初雪

初雪


 障子を開けると、雪化粧された庭が目に飛び込んできた。
 昨夜から、奥州は急に冷えこんだ。
 吹き抜ける風が紅葉した木々の葉を散らし、政宗たちも寒さに震えた。
 それが一夜明けてみると。
 夜のうちに降り積もったのだろう雪が、庭を白銀に染めていた。
「雪、か……」
 体の芯まで冷えるような、けれど背筋が凛と伸びるような寒さに、政宗の身が引き締まる。
 紅葉したもみじの葉も、雪化粧が施されている。
 鷹狩りついでに紅葉狩りに出てから、まだ数日と経っていない。
 庭から見える遠くの山々の頂上が、白くなり始めたと気づいてはいたのだが。
 奥州を深く雪に閉ざす冬がやってきたのだと、政宗は思い知らされた。

「おはようございます、筆頭!」
「ああ、Good morning,孫」
 いつも庭を掃除している孫兵衛が、政宗に気づいて声をかけてきた。
「冷えると思ったら、雪か」
「そうっすね。起きてみたらこれっすよ。昨夜見張りに出てた文七郎が降ってきた、って言ってたんすけどね。」
「そうか。結構積もったな」
「っすね」
 雪は五寸ほどの深さで積もっている。
「とりあえず、起きてる連中で雪かきしてるっす」
「All right,頼むぜ」
 孫兵衛にニヤリと笑いかけて、朝議を行う間へと足を向けかけた政宗は、ふとその足を止めた。
「雪かき、か……」
「筆頭?」
 足を止めて、少し考えるような仕草をする政宗に、孫兵衛が呼びかけてくる。

 いいこと思いついたぜ。

「孫、この庭はそのままにしておけ。どーせそのうち溶ける」
「は、はい……」
「皆であちこち雪かきしてんだろ? その雪、一か所に集めろ。そうだな、できるだけ広い場所がいい」
 突然の政宗の命令に戸惑いを隠せない様子の孫兵衛に、政宗は畳みかけた。
「城に残ってる連中、全員集めろ。雪合戦だ」
「は、はいっ。わかったっす!」
 政宗の命令を理解した孫兵衛は、パアッと顔を輝かせてその場を駆け出して行った。
 政宗も、政宗に従う伊達軍も。
 皆楽しいことが好きなのである。
「せっかくのfirst snowだ。派手に楽しまねぇとな」
 楽しくて仕方ないといった様子で低く呟いて、政宗は朝議の場へと向かった。



 かくしてその日、政宗の一声で雪合戦が行われることになった。
 執務が滞るとか、またそういう無茶を……などと小言を言う者は、今この城にはいない。
 幼い頃から政宗の傅役を務め、今では一番の重臣として仕えている片倉小十郎景綱は、政宗の命令を受けて使いに出ているのだ。奥州を統一したものの、まだ不穏な様子を見せている国境付近の視察と、政宗に反旗を翻さないようにと釘を刺すために。
「時には息抜きも必要だとは思いますがね、政宗様」
「ちょっとした余興だ。Recreationも重要だからな」
 小十郎ほどではないが、政宗のお目付け役は城に残っている。小十郎とは父親違いの兄弟に当たる鬼庭綱元だ。
「それが、雪合戦ですか?」
「血の気の多いあいつらには、ちょうどいいrecreationだろ?」
 頑固一徹な所のある小十郎よりは、まだ綱元の方が話がわかる。
「そうかもしれませんが……。成実殿がいたら、真っ先に飛び出して行くでしょうね」
「だな。あいつがいたら、俺とシゲに分かれて対戦するんだが……生憎、あいつも小十郎と一緒に出てるからな」
「そうご命令されたのは、政宗様でしょう?」
「まぁな」
 小十郎には、政宗の名代として従兄の伊達成実が同行している。政宗より一つ年下で体格も良く、自ら武闘派を名乗る成実は、政宗以上に体を動かす余興が大好きなのだ。
「いねぇ者はしょーがねぇ。呼び戻すたって、すぐには戻ってこられねぇからな」
「では、どうするのです?」
「決まってんだろ。俺とお前が大将になって、分かれて対戦すんだよ」
 ニヤリ、と人の悪い微笑を浮かべる政宗に、綱元は心の中で頭を抱えた。
「景綱の耳に入ったら、またお説教されますよ、政宗様?」
「そん時ゃお前も同罪だぜ、綱元」
「私も、ですか?」
「当然だろ。お目付け役なんだからよ、俺の」
 政宗は、一度言い出したら聞かない性質がある。
 それは綱元もよくわかっていた。
「仕方ありませんね。では、小言を食らわずに済むように、城への被害は最小限にして下さいませ」
「お前ぇもな」
 あくまでも巻きこもうとする政宗に、綱元は軽くため息をついた。
 どうこう言っても、綱元も伊達の一員。
 楽しいことは好きなのだった。



 その日行われた雪合戦は、政宗組も綱元組も共に二勝二敗一分けと、引き分けに終わった。
 太陽が西に大きく傾く頃には再び雪雲が出てきて、雪がちらつき始めた。
 庭の雪も昼間にかなり溶けてしまったが、まだ溶け残っている部分がある。
 本格的に積もる雪にはなっていない、ふわふわと舞い降りてくるような雪を見ながら、政宗はどこか心が晴れないと感じていた。
 いつの間にか積もっていた雪にテンションも上がっていたし、雪合戦で皆と大騒ぎして存分に楽しんだ。
 けれど、何か足りない。

(政宗様……)

 ふと、自分を呼ぶ家臣の声を聞いた気がした。
 ここにはいないはずの、男の声を。
「お屋形様」
 その時、黒い脛当てをつけた男が音もなく現れて、庭に跪いた。
「金七か」
「はっ」
 政宗が各地に放っている忍びの一人、だが彼だけは小十郎の直属で動いている。
「片倉様より、文を言付かって参りました」
 差し出された文を受け取り、政宗は几帳面に折り畳まれたそれを開いた。
 文に書かれているのは、視察が順調に進んでいることの知らせ。そして米沢でも雪が降り積もっているのではないか、と政宗を案じる内容だった。
(小十郎……)
 幼い頃から自分に仕えてきたあの男は、主従を超えて更に深い関係になったあの男は、離れていてもなお、政宗の心を見透かしている様な言動をする。
 政宗は、何か足りないと思っている心の一部がほんの少しだけ、埋まったような気持ちになった。
「金七」
「はっ」
「すぐに小十郎の所に戻るのか?」
「そのつもりでございます」
「そうか。悪いが、少し待ってくれねぇか」
 直接は小十郎に仕えているとはいえ、政宗はその小十郎の主筋に当たる。金七としても、断ることはできない。
 政宗はそれを見越した上で、敢えて金七に命じた。
「走り通しで疲れたろ、上がって少し休め」
「承知仕りました」
 政宗は金七のために簡単な食事を用意させ、彼が待っている間に書斎にこもった。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 翌朝、周辺諸国に睨みを利かせるための拠点の一つとして築かれている小城で、小十郎は政宗からの文を受け取った。
「政宗様から、返事の文が……だと?」
「片倉様の文をお渡ししたところ、少し待つように仰せられました」
「そして、その場でこれをしたためられた、と?」
「はっ」
 金七を労って下がらせた後、小十郎は少し歪な形に折り畳まれた文を開いた。
 文に書かれていたのは、米沢でも雪が積もったこと。伊達軍の皆で雪合戦を楽しんだことだった。
(綱元殿がついていながら、またそういう無茶を……)
 読み進めながら、小十郎はつい苦笑した。
 だが、そういう所が政宗の良いところでもある。
 そして最後に一首、歌が記されていた。

我が背子と二人見ませばいくばくか
 この降る雪の嬉しからまし

「政宗様……」
 それは、万葉集に収められている光明皇后が詠んだ歌だった。
 美しく降る雪を、愛しい人と二人で眺めたらどんなに嬉しいだろう、と気持ちを綴った歌。
 それを、政宗は自分の心情として記してきたのだ。

(早く帰って来いよ)

 視察は政宗が命じたことであり、伊達軍にとっても必要不可欠なもの。小十郎にとっても大事な任務だ。頭では政宗もわかっているのだ。
 だが、一人居城で待っている心情はまた別だ。
 傍にいてほしい、その願いを政宗は歌に託してきたのだ。
 紙の下の方に記された、「政」の字。政宗の署名を、小十郎は愛しげに指でなぞった。
「俺も貴方と一緒に見たかったですよ。雪化粧に彩られた庭の紅葉を……」
 呟いて、小十郎は政宗からの文を丁寧に畳み直して、懐にしまい込んだ。

Fin
written:2011.11.18



11月半ばになって、急に寒くなった頃。
あちこちから雪の便りが入ってきて、紅葉の上に雪が積もった映像がニュースで流れたりするのを見て、奥州ならあり得るんじゃないかしら?と思って書いてみました。

で、たまたま同時期に恋を詠んだ和歌に触れる機会がありまして。
見つけたのが、この光明皇后の歌でした。
史実の政宗公は、和歌にも通じておられたようなので。筆頭も教養としてご存知ならば萌えるなぁ~♪ついでにそれを、小十郎に贈ったら萌えるなぁ~、と思ったのでした。
なお、この話に出てくる黒脛巾さんのお名前は、PHP文庫から出ている「片倉小十郎」を参考に致しました。



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