ラストサムライ

ラストサムライ

koku04.JPG 2003年12月公開  監督:エドワード・ズウィック
<出演>   ネイサン・オールグレン:トム・クルーズ   サイモン・グレアム:ティモシー・スポール  勝元:渡辺謙   氏尾:真田広之   たか:小雪   天皇:中村七之助  寡黙なサムライ:福本清三   大村:原田眞人   信忠:小山田シン
<物語(映画パンフレットより)>
 明治天皇が即位し、近代日本が誕生した1870年代。政府軍に西洋式の戦術を教えるために、南北戦争の英雄、ネイサン・オールグレン大尉が来日する。かつては名誉と国のために命を懸けた男。しかし南北戦争以降の数年間で、彼と彼を取り巻く世界は一変していた。“実用主義”が“勇気”に、“利己主義”が“犠牲”に取って代わり、名誉などどこにも見あたらない。とりわけインディアン討伐戦で果たした彼の役割が、失望と悔いとに終わった西部には・・・。祖国アメリカでのオールグレン大尉は、魂を失ったさまよえる男であった。
 また日本の地でもひとり、自分の生き方“武士道”が崩壊しかけていると感じていた戦士がいた。名は勝元盛次。サムライの最後の長として崇拝されている。アメリカ先住民を追い詰め追いやり、アメリカの西部を侵略したのとまるで同じように、近代は伝統的な日本をも飲み込んでいた。発展をもたらした電線と鉄道は、今やサムライが何世紀にもわたって生き死にの拠り所としてきた価値観や規範を脅かすようになった。しかし勝元は、戦わずして去るつもりなどなかった。
 日本の若き天皇が、発展する日本市場が欲しくてたまらないアメリカ実業界の面々の懇願に応えてオールグレンを雇ったときに、ふたりの戦士の行く手が一つに重なる。より西洋化され交易に都合の良い政府を作ろうと、天皇の御意見番たちがサムライの根絶を企てる中、対立する立場の二者は運命の出会いを果たすのだ。死をも超えるゆるぎない“武士道”精神に感銘を受けるオールグレン。やがて固い絆で結ばれてゆく西洋と東洋のサムライ。しかしふたりの友情もつかの間、“サムライ魂”を貫くために滅んでゆく運命を選ぶしかないサムライたちの、最後の戦いが始まった。異国の地で自分と同じ魂を見い出したオールグレンは、信念にあえて殉じようとする彼らと、共に命を懸けて戦うことを決意する・・・。

 花は桜木、人は武士。
 と昔から言いますが、この映画は今にも消えようとしている武士道と、それに殉じて生きる男。そしてその男に感銘を受け、自分もまた武士道を体現して生きようとするアメリカ人のお話です。
 ハリウッドが初めて真っ向から武士道を、日本人を描いたということでも話題になったこの映画。
 南北戦争や西部開拓を正当化しているとか何とか、アメリカでは賛否両論あったようですけど。
 この映画が描こうとしたのはそんなことじゃないと思います。

 刀と弓で、ある意味戦いのエキスパートたちが繰り広げていた戦争が、大量破壊兵器の開発により、誰でも武器を取って、引き金を引くだけで戦えるようになった。その残虐さというか、虚しさというか。渡辺謙さんや真田さんによって表現される、愚直なまでに一途で、自らを厳しく律し、決して多くは語らないけれど内に熱い闘志を秘め、決断力も実行力もある。そして、戦う相手にも敬意を払う。
 武士道を美化しすぎている、という感もありますが、それでも。この映画で描かれるサムライたちの、己の持てるもの全てを懸ける潔い戦いっぷりと比べると、大量破壊兵器は正義も道徳も、人間としての感情すらも捨て去ってただ虐殺するだけで。下手をすると、自分が人を殺しているという感覚すら持てなくなる、という意味では無機質で虚しい感じがします。映画ではそこまで描くわけにはいきませんが、実際はガトリング砲だの何だので撃たれると、人間の体は原形をとどめないほどに吹っ飛ぶのだそうです。産業革命後に発明された大量破壊兵器は、戦争の大規模化と人間性の破壊を招いた、という意味で人類最悪の発明なのでしょう。
 奇しくも2003年という年は、アメリカがフセイン政権を倒すためにイラクに侵攻し、政府は倒れましたがその後はイラク国内での治安が乱れ、大量破壊兵器が巷に溢れ、アメリカ兵はもちろんのこと、民間人までがテロリズムの標的として狙われる、という悲しい出来事が起きた年でした。その年に、こういった映画が公開された、というのも何か不思議な巡り合わせがあるような気がします。
 刀を抜き、馬に乗って襲い掛かってくる武士たちを、ガトリング砲で撃っていた指揮官が、見るに耐えかねて砲撃をやめさせて。最後の最後まで武士として生きた勝元に心打たれ、帽子を取って膝をつき、頭を下げたラストシーンは、どこか象徴的な気がしました。

 まぁ、精神的なことが何であれ、結局人を殺すのには変わりないのですが。それでも。
 日本人が“武士道”として確立してきた精神性というのは、いつの時代になっても見失いたくないものだ、と思わずにはいられない映画でした。

 なぁんて、ちょっと固くなってしまいましたけど。
 とにかく、カッコいいのですよ、渡辺謙さん! もう、トム・クルーズなんて霞むぜ!ってくらいに。そして、最も古いタイプの維新志士(つまり、攘夷派ですね)を演じた真田さん。
 オールグレンを介抱するたか役の小雪さんは、凛として美しい武士の妻を見事に演じてますし、斬られ役ばかり演じてきた福本さんは、本当にいい味を出しておられました。
 また、これが映画デビューとなった歌舞伎役者の中村七之助君。近代文明と伝統の間で揺れ動き、思い悩む若き天皇を品よく演じていたのはさすが、といった所でした。
 そして、義を重んじ天皇のために忠誠を尽くし、他のために己を捨てて戦う勝元とは対照的に、私利私欲のために天皇や議会、軍隊を利用する大村を演じたのは、なんと映画監督の原田さん。悪役ぶりは見事でした。崔監督といい、北野さんといい、監督が役者をやると、役者には出せないいい味を出されるというのも、さすがだと思います。

 それにしても、さすがハリウッドだなぁ、と思ったのは大掛かりなセットと屋外での戦闘シーン。これが日本映画だと予算の都合とか、製作期間の関係とかで、もうちょっとこじんまりしてしまうんでしょうねぇ。だって、あの明治初期の東京の街も、勝元が先祖代々受け継いできた村も、オープンセットですよ? 戦闘シーンを撮影したのは、「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地としても使われたニュージーランドで。確かに、ラストの勝元vs官軍の戦闘シーンは、何となく「LOTR」を彷彿とさせるものがありました。・・・て思ったのは、私だけ?

 まぁ、あの状況で何でオールグレンは生き残るわけ?とか、細かいことを言い出したらきりがないので目をつぶるとして(というか、ハリウッド映画で主人公が死んだらダメですよね;)。アカデミー賞だの何だの関係なく、とにかく渡辺謙さんはカッコいい!(よすぎ?)
 それだけでも大満足な映画でした。(って、結局それかい;)

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