僕が鬼~柳乾

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僕が鬼~柳×乾Ver.



 最初の2ゲームは様子見だった。
 お前がどれだけ俺のデータを集めているか、それを見極めるための。
 俺が思っていた通り、お前は俺のデータを完璧に集めていた。
 ならば、それを混乱させるまでだ。
 そろそろ本気の俺を見せてやろう。

 俺は事前に考えていた通り、貞治を追い詰めるための行動に出た。
 本気を出した俺のテニスは、お前が集めたデータ以上だということをお前に教えてやる。
 2ゲームを楽に取っただけに、データとの落差に気づいたお前の落胆は大きいはずだ。

 試合は、俺の狙い通りだった。
 お前は途中で俺のデータを投げ出して、1球1球に集中して向かってきた。
 だが、それも俺の計算の内だ。
 そしてがむしゃらに向かってくるお前も、俺を脅かすほどの強さは持っていなかった。
 お前が追いついてくるならば、俺はそれを突き放す。
 全て、俺の思い描いた通りになっていたはずだった。
 これで、引導を渡してやる。
 そんな気持ちで口を突いて出た言葉に、お前が言い返してくるまでは。

「…俺は絶対に負けない」

 その瞬間に、全ては振り出しに戻った気がした。
 ここからが本当の始まりなのだと、お前の目が言っていた。
 そしてデータに頼らず、ただ夢中でボールを追う姿を俺に見せたのは、俺の目を本当の狙いから逸らすための策略だったのだと、俺は気づかされた。
「続きはここからだったハズだな」
 全国王者立海の、達人とまで呼ばれるこの俺が、貞治の意図を読みきれなかったとは、我ながら情けない。いや、相手が貞治だったからこそ、この俺の目が曇ってしまったのかもしれない。
 お前がそこまであの試合にこだわりを持っていたことに、俺は気づけなかった。
 そのこだわり様が、俺が黙ってお前から去っていったことがどれほどお前を傷つけたのか、お前がどれほど俺を必要としてくれていたのかを、そのまま物語っているようだった。
 申し訳ないという思いより、そこまで思われていたことに喜びを感じたと言ったら、お前は怒るだろうか。
 お前が打ち込んでくるボール全てを、俺は万感の思いを込めて打ち返す。
 実力の上では、恐らくまだ俺の方が上だろう。
 その俺を相手に、俺に気づかせないように、中断された4年2ヶ月15日前の試合と同じ展開で、同じスコアに持ち込むことは、貞治にとっては相当な苦労を強いられたはずだ。体力も精神力も、かなり消耗しているに違いない。
 それでも、お前の打ってくるボールは確実に俺を追い詰めてくる。
 ゲームが始まった頃よりも、データを捨ててがむしゃらに立ち向かってきた数ゲームの間よりも、ボールの重さとスピードが上がってきている。
 ……まだ、お前は発展途上だということか。
 そしてこの俺と試合をすることで、お前は進化しようとしているのか。
 だが、俺はそう簡単には倒せないぞ。
 俺はいつになく気分が高揚しているのを感じていた。
 これが関東大会の決勝戦で。
 俺が勝てば優勝なのだと。
 入院している幸村のためにも、この試合は勝たなければいけないのだということも。
 全て吹き飛んでしまっていた。
 俺には、目の前で俺に立ち向かってくる貞治しか見えていなかった。
 ただ貞治とボールを打ち合うこの瞬間が、楽しくて仕方なかった。
 タイブレークに突入した第13ゲーム。
 このタイブレークが永遠に続けばいい。
 そう思った瞬間に、俺には一瞬の隙ができたんだろう。
「この試合は落とすわけにはいかない!!」
 貞治の、絶対に勝つのだという強い気持ちが、俺をわずかに上回った。


「蓮二……」
 怒気を孕んだ弦一郎の目が、俺を射抜いた。
「どういうつもりだ、お前は」
「言い訳をする気はない」
 弦一郎が幸村の身を案じていることは、よくわかっている。本当は、一刻も早く病院へ行ってやりたいと考えていることも。
 幸村の手術が始まる前に、優勝を土産に駆けつけると約束していることも。
 そのためには、俺が勝たなければならなかったことも。
 それに対して、申し訳ないという気持ちはある。
 だが。
「結果として貞治には負けたが、俺に悔いはない」
「蓮二、どこへ行く!?」
「クールダウンしてくるだけだ。すぐに戻る」
 ラケットを置いて、水分を補給して、俺はコートの出口へ向かった。横目で青学ベンチを見ると、貞治の姿がいつしかそこから消えていた。
「……ここにいたのか」
 コートを出てすぐに、俺は貞治の姿を見つけた。
 自動販売機の脇にある、屋根のある休憩スペースで貞治はノートにペンを走らせていた。
「蓮二」
 俺を呼ぶ貞治の声は、怒りを含んだ真田と違って柔らかいものだった。
「さっそくデータ整理か。余念がないな」
「次のシングルス2が始まるまで、まだ少し時間があるし、忘れないうちにと思ってね」
「そうか」
 俺に答える時だけ少しペンを休ませて、貞治はすぐにノートに集中を戻す。
 だが、俺に話しかけられるのを拒んでいるわけではなかった。
 ふと視線を移すと、隣にある自動販売機の中に貞治が好んで飲んでいたスポーツ飲料が入っているのが目に入った。俺と貞治と、二つ缶を買って目の前に置いてやった。
「飲むか?」
「うん。……俺がこれ好きだって、まだ覚えててくれたんだ」
「当然だろう」
 貞治はノートにデータを書き付けていた手を完全に止めて、顔を上げた。
 分厚いレンズの奥にある綺麗な瞳が穏やかに笑むのを見ると、心が和んだ。
「まだ対戦中の敵同士がこうして向き合っているのを見られたら、怒られるかな?」
「お前の所の大石にか? それとも、うちの弦一郎か?」
「うーん、どっちかと言われれば、真田の方かな? 大石は、俺と蓮二が幼馴染だってわかってるし、そう目くじら立てるヤツじゃないから」
 貞治が缶を開けて口をつける。
 こうして間近で向き合うのも、4年2ヶ月15日ぶりだった。もっとも、そう仕向けたのは他でもない、この俺なのだが。
 久しぶりだからだろうか。視線が、貞治の口元に向いてしまう。
「それに、4年と2ヶ月と15日ぶりに会った旧友が、試合終わってから親交を温めるのに反対するヤツは、うちにはいないよ」
「なるほどな」
 俺も缶を開けて一口中身を飲んで、貞治の手元を眺めた。
 そこにあったのは、あの日中断された俺と貞治の試合のスコアだった。
 貞治のサーブで4-5。そこで止まっていたはずのスコアは、今最後まで埋められている。
「やっと、完成したのか」
「え?」
「その試合のデータだ」
「ああ……うん」
 頷いて、貞治は苦笑した。そして俺が考えていた通り、この試合をした時と同じ試合展開で同じスコアに持ち込むのは大変だった、と白状した。
「俺の想像以上に強くなってたから、蓮二。でもどうしても、俺はお前と試合をするならあの日の続きをやりたかった」
「そんなに…俺はお前を傷つけてしまっていたのか?」
「……まぁ、全然なんともなかった、とは言えないけどね。でも、俺のためを思ってそうしてくれたんだろう、蓮二は」
「それは……」
「俺が本当はシングルス向きだって気づいてて。お前が黙っていなくなれば、俺はシングルスでやっていくしかないから、だからわざとそうしたんだろ? 試合してて、やっとわかったよ」
 貞治はそう言って、また缶に口をつけた。
「すまなかった、貞治」
「いいよ。蓮二に嫌われてたわけじゃないって、むしろ大事にしてくれてたんだってわかって、嬉しかった」
「貞治……」
 貞治の表情に浮かんだ苦笑が、柔らかい微笑に変わった。
「これでやっと、俺はお前を捕まえることができたんだ」
「俺を、捕まえる?」
 貞治の言葉の真意を掴みかねて、俺は問い返していた。
「そう。俺の知らない間に、お前はいなくなってしまったから。探して、捕まえてやろうと思ってた」
 かくれんぼで10数える間に隠れてしまった相手を探して、見つけて、捕まえるのは鬼の役目だろう? おどけたようにそう言って、貞治は笑った。
「中学に入って、立海にいるお前を見つけて。それからはずっと、いつかお前と対戦して、あの日の続きをして、勝つことが一番の目標だったんだ」
 3年になってすぐ、一度レギュラーから落ちてしまったものの、自分を鍛え直して関東大会でのレギュラー復帰を目指してそれを見事に果たしたのも。全ては今日の試合のためだったのだ、と貞治は言った。
「なるほどな。そういう意味での、俺を捕まえる発言だったというわけか」
「ああ」
 頷く貞治を見ていて、俺は心の中で苦笑した。
 貞治は知らないだろう。
もうずっと前から、お前とダブルスを組んでいたあの頃から。俺はお前に捕われていたことを。
 お前が俺との再戦を、試合の続きを強く望んでいたように。
 俺も、もう一度お前とこうして対戦することがあれば、言いたいと思っていたことがあった。
 本当は、試合に勝ってから言いたかったのだけれど。
「蓮二……?」
 思いに耽っていると、貞治が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。いつの間に貞治が俺の隣に移動していたのかも、気付かなかった。
「ひょっとして、落ち込んでる?」
「そう見えるか?」
「少しね」
 落ち込んでいると言われれば、そうかもしれない。貞治の望みは叶ったけれど、俺の望みは先送りになってしまった。
 けれど、貞治をこれほど近くに感じていると、試合に勝ってから…と思っていた決意が揺らぎそうになる。
 ほんの少し手を伸ばしただけで届く距離に、今貞治がいる。
「でも、悔しいっていう気持ちは…ないだろ?」
「そうだな。俺も全力を尽くしたし、何より…お前と打ち合っているのは楽しかった」
「うん、俺も蓮二と打っててすごく楽しかったよ」
 試合が終わってから、ネット越しに握手を交わした時。
周囲の目があることを自覚していなければ、俺は貞治を抱き締めていたと思う。それほどに充実した試合だった。
 ふっと、貞治の後ろから吹き付けてきた風に、貞治の汗の臭いを感じた。
 俺と貞治を吹き抜けていったその弱い風が、ずっと繭のように本音を覆い続けていた理性をどこか遠くへ運び去ってしまったようだった。
「貞治」
 呼ぶのとほぼ同時に、俺は貞治を腕の中に抱きこんでいた。
「蓮二……?」
 俺を呼ぶ声に、戸惑いが見え隠れしている。
「本当は、お前との試合に勝ったら言おうと思っていたことがある」
「試合に勝ったら?」
「負けてしまったがな。貞治……」
 試合が終わって、落ち着きかけていた心拍数と体温が再び上がっているのが自分でもわかった。
「お前は試合に勝って俺を捕まえたと言っていたが……俺は、もうずっと前からお前に捕まっている」
「蓮二?」
「お前が好きだ、貞治」
「………」
 驚いているのだろう。俺の告白に、貞治が息をのむのがわかった。
「お前とダブルスを組んでいたあの時からずっと、お前と離れる前から、俺はお前が好きだった」
 気持ちの一部を告げてしまったら、もう止まらなかった。堰を切られた水が溢れ出ていくように、俺は全て貞治に告げていた。
「……蓮二」
 俺が話している間、貞治は一言も口を挟まなかった。
 俺の言葉が途切れた時、貞治は静かに俺を呼んで、俺の背中に腕を回してきた。しっかりと、確かな意志を持った腕が俺を抱き返してきた。そして貞治は俺に体を預けてきた。
 けれど不覚にも、俺は何が起きたのかを一瞬理解できなかった。
「貞治……?」
「蓮二の匂いがする」
「……貞治」
 いささか的を外れた貞治の物言いに、苦笑混じりの笑いが漏れた。
「本当は、さっき試合が終わった時…こうやって蓮二に抱きついてしまいたかったんだ」
「お前もか?」
「なんだ、蓮二も同じこと考えてたんだ?」
「ああ。試合終了後の今なら、お互いの健闘を讃え合っている…といい具合に誤解してもらえると思ってな」
 俺の言い訳に、貞治がクスクスと声を上げて笑う。
「……俺は、蓮二が好きだよ」
 ひとしきり笑った後で、貞治は囁くようにひっそりとそう言ってきた。
「テニスで蓮二に勝ったら、やっと俺は蓮二とテニスで対等になれる。そうしたら、次は蓮二に好きだって言おうと思ってた」
「貞治……」
 その時、俺は喜びも許容量を越えると何も考えられなくなるのだと、初めて知った。
 貞治にどう言葉を返していいのか、何も思い浮かばなかった。
 放心状態になって力が緩んだ俺の腕から、貞治が少し体を離して俺を見つめ返してきた。そのまま軽く目を閉じるのを見て、また一つ、理性のタガが外れた。
 初めて触れた貞治の唇は柔らかく、温かかった。
「蓮二?」
 短いキスを交わした後で、貞治が眼鏡の奥から優しい瞳で俺に呼びかけてきた。
「今日は俺が蓮二を捕まえたから、今度は蓮二が俺を追いかけて捕まえる番だよ」
「今度はお前に勝て、ということか?」
「そう簡単には負けないけどね、俺は」
「全国大会に向けての宣戦布告、というわけか?」
 問い返すと、貞治は笑いながら答えた。
「別に全国とか、公式戦とか。そういう場所に限定する必要、ないと思うけど」
「それは、つまり……」
 貞治が出してきたヒントに、自分の希望を加えて俺は回答を出した。
「デートの誘いか?」
「……結構飛躍したなぁ。的外れっていうわけじゃないけど」
「だが、また俺とテニスをしたい、ということだろう? それも、近いうちに」
「まぁね」
 笑いながら頷いてもう一度俺に抱きついてくる貞治を、俺はしっかりと抱きとめた。
 お互いに追いつ追われつを続けながら、ずっとテニスをしていこう。
 今度はシングルスで、共に成長していこう。
 そして同時に、恋も育んでいけたらいいね。
 照れもあるのか、俺の胸に顔を埋めたままでそう告げてくる貞治の言葉一つ一つに、俺は深く頷いていた。


Fin

written:2004.3.3

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