大蔵流茂山家で、京極夏彦作の新作狂言、しかも妖怪が題材になっている。これはただ事ではない、ということで観に行って参りました、この舞台。
まず、通常は能楽堂で演じられる狂言を、ザ・シンフォニーホールという、ワイン・ヤード方式(つまり、ステージの後ろにも客席がある)のホールでどう演じてくれるんだろう、と楽しみにしておりましたら、さすが、能楽堂以外での公演にも慣れておられる茂山家。ライトで正方形の舞台と、橋ガカリを照らすことでステージを能舞台にしていました。松も鏡板もないけれど、ライトが当たっている部分が舞台、というわけです。
でも、ライトで作った能舞台で、衣装はいつも通りの着物で演じられる狂言というのは、なかなかお目にかかれるものではありません。今人気の推理小説作家が作った新作狂言である、ということもあって、本当に貴重な舞台を見ることができたものだ、と思います。
「梟」は、古典のお話です。梟にとり憑かれた男のお話です。最初は男が、次に息子が、最後には祈祷に来た山伏までが梟の鳴き声を発してしまう、という。梟のように鳴く千之丞さんの演技もさることながら、それが移っていく千三郎さんの演技もとてもコミカルで、最後に千五郎さんまで「ほー」と言いながら去って行かれる姿に、自然と笑いがこみあげてくるお芝居でした。
「狐狗狸噺」は、現在の不景気を反映させたようなお話でした。あえて、オチはばらさないことにしますが、狐も狗も狸も、全て人間を化かすもの、というヒントは書いておくことにしましょう(笑)。
このお話。茂山茂さんの女もなかなかはまり役だったのですが(どうも、最近見る狂言では、女役の茂さんを見ることが多いです、私;)、逸平ちゃんの太郎冠者のおとぼけっぷりもかわいらしくて、はまり役だなぁ、と感心しておりました。以前見たときは、気が弱くて人を食ったことがない鬼の姫で、ほんの少し触れられただけなのに「ああ、妾の白魚のような手が払われてしまいました」的なセリフを言う、実にかわいらしい姫でした(^^)。いや、それは置いておいて。
この不景気の中、特に才があるわけでもなく、財力があるわけでもなく、ただ底抜けに明るくて前向きな太郎冠者。時に、人は愚かな方がよいのかもしれない、なんてことを思わせてくれるお話でした。
狂言の演目では、「繰りかえし」同じことを行う、ということがよくあるのですが、このお話も、山伏が何度も何度も喜捨を請う場面が出てきます。最初は長々と山伏の口上を聞き、「わしは一文無しじゃ」と太郎冠者。それを受けて「では、妾が払いまする」と女が喜捨をしていたのですが、だんだん山伏の口上が省略され、太郎冠者が「喜捨を請うのでは?」と先回り。挙句、山伏に出会った時には「おお、これはそなたの出番じゃ」といきなり女に金を払わせる、というところまでいってしまいます。
そんなやりとりがとてもコミカルで、気持ちよく笑わせていただきました。
それにしても、最近は本当に茂さんの女役、はまってますねぇ。逸平ちゃんのおとぼけぶりも、半分「それ、地なのでは?」と思ってしまうくらいですし。茂山家の中では、お気に入りの二人が主要キャラだったので、それも楽しい演目でした。
最後に演じられたのが「豆腐小僧」。笠をかぶって豆腐が載った盆を持てば、豆腐小僧。たとえ、見た目が爺でも、この二つが揃えば豆腐小僧。
なんていう自己紹介から始まるこのお話。千之丞さん演じる、ちょっと間の抜けた豆腐小僧がこれまた笑いを誘ってくれました。一度も人を化かしたことのない豆腐小僧が相手にするのは、千五郎さん演じる、威厳のある大名。「妖怪などわしの相手ではない」と、一つ目小僧やろくろ首など、豆腐小僧の縁者に当たる妖怪たちを次々とコケにする大名に縮み上がる豆腐小僧、というその構図がまたとても面白かったです。
新作狂言とのことでしたが、最近人気急上昇中の「豆腐小僧」といい、「狐狗狸噺」といい。どちらもとても面白くて、狂言の定番になってもいいのではないか、と思えるくらいの演目でした。これから先も、大蔵流の定番として演じ続けられたら、ステキだろうなぁ、と思います。そうなれば、「私はそれが演じられた最初の年に見たのよ」と後々まで自慢できますね(笑)。