花ノ咲ク頃

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花ノ咲ク頃(乾×手塚)


「失礼します。生徒会長殿」
 一人、生徒会室に残って作業をしていると、仰々しく戸をノックする奴がいた。聞き慣れた、低い声。乾だった。
「なんだ、乾?」
「仕事がお忙しいようですが、有能な助手はいりませんか?」
「……自分で自分を有能と言うか」
「でも、無能じゃないでしょ?」
 乾の言い方が何となくおかしくて、俺は少し微笑った。といっても、乾と母以外の人間が見ても、笑っているとは思わないらしいのだが。
「部活が終わっても、お前来なかったから。忙しいのかと思ってね」
 言いながら乾は室内に入ってきて、長机にカバンとテニスバッグを置いた。もしかしたら部活に出られるかもしれない、と俺もテニスバッグは持ってきたのだが……結局はムダになってしまった。
「資料整理? それとも、入学式の挨拶原稿作り? 手伝うよ。早く終わらせて、一緒に帰ろう」
 俺が何か言う前に、乾が先回りして尋ねてくる。どうしても、俺と一緒にいる時間を作りたかったらしい。
 俺は心の中で苦笑して、乾に答えてやった。
「お前の申し出は嬉しいが、もう終わった。ちょうど帰ろうかと思っていたところだ」
「なんだ、そうだったんだ?」
「一瞬、監視カメラでもついているのかと思ったぞ。お前はタイミングが良すぎる」
「実は、手塚を盗撮してたんだ」
「……本当か?」
「ウソだよ。決まってるだろ」
 乾の場合、100%ウソだと思えない所がある。この男は、いったいどこから入手したのか、と思える情報を数多く持っている。盗撮していても、不思議はなかった。
「結局3年間、同じクラスにはなれなかったね、俺たち」
 起動していたパソコンの電源を落とす俺を眺めながら、乾はポツリと言った。
 俺と乾は、1年の時も2年の時も、別のクラスだった。2年の秋から付き合うようになって、口には出さなかったけれど、3年では同じクラスになれたらいい、と密かに思っていたのだが。
 クラス割りは見事に俺たちを離れ離れにした。俺が1組で、乾が11組。合同授業でさえ望めない、端と端のクラスに。
「接点は部活だけ、って状態だもんね。だから、少しでも一緒にいる時間を増やす努力をしたくてね」
 明日は入学式。新入生が入ってきて、あまり間を置かずに新入部員が入ってきて、レギュラーの俺たちも後輩の指導に時間を割かなければならなくなる。もっとも、俺はそれほど指導には回らないが、乾は積極的に関わっていくだろうことが、容易に想像できた。
 もともと自分のことよりも、人のために練習メニューを作ったり、指導したり。そういうことが好きな人間なのだ、この乾という男は。
「それで、わざわざ帰りにここに寄ったのか?」
「ああ。いいだろ? 一緒に帰ろう」
「……わかった」
 誘われても、別に断る理由もない。俺は頷いた。
 生徒会室の電気を消して、鍵をかけて。俺は乾と並んで校門をくぐった。
 校舎の塀に沿って植えられた桜の木が、満開の花を咲かせている。思えば、乾に好きだと告白されたのも、ちょうど1年ほど前の、こんな風に桜が綺麗な時期だった。
 辺りはもう日が暮れて、黄昏時といった様子だった。夕焼けの名残で赤い空と、明かりが灯った街頭に、薄紅が差した花が照らし出される。薄暗い空に浮かび上がる満開の桜が綺麗で、俺はいつしか足を止めて見入ってしまっていた。
「手塚? ……どうかした?」
「……いや………」
「綺麗だね。ひょっとして、見とれてた?」
「………」
 乾にはお見通しだった。俺が無言なのは肯定の印だということも、乾にはもう知られてしまっている。
「確か、川沿いの土手も満開だったな。遠回りになるけど、見て帰ろうか? そろそろ街灯もついてるはずだから、夜桜が綺麗だよ」
「……ああ」
 歩き出そうとしたら、一歩前を歩く乾が右手を差し出してきた。前を向いたままで俺を振り返ることもなかったけれど、何のつもりかなど、聞かなくてもわかる。
 俺は、黙って左手をその上に乗せた。俺の手が触れたのを感じて、乾は俺の指先を軽く握った。
 歩幅はあまり変わらないけれど、いつもよりゆっくりと乾が歩く。俺が塀沿いの桜をゆっくり見られるように配慮してくれているのだと思うと、少し嬉しくて。けれどこうして手をつないでいるのを誰かに見られたら、と思うと気恥ずかしくもあって。
 俺はちょっと俯いて、乾と軽く手をつないだまま、黙って歩いた。
 満開の桜が待つ、川沿いの土手へ。
 乾の手のぬくもりを感じながら、俺は満開の夜桜へと思いを馳せた。


Fin

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