唐相撲

大蔵流茂山家 狂言の会 唐相撲

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(2002年8月17日 広島アステールプラザ)

「縄綯」
太郎冠者:茂山千作   主:茂山千三郎   某:茂山千之丞   後見:増田浩紀
物語:賭け事に負けた主人によって、借金の肩代わりに某に差し出されることになってしまった太郎冠者。真相を知らされることなく某の元へ行かされた太郎冠者はへそを曲げ、某に「山を越えて届け物をしろ」と言われれば、「脚気の持病があるので馬を貸してくれ」と言い、「縄を綯え」と命じられれば「綯うには綯うが、自分が綯えば逆になってしまって役に立たない」と言い、「水を汲め」と言われれば、「前の主人は水を汲むなどということを自分にさせたことはない」と言い、まともに仕事をしようとしない。困った某は、太郎冠者を元の主人の下へ返すことにする。
元の主人の下に戻った太郎冠者は、主人に請われて縄を綯いながら、某の悪口を言い始める。最初は主人が縄綯いを手伝っていたのだが、某に摩り替わる。それと気づかず、太郎冠者は悪口をどんどんエスカレートさせていき…。


「唐相撲」
日本人:茂山正邦  通辞:茂山千五郎  帝王:茂山七五三
唐人:茂山茂、茂山逸平、茂山宗彦、茂山千三郎、他   髭掻:茂山あきら   後見:茂山千之丞、他
物語:中国に滞在中の日本の相撲取りが、帝王に帰国を願いに出ると、帝王は名残に今一度住もうが見たいと所望する。通辞(通訳)の行司で唐人たちは次々と、楽しくもケレンに満ちた、狂言らしい組手をもって日本人に挑むが、見事に薙倒される。
最後は帝王自身が相手をすることに。身拵えの間、デタラメな中国の歌「唐音(とういん)」を歌い、「楽(がく)」を舞い、いよいよ相撲を…。
総勢40名の唐人が、縦横無尽に舞台上で繰り広げる「狂言相撲」。帝王の気品と軽妙な「楽舞」。絢爛豪華な「唐人衣装」と「唐式道具」。そして帝王や通辞の話すデタラメな狂言中国語、「唐音」が抱腹絶倒の笑いを誘います。(以上、「唐相撲」パンフレットより)

 このホールには初めて行きましたが、狂言の会が催された中ホール、なんと能舞台になっていました。ちゃんと屋根付きで。後で、「唐相撲」を見たときに、なるほど、これは能楽堂でなければできない演目だ、と納得したんですが。
 私が座ったのは、2階席最前列で舞台の正面。舞台全体を見渡すには、絶好の位置でした。


「縄綯」
 なんてユーモラスで、愚かな男なんでしょう、太郎冠者。
 へそを曲げ、新しい主人に向かってあれこれと屁理屈を言っては仕事をサボリ、元の主人の所に戻ったら戻ったで、さんざん新しい主人の悪口をぶちまけ、挙句にそれを聞かれてしまうなんて。
 「口は災いの元」とはよく言ったもので。狂言の中には、相手の悪口を言っている時にそれを相手に聞かれてしまい、気まずい状態になる、というものがいくつかあるのですが、これもその一つです。
 主人だと思っている相手が摩り替わっていると気づかずに、ひたすら悪口を言い続ける太郎冠者は見ているととても滑稽なのです。太郎冠者が滑稽であればあるほど、それがバレてしまった時の哀れさも、容易に想像がつくわけで。
「あ~あ、後ろで本人が聞いてるのになぁ。そういうこと言っちゃっていいわけ?」
 といった状態なんですね。
 さすがは茂山千作といったところでしょうか。
 悪口を言っている時の表情や仕草といい、主人が摩り替わっていると気づいた時のリアクションといい。間の取り方や話し方が絶妙でした。後半はほとんど太郎冠者の独演なのですが、客席では笑いが絶えませんでした。


「唐相撲」
 「デタラメな狂言」という言葉があるとしたら、それはまさにこの「唐相撲」のことを言った言葉ではないでしょうか。
…と思うくらい、デタラメな狂言でした。「唐相撲」が作られたのは約5世紀前だそうですが、これほどのユーモアのセンスを、当時の日本人は持ち合わせていたんですね。誰でしょう、日本人にはユーモアのセンスがない、なんていっている人は(笑)。
 この「唐相撲」、日本語を話すのは日本人である相撲取りと、通訳係である通辞のたった二人だけ。後は、わけのわからない、デタラメな中国語もどきを話す人たちばかりなんです。
 「シャン、パイッ」(←帝王に敬礼)とか「ジーペンピン」とか「ワンスイ、ワンスイ、チンプルポーーーー」とか。
 帰国する名残に相撲を、と所望された相撲取りは、お付きの唐人たちと次々に相撲を取っては打ち負かしていきます。この時に、役者はかなりアクロバティックな演技が要求されるわけです。
 負けて去っていく時に、二人組みで人間大車輪をやったり、ブレイクダンスを踊ってみたり、組体操よろしく人間ピラミッドを作ってそのまま回転し、パタンとつぶれたり…。そういう要所要所は、若手の実力ある茂山一門がしっかり押さえていました。でもって、人気の狂言師は通辞が相撲の相手を呼ぶときに、名前が呼ばれるんですね。

 千三郎さんは、名前を呼ばれても「ダメダメ」と手を振って拒否。いざ相撲という段階になってもさんざん逃げ回るのですが、その身のこなしの軽いこと。舞台の右前方から対角線上に逃げて行ったかと思うと、橋掛かりとの接点になっている左隅の柱にひょいっとつかまり、欄間を飛び越えて一回転。それが2~3回続いて、最後の最後には橋掛かりに向かって飛び込み前転。体操競技なら10.0が出そうな、見事な飛び込み前転でした。
 茂さんが呼ばれた時には、通辞が「兄弟対決」とアドリブを一つ(笑)。そう、相撲取り役の正邦さんは彼のお兄さんなんですね。(ちなみに、通辞役の千五郎さんはお父さんなんですが)彼については、パンフレットに「今回は猿になります。おだてられて木に登るのは、豚ですね」と書かれていて、「ほえ?」と思っていたのですが、相撲取りから逃げ回る彼を見て、納得。舞台左前方の柱に、ひょい、ひょい、ひょい、と飛びつくようにして上まで上ってしまったのです。下に垂れている服をつかもうとする相撲取りからも身をかわしたものの、最後にはぴょん、と舞台に飛び降り、ノックアウト。舞台にノビてしまった茂さんに、通辞が「タンカ、タンカ、ライライ」と声をかけると、唐人が二人、橋掛かりから舞台へ。あら、どうして二人して足の方に?と思っていたら、足だけ持ち上げられて、引きずられて橋掛かりへ退場と相成りました(笑)。
 逸平ちゃんは、やはり人気者ですから。呼ばれる時も「いっぺ~ちゃん(はぁと)」(爆笑)。「がんばって~」と客席からも声援が飛ぶ中でのお立合いです。が、これまたあっけなくノックアウト。連続側転しながら橋掛かりの一番隅へ転がされ、それに続いて次々とのされた唐人たちが続き、、、。寝転がった状態で、後ろの人の股に頭を入れるという体勢から、逸平ちゃんを先頭に次々と、そのままの状態で起き上がる、という荒業をやってのけてくれました。…その時に、橋掛かりの端にいる茂さんが起こすのを手伝ってました。

 自分のお付きの者たちが次々とやられるのを見て、ついに帝王も「ニッポンジン、キョウリョク」とお手上げ状態。そして、自分が出る、と言い出します。ここで、通辞が「では、帝王を応援するために皆で謡を」と謡いはじめるのですが、これまたデタラメな内容(笑)。でも、節がとても面白い謡いです。その最後には、観客も参加して帝王を応援します。「チンナンチンナン、ステレケパアパア~」。
 いよいよ、相撲取りvs帝王のお立合い…なのですが、帝王の身体は尊いものなので、直接触れることができません。ということで、帝王の身体をガードするために布を巻くことになります。それをまとう、帝王の様子がこれまた面白い。手を差し入れようとしてためらい、橋掛かりまで行って覗き込み、、、。えいっ、と手を差し入れて、ヒゲを出して。ようやくきちんとお立合い。そしてやはり、帝王も相撲取りに負けてしまいます。

 最初、橋掛かりにギュウギュウ詰めの唐人たちが出てきた時から、デタラメな中国語もどき(それも、茂山家で伝えられている脚本にきちんと書かれているそうです)に爆笑し、唐人たちの負けっぷりに爆笑し、帝王のうろたえぶりに爆笑し…。笑いすぎて涙が出てしまうほど、気持ちよく笑わせていただきました。
 衣装も、42名分の豪華な衣装を揃えるのは、とても大変なことだと思いますし、後見役に回る人も、よほど慣れた人でないと勤まらない大役だと思いました。相撲を取るぞ、という帝王が衣装を脱ぐのを手伝い、手早くたたんで唐人に渡さなければならないのですから。
 本当に、体が動くうちに、若手が大勢いる今のうちに、上演しよう。という意図も納得できる演目でした。
 次にこの「唐相撲」を見ようと思うと、今の若手に後継者ができるであろう約25年後になるかも、ということです。
 機会があれば、是非ご覧になって下さい。そして、役者と一緒に謡いましょう。
「チンナンチンナン、ステレケパアパア~!」

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