Dolls

Dolls

koku04.JPG 2002年公開   113分   原作・脚本:北野武
<出演>佐和子:菅野美穂  松本:西島秀俊  親分:三橋達也  良子:松原智恵子  春奈:深田恭子  温井:武重勉  春奈の母:岸本加代子  若い頃の親分:津田寛治  春奈のマネージャー:大杉漣
<物語>
 “文楽”の人形たちがいざなう、衝撃的なまでに美しく、せつなく、残酷な愛の物語。
 一本の赤い紐につながれ、あてもなくさまよう男と女。
 迫り来る死期を感じとった老境のヤクザと、彼をひたすら待ち続けるひとりの女。
 事故で人気の絶頂から転落したアイドルと、それでも彼女を慕い続ける孤独な生年。
 三つの物語が交錯し、究極の愛の姿を浮き彫りにする。

 恋人を捨てた男と、捨てられて壊れてしまった女。事故で片目を失ったアイドルと、彼女を見なくていいようにと自分の目をつぶしてしまったファン。恋人を待ち続ける女と、ヤクザになった男。3つの愛の物語が交錯する、「愛」という名の究極の暴力を描いた映画です。

 北野映画、といっても、『BROTHER』と『キッズ・リターン』しか観ていないんですが(汗;)。前作の『BROTHER』で漂っていた「死のにおい」は、今回も漂っていました。
 恋人に捨てられた佐和子が自殺を図るシーンも、アイドルが交通事故に遭うその瞬間も、ファンが自分の目を切り裂く瞬間も、ヤクザの銃撃の瞬間も。その前後が事実として映し出されるだけで、実際にその場面は出てきません。が、観ていてとても痛いのは、やはり北野監督の素晴らしさだと思います。直接見せないことで、観客の想像に任せているのだと思います。

 観客の想像に任せる。この映画は、能動的に観なければならない映画だと思いました。全体的にとても静かで、実際、セリフも音楽も要所を除いてはほとんどない。ただ、淡々と、記録映画のように事実が映し出されていく。けれど、どこでどんな風に変化するかわからないから、目が離せない。まるで「能」の鑑賞をしているかのような錯覚を覚えました。
 そして、常識的な考えで突っ込んではいけない映画です。この映画で描かれるのは「愛ゆえの狂気」であり、愛に狂った人の前に世の中の常識は通用しないわけで。ましてや、全編を通じて出てくる「つながれ乞食」の二人は、完全に現実から離れてしまった存在なのですから。ただ、目の前で展開される映画の雰囲気に、その世界に身を任せて感じていればいいのだ、と思います。…なので、展開が早い、何も考えなくても観ているだけでわかりやすい映画が好きな方には、ツライ映画かもしれません。映画がエンターテインメントの一つである以上、そういう映画が悪い、と言うつもりは毛頭ありませんけど。

 出世のために恋人を捨てる男。捨てられて自殺を図り、壊れてしまう女。恋人に約束をして、守れなかった男。いつまでも約束を守り続ける女。事故で傷ついた顔を見られたくないアイドルのために、目をつぶして会いに行くファン。
 彼らを突き動かす衝動は、すべて「愛」が動機になっていますが、それはある意味で限りなく暴力的である、ともいえます。北野映画で描かれる暴力は、何らかの「愛」が動機になっています。「愛」ゆえの暴力。…北野監督が大島監督の影響を受けていることも原因の一つかもしれませんが、やはり、『御法度』に感じたものと同じにおいが、この映画にも漂っている気がしました。
 今回、直接的な暴力表現は一切省かれていますが、だからこそ、他のどの映画よりも心に痛い映画なのかもしれません。

 この映画、初めて正式に文楽を撮影する許可を得られた映画でもあるとこのと。冒頭にも、実際に文楽で演じられる『冥途の飛脚』という話が出てきます。人形が、人形遣いの手によって、生身の人間のように表情豊かになるのですから、本当に素晴らしい芸能だと思いました。それに対して、登場人物たちは人間でありながら人形のように無表情です。その対比も含め、『Dolls』というタイトルなのかなぁ、と。

 そうそう。この映画、3つのエピソードがそれぞれ微妙なところでつながっています。どこでどんな風につながるのか、発見する楽しみもお忘れなく。
 また、北野監督が「色」にこだわり、「日本の四季をきちんと撮りたい」というこだわりがあって撮られたこの映画。映像がとても綺麗です。春の桜も、夏祭りの風車も、秋の紅葉も、冬の雪景色も。山本耀司氏が制作した衣装も季節ごとの景色によく映えて、より一層美しさを際立たせる。やはり、赤い紐でつながれ、あてもなくさまよう二人には、街の雑踏は似合いません。こういう美しい風景の中だからこそ、現実とは思えない二人が存在することが許され、また美しく感じられるのだと思います。

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