10月14日
日付が変わったのを見て、政宗は小十郎に縋りついた。
「政宗様?」
訝しんで呼び返してくる小十郎の背中に顔を埋める。
言葉を発すると、泣き出してしまいそうだった。
10月14日
それは、政宗にとって忘れようとしても忘れられない日だ。
一年で最も悲しい日だ。
今でも思い出す度に、胸が締め付けられるほどに悲しい。
戦国の世で寿命を終えて、現代に転生し、再び巡り合ってもう一度共に生きることを選んでも。
あの日に味わった悲しい記憶が消えることはなかった。
「小十郎……」
呼びかけた声が、かすかに震えていた。
先ほどまで睦み合っていた余韻が残る背中越しに抱きしめて、肩に頬を擦り寄せる。
彼がここにいることを、確かめるように。
今から数百年前の今日。
小十郎は息を引き取った。
40代半ばにして中風に倒れ、十数年に渡る半身不随の生活を送った末のことだった。
小十郎が倒れてからも天下の趨勢は大きく揺れ動いた。多くの武将たちが歴史の表舞台から姿を消し、天下が徳川のものとなり、更にそれを盤石のものとした。そんな中、政宗は天下取りへの野望を捨てて、伊達家の安泰を図るために奔走していた。
その矢先のことだった。
政宗が、小十郎死去の知らせを受けたのは。
豊臣の残党を討つという家康の命を受けて仙台を発って大阪に向かう際に、政宗は小十郎が城主を務め、療養の場としていた白石城に立ち寄って彼を見舞った。起き上がることも不自由になっていた小十郎は、政宗が白石を発つのを輿から見送った。
それが最後の別れになった。
もう長くはない。
死期を悟っていた小十郎は、最後まで政宗に仕えることができなかったことを詫びた。
政宗は、小十郎の死期が近いことに気づいたが、自分が戻って来るまでは生き長らえろと命じた。
誰よりも政宗に忠実だった小十郎は、かろうじてその約束を守った。
だが、政宗が大阪での戦を終えて仙台に戻ってからひと月ほど経った冬の初め、10月14日。
小十郎は息を引き取った。
もう一度、小十郎に会いたい。
政宗が抱き続けていたその望みが打ち砕かれた日だった。
仙台で知らせを受けた政宗は、声を上げて泣いた。伊達家の当主であり、仙台藩の藩祖でもあった政宗には後を追うことなど到底許されなかった。
その時の悲しみは、数百年の時を経て生まれ変わった今でも消えない。
同時に小十郎にとっては、致し方ないことだとはいえ、政宗を一人残して先立ってしまったことを悔やむ日だった。
「政宗様……、小十郎はここにおります」
諭すように、宥めるように。
小十郎は自分を抱きしめる政宗の手に、自分の手のひらを重ねた。
「こうして再び、貴方様のお傍に……」
「わかってる。だけどよ……」
言葉を詰まらせた政宗が、小十郎を抱く手に力を込める。
政宗が触れている場所から、彼が抱いている不安な気持ちが伝わってくる。
昔からそうだった。
政宗とは、触れ合った指先から、向き合った視線から、気持ちが伝わってきた。同時に、小十郎の気持ちも、政宗には伝わっていた。
言葉を交わさずとも。
けれど、言葉にしなければ伝わらないこともある、ということも、小十郎はよく知っている。
「貴方様をお一人残して先立ってしまったこと、この小十郎、どれほどお詫びしても足りぬと思っております」
「……」
「長く病を患ってしまったが故に、生涯貴方をお守りするという誓いも、果たせませんでした」
話しながら、小十郎は自分を抱いている政宗の手を握り返した。
「乱世が終わり、世が変わって生まれ変わった今となってもなお、貴方様を悲しませること、どうかお許し下さい」
握った手を自分の口元に導いて、指にそっと口づける。
「小十郎……」
呼びかけて、政宗が小十郎の背中に伏せていた顔を上げるのを肌で感じた。
くすり、とつい微笑が漏れた。
「ですが俺は、そこまで貴方様がこの小十郎を思っていて下さることを、嬉しく思っているのです」
唇で触れるだけだった指を、舌で軽く舐める。
「こじゅ、ろっ……」
突然のことに驚いた政宗が、軽く身を引いた。
自分を抱く政宗の力が緩んだのをいいことに、小十郎はぐるりと寝返りを打って、政宗と向き合って組み敷いた。
戦国の世は病で右目を失って隻眼だった政宗だが、今生では両目が揃っている。政宗は死後に自分の像を作ったり、肖像画を描いたりする際は両目を入れるようにと命じていた。その甲斐あってか、今生ではその願いが叶ったのだと、再会して間もない頃に政宗は小十郎に語った。
片眼だけでも十分に威力のあった視線が、今は二つ揃って小十郎を見つめる。
目元を少し潤ませている政宗に、小十郎は微笑を返した。
「自惚れだと、不謹慎だと、お怒りになりますか?」
「……馬鹿、やろっ……」
問いかけへの答えは、政宗の精いっぱいの照れ隠しだった。
改めて抱きついてくる政宗の背を、小十郎は抱き返した。
「小十郎はここにおります。あの時の俺は、貴方を置いて先立ってしまいましたが、今はこうしてお傍におります」
「……っ」
いつもは強気な言動で周囲を引っ張っていく政宗だが、小十郎の前では気弱で涙もろい姿を見せる。
政宗の涙が肩に触れるのを感じて、小十郎は抱き返す腕に力を込めた。
「政宗様……」
傍にいる、と囁いて呼びかけてくる声に、涙が出た。
自分を呼ぶ声は、昔と少しも変わらない。
抱き締める腕の温もりも、強さも、昔と同じ。
違っているのは、小十郎の頬にあった傷がないことと、隻眼だった政宗の両目が見えていること。
今は身分の上下もなく、年齢差も昔よりも縮まっているというのに。社会的には小十郎の方が立場が上なのに。今生でも小十郎は政宗を主として扱う。
一度最愛の半身を失った悲しみは消えない。
けれど、その悲しみを何とかして自分の手で拭おうとする小十郎の心に、政宗は涙した。
「小十郎」
「はい」
「俺を一人にするな」
「承知致しました」
命じる政宗に応えて、小十郎が唇にキスを一つ落とす。
「お前が確かにここにいる、ってこと。俺に刻み込め」
「それは構いませんが……明日、立てなくなっても知りませんよ?」
「別に構わねぇよ、出席日数は足りてるからな」
「貴方の傅役だった者としては、講義をサボるのは感心しませんが」
口づけながら交わす言葉。
触れ合う肌は熱を帯び始めているというのに、小十郎は小言を忘れない。
「んだよ、別にいいだろ」
政宗は小十郎をぐい、と引き寄せて唇を重ね、舌を小十郎の口腔にねじ込んだ。
ひとしきり小十郎の口内を蹂躙して、小十郎の熱を煽ってから唇を離し、挑発するように睨み上げた。
「お前が今ここにいるってことを、俺に教え込んでくれるんだろ?」
「貴方がそれをお望みであれば」
自分は政宗の命に従うだけだ。
そう応える聞き分けのいい従者になった小十郎に、政宗は囁いた。
「またお前が勝手に消えちまうんじゃねぇか、って不安なんだ」
「政宗様……」
「お前じゃなきゃダメなんだ、小十郎」
胸を締め付けられるような悲しみも、心を覆い尽くす不安も。
消せるのは、小十郎しかいない。
だから。
「抱いてくれ、小十郎」
懇願した政宗への返答は。
二度と悲しい思いはさせない、という誓いを込めたキスだった。
Fin
written:2010.10.14
片倉さんが亡くなったのは、1615年10月14日だったそうです。
当時は旧暦なので、太陽暦に直すと12月上旬だったそうですが。
ツイッターでフォローしているBASARA系の非公式botでそれを知って、降りてきたのがこのお話でした。
史料によれば、大坂夏の陣に出陣する政宗公が白石城に寄って、景綱公を見舞ったのが主従最後の対面だったそうですが。
切ないなぁ、悲しいなぁ。
と思ったので、こういう話で自己補完してみました。