Chapter:18 ポリジュース薬 後編
その日の夕食はクリスマスの特別メニューだった。普段の夕食もかなり豪華なのだが、それとは比べ物にならないほど豪華な物だった。
相次ぐ事件のせいもあって大半の生徒が帰宅していて、残っている生徒はごく一部だというのに、長机には素晴らしい料理が並んでいた。
丸々太った七面鳥のロースト、山盛りのローストポテト、大皿に盛った太いチポータ・ソーセージ、深皿いっぱいのバター煮の豆、銀の器に入ったコッテリとした肉汁とクランベリーソース。
他にも書ききれないほどの料理が並んでいたが、スリザリンの長机では、跡部が
「あーん? なんで俺様の好物、ローストビーフ・ヨークシャープディング添えが出ねぇんだ?」
と文句を言っていた。
テーブルのあちこちに魔法のクラッカーが山のように置いてあって、リョーマは試しにその紐を引っ張った。すると、パーンと破裂するどころではない。大砲のような音をたてて爆発し、青い煙がモクモクと周り中に立ち込め、中から海軍少将の帽子と生きたハツカネズミが数匹飛び出した。
(……さすが魔法界だね)
面白いことは大好きなリョーマは、そのクラッカーが気に入った。そして桃城や菊丸と、いくつもいくつもそれを破裂させていると……。
「お前たち、いい加減にしろ。明日、グラウンドを50周したいか?」
と手塚から叱られてしまった。
デザートで出てきたケーキやプディングまで全て平らげると宴は終わりだが、リョーマたちは浮かれている場合ではなかった。宴が終わってからが、本番なのだ。それも、失敗が許されない、重要な。
「いいか、越前。ちゃんと乾先輩と打ち合わせたとおりにしろよ」
「わかってるっすよ」
リョーマと桃城と菊丸は寮へ戻るふりをして、リョーマの透明マントに隠れて途中で抜け出し、大きな石像の陰に潜んでいた。そして、リョーマは手早くハッフルパフの紋章がついた、女子の制服に着替え、頭には長髪のカツラをつけた。
手には、乾特製眠り薬が調合されたカップケーキを持っている。
(あれだけ食べたってのに、まだこんなモノ食う気になるのかな?)
リョーマは疑問に思っていたが、乾は
(食欲をそそる香りをつけてあるから、心配ない)
と自信満々だった。
(ま、なるようになるか)
リョーマは思い直して、スリザリンの寮へ向かって歩いていく忍足と向日、そして眠そうな目をして二人の後をついていく慈郎の姿を確認した。
「あ、あの……」
乾と練習したとおり、精一杯の裏声を出して、リョーマは忍足を呼び止めた。
「お、忍足さん……」
「ん? なんや、俺に何か用か?」
女子に話しかけられた、と思った忍足が振り返る。同時に、何事かと思った向日と慈郎も足を止めた。
「あの、わ、私………ずっと忍足さんのファンだったんです!」
リョーマはほとんど勢いで話していた。
「俺の? ……ありがとうな」
忍足は一瞬驚いた顔をしたが、少し照れ笑いをして、まんざらでもない様子で低く囁くように言った。
「その制服……ハッフルパフかよ」
「せやな。なんや、あそこにもこんなべっぴんさんがおったんか」
向日の言葉に頷いて、忍足が呟く。ファンだと言われて、上機嫌になっているようだった。乾に言われたとおりだ、とリョーマは思っていた。
「それで、その………」
リョーマは少し遠慮がちに、カップケーキを取り出した。できるだけおずおずと、押し付けがましく見えないようにしろ、と指示されたとおりに忍足に差し出す。
「これ……忍足さんに、と思って作ったんです。よかったら、食べてくれませんか?」
「俺に?」
「はい。……あ、ちょうど3つあるので、向日さんと芥川さんも……」
リョーマは3人にカップケーキを手渡した。できるだけ表情を出さないように、細心の注意を払いつつ、心の中では早く食え!と思っていた。
「ああ、おおきに。……なんや、美味そうやん?」
「そうだな」
「………zz」
すると、3人は何かに操られたかのようにケーキを口に運び、一口かじって、そして。
乾が言ったとおり、食べてから間もなく、ばったりと床に倒れて寝息をたてていた。
「……やるじゃん、乾先輩」
「すっげぇ……マジで成功したよ」
「さっすが乾ぃ」
3人が寝込んだのを見て、桃城と菊丸も物陰から出てきた。
「とりあえず、髪の毛引っこ抜いて、と」
桃城は忍足の、リョーマは慈郎の頭から髪の毛を3本ほど失敬した。
「あれ? にゃーんだ、ここに髪の毛ついてら」
菊丸だけは、手抜きをして向日の制服についていた毛を取った。
「で、この人たち隠さないといけないんすよね」
リョーマはバサバサと顔にかかるカツラを取って、寝転がった忍足の上に投げた。
「それもそうだな」
リョーマは慈郎の、桃城は忍足の、菊丸は向日の体をずるずると引きずって、近くの物置に運んだ。そして、再び透明マントに隠れて、乾と嘆きのダビデが待つトイレへと戻っていった。
「おかえり。髪の毛は手に入れてきたかい?」
「バッチリっすよ」
乾に尋ねられて、桃城が得意げに忍足の長い髪の毛を差し出してみせた。
「では、スリザリン潜入計画を実行する」
乾の眼鏡が、ダビデのトイレを照らす数少ないろうそくの光を反射して、不気味に光った。
リョーマと桃城は、自分より身長が高い人間に変身するために、ポリジュース薬を飲む前にスリザリンの制服に着替えた。菊丸だけは、自分より変身する向日の方が小さいため、薬を飲んで変身してから着替えることになっていた。
着替え終わると、リョーマは厨房から失敬してきたのだ、というグラスに鍋の液体が注がれたものを受け取った。鼻を突く異臭に、思わずうっと顔をしかめてしまう。色も、言いようがないほどグロテスクな色だった。これを飲むのかと思うと、まだ乾がいつも作っている特製野菜汁の方がマシだ、と思った。
「うえっ! すんげぇ臭い」
「うう〜、にゃんだかマズそうだにゃぁ」
グラスを受け取った桃城と菊丸も、同じような反応を見せた。
「その中に、自分たちが取ってきた髪の毛を入れるんだ」
乾の指示通り、リョーマたちは失敬した髪の毛をグラスに入れた。これを飲むのかと思うとさすがに吐き気がしそうだったが、計画を実行するためには飲むしかない。
リョーマと桃城と菊丸はそれぞれに顔を見合わせて、頷き合い、鼻をつまんでグラスの液体を一気に喉に流し込んだ。
「★●×○△☆―――っ!!!???」
鍋から注がれたばかりで少し熱かった、というのもあるのだが、あまりのマズさにリョーマは気を失いそうになった。けれど、必死の思いでそれを飲み下す。と同時に、せっかく美味しく食べたクリスマスディナーが胃の底からせり上がってくるような気持ち悪さを感じていた。
ガシャン! バタン、バタン!
ガラスが割れる音がして、あまり間を置かずに小部屋の扉が音を立てて二つ閉まる。桃城と菊丸が、耐え切れずにコップを落として小部屋へ駆け込んだのだ、とリョーマは頭の片隅で思っていた。
体の中が、生きたヘビを飲み込んだように捩れた、と思った。焼けるような感触が胃袋からサーッと広がり、手足の指先まで届いた。次に、息が詰まりそうになって、全身が解けるような気持ちの悪さに襲われ、リョーマは思わず手洗い台の一つにすがりついた。
体中の皮膚が、蝋が熱で溶けるように泡立ち、リョーマの目の前で手と指が一回りほど大きくなり、爪は横に広がった。太さはリョーマとそれほど変わらないが、目線が明らかにいつもと違って高くなっていた。視界に前髪が入らなくなって、襟足も軽くなったような気がして触ってみると、まっすぐなはずの毛先がくるんとカールして、外側に跳ねていた。
始まるのも突然だったが、終わるのも突然だった。鏡を見ると、そこにいたのはリョーマではなくて、芥川慈郎だった。
(へぇ……こうなるんだ)
感心していると、乾がうっとりと陶酔したように呟いた。
「やはり……俺の魔法薬は完璧だ……」
菊丸と桃城が飛び込んだ小部屋からも、ガタガタと物音が止んでいた。二人とも、リョーマと同じように変身を終えたらしい。
「越前……?」
「桃、先輩……?」
小部屋からは、眼鏡を取った忍足侑士が出てきた。短い角刈りだった髪は長髪になり、太い眉は細くなり、目も切れ長になっている。どこからどう見ても、忍足だった。
「あれ、菊丸先輩は?」
けれど、菊丸だけは物音が止んでも小部屋から出てこようとしなかった。
「英二先輩? どうしたんすか? 大丈夫っすか?」
桃城が小部屋のドアを叩いて菊丸を呼んだが、返事はない。
「まさか、変身に失敗したとか?」
「いや、そんなはずはない!」
リョーマの言葉に猛然と反論したのは、薬の製作者である乾だった。
「桃や越前の姿を見てもわかるように、俺の薬は完璧だ。失敗するはずがない」
「じゃぁ、なんで英二先輩……」
桃城が絶句していると、菊丸が入っている小部屋を上から覗き込んだダビデがぷっ、とまるで自分のダジャレに自分で笑う時のように吹き出した。
「魚屋さんが驚いた。……うお?」
その驚きを表現する時までダジャレを言う根性にリョーマは感心しかかったが、乾の声でそんな場合ではないことに気づかされた。
「ダビデ、中の英二はどうなっているんだ?」
「菊丸に利くマーク」
「ダジャレはいい。英二は?」
「い、乾ぃ……」
乾が小部屋の仕切りの上にいるダビデに詰め寄っていると、小部屋の中から菊丸の泣きそうな声がした。
「どうしたんだ、英二?」
「にゃ、にゃんだかおかしいにゃぁ」
「おかしいって、どうしたんだ?」
「これ……向日じゃないにゃぁー」
菊丸の言葉は要領を得なかった。
「向日じゃない? どういうことだ? 英二、お前…ちゃんと向日の髪の毛を取ってきたんだろうな?」
「そのつもりだったんだけど……」
「まさか、違っていたのか?」
「みたいだにゃー」
菊丸の声を聞いて、乾は大きくため息をついた。
「ポリジュース薬の効果はきっちり1時間だ。時間がないな」
菊丸に何か一大事が起きているのはわかるが、それにかまけている時間はないのだ、と乾は言っていた。
「俺が向日の髪の毛を取りに行って変身する、という手段も残されているが、時間が惜しい。桃、越前。ここはお前たち二人で行け」
「え? 俺と越前の二人で行くんすか?」
「仕方がないだろう。英二は行けそうにないからな」
乾の言葉に、リョーマも言葉を失っていた。
「跡部は自分のことを話し始めると、自己陶酔して長くなるクセがある。肝心なことを聞き出す前に時間切れになってしまったら、計画は水の泡だ。だから、お前たち二人だけで行け」
妙に説得力のある乾の言葉に、桃城もリョーマも頷いた。
「それから、桃」
「何すか?」
「お前、眼鏡は取ってこなかったのか?」
「あ………! すみません、忘れてたっす」
乾に指摘されて、桃城は初めて気づいた様子だった。
「度は入っていないが、忍足はいつも眼鏡をかけているからな。持って行け」
「どもっす」
忍足がいつもかけているのと同じ型の、縁なしの眼鏡を乾から受け取って、桃城は顔にかけた。いつもの忍足の顔になっていた。
「それから……」
桃城が眼鏡をかけたのを確認すると、乾は杖を取り出して小さく呪文を唱えた。
「エイビス」
すると、杖先から黄色い羽をして、目を閉じた小鳥が飛び出した。
「この蓮二君2号を連れて行け」
「「蓮二君2号!?」」
あまりにセンスのないネーミングに、桃城とリョーマは忍足と慈郎の声で、声を揃えて聞き返していた。
「スリザリンまでの道筋は、彼が記憶している。ついていくといい」
「……はぁ………」
「っていうかこの鳥、目をつぶってるみたいっすけど、見えてるんすか?」
「心配ない。さあ、時間がないぞ、早く行け。健闘を祈る」
自分がさんざん引き止めておいて、乾はそんなことを言って、忍足になっている桃城と、慈郎になっているリョーマをダビデのトイレから送り出した。
いくつもの廊下と階段があって迷いやすいホグワーツ城内にあって、乾から託された目を閉じた黄色い小鳥、蓮二君2号は桃城とリョーマの前をパタパタと飛んでいく。
「これ、本当に大丈夫なんすかね?」
と思いつつも、リョーマと桃城は小鳥の後をついて行った。
「まぁ、乾先輩が言うだから、間違いねぇだろ。実際、こうやって変身できてるしな」
答える桃城は、声は忍足そのものだったが、口調が全く違っていた。
「っていうか、桃先輩?」
「何だよ、越前」
「忍足って人、しゃべるのに訛りがあったっすよね?」
「ああ、せやったな」
「……桃、先輩?」
リョーマに指摘されて、桃城の口調が突然変わる。どう聞いても、忍足そのものだった。
「こう見えても、あの地方の訛りは得意なんや」
「ふーん、そうなんだ」
姿かたちも口調も忍足になっていて、桃城が桃城ではないようだった。
「そういうお前も、ちゃんと芥川さんの口調、真似るんやで」
「わかってるって、忍足ぃ」
桃城に言われ、リョーマも口調を変えた。
そして二人は、小鳥が飛んでいる先に跡部と樺地の姿を見つけた。一瞬、桃城もリョーマも、全身に緊張が走った。
変身は完璧だ。だが、見破られないという保証はない。
リョーマは気を引き締めて、正面の跡部を見据えた。
目を閉じた小鳥は、くちばしを壁に向けてパタパタと数度羽ばたいて、廊下の背景に溶けるように消えた。
(ここが、スリザリン……)
壁を見ると、そこにはスーツ姿の中年男性が描かれた絵が、豪奢な額に入って飾られていた。リョーマが見た限り、ホグワーツ中で最も豪華な額だった。
スーツ姿の男は足を組み、指を立てて頬杖をついて、じっと正面を見据えていた。そしてリョーマと桃城、跡部と樺地をじろりと見回して、口を開いた。
「合言葉を言え」
低い美声が廊下に響き渡る。答えたのは、跡部だった。
「ダンディで いつもステキな 榊太郎」
(………何すか、これ?)
(せ、川柳!?)
それを聞いて、リョーマと桃城が低く言い合う中、額の中の絵が動いた。頬杖を付いていた手が、前方へと下りてくる。そして、人差し指と中指をピシッと開き、一言宣言した。
「行ってよし!」
声と共に、額が動いて入り口が開く。
リョーマと桃城は、跡部や樺地に続いて中に入って行った。
というわけで、ついに完成したポリジュース薬、そして変身した桃と王子!でございました。
読んでおわかりの通り、結月かなり遊んでおります(笑)。
だってぇ、ただ浮遊術でケーキを浮かせるだけで、あの忍足が食べるとは思えなくてですね(笑)。
どーせならトコトン遊んでしまえ!
ということで、この章と次章ではかなり遊ばせていただいております。
別名、クリスマス特別ファンサービスの章(笑)。
次章では、いよいよスリザリン寮内へ潜入でございます。
跡部様の口から何が語られるのか。
そして樺地はどうなのか!?
お楽しみに(^^)。
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