参謀・柳の陰謀

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参謀・柳の陰謀



 関東大会準決勝を終え、順調に決勝進出を決めた翌日。
 立海大附属中のテニスコートにはレギュラーが全員集合していた。
「これから、決勝までの1週間、各レギュラーに行ってもらう特訓メニューを渡す。蓮二」
「ああ、弦一郎」
 黒いキャップを目深にかぶった副部長の真田が、ストレートヘアで目を閉じたままでいる柳に声をかける。柳はズラリと横一列に並んだレギュラーたちそれぞれに、きっちりした楷書で縦書きにされた練習メニューを手渡して回った。
 それを見て、真っ先に切原が不平の声を漏らした。

「柳先輩、この“ドライブB”攻略指南とか、“ツイストサーブ”攻略指南ってのは何すか?」
「次の決勝、お前は青学の1年生、越前リョーマと対戦する確率99.9%だからな。事前に対戦相手の得意技を知り、対処法を身につけておくのは当然だろう」
「ふーん。それって、あの片足でスプリット・ステップやってたヤツっすよね?」
「そうだ。今潰しておかないといけない、と言ったのは赤也、お前だぞ」
「そうでしたっけ?」
 柳に指摘されて、切原はケロッと笑ってみせた。

「なぁ、柳」
「ん? 今度はジャッカルか?」
「俺のメニューにあるこの、川に浸かって手ぬぐいでの素振り1日3,000回っていうのは、何なんだ?」
 切原の次は、剃髪で色黒のジャッカル桑原が口を開いた。
 ジャッカルに尋ねられて、柳はああ、と軽く頷いて説明を始めた。
「それは、より完璧なポール回しを打つための特訓だ」
「より完璧なポール回し? どういうことだ?」
「今現在、ジャッカルがポール回しを打って相手コートに入る確率は96%だ。それを決勝までに100%にしておく必要があるんでね」
「なるほど」
 柳の説明に、ジャッカルは軽く頷いた。そんな二人のやりとりを見ていた丸井が、ガムを噛みながら会話に割り込んできた。
「そういえば、青学には妙な名前のついたポール回し打つ選手がいるんだっけ、柳?」
「ああ。俺の大事な元相方に言い寄っている悪い虫……もとい、バギーホイップショットを決め球にしている、粘り強い2年生がいてね。自分が苦労して習得した技を、そっくりそのまま対戦相手に返される。これほどの精神的苦痛はないからな。悪いが、完膚なきまでに叩き潰させてもらう」
「怖いねぇ、うちの参謀は」
 そんな柳の発言を聞いて、後ろ髪の一部を長くしている銀髪の仁王が呟く。
 その一方で、切原は軽く突っ込みを入れた。
「つーか、今、何気に柳先輩の本音を聞いたような気がするんすけど」
「空耳だ」
 探りを入れる切原に、柳はあっさりと言い返した。

「それよりもムッシュ柳、練習メニューと一緒に渡されたこの箱は一体何なんです?」
 練習メニューとは別に、小さな箱を手渡されていた柳生が、逆光眼鏡を反射させながら柳に詰め寄ってきた。
「ふ、それはダブルス1を制するための作戦の一環だ」
「作戦ですって?」
「そうだ」
「このヘアカラーとビデオとエクステンションが、ですか?」
 畳み掛けるように尋ねられて、柳は無言で頷いた。
「ですが、一体何のために……」
 釈然としない様子で首を傾げる柳生に、仁王が近づいて話しかけた。
「ほう、柳生にもヘアカラーとビデオが渡されとるのか」
「どういうことです、仁王君?」
「俺の方にはほれ、ヘアカラーとビデオと眼鏡が入っとる。この眼鏡、お前がかけてるのと同じじゃ」
「本当ですね。……そう言われてみると、このエクステンションは仁王君の髪の色に酷似していますね」
 柳生は改めて、しげしげと箱の中身を見た。

「まさかとは思いますが、ムッシュ柳。これらを使って私と仁王君に入れ替われ、などと言うつもりではないでしょうね?」

 そして何か思い当たることがあったのか、柳生は柳を軽く睨んだ。が、睨まれた柳は何食わぬ顔で頷いた。
「そのまさかだよ、柳生」
「ほう、面白そうじゃの、柳」
 怒りを見せる柳生とは対照的に、仁王は不敵な微笑を浮かべていた。
「面白そう、ではありません、仁王君。だいたい、中学生が髪を染めて試合に出るなど、許されると思っているんですか?」
「構わん。これも作戦の一環だ」
 柳生の問いかけに答えたのは、真田だった。
「敵の意表を衝くのも、立派な戦術だからな。幸村抜きで関東大会17連覇の偉業を成し遂げ、全国大会3連覇を達成するためには、どんなことをしてでも勝つ」
「ふーん、真田副部長のお墨付きってことっすか」
「でも、何のためにビデオなんか入ってるわけ?」
 丸井の質問に、柳は少し得意げに答えた。
「入れ替わるには、外見だけでなく口癖やショットもコピーする必要があるからな。柳生には仁王の、仁王には柳生の、それぞれの生活ぶりを撮影した映像が収録されている。それを見て、それぞれの特徴や癖を研究してもらいたい」
「なるほどな。それで、俺には右手で超ハイスピードのパッシングショットを打つための特訓メニュー、なんてものが付いとるのか」
「ああ」
 納得したように頷く仁王に、切原が問い返す。
「んな、得意技までご丁寧に真似るんすか?」
「切原」
 そんな切原を睨みつけ、真田はラケットの柄を掴んで目にも留まらぬ速さで振り抜いた。ハラリ、と切原の前髪が数本落ちる。見ると、ラケットから柄だけが引き抜かれ、その端には鋭い刃が付いていた。

「し、仕込みラケット!?」

「そんな物騒なモン、練習に持ち込むなよぉ、真田」
 切原は戦慄し、丸井は呆れたように呟いた。そして柳も叱るような口調で真田に申し立てをした。
「銃刀法違反でしょっ引かれる上に、出場停止になるからそれは持って来るな。そう言ったはずだぞ、弦一郎」
「ああ、すまん。どうも普通のラケットでは軽すぎてな」
 真田は少しも反省していない様子で、刃をラケットに収めた。
「だったら、普通のラケットに錘をつけておけ」
「そうだよ、真田。だいたい、なんで普通に中学生がそんなもの持ってるんだ!?」
 柳の提案に、ジャッカルが同意した。
 真田の思わぬ行動で会話を中断された柳生が、もう一度話を蒸し返した。
「それより、ムッシュ柳。キミは仁王君が利き手と逆の手で、私のレーザービームを打てると思っているのですか?」
「君のレーザービームをそのままコピーできるとは、俺も思っていない。が、限りなくそれに近いショットを打てるように、特訓してもらう」
「ほう、それは何故です?」
 逆光眼鏡を反射させながらの質問に、柳はスラスラと答えた。
「青学には、数メートルの距離からコンマ1ミリの違いを見抜き、スピードガンなしでショットが時速何キロかを割り出し、分度器なしで角度を測ることのできる素晴らしい能力と眼力を持った、凶悪なまでにカワイイ……もとい、恐ろしい男がいる。彼は一度柳生のレーザービームを目にしているからな。そのスピードや角度まで記憶している確率、100%だ。その彼を欺かない限り、この入れ替わりドッキリ作戦は成功しない」

「……ドッキリなんすか、この作戦?」

 目を閉じたまま、無表情にひと息に語られたその解説に、切原が疑問符を浮かべる。
「というか、今の発言には妙な点があったような気がするんだけど」
 同時に丸井も違和感を覚えていた。が、それは柳によって一蹴された。
「幻聴だ」
「つまり、この1週間で柳生のレーザービームに近いショットを打てるようになればええんじゃろ、柳よ?」
「そういうことだ。頼むぞ、仁王」
「でも、なんでこんな手の込んだ特訓をする必要があるんだ?」
「そうですよ。詐欺師との異名を取る仁王君はともかく、何故紳士と呼ばれる私まで変装する必要があるんです?」
「ほう、何か異論があるか、ジャッカル、柳生?」
 異議申し立てをするジャッカルを真田が睨み、再びラケットの柄を引き抜こうと手をかける。仕込まれた刃を5ミリほど見せた所で、柳が真田を止めた。
「そこまでにしておけ、弦一郎。第三者に目撃されて、通報されたらコトだ」
「そうそう、真田副部長の制裁は、鉄拳だけで勘弁してほしいっす」
 真田を止める柳の陰で、切原がボソッと呟いた。
「しかし、そうか。そんなに嫌ならば、ジャッカルのアレも、柳生のソレも、全校生徒にバラしてしまっていい、ということだな?」
 柳は目を閉じたままで、不敵な微笑を浮かべた。そしてどこからともなく縦書きのノートを取り出し、極細の筆を取り出して何やら書き付けていた。
 「な……や、柳、アレだけは勘弁してくれ!」
「ム、ムッシュ柳、この私を脅すつもりですか?」
 柳の一言で、ジャッカルと柳生は顔色を変えた。
「脅すとは人聞きが悪い。これも、立海の全国3連覇に向けた大事な戦術の一つだ」
「わ、わかった。わかったよ。俺がポール回しを入れる確率を100%にすればいいんだろ?」
「それで、私が仁王君になればいいんですね?」
「そういうことだ」
 ジャッカルも柳生も、顔を引きつらせながら柳に同意を求めた。
「決勝当日、仁王と柳生は蓮二が渡した染髪剤で髪を染めて来い。いいな」
「おう、任せとけ」
「わ、わかりました」
 そして真田の一言に、仁王は平然と、柳生はしぶしぶと頷いた。
「よし、じゃあ各自練習に取りかかれ!」
 真田の号令で、レギュラーたちは手渡された練習メニューを見ながら思い思いに散って行った。
「ふ、これで俺たち立海が青学に勝つ確率、99.5%だ。そして、貞治が俺に惚れ直す確率も……」
 それを見ながらご満悦、といった様子で呟きながら、柳はどす黒い微笑を浮かべていたのだった。


Fin



決勝戦を前に、マスター柳がこんなことを本当に企んでいたかどうかは不明ですが。
企んでいたら面白いかも、ということで思いついたSSでございました。
っていうか、D1の入れ替わり大作戦は仁王の発案だったとしてもですよ?
D2の「ジャッカルのポール回しが入る確率100%」云々の一件は、マスター柳の薫ティン苛めだ!
と考えて疑わないのは私だけでしょうか(笑)

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