花は桜木、人は武士。
と昔から言いますが、この映画は今にも消えようとしている武士道と、それに殉じて生きる男。そしてその男に感銘を受け、自分もまた武士道を体現して生きようとするアメリカ人のお話です。
ハリウッドが初めて真っ向から武士道を、日本人を描いたということでも話題になったこの映画。
南北戦争や西部開拓を正当化しているとか何とか、アメリカでは賛否両論あったようですけど。
この映画が描こうとしたのはそんなことじゃないと思います。
刀と弓で、ある意味戦いのエキスパートたちが繰り広げていた戦争が、大量破壊兵器の開発により、誰でも武器を取って、引き金を引くだけで戦えるようになった。その残虐さというか、虚しさというか。渡辺謙さんや真田さんによって表現される、愚直なまでに一途で、自らを厳しく律し、決して多くは語らないけれど内に熱い闘志を秘め、決断力も実行力もある。そして、戦う相手にも敬意を払う。
武士道を美化しすぎている、という感もありますが、それでも。この映画で描かれるサムライたちの、己の持てるもの全てを懸ける潔い戦いっぷりと比べると、大量破壊兵器は正義も道徳も、人間としての感情すらも捨て去ってただ虐殺するだけで。下手をすると、自分が人を殺しているという感覚すら持てなくなる、という意味では無機質で虚しい感じがします。映画ではそこまで描くわけにはいきませんが、実際はガトリング砲だの何だので撃たれると、人間の体は原形をとどめないほどに吹っ飛ぶのだそうです。産業革命後に発明された大量破壊兵器は、戦争の大規模化と人間性の破壊を招いた、という意味で人類最悪の発明なのでしょう。
奇しくも2003年という年は、アメリカがフセイン政権を倒すためにイラクに侵攻し、政府は倒れましたがその後はイラク国内での治安が乱れ、大量破壊兵器が巷に溢れ、アメリカ兵はもちろんのこと、民間人までがテロリズムの標的として狙われる、という悲しい出来事が起きた年でした。その年に、こういった映画が公開された、というのも何か不思議な巡り合わせがあるような気がします。
刀を抜き、馬に乗って襲い掛かってくる武士たちを、ガトリング砲で撃っていた指揮官が、見るに耐えかねて砲撃をやめさせて。最後の最後まで武士として生きた勝元に心打たれ、帽子を取って膝をつき、頭を下げたラストシーンは、どこか象徴的な気がしました。
まぁ、精神的なことが何であれ、結局人を殺すのには変わりないのですが。それでも。
日本人が“武士道”として確立してきた精神性というのは、いつの時代になっても見失いたくないものだ、と思わずにはいられない映画でした。
なぁんて、ちょっと固くなってしまいましたけど。
とにかく、カッコいいのですよ、渡辺謙さん! もう、トム・クルーズなんて霞むぜ!ってくらいに。そして、最も古いタイプの維新志士(つまり、攘夷派ですね)を演じた真田さん。
オールグレンを介抱するたか役の小雪さんは、凛として美しい武士の妻を見事に演じてますし、斬られ役ばかり演じてきた福本さんは、本当にいい味を出しておられました。
また、これが映画デビューとなった歌舞伎役者の中村七之助君。近代文明と伝統の間で揺れ動き、思い悩む若き天皇を品よく演じていたのはさすが、といった所でした。
そして、義を重んじ天皇のために忠誠を尽くし、他のために己を捨てて戦う勝元とは対照的に、私利私欲のために天皇や議会、軍隊を利用する大村を演じたのは、なんと映画監督の原田さん。悪役ぶりは見事でした。崔監督といい、北野さんといい、監督が役者をやると、役者には出せないいい味を出されるというのも、さすがだと思います。
それにしても、さすがハリウッドだなぁ、と思ったのは大掛かりなセットと屋外での戦闘シーン。これが日本映画だと予算の都合とか、製作期間の関係とかで、もうちょっとこじんまりしてしまうんでしょうねぇ。だって、あの明治初期の東京の街も、勝元が先祖代々受け継いできた村も、オープンセットですよ? 戦闘シーンを撮影したのは、「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地としても使われたニュージーランドで。確かに、ラストの勝元vs官軍の戦闘シーンは、何となく「LOTR」を彷彿とさせるものがありました。・・・て思ったのは、私だけ?
まぁ、あの状況で何でオールグレンは生き残るわけ?とか、細かいことを言い出したらきりがないので目をつぶるとして(というか、ハリウッド映画で主人公が死んだらダメですよね;)。アカデミー賞だの何だの関係なく、とにかく渡辺謙さんはカッコいい!(よすぎ?)
それだけでも大満足な映画でした。(って、結局それかい;)