Chapter:28 トム・リドルの日記
5年生達の補習授業がひと段落ついた日曜日。
いつものように乾がブレンドした紅茶を飲みながら談話室でゆったりと過ごしていると、マグカップと黒革表紙のノートを手にした乾がリョーマに寄ってきた。
「越前、ちょっといいかな?」
「何すか?」
桃城が貸してくれた漫画から顔を上げると、乾は斜め向かいにあるソファに腰をかけた。
「クリスマスの夜に、スリザリンに忍び込んだだろ? その時に跡部から聞き出した情報を分析してみたんだが…面白い事実が出てきたんでね」
乾は補習授業やクィディッチ練習メニューを組む合い間を縫って、リョーマたちが仕入れてきた情報の分析をしてくれていたのだ。
「その話、僕たちも聞かせてもらっていいかな?」
「おチビだけなんて、ズルイにゃ」
「ああ、いいよ。あまり大声では話せないから、なるべく俺の近くに寄ってくれ」
すかさず首を突っ込んでくる不二と菊丸が、乾に言われたとおり、乾の正面の床にペタリと座り込んだ。談話室では暖炉の火が燃えていて、床に敷かれたじゅうたんの上に座っても、寒さは感じなかった。
「俺も混ぜてもらっていいっすか、乾先輩?」
不二や菊丸の動きにつられるようにやって来たのは、リョーマと共に実行犯となった桃城だった。
「ああ、お前にも聞く権利があるからね。それから、大石」
「なんだい、乾?」
「お前も手塚の代わりに聞いてくれないかな?」
「いいよ。何の話だい?」
同じ監督生として、大石も話の輪に加わった。
「あれ、手塚はどうしたの?」
「ダンブルドア校長に呼ばれてね、校長の私室に行ってるよ」
「ふーん。で、にゃーんの話かにゃ?」
不二の質問に答える乾に、菊丸が話を促す。
「クリスマスの夜に桃と越前が跡部から聞き出した所によると、50年前に一度秘密の部屋が開かれているらしくてね。その時に、マグルが一人死んだそうだ。そうだな、桃、越前?」
「っす」
確認するように尋ねてくる乾に、桃城とリョーマは頷いた。
「二人の話を聞いてから、ちょっと気になることがあったんでね。ホグワーツに残っているいろいろな記録を調べてみると、面白い事がわかったよ」
「何?」
「ホグワーツの記録を調べてみたら、ちょうど50年前に一人の男子生徒が学校内で死んだという記述が出てきてね」
「うんうん」
乾の話に、集まった面々は深々と頷く。
「50年前に死んだのは、レイブンクローの生徒だったんだ。当時2年生で、名前は天根ヒカル」
「天根ヒカルぅ?」
「誰だい、それは?」
「なーんか聞いたことあるような気がするんすけどねー」
菊丸と大石と桃城が口々に言い合う。リョーマも、どこかで耳にしたような気がするな、とぼんやりと思っていた。
「生きていた頃は、その容貌から"ダビデ"と呼ばれていたらしい」
「ダビデ……て、もしかして……」
「あのダビデっすか?」
ホグワーツに通っていて、その名を知らない者はいない。
通称"嘆きのダビデ"。
ホグワーツに数多くいるゴーストの中でも最も有名なゴーストの一人で、悪名高いゴーストでもある。大広間の近くにある男子トイレで常にダジャレを考え、訪れる生徒を捕まえてはそのダジャレを披露し、あまりの下らなさにうんざりする、というゴーストだった。
「生きていた頃の彼は、2年生ながらレイブンクローのクィディッチチームにレギュラーとして入り、ビーターとしてチームの原動力になっていたらしい。そんな彼は、別に持病を持っているわけでもなく、怪我をしたわけでもないのに、ある日の夜、突然死亡した」
「死因は…わからないのか?」
「ああ。発見された時には、何か恐ろしいものでも見たかのように目を見開いたままで、恐怖に歪んだ顔で倒れていたらしい。第一発見者は、彼と同じクィディッチチームに所属していた3年生の黒羽春風と、樹希彦の二人だ」
乾はそこまで話すと、一度黒革表紙のノートを開き、中に書いてあることを確認した。
「倒れていた天根の側に、凶器らしき物は何も落ちていなかったらしい。ついでに言えば、一滴の血も流れていない状態だったようだね」
乾の言葉に、リョーマも桃城たちも、一様に沈黙していた。
「天根の死が、秘密の部屋に関係しているのだとしたら……その死因がわかれば、秘密の部屋に関する事もわかるかもしれない」
「例えば、誰がどうやって開いたか、とか?」
「ああ」
不二の問いかけに、乾は小さく頷いた。
「乾、そのことは手塚や大和部長には……?」
青ざめた様子で問う大石に、乾は静かに答えた。
「一応、皆に話す前に報告させてもらった。大和部長も、関連があるかどうか調べてみてくれるらしい」
「そっか………」
いつも元気のいい菊丸や桃城も、乾から聞かされた内容にショックを受けたのか、黙り込んでしまっていた。
その気持ちが、リョーマにはわかるような気がしていた。
リョーマも何度か会ったことがある。ハロウィーンの夜にトロールを倒した時や、クリスマスの夜にスリザリンに忍び込む準備をする時に、そのトイレに行ってダビデのダジャレを耳にした。
彼はトロールを見ても、ポリジュース薬に誤って猫の毛を入れてしまって猫に変身した菊丸を見ても、動じることなくダジャレを飛ばしていた。
その彼が、そんな死に方をしていたとは想像だにしなかったのだ。
重い沈黙を背負ったまま、リョーマたちは日曜の夜を迎えることになった。
夕食を終えて大広間を出たリョーマと桃城は、ピチャ、という聞き慣れない音に足を止めた。
「何、これ……?」
「ひでぇなぁ。水浸しじゃねぇか」
大広間からトイレへとつながる廊下が、水浸しになっていたのである。しかも、その水は現在進行形でどこからか溢れ続けているらしく、濡らす範囲を広げていた。
「まーたアイツかよ」
「アイツ?」
「ダビデだよ、ダビデ。この水、アイツのトイレからだぜ」
水の出所は、昼間話題に上った嘆きのダビデが居座っているトイレから溢れ出しているようだった。
「何かあったんすかね」
普段ならば容赦なく無視するところなのだが、昼間にあんな話を聞いてしまったせいか、リョーマは気にかかって様子を見に行ってみることにした。
「見に行ってみません、桃先輩?」
「そうだな」
リョーマの言葉に桃城も同意した。
二人は、ズボンの裾が濡れないようにと少し持ち上げて、ピチャピチャと音をさせながらトイレの方へ歩いて行った。
トイレの中に入ってみると、案の定、嘆きのダビデが居座っている個室のドアの下から水が漏れ出していた。次から次へと溢れてくる水音に混じって、ブツブツとダビデが呟く声がトイレの壁にこだましているのが聞こえてきた。
「日曜日に物を投げ込むなんて、許サンデー」
リョーマはズボンとローブの裾をたくし上げ、トイレの「故障中」の掲示を無視してドアを開け、中へ入っていった。
ダビデはいじけたようにブツブツと小声で呟きながら、いつもの便器の中に隠れているようだった。大量の水が溢れて床や壁がびっしょりと濡れたせいで、蝋燭が消え、トイレの中は暗かった。
「どうかしたの、ダビデ?」
「ダジャレを言うのは、誰じゃ?」
「……俺、ダジャレなんて言ってないけど」
相変わらずダジャレを返してくるダビデに、話しかけるんじゃなかった、と少し後悔しながらも続けた。
「俺がダジャレを考えるのを邪魔しに来たのか?」
「何で邪魔するって思うわけ?」
「俺が言うダジャレに突っ込みを入れたくて仕方ないヤツがいるんじゃないのか?」
あまりの下らなさに、突っ込みを入れる元気もなくなると思うんだけど。
リョーマはそう思ったのだが、あえて口に出して言わずにいた。
「さっき、俺がダジャレを考えていたら、本を投げ込んできたヤツがいた」
「だけどよぉ、ダビデ。お前ゴーストだろ? お前に何かぶつけても、体を通り抜けていくだけなんじゃねぇの?」
桃城の言葉は、理屈に合っていた。
「日曜日だから、許サンデー!」
バシャッと大量の水をこぼしながら、ダビデは便器から姿を現した。水浸しの床が、さらに水をかぶった。
「で、誰が本を投げ込んだワケ?」
「知らないな。俺がU字溝の所に座って、バネさんも大笑いするくらいのダジャレを考えていたら、頭のてっぺんを通って落ちてきた」
ダビデは整いすぎるほど整った顔を上げて、リョーマを睨んできた。
「そこにある本だ。吐き出してやった」
ダビデが指差した先には、小さな薄い本が落ちていた。ボロボロの黒い表紙が、トイレの中のほかの物と同様にビショ濡れだった。
リョーマは本を拾おうと一歩踏み出したが、桃城が慌てて手を伸ばし、リョーマを止めた。
「おい、やめとけよ、越前」
「何すか?」
「危険かもしれねぇぜ、それ」
「危険って、何がっすか?」
「そういうのは見かけによらねぇんだよ。お前、乾先輩のノートの事、忘れたのかよ」
「……覚えてるっす」
桃城の言葉は、妙に説得力があった。
3年生以上の上級生たちがホグズミードに出かけた日曜日、リョーマたちは乾が置き忘れていったノートに落書をして、特製野菜汁を頭からかぶる、という地獄のような目に遭ってしまったのだ。忘れようとしても忘れられない事件だった。
「でも、見てみないとわからないっすよね」
床に落ちている小さな本は、水浸しで何やら得体が知れなかった。
リョーマは桃城の制止をかわして、本を拾い上げた。
それは日記だった。リョーマには一目でわかった。表紙の文字は消えかけているが、50年前の物だとわかる。リョーマはすぐに開けてみた。最初のページに名前がやっと読み取れる。
――T.M.リドル――
インクが滲んでいる。
「あれ、その名前……?」
用心深く近づいてきた桃城が、リョーマの肩越しに覗き込んだ。
「その名前、見たことあるぜ。T.M.リドルだろ?」
桃城の話では、1年の時に悪戯をして見つかってしまい、罰としてトロフィー部屋でホグワーツ特別功労賞をもらった生徒の盾を磨かされたことがあり、その中にその名前があった、ということだった。
「特別功労賞、ねぇ」
「優秀だったみたいだぜ、そいつ」
桃城に言われて、ふとリョーマは気づいた。
この日記は50年前の物で、ダビデが死んだのも50年前。
ということは、この日記の持ち主とダビデには面識があるかもしれない。
「ねぇ、アンタ、天根っていったっけ?」
リョーマはダビデに尋ねていた。
「惚れ惚れするボレー」
「アンタ、この人知ってんの?」
「ダジャレを言ったのは、誰じゃ?」
「だから、言ってないって。この人、T.M.リドルって人、知ってる?」
「リドルがドリルを解く……ぷっ」
ダビデが相手では、まともに話を聞けそうにないな、とリョーマは思い直した。
「もういいよ、サンキュ」
日記を手にしたまま、リョーマは桃城と共にトイレを出ようとした。
「リドルなら、知ってる」
「へ?」
トイレから出ようとした直前、ダビデがぽつりと言った。
「スリザリンにいた監督生で、優等生だった」
夜更け。
グリフィンドール生が寝静まった頃を見計らって、リョーマはこっそりベッドを抜け出して、蝋燭の明かりが残っている談話室へ降りた。
燃え残った暖炉の火が、まだ暖かい。リョーマは暖炉の近くに置かれたテーブルに、拾ってきた日記を置いて広げてみた。
日記らしいことは表紙からわかったけれど、その中は白紙だった。
(これって…乾先輩のノートみたいだな)
現れゴムで擦ってみても、魔法をかけてみても。ノートは白紙のままで、文字は一つも出てこない。
乾がいつも持ち歩いているノートは、乾以外の人間が何かを書こうとするインクを察知すると、その場に足止めをして新作野菜汁を乾の部屋から呼び寄せる、という魔法がかかっていた。
が、これは……。
(どうなんだろう?)
リョーマは念のために、と持ってきた羽ペンをインク壷につけてみた。試しに何か書いてみよう、と思って壷からペンを引き上げたリョーマは、そのままポタリとインクを一滴、ノートの上に落とした。
「ヤバっ………え――……?」
リョーマが落としたインクは、ノートに吸い込まれるように消えていった。
(まさか、何か魔法が発動するとか……ないよね?)
乾のノートのこともある。
リョーマは思わず身構えてしまった。
のだが。
(何も、起きない……?)
何分経っても、ノートから魔法が発動されることも、インクが浮き上がってくることもなかった。
どうやら、乾の時の二の舞にはならずに済むらしい。
そう判断して、リョーマは何か書いてみようと思い立った。
『これ、本当に日記なわけ?』
すると、リョーマが書いた文字は一瞬紙の上で輝いたかと思うと、すうっとノートに吸い込まれるように消えていった。そしてついに、思いがけないことが起こった。
そのページから、今使ったインクが滲み出してきて、リョーマが書いてもいない文字が現れたのだ。
『日記ですよ。これは紛れもなく、僕の、トム・リドルの日記です。僕に話しかけてきてくれた君の名前を聞いてもいいですか?』
一度現れてきた文字は次第に薄くなっていった。が、その文字が全て消えてしまわないうちに、リョーマは返事を走り書きした。
『俺は越前リョーマ』
『こんにちは、越前リョーマ。君はこの日記をどんな風にして見つけたのですか?』
『誰かがトイレに流そうとしてて、拾った』
驚きながらも気持ちが逸っていた。日記と筆談するなど、初めてのことだ。
『僕の記憶を、インクよりずっと長持ちする方法で記録しておいたのは幸いでした』
「記憶……?」
リドルの返事を読んで、リョーマはふいに気がついた。この日記が、50年前にホグワーツに通っていたリドルの記憶を記録したものならば。リドルは"秘密の部屋"が開かれたことを知っているかもしれない。
『ねぇ、ちょっと聞くんだけど。アンタ、秘密の部屋のこと、何か知ってんの?』
リョーマが書いた文字は一瞬輝いて、紙に吸い込まれていった。そして少し時間を置いて、返事が滲み出してきた。
『知っています』
「やっぱ、知ってんだ……。そのこと、詳しく教えてくれない?」
リョーマは呟きながら日記に書き付けた。が、リドルの返事はリョーマが期待したものとは大きく違っていた。
『残念ながら、この日記で説明するのはとても難しくて、できそうにありません』
(なんだ、ダメなんじゃん?)
リドルの返事が薄くなっていく。リョーマが落胆しかけると、リドルはさらに返事を続けた。
『ですが、お見せすることはできますよ』
「へ?」
こんな日記で、どうやって?
そう思う間もなかった。突然、日記のページが強風に煽られたようにパラパラとめくられ、6月の中ほどのページで止まった。6月13日と書かれた見開きのページが輝きだす。
(何…これ……!?)
リョーマが混乱している間に、輝きは強さを増していく。その光がリョーマを包み込んだかと思うと、リョーマは何がなんだかわからないうちに、体がぐーっと前のめりになり、体が座っている椅子を離れ、日記の中に真っ逆さまに投げ入れられる感じがした。
色と、陰の渦巻く中へ――。
というわけで、なんとか完成致しました、28章でございます。
といいますか、やっとお話がここまで来たか、といった感じです。
そして今回も、ダビデのダジャレには苦労致しました(苦笑)。
っていうか、次章でもダビデに言わせるダジャレ、考えないといけないんだよなぁ(苦笑)。
どうしよう……。
さて、次章ではついにリョーマが50年前の事実を目にすることになります。
果たして50年前、ホグワーツで何が起きたのか。
お楽しみに(^^)。
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