返っていた。
「そうやって慌てるお前も、なかなか見物だな」
悦に入ったように言いながら、手塚は俺の肩を押さえつけて上から見下ろしてきた。
とても、肘の調子が悪いからって理由でジュニア選抜を辞退したヤツの握力じゃないぞ、これは。
……反則だ。
俺は思わず頭を抱えたくなった。両手が自由に使えたなら、間違いなくそうしていただろう。
今まではおとなしく抱かれてくれていたから気づかなかったけれど。
こいつはとんでもない牙を隠し持っていた、ってことか。
「さっきは急いでいたからな。今度はじっくりと味わわせてもらう」
まったく。
俺は顔には出さずに、心の中で嘆息した。
手塚が俺のデータをひっくり返すのは、テニスだけに限ったことじゃない、ってことか?
「いいな、乾?」
一応問いかけの形を持っていたけれど、手塚の口から出てきたのは有無を言わせない言葉だった。
でも、こういう手塚も悪くない。
そう思ってしまう俺も、相当ヤキが回ったか。あるいは、それだけ手塚を好きになっているのか。
多分、両方だろう。
「答えろ、どうなんだ?」
やれやれ、一度本能に火がついたら、短気になるらしい。
俺は観念して頷くことにした。まぁ、さっきのはいきなりで驚いたけど、悪くはなかった。
「いいけど」
「けど、何だ?」
「気持ち良くさせてくれなかったら、二度と許さないよ」
けれどパタパタと白旗を振るのは、ちょっとプライドが許さなかった。
でもそんな俺の軽口も、今日の手塚には通用しないらしい。
「お前にさんざん教え込まれてきたからな。熨斗をつけて返してやる」
そう言って見下ろしてくる手塚の目に宿っているのは、コートの上でネットを挟んで向かい合った時と同じ光だった。データを取っている俺だけが気づいている、ストイックな手塚の中に眠る闘志と野生が目覚めた印だ。
「お前と俺と、どちらが上手いだろうな」
「そりゃ俺でしょ。年期が違うんだから」
「なるほど。では、試してみるとするか」
不敵に微笑して(といっても、俺以外の人間が見たら普通と変わらない、と思うんだろうけど)、手塚が俺にキスをしてくる。最初にされた時のような、荒々しい乱暴なキスではなくて、俺がHの前にいつもするような、優しいキスだった。
なるほどね。じっくりと味わうと言ったのは、本音だったらしい。
ほんの少し、ドリンクの香りがするキスを受け止めながら俺は手塚を抱き締めた。ピクリ、と手塚が軽く反応する。
「俺は何もしないから、後ヨロシクね、手塚」
「わかっている」
長く深いキスで、お互いまた体温が上がり始める。
最初は結構ムカついたけど、時々は手塚も荒れることがあって。いきなり理性が吹き飛んじゃうこともあるんだ、と思うと少し安心した。
「……何を考えている?」
「手塚のこと。今度は優しくしてくれるのかな、なんてね」
「お前がそうしてほしい、と言うなら、優しくしてやる」
「じゃ、優しくして。無理矢理は嫌だよ」
「ああ」
でも、思ったことをそのまま口にしたら、手塚は拗ねてしまうからね。
俺は適当に誤魔化して、手塚が与えてくれる愛撫に集中することにした。
Fin
written:2004.1.15