とてもクールで、かっこよくて、イタイ映画である。
まぁ、原作が松本大洋の「不良マンガ」なのだから、当然といえば当然かもしれないけれど。
九條を演じた松田龍平の、あの存在感はいったいなんだんだろう? クールで、だけど冷酷なわけではなくて。感情を抑えているわけでもない。何事にも無関心な様子で、まるで神のように、学校を一番高い屋上から見下ろす九條。無表情に、淡々と、青木に嫌がらせをした下級生に向かってバットを振るう姿も、妙にハマッている。一見、他の役者たちの中に埋もれてしまいそうでありながら、決して埋もれてしまうことがない。
ベランダゲームで手を叩く時も、彼の口からは「怖い」という言葉が聞かれることはない。表情があるようで、ない。無関心なようで、実は結構熱くなる面も持ち合わせている。そんな複雑な九條を、松田龍平は自然に演じていたように思う。
この映画で最も印象的なのは、校舎の周囲に咲き誇る満開の桜である。そういえば、松田龍平のデビュー作である『御法度』では、彼は桜に例えられていた。つくづく、桜に縁のある役者だなぁ、とファンは思ってしまうわけで。
桜という花は、満開に咲き乱れた時の絢爛豪華さもさることながら、散っていく姿も潔さや美しさを感じさせる花である。甲子園へ行くという夢が破れ、ヤクザになるために柵を乗り越える者も。ある日突然思い立って友人を刺し殺し、警察に連行されていく者も。満開の桜は、学校という「天国」から去っていく彼らの散り際を象徴しているようでもある。
この映画の一番の見所は、親友である九條に突き放された青木が、アイデンティティの崩壊と共に暴走し、九條と対立していくその二人の関係である。誰よりも意識し、尊敬していた九條から無視され、突き放され、見放されて壊れてしまった青木は、見ていてとても哀れだ。それまで誰よりも依存していた友人の影を、学校から、自分の中から全て消し去ってしまおうとするかのような彼の行動。あそこまで極端なことはしないだろうが、誰しも似たような経験はあると思う。
これは全くの余談だが、九條と青木が互いの髪を掴んで殴りあうシーン。あそこは、どちらも本気で相手を掴んで殴っていたそうだ。ファンとしてはつい、「顔はやめて、顔は(>_<)!」と思ってしまうのだが(苦笑)。そんな二人の気迫も、よく表れていたと思う。
また、この映画。ミッシェル・ガン・エレファントの音楽がとても効果的に使用されている。それが、この映画のかっこよさをより一層引き立てる。「かっこいい」のは、松田龍平を筆頭とした、現在注目されている若手俳優ばかりではないのだ。
私としては、あくまでも松田龍平ファンであるので、ついその視点で見てしまうのだが…。彼が最も得意としているサッカーテクニックも堪能することができるし、ニッコリ笑顔で女の子に手を振る姿も見られるし、時にはクールに時には熱く暴力を振るう姿も見られるし。何よりも、念願の学ラン姿が堪能できる! という意味で、松田龍平ファンには必見の映画である。
そして彼は、やはり他人から求められ、他人を見下ろす役が似合っているように思う。人によっては「気持ち悪い」とさえ言われるその目は、やはり独特の色気を湛えているのだろう。
この映画、一番印象に残るのは九條の「咲かない花も、あるんじゃないですか」というセリフである。将来への見通しも立たず、特に夢もない。自分が「咲かない花」なのかもしれない、という不安は、少なからず学生時代に抱える漠然とした不安に通じるものがある。そんな九條に対して、花田先生は「花は咲くものです」と反論する。しかし、花は咲いても必ず散っていく。そんな、ある種の無常さも、学校を取り巻く満開の桜は象徴しているように思えてしまう。
「青い春」は、九條の視点で見るか、青木の視点で見るか、人によって分かれると思う。九條の視点でこの映画を観た私は、ラストの喪失感に苛まれる彼を思って号泣した。九條に反発し、暴走せざるをえなかった青木の姿にも。
凄惨な暴力やリンチのシーンがあるから、という理由ではなく、どこか自分を投影して彼の痛みに共感するという意味で、この映画はイタイ。自分の思い通りにならない友人をもどかしく思い、不器用な接し方しかできない彼らは、とても哀しい。
時間は83分だけれど、その中で語られている内容は3時間分くらいある。そんな映画です。