データのお姫様

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データのお姫様



「時間ですよ、姫」
 模擬店で店番をしていたら、お迎えがやって来た。
「そろそろ参りませんと、支度が間に合いません」
 いっそ嫌味なほどに恭しく膝まずいて、手を差し伸べてくるのは蓮二だ。
「もう、そんな時間だったっけ、蓮二?」
「姫と呼ばれたら、王子と呼べ。そう言っておいたはずだが、貞治?」
 いつもの調子で問いかけたら、即座に訂正が入った。
「……王子様」
 まったく、この一月ほどの間ずーっとこれだ。
「あれ、乾と柳のクラスって、最後から2番目だろう? もう行くのか?」
「貞治の準備に時間がかかるのでな。すまないが、先に上がらせてもらう」
 同じテントの中で店番をしている大石の問いかけには、俺じゃなくて蓮二が答えた。
「乾の準備……って、ああ、そうか」
「へへっ。俺たちも見に行くからねーん。楽しみだにゃー」
「ふふふ、乾の女装が見られるのは、中学の文化祭以来だからね。しっかり写真撮るから、後であげるね」
 納得した様子を見せる大石の横から、明らかにこの状況を楽しんでいる英二と不二が首を突っ込んできた。
「乾は色も白いし、ぴったりだよね、『白雪姫』」
「……からかっているのか、不二?」
 切り傷に辛子を塗りこむような発言をする不二を軽く睨んだが、不二は全く堪えていないらしい。そんな俺と不二のやりとりを見ながら、蓮二が苦笑しながら続けた。
「そう不貞腐れた顔をするな。あと少しで解放されるんだからな」
「……誰のせいだと思ってるんだ?」
「お前は俺が、他の誰かとキスをしても平気なのか?」
「そういう問題じゃないだろう」
 睨みつけても、蓮二はしれっとはぐらかしてしまう。憎たらしいけれど、惚れた弱みだから仕方ない。俺はため息をついて、差し出された蓮二の手に自分の手を乗せた。
「案内して下さいますか、王子様?」
「喜んでお供いたしましょう、姫」
 蓮二に導かれるままに、立ち上がる。
 冷やかすような声に送られて、俺は蓮二と一緒に校舎へと歩いて行った。


 事の発端は、クラスで開かれた文化祭の実行委員会だった。
 多数決の結果、俺が所属している2-10の出し物は劇に決定し、演目は『白雪姫』に決まった。
 問題は……うちのクラスが、理科は物理と化学を専攻するという、純理系とも言えるクラスで、女子が4人しかいない、ということだった。
 演目は決まったが、配役をどうするか。
 という話になって、話し合いが中断してしまった時。手を上げたのは蓮二だった。
「役のなり手がいないのなら、俺が王子をやってもいいだろうか?」
 出し物は決まったけれど、自分から進んでやろう、というほど熱心な生徒はうちのクラスにはいなかったらしい。蓮二の意見は異存なしで通ってしまった。
「その代わり、白雪姫は俺が指名したい。構わないだろうか?」
 続く提案を聞いて、俺は嫌な予感がした。妙なことを言い出すんじゃないか、と気が気じゃなかった。
 人間、得てして悪い予感はよく当たるものだ。
 とよく言われるけれど。
 俺の嫌な予感も、ズバリ的中してしまった。
「白雪姫役には、乾貞治君を指名したいと思います」
 聞いた瞬間、机に突っ伏して眼鏡を壊してしまいそうになった。
 反論しようと思ったけれど、運が悪いことに、俺のクラスには中学時代にテニス部で演じた劇のことを覚えている連中が結構いた。
「いいんじゃねぇ? 中学の時にテニス部でやってた劇で見たけど、乾って意外と女装似合うんだよな」
「ああ、そうそう。確か手塚が脚本書いて、乾が不二の彼女役だったんだよな」
「面白かったよね、あれ」
「うんうん。柳君は背が高いし、乾君だと釣り合い取れていいんじゃない?」
 次々にそんな声が上がって、俺に反論の余地は全くない、という状態に陥ってしまった。
「蓮二……お前、初めからそのつもりで……」
「何のことかな?」
 してやったり、と微笑する蓮二を見て俺は確信した。
 蓮二は最初から、こうなることを計算した上でそういう提案をしたのだ、と。


 出番の迫った俺たちは、体育館にある舞台の袖に集まった。
「セリフはちゃんと頭に入ってるよね、皆?」
 総監督を勤めている女子が確認する声に、俺も蓮二も、他の出演者たちも頷いた。
「小道具も、揃ってる?」
「バッチリよ。乾君にレシピ聞いて、野菜汁も作ったから」
 答えたのは、別の女子だった。今日の舞台の演出のために野菜汁が必要で。でも、白雪姫役の俺に作らせるわけにはいかない、と女子たちが強く主張したことで、レシピを書いてその通りに作ってもらう、ということで妥協した。
「こんな色になっちゃったんだけど……大丈夫なんだよね、乾君?」
「ああ」
 深緑色の液体が入ったペットボトルを持った女子が尋ねてくる。俺は軽く頷いた。……あまり動くと、頭につけた鬘が落ちてしまいそうだった。
「それに、今はペットボトルに入れてるから大丈夫だけど、臭いが、ね……」
「芝生の多い公園みたいな臭いになった、とか」
「うん、そう……」
「それで合ってる、大丈夫だよ。栄養バランスも計算し尽くした野菜汁だからね」
「味は最悪だがな」
 俺と女子が話している後ろから、蓮二が割り込んできた。かぼちゃパンツは蓮二が抵抗したから実現しなかったけれど、詰襟で燕尾服風の上着に、白いマント。そして帽子。鮮やかな青を基調にした王子様スタイルだった。……まぶたは、相変わらず閉じていたけれど。
「柳君、飲んだことあるの?」
「正確には、罰ゲームとして飲まされたのだがな」
「そうなんだ? テニス部も面白いコトやってるんだね」
「部員たちの練習意欲を高めるためには、いろいろと、ね」
 女子にそう説明した時、彼女は別の女子に呼ばれて俺たちの前から去って行った。図らずも、俺と蓮二は二人きりになってしまった。
「似合っているな、そのドレス」
「女装が似合うなんて言われても、複雑な心境だなぁ」
「褒め言葉として受け取っておけ。お前の素顔を関係ない連中に見せるのは勿体ない気がするが、こんな愛らしい姿が見られるのなら悪くはないな」
 涼しい顔をして、蓮二はサラリと口説き文句まがいの言葉を口にする。
 今俺が着ているドレスは、蓮二がさんざん注文をつけて、今朝やっと完成したものだ。やれ胸元を開けるな、肩は出すな、ヒップラインは目立たないものにしろ、だ。衣装係の女子も大変だったんじゃないかと思う。
 でも、桜色と藤色をベースにした落ち着いた色合いのドレスは、フワリとしたスカートがウエストから足元まで下りていて、所々ワンポイントで濃い目のピンクで作られた小さなバラの花が縫いつけられていて。女の子なら一度は憧れるんじゃないか、と思うような綺麗なものだ。
 さすがに、金髪で縦に緩くウエーブのかかった鬘にティアラ、というのは勘弁してほしかったけれど。一応お姫様役ということで、仕方ないんだろう。
「2-10はそろそろスタンバイして下さい。緞帳上げます」
「はい!」
 最初から出番があるわけではなかったけれど、俺も蓮二も、舞台の袖で動き回るクラスメイトたちの邪魔にならないように場所を空けた。
 緞帳が上がって、劇が始まる。
「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのは、だぁれ?」
 魔女の王妃役の男子が、舞台の真ん中で大きな鏡に向かって呼びかける。もともと低い声の男子だったんだけど……精一杯高い声で、と裏声で話しているのが面白くて、客席から大きな笑い声が聞こえてきた。
 練習の時から見慣れていたから、俺や蓮二は笑ったりしなかったけど。
(コンセプトはオカマバーのママなんだよ、俺は!)
 ある意味、度胸があるよなぁ。
 と彼の言葉を思い出して、俺は頬を緩めた。
「何ですって!? 世界で一番美しいのは白雪姫ですって!? んまぁぁぁ、許せない!」
 彼の熱演が続いている。客席は大うけだった。
「森へ連れて行って殺しておしまい!」
 ああ、そろそろ出番だな。
 舞台へ出て行くために、カーテンの脇に移動しようとして、俺は一つ思い出した。
 そうだ、蓮二に釘を刺しておかないと。
「蓮二」
「何だ、貞治?」
「キスは振りだけにしてくれよ。本当にしたら、1ヶ月お預けだからな」
 人前だし、これはお芝居だし。
 こうでも言っておかないと、蓮二は調子に乗って本当にキスするなんてことをやりかねない。真面目で薄味な性格してるくせに、面白いことは好きなんだから、本当に困ったものだ。
「わかっている。心配するな」
 ……本当に大丈夫かなぁ。
 アルカイックスマイルを浮かべて返事をする蓮二を見て、微かな不安を覚えながら、俺は煌々とライトに照らされた舞台へ出て行った。


「ここはどこだろう? ずいぶんと森の中を歩いたような気がするけれど……」
 辺りを見渡すようにしながら、覚えている台詞を言って舞台へ進み出て行くと、何故か客席からどよめきとため息と歓声が入り混じって聞こえてきた。
 カメラのフラッシュが照らされて、何気なくそっちに視線を向けると……不二が最前列のド真ん中に陣取っていて、カメラを構えていた。その横から、英二が手を振っていて、大石が目を丸くしていた。
 やれやれ、あいつらは……。
 ため息をひっそり隠して、俺は芝居を続けた。
 慣れない森の中を歩いて疲れて、お腹をすかせた白雪姫は、1軒の小屋に辿り着く。中に入るとそこにはパンやシチューがテーブルに並べられている。それを見た白雪姫は、思わずそれを食べてしまい、挙句の果てにそこにあるベッドで眠ってしまう。
 ……純粋培養のお姫様とはいえ、住居不法侵入の上に無断飲食とは、たいした神経してるよなぁ。と思うけれど、芝居なんだから仕方ない。
 眠っているうちに、小屋の持ち主である7人の小人たちが帰ってくる。
 自分たちが用意していたシチューやパンがなくなっていて、白雪姫が寝ていることに驚きながらも、彼らは姫の美しさと身の上話に同情して、そのまま一緒に暮らすことになる。
 でも、一筋縄ではいかないのが、うちのクラスの『白雪姫』だ。
「そうか、あのシチューやパンは、君たちのだったのか。お腹がすいていたものだから、つい……すまない」
 俺の台詞も、ムリに女言葉ではなくて。自然に話せるような言い回しになっていた。
「そうだ。お礼に、私が君たちに何か作ろう。そうだな……ここに野菜がたくさんある。これを刻んでミキサーにかけてジュースにすれば、手軽に十分な栄養が取れる!」
 腕組みをして考える。
 ここで、俺が書いたレシピが役に立つ。黒子の格好をした小道具役のクラスメイトが、お盆に載せたグラスを7つ、俺の前に持ってきた。もちろん、中に入っているのは野菜汁だ。
「というわけで、野菜汁を作ってみた。さあ、これを飲んでくれ」
 小人役の7人の中にはテニス部の人間はいない。俺の野菜汁を飲むのもこれが初めて、というわけだ。
 芝居中だから、という理性が働いているせいか、口に出すことはなかったけれど。臭いと色に、7人は顔色を変えていた。
 彼らには申し訳ないけれど、見ている俺にとっては少し楽しい。テニス部の連中……まぁ、不二は最初から野菜汁愛飲家だったからあまり効果なかったんだけど、他の英二や大石たち、中等部から一緒だった連中は、野菜汁慣れしてしまって反応が淡白になってしまっている。
 高等部から青学に来た蓮二に関しては、最初は見事な反応を見せてくれたのだけれど……最近は何とかして汁を回避しよう、とあの手この手で免れてくれている。
「これで、昨日のシチューの分も栄養が補えるはずだ。ぐいっと飲んでくれ」
 白雪姫にこう言われて、小人たちに拒めるはずもない。
 7人は青ざめながらもぐい、とグラスをあおった。グラスを飲み干すや否や、7人全員が口元を押さえて舞台の袖にダッシュした。
「み、水っ!!」
 とか
「★○△■$♯~~~っ!」
 といった、わけのわからない叫び声を上げながら。
「おかしいなぁ。何も変なもの入れてないのに」
 俺が首をかしげて、この1幕は終了。
 水を求めて袖へ引っ込んでいった小人たちを追いかけるようにして、俺は一度舞台の袖へと引っ込んだ。
 俺と小人役の7人が一休みしている間、再び魔女の王妃役が舞台で熱演を繰り広げた。
 世界で一番美しいのは白雪姫、と再び答える鏡に激怒した王妃は、自分の手で白雪姫を殺そうとして毒リンゴを作り出す。変装をして白雪姫と小人たちが暮らす森へと出発する王妃が舞台から降りると、また俺たちの出番だ。
 野菜汁作りの楽しさに目覚め、小人たちとの生活にも馴染んできた白雪姫。
 もともと賢かった白雪姫は、小人たちと暮らすことによってたくましさを身につけていた、というのがこの話だ。
「美味しいリンゴはいらんかね?」
「こんな森の中に物売りが来るなんて、まずあり得ないな。よからぬことを企んでいる者が化けている確率、100%」
「な、何を言っているんだい、お嬢さん?」
「扉の外にいて、私の声を聞いているだけなのに、何故お嬢さんだと断言できるんだ? ますます怪しいな」
「あ、赤くて大きくて美味しいリンゴがあるんだよ。今日のデザートにどうだい?」
「ふむ、リンゴか……。なるほど、新作汁の材料として使えるかもしれないな。まぁいい、今回だけは中に入れてあげよう」
 そんな理由で、白雪姫は王妃を小屋の中に入れる。
「こんな深い森の中まで、ご苦労様です。これでも飲んで、疲れを癒すといいですよ」
 そして白雪姫は、今朝作ったばかりの野菜汁を王妃に勧めるのだ。今俺が勧めているのは、一見真っ赤なトマトジュースに見えるけれど、実はタバスコ入りで激辛のペナル茶だ。
「そうかい。お嬢さんは優しいねぇ」
 けれど何も知らない王妃はそれを飲み干してしまって……
「はぐわっ!」
 ペナル茶にダメージを受けて、せっかく作った毒リンゴを白雪姫に渡すこともなく、小屋から出て行ってしまう。
「あ……なんだ、リンゴだけでも置いていってくれればよかったのに」
 こうして、毒リンゴで白雪姫を殺す、という王妃の企みは失敗してしまう。
 でも、それで諦めないのがうちのクラスの『白雪姫』の王妃だ。
 彼女は城の兵士に命じて、白雪姫と小人たちが暮らす小屋を包囲し、皆殺しにしようとするのだ。
「このまま殺されてしまうのか、俺たち?」
「いや、大丈夫だ」
 落胆する小人たちを、俺は励ます。
「こういう話の流れだと、どこぞの国の、腕の立つ王子が偶然通りかかって、私たちを助けてくれる確率100%だからね」
 そんな言葉どおり、小屋の側を王子が通りかかる。……蓮二だ。
「鷹狩の帰りに供の者とはぐれてしまったのだが……ここはどこだ? おお、ちょうどいい所に美しいお嬢さんが!」
 この森がある隣の国の王子である蓮二は、白雪姫に一目惚れする。俺は小人と一緒に兵士たちに包囲されているのだが、兵士たちなど全く眼中にない、という様子で蓮二は俺に近づいてくる。
「美しいお嬢さん。私は柳の国の王子で蓮二と申します。貴女のお名前は?」
「えっと……父上と亡き母上は、私を白雪と呼んでおりましたが……」
「おお、白雪姫。まさに白雪のごとく透き通った肌の貴女に相応しいお名前だ。自慢するわけではないが、父上に代わって柳の国の実権を握り、知力と武力と美に優れた私の妃として、貴女は申し分ない女性だ。私と結婚してくれないか?」
 白雪姫に一目惚れした王子は熱弁を振るって姫の気を引こうとするのだけれど……稽古の時よりもずっと気合が入ってないか、蓮二?
 膝を突いて見上げてくる蓮二に、俺は自分の台詞を続けた。
「知力と武力に優れている、と仰いましたけれど。貴方にお会いするのはこれが初めてですし、何のデータもない状態では判断できません。どれほどのものか、見せていただけますか?」
「ごもっともなお言葉ですね。どうすればよいですか、姫?」
「今、私たちを取り囲んでいるこの兵士たちを倒して下さい」
「兵士たち……?」
 俺に言われて、蓮二は初めて気づいた、といった様子で周りにいる兵士たちを見回した。そして不敵な微笑を浮かべて、もう一度俺に向き直った。
「承知しました。では、私がこの者たちを全て倒したら、褒美として貴女の口づけをお与え下さい」
 そう言うや否や、蓮二は腰に差していた剣を抜いて兵士たちに向かって行った。
「……え?」
 ちょっと待ってくれ。
 そんな台詞、台本にはなかったぞ、蓮二!?
 キスシーンがあるのは、姫は王子と結婚して幸せに暮らしました、めでたしめでたし。っていう舞台のラストだったはずだ。
 ……謀ったな、蓮二?
 この状況だと、嫌だなんて言えないじゃないか!
 少しパニクってしまっている俺の前で、蓮二は鮮やかな殺陣を披露していた。立海にいる間、真田の家で剣道を習っていたらしく、剣さばきは見事だった。
「あと3人! ……あと2人! 残すはお前だけだ」
「ひ、ひぃぃぃ、助けてくれぇぇーーっ!」
 練習どおり、最後の一人が逃げ去っていく。約束どおり、兵士たちを全て倒した蓮二は、ご満悦といった表情で俺に手を差し伸べてくる。
「約束は果たしました。私に褒美を下さいますね、姫?」
 俺がキスは振りだけにしろ、と釘を刺したから、ここで手を打ってきたというわけだな、蓮二?
 一瞬だけ軽く睨むと、蓮二はしれーっと肯定するような微笑を浮かべた。
「姫、お返事は?」
 これ見よがしに催促なんかするなよ、本当に性格悪いよな、お前は。
 思いつつも、今は舞台の上で、芝居の最中だ。流れを壊すわけにはいかない。退路を断って思い通りにさせるなんて、蓮二の常套手段なのに。見抜けなかった俺が甘かった、というわけか。
「そういうお約束でしたね。あなたの剣さばき、お見事でした」
 ここで「私は承諾した覚えはない」なんて言ってしまったら、一気に白けてしまう。仕方ない、と心の中でため息をついて、俺は差し伸べられた蓮二の手を取った。
「光栄です、姫」
 言いながら、蓮二が幸せそうな顔で俺を引き寄せて、そのまま抱きしめる。キャァ、と客席から黄色い歓声が上がった。
 蓮二はこの通りの外見だから、結構女子の間でファンが多いんだよなぁ。
「半分は、お前のファンだ」
 俺だけに聞こえるように、蓮二が囁いた。聞き返そうと蓮二を見上げた、その瞬間だった。
「……っ!?」
 ひときわ大きな歓声が上がったのを耳にしたのと、蓮二にキスされたのはほぼ同時だった。
 唇が触れていた時間はあまり長くなくて、蓮二はすぐに俺から離れた。
「私の妃になっていただけますか、姫?」
「お気持ちは嬉しいのですが……」
 台本どおり、二人を見守っている7人の小人たちに視線を向ける……と、突然のアクシデントに唖然としているのが2人、あとの5人は面白いものを見た、とニヤニヤ笑っていた。
「俺たちのことは、気にしなくていいよ」
「そうそう」
「姫の幸せが、一番だからね」
「結構楽しかったよ」
「あの野菜汁は……勘弁してほしいけど」
「あの不味さは、一生忘れないよな」
「王子と幸せにな、姫」
 7人はそれぞれに、渋る白雪姫の背中を押すように祝福してくれる。
「みんな……ありがとう」
 俺はみんなに笑いかけて、蓮二に向き直った。
「姫……?」
「私でよろしければ……」
 答えた瞬間に、俺はまた蓮二に抱きしめられた。
 ……これも、台本にはなかったぞ、蓮二。
 心の中で突っ込みを入れながら、俺はとりあえず成り行きに任せていた。


 俺たちのクラスの劇は、大成功だった。
 体育館の舞台で行われた出し物の中では、一番人気だったらしい。……らしいというのは、俺は詳しく事情を知らないからだ。
 一番人気だったクラスは、文化祭のラストで行われるフォークダンスの時に表彰されることになっている。主役は表彰を受けなければいけないんだけど。
「気が進まないなぁ」
 日が傾いて、後片付けとキャンプファイヤーの準備が着々と進んでいくグラウンドを眺めながら、俺はポツリと呟いた。拍手喝さいを浴びて、衣装を脱いでメイクを落として。俺はクラスの片付けもテニス部の後片付けもサボって、屋上に来ていた。
「ここにいたのか」
 蓮二の声がしたけれど、俺は振り向かなかった。
「やはり、怒っているんだな、貞治」
 言いながら、蓮二が俺の隣に並んだ。
「誰が怒ってるって?」
「お前だよ、貞治。俺の顔も見たくないと思うほど、怒っていたんだろう?」
「わかってるなら、わざわざ確認するな」
「すまない」
 穏やかな声で、蓮二が神妙に謝ってくる。
「俺が悪かった。口ではああ言っていても、お前なら許してくれると思って、甘えていた。軽率だったな」
 ポン、と蓮二の手が頭の上に乗った。
「反省してるかい?」
「反省している。本当に、すまなかった。どうすれば、許してくれる?」
 頭に乗った手が、俺を引き寄せる。お互いに軽く側頭部を触れ合わせた状態で、蓮二が優しく問いかけてきた。
「蓮二は、俺が好きかい?」
「好きだ」
 問いかけには、即答だった。
「俺も、蓮二が好きだよ」
「ああ、わかっている」
 今年の誕生日に告白して、恋人として付き合うようになって。日に日に好きだ、という気持ちは募っていくような気がするほどに、蓮二を好きだと思う。
 でも、あんな風に舞台の上で冗談のようにキスをされたら。周りからは好奇の目で見られるし、冷やかしだって受ける。
 俺の気持ちも、俺たちの関係も。
 茶化されるみたいで、嫌だった。
 そんなことを話すと、蓮二の手が自分と向き合うようにと俺を促した。導かれるままに、俺は舞台が終わってから初めて、蓮二と正面から向き合った。
「お前の言うとおりだ。こんな風にお前を傷つけてしまって、すまない」
 真摯な眼差しでそう言って、蓮二が俺を抱きしめた。
「だが、俺はどうしても、お前と一緒に文化祭で劇をやりたかった。同じテニスクラブに通って、ダブルスを組んでいたけれど、小学校は別々だったし。お前と同じ高校に通うようになったとはいえ、去年はクラスが違っていたからな」
「うん」
 今しかできないことをして、二人で思い出を作りたい、と考えた蓮二の気持ちは痛いほどよくわかった。だから、騙し討ちのような形で白雪姫役をやることになっても、俺は何も言わなかった。
「俺は少々、浮かれて舞い上がっていたんだろう。最優先しなければならないお前の気持ちを、置き去りにしてしまっていた」
「もういいよ、蓮二」
 蓮二も俺も、人と比べたら自己分析には長けている方だと思う。だからこそ、冷静になった時に自分が何をしたのか。より深く考えて、反省して、その痛みを覚えてしまう。
 劇の途中で蓮二がしたことに腹が立ったのは事実だけれど。これ以上、蓮二の凹んだ顔は見たくなかった。
「わかったから、もういいよ。今回だけは、許すから」
「貞治……」
「でも、今度同じようなことをしたら、ただじゃおかないからな。1ヶ月間、毎日新作汁の実験台にしてやる」
「……それは、恐ろしい罰ゲームだな」
 言い返しながら少し体を離して見つめ合った蓮二の顔に、ふてぶてしいような不敵な色が戻っていた。
 よかった、もういつもの蓮二だ。
 その時、校内放送が聞こえてきた。
 キャンプファイヤーの準備が整って、ついに火を入れてフォークダンスタイムが始まるらしい。
「下りようか、貞治」
「そうだな。表彰式、出ないといけないんだろう?」
「ああ。主役がいないと始まらないからな」
 言い合って、俺も蓮二も少し微笑った。
「エスコートしてくれるんだろう、王子様?」
「貴女が許して下さるのなら」
 芝居の延長のように、蓮二が跪いて手を差し伸べてくる。俺も、調子を合わせて言い返した。
「許しましょう」
「では、遠慮なく」
 差し伸べられた手に自分の手を乗せると、蓮二が握り返してきた。立ち上がるや否や、俺の腰に腕を回してくる。
「蓮二……それは密着しすぎだろう?」
「ああ、そうだったな。すまない」
 さっきまでのしおらしい姿はどこへ行ったのか。全然悪いと思っていない様子で、蓮二はサラリと言い返してきた。
「なぁ、貞治?」
 階段を下りながら、蓮二が尋ねてきた。
「なんだい、蓮二?」
「ついでに1曲、俺と踊ってくれる気はないか?」
「フォークダンスは男同士で踊るものじゃないと思うけど?」
 お伺いを立ててくる蓮二に問い返す。
「だが、今を逃せばもう二度と、こんな機会は巡ってこないかもしれないからな」
 もっともらしい蓮二の意見を聞いて、俺は少し考えた。
 まぁ、全校生徒とまではいかないけど、結構な人数のいる前でキスしたことだし。
 こうして表彰されている、ということは、俺と蓮二が白雪姫で共演したという話は、みんなが知っていることなんだし。
 今日ならば、劇の延長だと判断して、誰も気にしないかもしれない。というかむしろ、喜ばれるかもしれない。
 人前で堂々と、こんなことができるのは、蓮二の言うとおり。今日を逃せばもうないかもしれない。
 結局俺は、隙のない蓮二の理屈に丸め込まれた。
「わかったよ」
 今日は文化祭だから。
 少しくらい、ハメを外しても大目に見てくれるだろう。
 俺はそう思うことにした。



Fin

written:2004.11.23

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