後楽園 薪能

後楽園 薪能

kyt04.jpg
(2002年10月3日 岡山 後楽園特設能舞台)

狂言「茶壺」(和泉流)
すっぱ:野村萬斎   田舎者:高野和憲   目代:月崎晴夫   後見:竹山悠樹
物語:栂尾で茶を買い求めた田舎者が、知人の家で酒を振舞われ、すっかり酔っ払って茶壷を背負ったまま街道に寝込んでしまう。そこへ通りかかったすっぱ(盗人)が茶壷を奪ってやろうと、さも自分が茶壷を背負っていたかのように見せかけて背中合わせに横たわる。目が覚めた田舎者とすっぱが言い争いになたところへ、目代(代官)が通りかかり、二人の言い分を聞くのだが、どちらも譲らない。そこで目代は…。


狂言「鎌腹」(大蔵流)
男:茂山千五郎   仲人:茂山千作   女:茂山正邦   後見:島田洋海
物語:働き者の妻と怠け者の夫。こうなれば、狂言の典型的な「わわしい女」です。怠け者の夫に愛想をつかした妻は、ついに夫の尻をたたきます。しかし、妻の心夫知らずで、夫はあまりの妻の仕打ちに我慢ならず、鎌で腹を切って自殺を図ろうとします。しかし、根が弱虫の男、なかなか思い切れません。ついには…。


能「葵上」(観世流)
照日巫女:西村高夫   六条御息所:観世栄夫   横川小聖:江崎金次郎   大臣:江崎敬三  他
原典:「源氏物語」の「葵の巻」   作者:世阿弥
物語:近頃光源氏の足は遠くなり、お渡りになることはありません。噂では、正妻の葵上はご懐妊で病床に伏せっている様子。思い出すは、春の加茂の祭りで葵上との牛車争いに敗けた悔しさなど、恨みは重なっていきます。この恨みが葵上の病床で、御息所の生霊としの化身となって現れます。そこで臣下は、横川の小聖を招き、祈祷を始めます。小聖の祈りに御息所の生霊は鬼女の姿に変身し襲いかかりますが、ついには法力の前に祈り伏せられます。

 岡山城のお庭(実は、庭を装った要塞だったんですが;)に特設舞台を組んでの薪能でした。秋の夜はつるべ落とし。始まる頃には周囲は真っ暗、お天気も良好。寒すぎることもなく、暑いこともなく、鑑賞するにはちょうどいい気候でした。
 私が座ったのは、能舞台が作られた芝生から通路を挟んですぐ後ろの芝生の最前列。足も伸ばせて、腰掛けられるという、楽な姿勢で見られました。そして、和泉流の狂言では、萬斎さんが正面!! 前の人も邪魔にならず、絶好の鑑賞スポットでございました♪


狂言「茶壺」(和泉流)
 いやいや、さすがは野村萬斎、といったところでしょうか。舞台での存在感がまるで違うのですから。
 街道に横たわる田舎者につまづいて、驚く最初の場面から、最後まで笑い通しでした。茶壷を盗もうとするすっぱは、当然ながら茶壷のお茶の産地や明細を知らないので、目代から中身を聞かれても答えられるはずがありません。なので、なんとかして田舎者に先に答えさせようとし、自分はこっそり盗み聞きをします。そして、相手が言った事をそのまま真似して話すのですが、その盗み聞きの様子がこれまた面白い(笑)。
 中身の産地と明細を、今度は謡い舞って説明しよう、という田舎者の舞いも、これまたこっそり盗み見してそっくり真似をします。二人が全く同じ事を言い、同じ舞を舞うので、目代は「では、二人同時に舞え。少しでも違ったことをしたら、お前の持ち物とは認めないぞ」と言います。すっぱには圧倒的不利な状況です。
 しかし、すっぱもさるもので。田舎者の謡い出しを横目で見て、真似をしていきます。この、連舞の場面が圧巻!
すっぱの萬斎さんが、少し遅れて後から舞うのですが、区切り区切りのラストはピタッと相手に揃えていくのです。そして、二人が全く同じ謡い、同じ舞をするので、二人の力量の差も歴然。扇の扱い一つ、立ち居振る舞い一つとっても、萬斎さんはとても綺麗でした。何よりも際立っていたのは、声。抑揚の付け方、声の振るわせ方が、お相手の方とは全然違って聞き取りやすくて深みがあるのです。
 話のオチは敢えてここでは言いませんが、見終えた後、隣に座っている母と顔を見合わせて「さすが、萬斎さんは上手いねぇ」と言い合ったものです。


狂言「鎌腹」(大蔵流)
 こちらは、おおらかな「お豆腐主義」狂言の大蔵流、親子三代共演でした。茂山さんの「わわしい女」では、正邦さんの弟、茂さんの得意技なのですが、今回はお兄さんの正邦さんが「わわしい女」でした。この「わわしい女」、口うるさくてしっかりしていて、夫を尻に敷くタイプの女性、というとわかりやすいでしょうか?
 舞台最初に、鎌を振り上げて妻が夫を追い回します。そこへ割ってはいるのが、仲人の千作爺ちゃん。妻は夫に「山へ行け」と言い、仲人のとりなしで家へ帰ります。残された夫は山へ行くのですが、妻に頭が上がらないとなれば、男として情けなさ過ぎる。このまま恥を晒すよりは…と、自殺を決意します。折しも、山に入るために鎌を持たされているので、それで腹を切ろう、と思い立ちます。これで腹を切れば!と振り回すのですが、「おお、危ない」と断念。自分は腹など切ったことがないし(それが普通だと思うんですが;)、腹を切るのはやめよう、と思いとどまります。
 次に思い立ったのが、鎌で首を切って「鎌首にしよう」。が、これもいざ切ろうとしても、手が直前で止まってしまって断念。ならば、草に鎌を立てかけておいて、そこに転びかかって「走り腹」にしよう。とするのですが、走り寄るものの鎌を飛び越えてしまって、失敗(笑)。鎌が見えてしまうとどうしても避けてしまうので、今度は目を閉じて「目くら腹の走り腹」という珍しい死に方をしよう。と、思い立ちます。この一連の動作、何が面白いって、その都度「太郎は今死ぬぞ。珍しい死に方をするので、後学のために皆見に来い!」と見物人を募るんですね(笑)。
 そしていよいよ、最後の「目くら腹の走り腹」を実践しようとした時、話を聞きつけた妻がやってきます。自殺など思いとどまってくれ、と懇願する妻に、太郎が最後に言う言ったオチが、これまた面白い。
「ならば、俺に代わってこの鎌で腹を切ってくれ」(爆)。
 弱虫&怠け者もここまでくればたいしたもの、といったところでしょうか(笑)。
 千作さんも、出番はそれほど多くありませんでしたが、とても80歳を越えているとは思えない、素晴らしい声&演技でした。いつもながら、この方のパワフルさには圧倒されます。


能「葵上」(観世流)
 小休止を挟んでの、能。能は、書いて字のごとく、能動的に楽しまなければならない芸能なので、見る側にもかなりの気合が要求されます。心地よい鼓と、調子合わせの声、そして地謡の荘厳な声で、容赦なく襲い掛かってくる睡魔とも闘わなければなりません(苦笑)。本当、囃子方がとても心地よいのです、能は。
 タイトルは「葵上」ですが、物語に葵上自身は登場しません。ただ、舞台に小袖が一枚広げられているだけ。それが、病床に横たわる葵上を象徴している、というわけです。無駄をいっさい省き、シンプルな美しさを追求する能ならでは、といったとこでしょうか。
 主人公に当たるシテは、御息所。初めの前シテでは小面(だと思います。美しい女性なので)の面をつけ、自分の境遇などを語ります。(多分;)そして、臣下に呼ばれた小聖が登場。数珠を鳴らして祈祷をすると、美しい女性だった御息所が鬼女の姿となって(後シテ。面は般若かな?)現れます。病床に横たわる葵上に襲い掛かろうとするのですが、結局は退散していきます。
 能は、ちょっとした動作も見逃せないので、かなり緊張して見ていました。狂言のようにはっきりとしたセリフではなく、セリフ一つ一つが全て謡いになっているので、聞き取りにくいことも確か。能楽堂で見るよりも、笛や鼓、謡の音が分散してしまうという難点はありますが、薪能ということで、「幽玄の美」の雰囲気は抜群でした。

 しかし、この能。一見、凪いだ水面のような静けさがあるのですが、実は面をつけて謡い舞う、というのは、持久走を全力疾走するよりも体力を使うのだそうです。というのも、面は実際の顔よりも少し上につけるので、目も刳り貫かれている穴の半分ほどしか見えなくて、満足に息ができない状態になる。おまけに、面に遮られて声がストレートに届かないので、大きめに出さなければならない。考えただけでも大変そうではありませんか。
 それでも、能役者の舞はとても美しいんですよね。まるで、水面下で必死に水を掻く白鳥のようで…というのは、ありきたりな例えでしょうか?(苦笑) 能を見ると身が引き締まる思いがするのも、当然といえば当然かも、と思う「葵上」でした。

inserted by FC2 system