帰り道

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帰り道



「うわぁ、すっかり暗くなっちゃったね」
「ああ」
 練習に熱中してつい時間を忘れてしまったせいか、テニスクラブから出ると外はすっかり暗くなってしまっていた。俺たちが通っているテニススクールは設備が充実していて、屋内コートがある。だから、日が暮れていることもわからなかった。
「怒られるかな?」
「多分ね」
 テニスバッグを肩にかけて、分厚いジャンパーを着て、マフラーを巻いて。俺は蓮二と並んで歩き出した。
 吐き出した息が、街灯に照らされて白くなる。
 ついさっきまで体を動かしていたけれど、帰り道は寒かった。
「怒られた時の言い訳も考えないといけないね」
「とりあえず素直に謝って、一緒に打ち合っていたら時間を忘れた、って正直に言った方がいいんじゃないかな」
「……そうだね」
 蓮二の言うことは、もっともだった。
 あまり遅くならないうちに帰ってきなさい。
 そう言われていたのに、こんなに暗くなるまで練習していたのは本当のことで。下手に言い訳をしても、どうせすぐにバレてしまって、余計怒られるだけだから。
「あ……貞治、あれ」
 ふと、蓮二が夜空を指差した。
 ちょうど少し顔を上げた所、ビルとビルの間に、細い月がかかっている。沈みかけていて、オレンジ色になっていた。
「うわ、ずいぶん細いね」
「だろ? それに、ほら。ちょっと上に金星がいる」
「あ、ホントだ。今日寒いからかな、いつもよりキラキラしてるような気がするな」
 蓮二に言われるままに、俺は空を見上げた。
 冬の空は、寒さで空気がきれいなのか、星がきれいに見えるような気がする。そう言うと、蓮二もうなずいてくれた。同じ気持ちでいることが、ちょっと嬉しかった。

 俺は星を見るのが好きだった。

 学校で星を観察する授業があって、初めて北斗七星を見つけた時。その大きさに驚いて、それから好きになっていた。
 それから学校の図書館にある天文学関係の本を借りて、全部読んだ。それだけじゃ物足りなくて、市立図書館の子ども図書室にある本も借りて。そこにある本は片っぱしから借りて、全部読んだ。
 学校でもらった星座早見表も、大事な宝物の一つだ。
 帰り道が暗くても、空に月がなくても。星を見ていれば心細くなかった。
 それに、今はとなりに蓮二もいる。
 幼稚園に入る前からずっと仲が良くて、何をするのも一緒で。テニスでも大切なダブルスのパートナーで、ライバルでもある。
 学校が終わってから一緒にスクールに行って、一緒に帰る。
 小学生になってから、毎週のようにくり返してきたそれも、あと少しで終わりだ。父さんの仕事の都合で、俺は中学から東京の学校に通うことになってしまったから。
 そう思うとちょっとさびしくて、俺はふとまた空を見上げた。
「あ……」
 家の近くまで来て、東向きに歩いていた俺は、その星を見つけた。
「どうしたんだ?」
「ふたご座だ」
 ちょっとだけ足を止めて、東の空に二つ並んだ明るい星を見る。
「もう、この時間にふたご座が出てくる季節になったんだ……」
 まだ外は寒いけれど、春がすぐそこまで近づいている。星空を見れば、それがわかるくらいには、俺はよく星を見てる。
「カストルとポルックスか」
「うん」
 俺にさんざん話を聞かされていたから、今ではすっかり蓮二も覚えてしまっている。
 二人仲良く並んだ双子の、ちょうど頭の位置にある明るい星。お兄さんがカストルで、弟がポルックスだ。
 俺と蓮二の誕生日は1日しか違わない。蓮二の方が、日付がかわってから生まれたから1日違いだけど、実は生まれた時間は3時間ほどしか違わないんだ、と俺はお母さんや蓮二のおばさんからよく聞かされた。
「俺の方が先に生まれたから、俺がカストルで、蓮二がポルックスだよ」
 そんな風に言うと、蓮二はいつもこう言い返してくる。
「でも、明るいのはポルックスの方だろう? カストルの方は1.6等星、ポルックスは1.1等星だ」
「カストルの方がちょっと暗く見えるのは、地球からの距離が18光年遠いからだよ。同じ距離に並べたら、ほとんど明るさはかわらないんだから」
「でもカストルは6つの星が集まってあの明るさに見えるんだろう? ポルックスは単独の星だ」
「俺の方が仲間も多いってことでしょ、それは」
「数に物を言わせてるだけじゃないか」
「それに、俺の方が今のところ2センチ身長が高いし」
「それくらい、すぐに追い抜いてやる」
 また、いつものような言い合いになってしまった。その時、後ろから自転車にベルを鳴らされてしまった。
 歩道の真ん中に立ち止まって言い合っていたから、じゃまになってしまったみたいだ。
 少しイライラしたように通り過ぎていった自転車を見送って、俺と蓮二は顔を見合わせて笑い出した。
「……またこんな言い合いになっちゃったね」
「だな」
 そしてまた、俺は蓮二と並んで歩き出した。
 ここまで来たら、俺と蓮二の家はもう、目と鼻の先だ。
「でも不思議だよね。本当は何十光年も離れてるのに、ここから見たら二つ並んで見えるなんて」
「………」
 そうつぶやくと、蓮二はだまってうなずいた。
「俺たちも、もうすぐ離れ離れになっちゃうんだね」
 なるべく口に出さないようにしているんだけど。やっぱり言ってしまった。
 父さんの仕事のこともあるから、仕方ないんだけど。もう入学も決まっているから、今さらどうしようもないんだけど。
 でもやっぱり、蓮二と離れるって考えただけでさびしくなってしまう。
「離れても、二度と会えないわけじゃないよ、貞治」
 しばらくだまっていた蓮二が、ぽつりとそう言った。
「俺も貞治も、学校は違うけどずっとテニスを続けるんだし。勝っていけば、大会で会える」
「うん」
「それに、時々遊びに来ればいい。俺も、貞治の家に遊びに行く」
「うん」
 そんな風に言ってくれる蓮二の声がいつもよりやさしくて、俺は泣いてしまいそうになってうつむいた。
「あの星だって、本当は離れていてもこうして並んでいるように見えるんだ。俺たちだって、離れ離れになっても今までと同じように、仲良くしていけばいい」
「今までと同じように?」
「ああ」
「遊んだり、テニスしたり?」
「電話だってあるし、手紙も出す」
「ホントに?」
「俺がうそをつくと思うか?」
「思わない」
 まっすぐに俺を見て聞いてくる蓮二に、俺ははっきりとそう答えた。
「俺だって、貞治と離れるのはさびしいよ。でも、だからといって友達をやめるわけじゃないだろう?」
「……そうだね」
 蓮二にうなずいて、俺は足を止めた。
 話しながら歩いているうちに、俺の家に着いてしまっていた。
「ありがとう。変なこと言って、ごめん」
「別にいいよ。さびしいと思うのは、俺も同じだから」
 そう言い返してくれる蓮二が、ちょっとだけ笑ってくれた。それを見たら、さびしさでいっぱいになっていた気持ちが、明るくなったような気がした。
「でも、まだお前が引っ越すまで時間あるだろう? それまでは、できるだけ一緒にいよう」
「うん」
「また明日も、テニスしような」
 蓮二はそう言いながら、手を振って歩き出した。蓮二の家は、もう少し先にあるから。
「うん」
 俺もちょっとだけ笑ってみせて、蓮二に手を振った。
「また、明日ね」
 だけど、そう言えるのもあともう少しなんだと思ったら。
 やっぱりちょっとさびしかった。


Fin

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