君が思い出になる前に

| HOME | 乾受け作品集 | 君が思い出になる前に |

banboo.jpg

君が思い出になる前に



 ――またな、貞治。
 いつもと変わらない微笑でそう言ったお前が、その時どんな気持ちでいたのか。
 俺はわかってなかった。
 あの日、お前がどうして急に試合をしようと言い出したのか。
 ずっとパートナーでいよう、そう言った俺にどうして何も答えなかったのか。
「ごめん、その約束……」
 その後、お前が何を言おうとしていたのか。
 俺は何もわかってなかった。


「え……? 青春台西小学校?」
 中学に入って、テニス部に入部してすぐの頃だった。
 その日は1日練習があって、昼休み中に俺達1年生は皆で集まって、どこの小学校から来たか、テニスはやったことがあるか。そんなことを話し合っていた。
「大石君、そこから来たのか?」
「ああ、そうだけど……。それがどうかしたのかい、乾君?」
 不思議そうに俺を眺める大石君に、俺はつい詰め寄っていた。
 その小学校に通っていた人間を、俺は一人知っていた。
 小学校の時、同じテニススクールに通っていて、一緒にダブルスを組んで。中学も一緒に青学に入って、ずっと一緒にテニスを続けていくんだと思っていたのに。ある日突然姿を消してしまった俺の相方だ。
 もしかしたら…期待を込めて、俺は大石君に尋ねた。
「柳蓮二って、知ってるかい?」
「柳君……? どうして乾が柳君を知ってるんだい?」
「やっぱり、知ってるんだな?」
 戸惑いを見せる大石君に構わず、俺は思わず畳みかけていた。
「蓮二が今どうしているか、知っているなら教えてほしいんだ」
「乾君、どうして……?」
「柳蓮二って確か、乾君と小学校の時にダブルス組んでた子だよね?」
 不思議そうに聞いてくる大石君に助け舟を出すように、不二君が口を挟んできた。
「ああ。でも、急にクラブにも試合にも来なくなって、心配してたんだ」
 もう2年近く前のことになる。
 でも、蓮二と最後に会った日の事はずっと忘れられなくて。今でも思い出すだけで泣いてしまいそうになる。
 あの日、俺はダブルスのパートナーと友達を、同時に失ってしまった。
「そうか…柳君、君には何も知らせてなかったんだね」
 俺と蓮二は、お互いの通っている小学校は知っていたけれど、家に遊びに行ったことはなかった。クラブ以外で会う時はいつも蓮二が俺の家に来ていて、俺は蓮二の家がどこにあるのかも知らなかった。
「多分、乾君が最後に会ったっていう、その翌日だと思う。柳君は引越したんだ」
「引越した……?」
「うん。俺も、詳しい住所までは知らないんだけど、確か神奈川って言ってたと思う」
「神奈川……」
 大石君の言葉を、俺は繰り返していた。
「神奈川といえば、立海大附属をはじめ強豪校もある。テニスを続けていれば、また顔を合わせることもあるだろう」
 今までただ俺達の話を聞いていただけで一度も口を開かなかった手塚君が、急にそんなことを言い出した。
「そうそう、ずーっとダブルス組んでた相手と、今度はシングルスで対決ー!なんて、面白そーじゃん?」
「でも、その前にレギュラーになって、大会に勝たなきゃいけないけどね」
「そっか」
 菊丸君と河村君が話すのを聞いて、沈みかけた気持ちが和らいだ。
 二人の言うとおりだ。
 同じ関東圏にいるんだし、テニスを続けていればきっとまた会える。
 あの蓮二が、テニスを辞めるなんて考えられなかった。それに…あの日、最初で最後になった俺たちの試合は、まだ終わってない。
「おい、そろそろ練習が始まるようだぞ」
「っと、こりゃ大変。また球拾いしなきゃ」
「だね」
 大和部長が遠くでレギュラーの先輩たちに集合をかけるのを聞いて、俺も手塚君や大石君、不二君に続いて立ち上がった。


 練習が終わった後、俺は帰りがけに少し足を伸ばして、久しぶりにテニススクールの前を通った。
 あの日、練習が終わってからコーチに内緒で勝手に試合をしたのを見つかって、俺は蓮二と一緒にコートから逃げ出した。
(さっきの続き、今度の大会が終わったら絶対にやろうな。約束だっ!)
 5-3で蓮二がリードした状態だった試合は、そこで中断された。コーチに叱られて、コートを出てしまったから。
(ごめん、その約束……)
 あの時、蓮二は俺に伝えようとしていたんだろう。
 自分が引越してしまうこと。試合の続きができないことを。
 でも、蓮二は言えなかったんだ。
 次の試合も一緒に出られると。これからもずっと一緒にダブルスを組んでいられると。
 無邪気にそう信じて疑わなかった俺に。
(聞いたら、俺ががっかりするって思ったのか?)
 あの頃の俺たちのように、必死にボールを追いかける小学生たちを見ながら、俺は心の中で蓮二に呼びかけた。答えが返ってくるはずもないのに。
(言えなかったお前の気持ちも、わかるけど、でも……)
 俺はフェンスに手をかけて、金網をぎゅっと握りしめた。
「……黙っていなくなる方がもっとツライって、なんでわからなかったんだよ…教授……」
 目の前にあるフェンスと、フェンス越しのコートが揺れて、歪んで、滲んで見えた。
「貞治か?」
 どれくらい、そこにそうして佇んでいたんだろう。
 急に、俺はフェンス越しに声をかけられた。
 眼鏡を押し上げて目を拭って顔を上げると、ずっと俺を指導してくれていたコーチが俺を見つけて近づいてきた。
「コーチ」
「久しぶりだな、貞治」
「お久しぶりです」
「その制服…青学に入ったのか?」
「はい。あそこに入って、テニスをするって決めてましたから」
「そうだな。お前と蓮二、いつもそう言ってたな」
 コーチの言葉に、俺は思わず苦笑した。
 この近辺で一番テニスが強い学校は、青学だった。東京には他にも強い学校がいくつかあるけれど、通うには遠い。ここ数年は関東大会止まりだけど、青学でテニス部に入って、俺と蓮二で全国大会に出られるチームにしよう。
 俺達はいつもそう言い合っていた。
「……コーチは知ってたんですか? 蓮二が引越したこと」
「……一応な。引越す少し前に、聞かされた」
「でも、俺には話してくれなかったんですね」
「黙っててくれ、って頼まれたんでな、蓮二に」
「そう…だったんですか……」
 やっぱり、蓮二は俺にだけ言わなかったんだ。
 そう思うと、少し哀しかった。
「そういえばな、先月だったか…蓮二から連絡あったぞ」
「え?」
 俯きかけた俺は、コーチの言葉を聞いて弾かれたように顔を上げた。
「あいつ、神奈川で立海に入ったそうだ」
「立海に……?」
 思わず繰り返した俺に、コーチは頷いてみせた。
「もし貞治に会うことがあれば、伝えてほしいって言われたよ」
「な、何をですか?」
「関東大会と、全国大会で会おうってな」
「関東と、全国……」

 立海大附属中。

 関東でテニスをしていれば、誰でも知っているテニスの強豪校だ。
 去年の全国大会では準優勝、関東大会では14連覇中で、どちらも常連になっている学校だった。
「立海に、蓮二が……」
 急に、目の前が開けたような気がした。
(テニスを続けていれば、また顔を合わせることもあるだろう)
 手塚君の言ったとおりだ。
 立海にいるのならば、蓮二は必ず関東大会に出てくる。今年は無理でも、来年はレギュラーの一人として。
(関東大会と、全国大会で会おう)
 つまり、そこでもう一度試合をしよう。
 そして、今度こそ決着をつけよう。
(そういう意味だな、教授?)
 心の中で呼びかけた蓮二が、微笑ったような気がした。
「立海に行ったってことは、蓮二はここにいた頃よりずっと強くなるぞ。負けないように、頑張れ」
「はい。ありがとうございます、コーチ」
 今教えている生徒たちに呼ばれて、コートに戻っていくコーチに俺は頭を下げた。そして、ラケットの振り方もぎこちない小学生のフォームを直すのを見て、俺はフェンスから離れた。
 今度の大会が終わったら、続きをやろう。
 その約束は叶わなかったけれど、蓮二はもう一度俺に勝負しよう、と言ってくれた。
 俺はまだ入部したての1年生で、レギュラーになれるのはいつかわからないけれど。
 3年になるまでには、絶対にレギュラーになって、関東・全国へ行ってみせる。そして立海と対戦した時は、蓮二と試合ができればいい。
 前は蓮二にリードされたけど、俺は。
「俺は絶対に負けない」
 声に出して呟いて、俺はテニスバッグを抱え直して走り出した。
 目標がはっきりした以上、のんびりしてる暇なんてない。
 体力づくりに、筋力トレーニングに、素振りに、データ収集。
 やるべきことは山ほどあるんだと、俺は自分に言い聞かせていた。
 そして、蓮二がいなくなってからずっと引き出しの奥にしまいこんでいたあの写真を出して、また飾ろう。二人で出た最後の大会で優勝して、一緒に撮った写真を。
 …と、ダブスル組み始めた時から、ずっと蓮二のデータを取ってきたノートも。
「……忙しくなるな」
 呟いた俺に、蓮二が頷いてくれたような気がした。


Fin

written:2004.2.2

蓮二編を読む


inserted by FC2 system