Chapter:30 3人目の犠牲者
トム・リドルの日記がリョーマの手元から何者かに盗まれてから数日後。
週末の土曜日はクィディッチの試合が行われる日だった。
朝食を取ってから大広間を出て、箒を取りに行こうとしたリョーマは7年生で監督生の大和祐大に呼び止められた。
「今日の相手はレイブンクローですか。不二君の弟、裕太君はシーカーとして着実に強くなってきているようですね。先日はついに、あのスリザリンの跡部君を出し抜いて勝利したようですが」
「そうなんすか?」
「あまり、他の寮の試合には興味はありませんか? 君は、目の前にある自分の試合を精一杯戦うことに集中する、ということに専念しているようですね。それもまた、いいことです」
「はぁ」
大和は、リョーマの反応云々を全く無視して、勝手に話を進める傾向があった。
「そういえば、今日の試合は……。おや? 珍しいですね。こんなにたくさんの蜘蛛が外へ出て行っていますよ」
大和が床を這っていく蜘蛛に気を取られて、リョーマから視線を逸らした時。
リョーマは忘れようとしても忘れられない、あの嫌な声を聞いた。
「今度は殺す……引き裂いて……八つ裂きにして………」
リョーマは立ち止まり、全身を緊張させて周囲を見回した。とっさにローブから杖を取り出して、声の聞こえた方に向かって構える。
声はリョーマの後ろから前のほうへ抜けていくように聞こえたのに、その場にいるのはリョーマと大和。そして一列になって床を這っていく、無数の蜘蛛だった。
「おや、どうしました、越前君?」
リョーマのただならぬ様子に気づいた大和が、呑気な声で尋ねてきた。
「廊下での魔法は禁止ですよ。発動させれば、減点です。ついでに、グラウンド20周も加えられますが」
「……聞こえなかったんすか?」
大和を軽く睨んだが、リョーマの視線は微妙に色が入った不透過なメガネのレンズに反射されてしまった。
「何のことでしょう?」
「今、声が……」
「声? 僕には何も聞こえませんでしたが……」
不思議そうな顔をして、大和は首を振った。が、ハッとしたように大和は軽く口元を押さえた。
「越前君。君が今聞いたというその声、前にも聞こえたことがありますね?」
「あるっすけど、何で……?」
「今君は、とっさに杖を構えました。つまり、君は前にもその声を聞いた事があって、その声の持ち主が危険な存在である、と認識していると考えられます」
「………」
さすがはあの乾が尊敬しているだけのことはある、とリョーマは大和の洞察力に舌を巻いた。
「前に聞いた時、その後に何が起きたんですか?」
「――誰かが石にされてたっす」
大和に尋ねられて、リョーマは一瞬答えることをためらった。が、大和の口調は穏やかながらも、話さずにはいられない威圧感があった。
「君以外にその声を聞いた人はいないんですね?」
「と思うっす」
確認するような大和の言葉に、リョーマは頷いた。
「越前君にしか聞こえない声……誰かが石にされた……。なるほど、もしかしたら、これは……ひょっとして……」
大和はモゴモゴと呟くと、急に駆け出した。
「あ、ちょっと……!?」
「思い当たることがあるので確かめます。試合には間に合うように行きますよ、越前君」
言い置いて、大和は図書室に向かって走って行ってしまった。
(何なんだろう、あの人……)
リョーマはしばらくその場に呆然と立ち尽くした。が、やがて気を取り直して箒置き場へ向かい、競技場の控え室に向かった。
試合前の控え室では、試合用のローブに着替えたレギュラーたちが集まると、いつものミーティングが行われる。競技場の図が描かれたボードを使って、乾がフォーメーションや作戦の最終確認を行った後、手塚が場を仕切るのが決まりだった。
「いつもの実力を出せば、レイブンクローはそれほど苦労する相手じゃないはずだ。今日も油断せずに行こう」
手塚がお決まりの一言を言って、さあ競技場へ出て行くぞ。とグリフィンドールチームの面々が気合を入れた瞬間。その気合は一人の先生によって破られた。
「皆さん、今すぐ寮にお戻りなさい」
競技場へ出て行こうとしたリョーマたちを遮ったのは、グリフィンドールの寮監であるマクゴガナル先生だった。
「どういうことでしょう? 俺達はこれから試合があるのですが」
「試合は中止です。とにかく、寮に戻るのです」
「先生……」
手塚が抗議をしたが、聞き入れられることはなかった。
「手塚君、大石君。ああ、乾君も一緒にいるのですね」
「はい。今日は観客席でデータを取る予定でしたので」
「残念ですがそれも中止です。3人は私と一緒にいらっしゃい」
「わかりました」
マクゴガナルに指示されて、手塚と大石と乾、3人の監督生は控え室を出て行く彼女の後に従った。
「他の選手たちは寮へ戻りなさい。いいですね?」
有無を言わせないマクゴガナルの口調に、反論する者はいなかった。
リョーマも、桃城と顔を見合わせて、手塚と大石が抜けたために最上級生として全員を先導することになった河村に従った。
リョーマたちがグリフィンドール寮に戻ってからしばらくすると、手塚と大石と乾の3人が青ざめた顔で戻ってきた。3人と一緒に、沈痛な面持ちのマクゴガナル先生も談話室に入ってきた。
彼女は丸めた羊皮紙を広げると、厳格な声で読み上げた。
「今日から新しいルールを加えます。全校生徒は夕方6時までに、各寮の談話室に戻るように。それ以後は決して寮を出てはなりません。授業に行く時は、必ず先生が一人引率します。トイレに行く時は、必ず先生に付き添ってもらうこと。クィディッチの練習も試合も、全て延期です」
「ええーーっ!? そりゃないにゃー」
思わず菊丸が声を上げて、マクゴガナル先生にジロリと睨まれた。声には出さなかったが、リョーマも菊丸と同じ気持ちだった。
「夕方は一切、クラブ活動をしてはなりません。このグリフィンドールからも犠牲者が出てしまった以上、やむを得ない措置なのです」
マクゴガナルの口から、リョーマは何故クィディッチの試合が直前になって急に中止されたのかを聞かされた。ハロウィーンの夜にフィルチの飼い猫ミセス・ノリスが石にされて以来、レイブンクローの野村拓也、ハッフルパフの壇太一に続いて、3人目の犠牲者が出たのだ。
石にされたのは、よりによってグリフィンドールの最上級生にして監督生である、大和祐大。
手塚をはじめとする監督生たちからも尊敬されていて、時に乾以上の知識を蓄えた彼がマグル出身だということを、リョーマはその話を聞いて初めて知った。
「これまでの事件の犯人が捕まらない限り、学校が閉鎖される可能性もあります」
マクゴガナル先生はそう話すと、肖像画の裏にある穴から出て行った。
「まさか、大和部長が……」
監督生をも束ねる立場にあった大和が襲われた、という事実はグリフィンドール寮生全員を落胆させていた。あまり動じることのないリョーマでさえ、話をして別れた後、それほど時間が経っていないうちに大和が襲われてしまった、という事実がかなり堪えていた。
クィディッチチームのレギュラーたちは、誰からともなく、談話室の一角に集まっていた。
「……できれば、夢であってほしいよ」
言いながら、大石は軽く額を押さえた。二つに分かれた前髪の片方が、その指にかかって揺れた。
「大和部長の側に、これが落ちていたそうだ」
乾が差し出したのは、掌に収まるほどの小さな手鏡だった。
「どうしてこんな物を持っていたのか、先生たちにもわからなかったらしい」
リョーマたちに話して聞かせる乾の声も、いつになく弱いものだった。
「図書室で何か調べていて…出る時に、隣にいたハッフルパフの女子に借りたらしいんだけどね。……俺も見当がつかないよ」
乾はそう言いながら、眼鏡をずり上げる仕草をした。が、いつもは得意げな様子のその仕草も、今日ばかりはどこか寂しげに見えた。
重苦しい雰囲気に押しつぶされそうになりながら、リョーマは思い出したことを口にした。
「でも、マンドレイクが成長して薬を作れば、元に戻るんっすよね?」
「越前の言うとおりなんだけどな。でも、成長するにはまだあと何ヶ月もかかる」
薬草学にも詳しい乾はリョーマに同意して、けれど彼らしくもなく否定的なことを続けた。深いため息を打ち消すように、不二が口を開いた。
「僕達だけで、何とかするしかないんだね」
「よーっし! じゃぁ、俺たちで犯人探しをするにゃっ!」
「だが、規則は規則として守らなければならない。それだけは、肝に銘じておけ」
精一杯明るく振舞う菊丸に、手塚は釘を刺すような言葉を口にした。
「手塚」
そんな手塚を、不二が厳しい声で呼んだ。不二はまぶたを開いて、手塚を見据えていた。
「君は犯人を見つけて、捕まえたいとは思わないの?」
「俺は……」
手塚の本音を探り出そうとする不二の問いかけに、手塚は少し考える様子を見せた。そして考えた末に、手塚はきっぱりと言い放った。
「これ以上の犠牲者を出さないためにも、犯人を捕まえたいと思っている」
「だったら……!」
「だが、さっきマクゴガナル先生も仰っていただろう。今、ホグワーツは決して安全ではない。特に不二、それから桃城。お前たちにとってはな」
「……」
手塚の言葉に、不二は絶句した。
残酷なまでに真実を言い当てて、正論として現実を思い知らせる手塚に、不二もその場にいる誰も、反論できなかった。
「まぁ、手塚の言うことももっともなんだけど。でも、夕方6時までなら自由に動けるってことだろ? 単独行動はできないけどね」
手塚の厳しい言葉をフォローするように、乾が柔らかい口調で続けた。
「当面は、ルールの範囲内で、自分にできる限りのことをする、ということになるだろうな」
言いながら、乾はふっと苦笑した。
乾の声を聞きながら、リョーマは考えていた。
リョーマはトム・リドルの日記で50年前のホグワーツで起きたことを見た。リドルは、秘密の部屋を開けた犯人はハグリッドで、部屋にいる怪物はハグリッドが飼っていた大きな蜘蛛なのだ、と。そうリョーマに伝えてきた。
ならば……。
(ハグリッドに会って、確かめないとね)
前に入ったことがあるなら、どうやって中に入るかも知っているはずだ。
普通の方法ならば、授業の時以外は塔から出られない。だけど。
(俺には、あれがある)
みぞの鏡のことがあってから、しばらくベッドの下に押し込んで取り出すこともなかったけれど。
もう一度、あの透明マントを使って塔を抜け出して、ハグリッドに会いに行こう。
リョーマはそう決めていた。
(とりあえず、善は急げって言うしね。あれ、草は見つけた時に引け、だったっけ?)
とにかく、抜け出すなら今夜のうちに。
寮を抜け出すために、片付けなければいけないことを急いで考えて。クィディッチチームのレギュラーたちが解散するや否や、リョーマは急いで自分の部屋に駆け上がった。
さっそく明日提出しなければならない宿題を取り出して、大慌てで解き始めたのだが……。
(これ、全然わかんない……)
背中を冷たい汗が伝う。
(談話室に、まだ先輩たちいるかな?)
夜までに片付けるためには、質問するしかない。
そう決めて、リョーマは部屋を出て談話室へと下る階段を駆け下りた。
「――っと!」
その途中の踊り場で、リョーマは下から上がってきた誰かとぶつかった。リョーマよりずっと長身の彼は、いつもの無表情を少し崩して、驚いたような様子でリョーマを見下ろしていた。
「すみませんっした、部長」
「いや………」
素直に謝ると、手塚は短く応えてそのまま絶句した。眉間にしわを寄せて、眼鏡に触れて、手塚は何か考えるように腕を組んで口元を軽く押さえていた。
「部長?」
「越前、お前は………。いや、何でもない」
呼びかけたリョーマに何か言いかけて、手塚は口をつぐんでしまった。
「大石なら、まだ談話室に残っていたぞ」
「そうっすか」
そしてそう言い置いて、手塚は階段を上がって行った。リョーマは生返事をして、そのまま手塚を見送った。
(あれ……部長、何で俺が先輩たちに用があるってわかったんだろう?)
そのまま階段を下りかけて、リョーマははたと気がつく。が、すぐに自分が教科書やノートを抱えているからだ、と思い直した。
談話室にいた大石や不二に助けてもらって、リョーマは何とか宿題をクリアした。
いつもと変わらない様子で振る舞い、いつもと同じ時間にベッドに入ったリョーマは、同室の3人が寝息をたて始めたのを見計らって、ベッドから抜け出した。疲れたとか何とかと適当にごかましているから、同室の3人が服のままリョーマがベッドに入ることには疑いを持たなかった。
できるだけ物音を立てないようにと気を配りながら、リョーマは透明マントを羽織って、そおっとドアを開け、廊下に出た。足音を立てないように気をつけて、階段を下りて、肖像画の裏まで来た時。
リョーマはそこに先客がいることに気がついた。
「海堂先輩?」
トレードマークのバンダナこそ巻いていなかったが、逆三角形の三白眼と、真っ直ぐなサラサラの髪は見間違えようがない。
後ろから呼びかけられて、ついでに肩もつつかれた海堂は、暗がりの中であからさまに驚いた。
「なっ、何だっ!?」
弾かれたように飛び上がって声を上げて、海堂はリョーマがいる場所とは全く違う方向を見ていた。
(あ、そっか。これ着てたら見えないんだっけ?)
リョーマはパサッと透明マントを脱いだ。
「何してるんすか、先輩?」
「てめぇこそ、いつの間に俺の後ろに来やがった!?」
「しぃっ! 大声上げたら、先輩たちに気づかれるっすよ」
すっかり脅えている様子の海堂を、リョーマは小声で諭すように話した。
「それより、何してるんすか、先輩?」
言いながら、リョーマは肖像画の額の隙間からそっと廊下の様子をうかがった。先生たちでは人手が足りないということなのか、ゴーストたちが何人も見回りに歩いていた。
「てめぇこそ、何してやがる?」
「外に出るんすよ。そういう先輩こそ、何してるんすか?」
リョーマの質問には答えずに問い返してきた海堂に、リョーマは再び問い直した。
「……外に用があるんだよ」
「へぇ、俺と同じっすね? で、どこに行くんすか?」
「ハ…ハグリッドの所だ」
リョーマから目を逸らしてそう言った海堂の答えを聞いて、リョーマは思わず口笛を吹きそうになった。
「奇遇っすね。俺もハグリッドに話があるんすよ」
「何?」
海堂がギロリとリョーマを睨んできた。
「俺、こういうの持ってるんすけど。一緒に行きます?」
海堂の睨みを軽くかわして、リョーマは手にしていた透明マントを体に巻きつけて見せた。海堂の目には、暗がりにリョーマの顔だけが浮かび上がっているように見えているはずだった。
案の定、海堂が驚いたように息をのむ。
「この様子じゃ、廊下に出たとたんにゴーストに見つかるっすよ?」
表情から感情を掴むことが難しい先輩たちを何人も相手にしているからか、海堂の表情はストレートでわかりやすかった。リョーマの誘いに乗りたいが、どうしようかと迷っているのがリョーマには手に取るようにわかった。
「俺、あんま時間ないんで。じゃ」
カマをかけるつもりでリョーマはそう言って、透明マントを頭からかぶって海堂の前から姿を消した。そのまま横を通り過ぎようとした時だった。
「待て」
海堂は透明マントごしにリョーマを捕まえた。
「俺も入れろ。外に出る」
「了解」
リョーマは思いがけない同行者の出現に、ニヤリと笑って透明マントを一度脱いだ。
「俺からあんまり離れちゃダメっすよ」
「わかった」
海堂とリョーマ、二人の体が全て隠れてしまうように、とリョーマは海堂と自分に透明マントをかぶせた。
はぁ、はぁ。
やっと書き上がりました第30章。
今回は非常に難産でした(苦笑)。大和部長を出しておいて良かった、と心底思いました(笑)。
この章は彼に助けられたなぁ。
ちなみに、彼が登場していなかった場合、犠牲者は不二になる予定でした。弟の裕太をかばって…という。
しかし、不二はこの先の章でどうしても必要になるので、ここで消すわけにはいかなかったんですね。
それにしても、今回は本当に「これを書いて、これを書いて、ここまでは辿り着かなきゃ」という段取りどおりに話を進めるのが大変でした。
ハリポタdeテニプリを書き始めて、初めてじゃないでしょうか、ここまでの難産を経験したのは(笑)。
次章からは、海堂が大活躍してくれます。
この先の章を書くの、前から楽しみだったんですよね〜♪
…が、大変申し訳ないのですが、来週は私事のために1週お休みさせて下さい。
週末は母と京都へ1泊2日旅行で、5日からは専門学校の入学式兼オリエンテーション合宿に入るので、執筆している時間がないのです(涙)。
申し訳ないですが、次は4月13日までお待ち下さいませ。
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