メモリーズ

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 その日、青春学園中等部男子テニス部の平穏は、一人の少年の来訪によって破られた。
 白や青のジャージが多い中、黄色いジャージ姿の彼は自然と目を引いた。
 彼が目を引く理由は、それだけではない。真夏だというのに、着ているのは黄色を基調とした長袖ジャージに長ズボン。見ているだけで暑苦しい出で立ちだった。加えて、その目は閉じているのかと思うほどに細い。
「久方ぶりだな、貞治」
「ひと月と4日ぶりだよ、蓮二」
 彼は怪訝な顔をして見つめてくる他の生徒たちには目もくれず、真っ直ぐ一人の少年に向かって行った。部員たちの中でもひと際目立っている長身と、黒縁の四角い眼鏡。ノートを手に何やら書いている彼は、上半身は半袖のポロシャツだが、下半身は青い長ズボンという出で立ちだ。
 黄色いジャージで細い目をした少年は、そんな彼の姿を見て眉をひそめた。
「貞治、お前半袖なのか?」
「うん、だって今日暑いし。っていうか蓮二、その姿見てるだけで暑いんだけど」
 黄色いジャージの少年は、暑さのためか、それとも今まで走っていたのか。表情は涼しげだが、かなりの汗をかいている様子だった。
「日に焼けるのは御免被る。お前こそ、昔から日に焼けると風呂に入るのも難儀するだろう。ちゃんと長袖を着てガードしておけ」
「うーん、確かにヒリヒリして痛くなっちゃうんだけど。外でテニスしてるんだし、ましてや俺は女子じゃないんだし。そんなに日焼け対策しなくていいと思うんだけどなぁ」
「何を言う!? だいたいお前は……」
 と切々と日焼け対策の重要性について語り始めた、黄色いジャージの少年は、その名を柳蓮二。全国大会3連覇に向けてまい進中の、神奈川は立海大附属中男子テニス部に所属する3年生だ。
 対して、力説ぶりを聞かされている少年は、名を乾貞治。青春学園男子テニス部3年生である。二人は小学生時代に同じテニススクールに通ってダブルスを組み、ジュニアテニス界のトップを走るコンビだったという間柄だ。
「まぁ、柳君の理屈はどーでもいいけど。僕は乾のその白雪のような肌が好きだから、焼いてほしくないなぁ」
 延々と続く柳の演説を遮って、二人の間に割って入ってきたのは薄茶色の髪をした、少女のような顔の少年だった。口調は穏やかだが、どこか異様な迫力がある彼は、背伸びをして乾の肩に長袖のジャージを着せ掛けた。
「気安く貞治に触れないでもらおうか、不二周助」
「乾はいつから君のものになったのか、聞かせてもらいたいね、柳蓮二君」
 不二の行動が癪に障った柳と、咎められた不二が睨みあう。どちらも普段は閉じている瞼がカッと開かれ、真夏だというのに二人の周囲にはブリザードが渦巻いていた。
「確かに、貞治はまだ俺のものではない。だが、近いうちに貞治は俺のものになる」
「それはどうかな、柳?」
「そうっすよ。乾先輩は渡さないっす」
「ふしゅー」
「えっ!? にゃにか面白いコトが始まるのかにゃ? だったら俺も入るにゃーっ!」
「乾先輩争奪戦なら、俺も入るっす!」
 柳と不二が睨みあっているのを見て、部長の手塚をはじめ、越前や海堂、菊丸に桃城らが続々と乾の周りに集まってきた。
「おいおい、頼むからモメ事はよしてくれよ」
「まぁ、そう言うなよ、大石。いざとなったら、俺がバーニングになって止めるさ」
「タ、タカさん……」
 話の輪から少し離れた場所で、口調は穏やかながらも不穏な発言をする河村に、大石が青ざめながら胃を押さえていた。
「だいたい柳、お前は部外者だろう。練習の邪魔だ、出て行け」
「部外者とは心外だな。俺は青学のテニス部員である貞治と、個人的に深い関係にあるというのに」
「だがお前が立海の生徒であることは事実だろう。出て行け。乾から離れろ」
「ふ、それが本音か。浅はかなものだな、手塚」
 不二に代わって、今度は手塚が柳と睨みあいを始める。どちらも無表情だったが、手塚の眉間には何本もの皺が寄っていた。
「ていうかさ、蓮二?」
「なんだ、貞治?」
 睨み合う手塚と柳の間に割って入ったのは、当の乾であった。乾が話しかけるや否や、応える柳の声は先ほどまでの冷たいものとは打って変わって、穏やかで柔らかく、優しいものになった。
「お前、何しにここに来たんだ? 今日は立海も練習日だろう?」
「ふ、さすがに俺のデータは調査済、ということか、貞治。確かに、今日は練習日だったが。午後からは自主練習になったんだ」
「ふーん、で?」
 先を促す乾に、柳はサラリと続けた。
「自主練習になったから、俺はランニングに出かけることにして学校を出た。までは良かったんだが、いつの間にか足がこちらに向いてしまったようだ」
「それで青学まで? 片道24.3キロもあるのに?」
「ふ、お前の顔が見られると思えば、それしきの距離など問題ではない」
「そう、ご苦労様」
 柳の熱っぽい言葉を、乾はあっさりと受け流した。そして手にしていたタオルと、何やら飲み物が入ったボトルを手渡した。ボトルを手渡す乾の眼鏡が不自然に陽光を反射していたことに、柳は気づかなかった。
「すまないな、貞治」
「いいよ。ああ、そのボトル、今朝作った新作でね。疲労回復には最適なんだ」
「ぐっ………! ふ…………な、なかなか…強烈な味だな……さ、だはる………」
 タオルで汗を拭った柳は、渡されたボトルの中身を飲んで、別の種類の汗を顔から噴出していた。
 その様子を見て、不二が乾に抗議した。
「あ、ズルイよ、乾? 新作は僕が最初に味見することになってるのに」
「そうだったか? 悪いな、不二。ああ、でも不二の分はちゃんとこっちに用意してるよ。はい」
「ふふ、ありがとう、乾」
 乾から別のボトルを渡されて、不満を漏らしていた不二は満面の笑みを浮かべた。その様子を、他の部員たちはげんなりした表情で見ていた。
「うーん、今日の新作にはちょっと蜂蜜が入ってるみたいだね、乾?」
「さすが不二だな。疲労回復には糖分がいいと思って、少し入れてみたんだ」
「僕たちの体のことまで考えてくれるなんて、本当に乾は優しいよね。柳君も、走ってきた疲れも取れたでしょ?」
 乾と話しながら、不二はニッコリ笑顔で柳の喉元に言葉の切っ先を突きつけた。
「あ、ああ……まぁ、な………」
 妙な汗をかきながら、柳は精一杯の強がりを見せて言い返した。その様子を見て、ここぞとばかりに柳を追い出そうと、手塚が口を挟んでくる。
「疲れも取れて、乾の顔も見られたんだ。これで満足だろう? 早く出て行け」
「ふ、バカの一つ覚えとはこのことだな、手塚」
「何だと!?」
 が、柳はそれを涼しい顔で跳ねつけてしまった。
「嫉妬も度が過ぎると醜いものだ。そうは思わないか、貞治?」
「別に嫉妬するほどのことじゃないと思うけどなぁ。蓮二とは昔からの付き合いなんだし」
「ふむ、貞治が俺のいたテニススクールに入ってきた、小学1年の6月からだな。あの頃から、貞治はとても可愛らしかった……」
 瞼が閉じられているために実際はどうかわからないが、柳は遠い目をして何年も前の乾を思い出しているようだった。そんな柳を見て、乾は呆れたように軽くため息をついた。
「蓮二、この顔捕まえて何でそういう形容詞が出てくるんだい?」
「柳さんが言ってるので、合ってると思うっすよ、乾先輩」
「アンタは十分かわいいっす」
「柳っち、ナイスだにゃ」
「昔の乾も可愛かったんだろうねぇ、柳君?」
 そんな乾に猛然と反論したのは、桃城と海堂だった。加えて、菊丸が柳を褒め称え、不二は誘導尋問を試みていた。
「もちろんだ。貞治とダブルスを組むことになった時は、周り中から羨ましがられたものだ。あの頃から貞治はクラブ一の美人で、おまけにテニスも強かったからな」
 公式試合の場で、公衆の面前で、貞治を知り尽くしていると言い放った柳は、ここぞとばかりに昔の乾について話し始めた。その話を聞きたがったレギュラーたちは、何とかして柳を追い出そうとする手塚を無視して柳と乾を取り囲んだ。
「乾先輩って、昔っからこの四角い黒縁メガネだったんすか?」
「ああ。貞治は昔から一つのことに集中すると時間を忘れる性格だからな。本を読み始めたら止まらなくて、暗くなってからも電気をつけずに読み続けることが多くて、視力を落としてしまったらしい。貞治がテニスクラブに入ってきた頃には、もうこの黒縁眼鏡をかけていた」
 桃城の問いかけに答えた柳に、菊丸が感心したように呟いた。
「へぇー。乾のこのメガネって、ずーっと前からトレードマークだったんだにゃ?」
「顔の半分はあろうかという眼鏡をかけた貞治の可愛らしさは、まさに悩殺モノだったぞ。一目惚れしたのは、俺だけではなかったからな」
 柳は得意げに微笑して、そう続けた。それにすかさず食らいついたのは、不二だった。
「だろうね。十分想像できるよ。で、柳君、その頃の写真はあるのかい?」
「俺とのダブルスで優勝した時の写真ならあるぞ。月刊プロテニスの記者が撮影して、記事にしてくれた物も含めてな」
「そうか。なら、1枚3000円ってとこで、どうだい?」
「現物は渡さんぞ。ネガはないからな。カラーコピーならば、1枚1500円で譲ってやる」
「おいおい。当人を目の前にしてそういう取引はよせよ」
 不二と柳の間で始まった取引交渉に、乾は苦笑した。
「乾先輩の昔の写真は、今の俺たちにとっては超レアっす」
「そうっすよ。特に俺、その頃アメリカだったし」
「ほう、海堂君も越前君も、貞治の昔の写真のカラーコピーが欲しい、ということかな?」
「「欲しいっす」」
「あ、俺も欲しいっす、柳さん!」
「俺も欲しいにゃ!」
「………」
 不二のみならず、海堂も越前も桃城も菊丸も、と次々に声が上がる。そこに、乗り遅れた男が一人いた。手塚である。柳を追い出そうとした手前、自分も欲しいとは言うに言えず、手塚は無言で眉間に皺を寄せていた。
「ってさぁ、蓮二? 月刊プロテニスの人に撮ってもらった写真って、全部俺と蓮二の二人で写ってるんじゃなかったっけ?」
 自分たちの知らない昔の乾に釣られ、浮かれ気分になるレギュラーたちを見て、乾は不思議そうに首を少し傾けた。それを聞いて、間髪入れず不二は言い放った。
「ああ、コピーするのは乾のところだけでいいから。ね、柳君?」
「ふ……残念だが、俺を切ろうと思えば貞治の手や腕、体の一部分が切れてしまうぞ? それでもいいのか?」
「乾の一部が切れてしまうのには耐えられないな。仕方ないから、君と一緒でも我慢してあげるよ」
 言い合う不二も柳も、普段は閉じられている瞼がカッと見開かれ、お互いを睨みつけていた。そんな二人の言い合いを聞いて、我慢できないとばかりに突っ込みを入れたのは海堂だった。
「っていうか、そんなに密着して写ってんのかよ、あんた達は!?」
「何、優勝カップを二人で持ったり、手を握ったりしているだけのことだ。別に貞治の肩を抱き寄せたり、お互いに抱き合ったりしているわけではない」
「んなことしてたら、ただじゃおかないっす」
 涼しい顔をしてサラリと言い返す柳に、不穏な言葉を投げつけたのは越前だった。
「ふ、貞治。お前は相変わらず皆から愛されているようだな。さすがは、青春台ジュニアテニススクールでお嫁さんにしたい子ナンバー1に輝いただけのことはある」
 ほぼ全員が声を揃えて乾擁護に回るのを聞いて、柳はご満悦といった様子で頷いた。
「お嫁さんにしたい子?」
「ナンバー1!?」
「もう、蓮二……」
 口々に言いながら乾に視線が集まる中、当の乾は頬をかすかに染めて柳を軽く睨んだ。
「余計なこと言うなよ」
「何年も前のことだ。いい加減時効だろう?」
「そんなにかわいかったんだぁ、乾ぃ」
「まぁな」
 感心したように呟く菊丸に向かって頷いたのは、乾ではなく柳の方だった。
「身長が180センチを越えた今でも、この愛くるしさだ。どれほどの可愛らしさだったかは、十分に想像がつくな」
 柳を追い出そう、という当初の目的はどこへやら、といった様子で手塚が話の輪に加わってきた。
「そうだろう? 俺とダブルスを組んでいた頃の貞治はだな……」
 それから延々と、柳は乾がいかに可愛らしかったかを切々と青学レギュラーたちに語って聞かせた。
「俺たち、いつになったら練習再開できるんだろうな?」
「手塚部長まであんな調子だからな」
「微妙だよな」
 乾を囲むレギュラーたちの様子を遠巻きに眺めながら、荒井と林と池田の3人を中心とした非レギュラーたちはひそひそと話し合っていた。


「すっかり邪魔してしまったな」
「いや、貴重な話を聞かせてもらった」
 柳が青学に現れてから2時間後。
 柳の携帯電話に1本の電話がかかってきた。柳が所属している立海大付属中男子テニス部副部長、真田からだった。自主練でランニングに行く、と出て行ったきり戻ってこない柳を、強制送還するものだった。
「ちっ、弦一郎め。余計なことを」
 悪態をつきながらも、さすがにグラウンド3千周と素振り1万5千回の罰を科せられるのは嫌だったらしい。柳はまだ話し足りない、といった様子で手塚に別れを告げた。
 あれほど柳を追い出そうとしていた手塚も、最後には柳と握手を交わして送り出す始末だった。
「なんだ、もうこんな時間か?」
「乾の話題ですっかり盛り上がっちゃったからね」
「でもレアな写真もゲットできて、ラッキーだにゃ」
「そうっすね」
「昔の乾先輩の写真、楽しみっす」
「ふしゅー」
 手塚と不二と菊丸と越前と桃城と海堂が、口々に言いながら部室に戻ろうとするのを見て、乾がポツリと呟いた。
「あのさぁ、みんな?」
「なんだ、乾?」
「さっき蓮二が言ってたこと、半分は嘘だよ?」
「何だと!?」
 上機嫌で部室に戻ろうとしていた6人+大石と河村は、ピタリと足を止めてほぼ同時に乾を振り返った。
「でも乾……、お前柳の話に乗ってたよな?」
「二人して示し合わせてた、ってことかい?」
「いいや。単にその方が面白そうだったからね。おかげで、いいデータが取れたよ」
 大石と不二の問いかけに、乾は不敵な微笑と不自然な逆光で応えた。
「それから、小学生の頃の写真のことだけど」
「うんうん」
 続ける乾に、菊丸と桃城が食いつくように大きく頷いた。
「俺が同じ物を持ってるんだから、わざわざ蓮二から買う必要ないと思うんだけど」
「「「「「「あっ……!」」」」」」
 その言葉に、柳との取引に応じた6人はようやく気づいた様子で固まった。


Fin


written:2004.4.11

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