朝のデキゴト

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朝のデキゴト(海堂×乾)


 目を覚ますと、隣で眠っているはずの恋人の姿が見えなかった。
 昨夜、何度か愛し合った後で、海堂は彼を抱いて眠りについた。そのことは、はっきりと覚えている。
(トレーニングにでも、行ったのか?)
 ぼんやりと浮かんだその可能性を、海堂はすぐに否定した。パタン、とバスルームの戸が閉まる音が聞こえてきた。海堂を起こさないようにと気を遣っているのか、静かに歩いて彼は部屋に戻ってきた。
 カチャ、と小さな音をさせて彼がドアを開け、中に入ってくる。海堂は体を起こして彼を迎えた。
「あれ……おはよう、薫」
 起き上がった海堂を見て、彼は一瞬驚いたような顔をして、しかしすぐに微笑して声をかけてきた。シャワーを浴びて、バスローブを羽織って出てきただけの彼は、クローゼットへと足を向けた。
「おはよう、貞治。今朝は早いんだな」
 今日は祝日で、二人が通っている大学も休みだ。当然、授業もない。
 だが、彼が――乾が起きた時間はいつもと変わらない。
「ああ、ごめん。起こしちゃったかな」
「別に…目が覚めたら、あんたがいなかったから」
「そうかい?」
 せっかくの休みの日に早く起こされたのは事実だが、別に責めているわけではない、と理解した乾は目元を柔らかく綻ばせてクローゼットを開けた。
「待ち合わせ、あるんだったか?」
「ああ。式は10時からだけど、その前に一度中等部へ行こう、って言われてるから。8時にはここを出ないといけないな」
「そう、か……」
 着替えようとして、乾がバスローブの帯を解いてスルリと肩からタオル生地のそれを滑らせる。真っ白い陶器のような背中に、昨夜、海堂が欲望に身を任せてつけた名残が紅く浮いているのが露になった。
 トクン、とわずかに鼓動が早くなる。
(あ……っ、だ…めだよ……――薫っ!)
(だめじゃないだろう? ほら、あんただってこんなに感じてる)
(ああっ! か、薫……薫っ!)
 いつもはお互いの顔が見えるように抱き合ってするのだが、昨夜は一度だけ、乾をうつ伏せにして抱きすくめて貫いた。どうしようもないほど感じているのに、思うように身動きが取れなくて、海堂に抱きつくこともできなくて。あられもなく乱れる乾に追い討ちをかけるように唇を寄せて、きつく吸った時のものだ。
 思い出すと、また体が熱くなってくるようだった。
 海堂がそんな目で自分を見ているとも気づかずに、乾はシャツを着て昨夜の名残を隠してしまう。
「式が終わったら、飲みに行くのか?」
「ああ。手塚も今日の式には出てくるって言うし、久しぶりに皆で顔を合わせることになるからな。帰りが遅くなるかもしれない」
「そう、か……」
 シャツのボタンを留めながら答える乾の声が、どこか楽しそうだ。
 まぁ、無理もないだろう。海堂は小さくため息をついた。

 乾は今日、成人式を迎える。

 6月生まれの乾はすでに20歳の誕生日を迎えてはいたが、今日改めて新成人を祝ってもらうのだ。その場には、中等部を卒業してからプロのテニスプレーヤーになるために留学した手塚や、家を継ぐために高等部までで青春学園に通うのをやめた河村。乾の同級生たちが数年ぶりに顔を揃えるのだ。
 乾が中3の秋に部活を引退してから告白して、最も可愛がられている後輩から恋人へと昇格し、海堂が大学部に進学してからは一緒に暮らすようになって。誰よりも乾の側にいて、誰よりも乾に愛されているのは自分だ、とわかってはいるのだが。
 1年後輩の海堂には、決して入り込むことのできない世界だった。
「だから、先に寝ててくれていいよ」
「いや、待ってる」
「薫?」
 海堂の答えに、乾が首を少し傾げて振り返る。ほんの少し唇が開いて、怪訝そうな顔をして海堂を見つめてくる。
「あんたが帰ってくるの、待ってる」
「でも、何時になるかわからないよ?」
「それでもいい。ちゃんと帰って来い。誰かのところに泊まるなんて、許さない」
「薫……」
 呆れているのか、ため息混じりに乾が呼びかけた。ぼんやりと見つめてくる乾を、射るように海堂は見つめ返した。 
 我ながら、つまらない独占欲だと思う。
 今日、乾と共に成人式を迎える手塚や河村、大石に菊丸に不二。彼らは乾にとって、海堂とは別の意味で大切にしている仲間である、ということはわかっている。海堂にとっても、彼らは尊敬する先輩だ。
 だが、乾が彼らと一晩中飲み明かす、というのは……。乾を彼らに取られてしまうようで、気に入らない。
「俺は薫が好きだよ」
 海堂の心の中まで見通しているのか。乾は柔らかく微笑してそう告げた。
「俺が好きなのは、薫だけだ」
 小さい頃から自分や他人のデータを集め、分析し、ほんのわずかな違いでも見逃さない乾は、海堂のこともよく見抜いている。
「ちゃんと帰ってくるから、安心していい」
 海堂が上半身を起こしているベッドへと近づいてきて、乾は身を乗り出すようにして顔を近づけてきた。軽く穏やかなキスをして、唇を離した乾の目が優しく笑んでいた。
「俺は薫のものだよ」
「貞治……」
 海堂の気持ちを察して、海堂が何よりも望む言葉を口にして、口で言うだけでなく行動でも示してみせる。愛されているのだ、と思うと嬉しさがこみあげてきて、海堂は再び着替えに戻ろうとする乾の腕を掴んで、引き寄せていた。
「……っ、薫!?」
 バランスを崩した乾が、海堂の上へ倒れこんでくる。それを抱きとめて、耳元で囁いた。
「あんたが好きだ」
 吐息とともに吹き込んで、耳たぶに軽く歯を立てると、乾が軽く体を弾ませた。筋肉はついているが、それでもほっそりとした背中を抱き寄せて、唇を耳から頬へ、口角へと移動させていく。
「薫……」
 密やかに、ため息混じりに海堂を呼ぶ唇に口づけて舌を差し出すと、乾は抵抗する様子も見せずに唇を開いてそれを迎え入れた。
「……っ、んぅ……んっ」
 口腔を舌で丁寧に愛撫すると、乾が鼻に抜けるような呻きをもらす。たっぷりと乾の舌を味わって、長く深いキスから乾を解放すると、乾は息を弾ませながら蕩けるような目で海堂を軽く睨んできた。
「薫……」
「感じた?」
「俺を遅刻させる気かい?」
「それ、いいかもしれねぇ」
「昨夜さんざんしただろう?」
「昨夜は昨夜、今朝は今朝だ」
「万が一遅刻して、手塚にどやされるのは俺なんだぞ」
 軽く言い合いをして、乾は拗ねたような顔をした。
 このまま気が済むまで乾と抱き合うのも悪くはないが……手塚をはじめとする先輩たちの厳しさと性格の悪さは、海堂も身をもって知っている。そろそろ乾を解放したほうがよさそうだ、と海堂は内心残念に思いながらも判断した。
「しょーがねぇな。アンタが先輩たちにどやされるのはかわいそうだから、今朝は勘弁してやるよ」
「そうしてくれ」
 ニッと笑って、海堂は乾が体を離すようにと軽く肩を押した。
 解放された乾は、海堂に抱きしめられて乱れたシャツを直して、改めて身支度を始めた。慣れないネクタイを締めて、スーツを着込んだ乾はいつも以上に綺麗に見えた。
「じゃぁ、遅くなるかもしれないけど、帰ってくるから。待っててくれるかい?」
「もちろん」
 乾の問いかけに、海堂は大きく頷いた。そしてふと思いついたことを、海堂はそのまま口にした。
「なぁ、貞治」
「何だい?」
「帰ってきたら、さっきの続き、するよな」
「え……」
 選択肢など初めから存在しない問いかけに、乾が言葉を失った。しかし、すぐに海堂の意図していることに気づいて、乾は照れたような、困ったような笑みを浮かべて呼びかけてきた。
「薫……」
 海堂は黙ったままで、乾を見つめ返す。そして……
「いいよ」
 フワリと柔らかくて穏やかな微笑を浮かべて答えた乾の表情に、海堂はノックアウトされた。


(初出:2005.1.10)

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